目黒と岩永祐吉 edition 9

 渓流と滝が混在して Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 さて、お約束通り、記憶回復発掘プロジェクトの連載を始めなければなりませんね。第一弾は「目黒と岩永祐吉」でした。

 しかし、どうしても、思い出せないことが出てきました(失笑)。ミッシングリングです。そもそも、この目黒に興味を持ったのは、10年ほど前に仕事で知り合った女性Aさんがきっかけでした。今ではAさんとは音信不通で、連絡先も分からないので、確かめようもないのですが、そのAさんが、といいますか、A家はもともと(とはいえ明治以降ですが)、目黒に住んでいて、目黒駅周辺から白金辺りの土地はほとんどA家筋が所有していたというのです。

 そこで、色々と調べたり、文献を漁ったりしましたら、世間でネームヴァリューでは恐らく一番知られている人物として、白樺派の作家、長与善郎が出てきました。

 しかし、世間ではあまり知られていませんが、もっと遥かに凄いのは、日本の医学の礎をつくった善郎の父である長与専斎です。肥前大村藩の代々漢方医を務める家系に天保年間に生まれ、大坂の緒方洪庵の適塾で、福沢諭吉の次の塾頭に抜擢された秀才肌で、その後、文部省医務局長、内務省衛生局長などを歴任します。(英語のhygieneの訳語を「衛生」にしたのはこの専斎と言われます)

 そしてまた、専斎の息子たちも凄い。長男稱吉も医師で、男爵。二男程三は実業界に進み、日本輸出絹連合会組長。三男又郎は病理学者で東京帝国大学総長(夏目漱石の主治医)、男爵。四男は母方の岩永家に養子に行った裕吉で、同盟通信社の初代社長。そして、白樺派の作家善郎は五男というわけです。

瑠璃色に澄み渡る池 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 前述しましたように、長与家筋は、目黒周辺の土地をほとんど所有していたらしく、四男岩永祐吉は、省線目黒駅に近い超一等地を目黒雅叙園に売却して、その資金で、米国のAP通信社を手本にした国際通信社「聯合」を創設しました。この文献出典は忘れましたが(笑)。

 「目黒と岩永祐吉」に興味を持ったきっかけはAさんだったと先に申し述べましたが、Aさんは、苗字が長与でも岩永でもありませんでした。

 むしろ、「祖母から5・15事件で暗殺された元首相の犬養毅の血筋を引く、と聞いたことがあります」と、Aさんは、はっきり言うのでした。「祖母はもの凄くプライドが高くて、戦前の祖父も男爵か何かの爵位を持っていたらしく、病院の待合室でも公共施設でもどこでも、『下々の者たちと一緒にいたくない』と言って、プイと帰ってしまうことが多かった」と逸話を明かしてくれました。

 そのAさんの言う、長与家と犬養家とのつながりが分からなくて、「ミッシングリング」だったのですが、何てことはない。今では簡単に調べられるのですね。

 つまり、こういうことです。
至る所に渓流が Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 長与専斎の長男稱吉の妻は、幕末土佐藩士で有名な後藤象二郎の娘延子。(後藤象二郎の娘早苗子は、三菱財閥の岩崎弥之助と結婚しており、岩崎家とのつながりも深い)この夫妻の長女美代子は駐米大使斎藤博と結婚。次女仲子は、犬養毅の息子健(ゾルゲ事件の尾崎秀実と親友で連座して起訴されるも無罪。戦後、法相となり造船疑獄事件で指揮権を発動した)と結婚していたのですね。(健と仲子との間の長女が評論家犬養道子、長男が元共同通信社社長犬養康彦)

 また、長与専斎の娘保子は松方正義の長男巌と結婚しております。

 このように、長与家筋なんて、薄く書いてしまいましたが、後藤家、犬養家、松方家、斎藤家、岩崎家など華麗なる一族と姻戚関係があり、これらの一族が、明治政府から目黒村一帯の国有地の払い下げを受けた可能性は十分ありますが、あくまでも推測で、証拠となる文献に行きあたっておりません。単に、長与一族は大村出身で、もともと目黒に住んでいたわけではないという理由からに過ぎませんが…。

 落語の世界では、目黒といえば、サンマですが、遠い昔、グルメの調布先生に連れて行ってもらったとんかつ屋「とんき」の味が忘れられませんねえ。ほんの少し値が張りますが、ピカイチでした。とんかつの発祥地上野の御三家と勝負できます。

 嗚呼、また、行きたくなりましたよ(笑)。

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