「日本のいちばん長い日」と講談社

Ginza. Tokio

ポケモンGOの郷しろみです。

渓流斎ブログには、「偶然の一致」という文字はありません。

またまた、「必然」が起こりました。

一昨日、映画「日本のいちばん長い日」のことを書きました。そして、昨日は、講談社のことを書きました。

実は、この両者は、必然的に繋がりがあったのです。

具体的に言いますと、「日本のいちばん長い日」の主人公で、最後の陸相を務め、終戦記念日に割腹自決を遂げた阿南惟幾(あなみ・これちか)中将と講談社とは、姻戚関係があるということです。

ご説明申し上げましょう。

講談社の創業者野間清治という人は、今の群馬県桐生市出身です。(1878年生まれ)1909年に大日本雄弁会を設立し、11年には講談社と改称して「講談倶楽部」「少年倶楽部」「キング」などを発行します。それら雑誌は大当たりして、彼は「雑誌王」と呼ばれ、一代にして、大出版社に育て上げますが、1938年、まだまだこれからというのに59歳の若さでで急逝します。

その後、長男恒(ひさし)が2代目社長に就任しますが、彼も既に病に冒されており、1カ月も経たないうちに、29歳で早逝してしまいます。

そこで、創業者清治の妻サヱが3代目社長に就いて株式会社化し、1941年(真珠湾攻撃の年)、サヱの姪っ子の夫で、講談社に勤めていた高木三吉(のち取締役)の弟省一を、長男恒の寡婦登喜子に婿入りさせます。

当時、高木省一は、東京帝大卒業後、満鉄に勤めていました。彼は、終戦直後の荒波を乗り越えて講談社を復興し、「講談社中興の祖」と呼ばれた4代目社長野間省一です。

ちなみに、妻登喜子の父は町尻子爵家、母は賀陽宮家の出です。また、2代目恒社長には、3人の弟がいたと言われていますが、何故後継者にならなかったのか不明です。(ただし、次男も早逝されたようです)

そして、ここからがハイライト。1965年、「中興の祖」省一の一粒種だった長女佐和子の婿に迎えたのが、 「日本のいちばん長い日」の阿南惟幾(あなみ・これちか)陸相の五男惟道(これみち)というわけです。惟道は、 東大卒業後、三菱電機に勤務しておりました。

4代目野間省一が長い闘病生活の末、亡くなった後の1981年、この野間惟道が、5代目社長に就任します。しかし、この阿南陸相の血を引く5代目も87年に、 49歳の若さで急逝してしまいます。新雑誌創刊など、次々と新機軸を生み出しますが、ストレスと過労と深酒が祟ったようです。

6代目社長は、寡婦となった野間佐和子が就任し、2011年には、急逝した佐和子社長を継いで、息子の野間省伸(よしのぶ=47)が7代目の社長になっています。

こう見ていくと、講談社の経営方式も、特別に優秀な番頭を婿入りさせて、代々継いでいく江戸時代の商法とほとんど変わりませんね。

意外と知られていませんが、マスコミという出版社も新聞社も、実は創業者一族による経営がほとんどで、個人商店みたいなものなのです。

それを多くの人が勘違いして、「不偏不党」で「公明正大」やら「社会の木鐸」とやらと不作為の信頼を置いているから、間違いを起こすのです。

マスコミ報道は、GHQの「3S政策」と同じように、恣意的です。情報発信には必ず裏があります。よおく心得よ、かし。

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