「お気持ち」に接しまして

Skytree

8月8日(月)午後3時。

何故この日、この時間が設定されたのか分かりませんが、天皇陛下の「お気持ち」を表明されたビデオテープが流されました。

政治的色彩は極力排除されようとのお考えか、直裁的な表現は避けておられましたが、「生前退位」したいという「お気持ち」は、多くの国民なら斟酌できたのではないかと思っています。

ただ、「生前退位」に反対する一部の勢力もいるらしく、彼らが「玉音放送」の録音盤を奪取しなかったことは幸いです。「日本のいちばん長い日」の場面を思い起こしてしまいますから。

ビデオテープは、日本だけでなく、英国など皇室と所縁のある王国にも生中継されたらしいですね。リオデジャネイロ五輪が開催中で、世界中の眼がオリンピックに注がれていた半面、それだけ、天皇の言動について世界的にも関心を集めていたということでしょう。

私の世代は、まだギリギリ天皇制に関してはタブー視されていて、友人らとあからさまに議論したことはありません。

昭和天皇の戦争責任に言及しようものなら、右翼から殺害されるという危機感もありました。

しかし、今上陛下が即位されて30年近く経ち、戦後生まれが8割を占めるようになった現代では、天皇制に関しての議論は、それほど身の危険を脅かされるほどの禁忌事項ではなくなったことは、確かでしょう。

「國體護持」という複雑な問題も絡み、茲で自分の意見を開陳することなど烏滸がましいのですが、今や象徴天皇として多くの国民から認められ、尊崇されていることは事実であり、天皇制を否定する人は、左翼主義者の一部の人に留まるのではないでしょうか。

私自身、今上陛下が皇太子時代、小生がまだ高校生だった頃、何か体調が悪くて早退したところ、駅の周囲が異様な人集りで、何が起きたのかと思ったら、皇太子夫妻(当時)が、こんな田舎の養護施設に慰問に来られたという話を駅員さんに聞いて、本当に感激したことがありました。

私は、単なる生来の野次馬ですから、本当に目と鼻の先で、手を伸ばせば届く至近距離で、電車から降りて来られた皇太子夫妻を拝謁することができました。警備は殆どなかったかのように簡素でした。高校生ながら「大丈夫なのかなあ」と心配してしまいました。

そして、もう25年も昔になりますが、ウィーンに行ったことがあり、オーストリア政府の職員の方とお話する機会があったのですが、その方は「天皇がいる日本が羨ましい」と言うのです。

オーストリアは、御案内の通り、第一次世界大戦前までは、神聖ローマ帝国の流れを汲むハプスブルク家が未だ健在で、北はフランドル地方から南はイタリア国境まで、ヨーロッパ大陸の大部分を領土としていました。

それが、敗戦などで王家はドンドン衰退し、領土も欧州中央の小国に堕ちてしまいます。

ウィーンの歴史美術館に何で、フランドル地方の画家ブリューゲルの絵画があるのか、不思議でしたが、ブリューゲルの時代は、フランドル地方はハプスブルク帝国の一部であり、彼の絵画が首都ウィーンに保管されるのは極めて自然だったのですね。

件のオーストリア政府の女性職員は「我々は、ハプスブルク家というバックボーンを失い、小さな貧しい国になってしまいました。その点、日本にはバックボーンがあり、国民一体となって発展しているので、羨ましい」と言うのでした。

さて、今回の「生前退位」の話ですが、一部の反動主義者たちは、何かと、明治時代に革命政権が作った「皇室典範」を金科玉条のように引き合いに出して、反対しています。

天皇家の長い歴史を勉強すれば、推古、持統、斉明天皇ら多くの女帝が存在したわけですし、生前退位の例も数多ありました。

結局、天皇の権威を利用しようとする輩がいるので、話がややこしくなってしまうだけなのです。

皇太子が空位になるのなら、皇太弟の名称でもいいではないですか。元号も引き続き平成でも、改元してもどちらでもいいのではないでしょうか。

焦点は、御高齢になった天皇の健康問題です。激戦のあった旧戦場への海外慰霊の旅、被災地への慰問と、普通の後期高齢者ではとても体力的に持たないことでしょう。

陛下の御希望通り、一刻も早く生前退位されることが望ましいと私も考えております。

“「お気持ち」に接しまして” への1件の返信

  1. 女帝と女系は違うよ
     まさに先生の独壇場でした。ありがとうございました。歴史的な掘り下げという「縦」と,比較文化的な「横」,さらには私的経験をさりげなく点綴する。
     
     うーむ。これでは木戸銭を求められてもしかたない。ただし,請求書を送られても放置しますが(笑)。

     「縦」とは「日本のいちばん長い日」の玉音の録音盤へ思いをはせたこと。

     「横」とは,英国などに生中継されたこと。さらにウィーンでの「天皇を冠している日本がうらやましい」
    という彼の地の発言。

     追い打ちをかけるように、先生ご幼少のみぎり東京の辺境?での、皇太子との遭遇。
     同じことを、藤原正彦氏が書いております。軽井沢駅を降り立つと,気づけば数歩前を皇太子両殿下が歩いていた。こんなんでいいのか、と。

     いいんです。実際上の警備問題とは別に、皇室と国民との関係は歴史的にこうしたものでした。御所の塀の低さがその象徴です。支配者ではなく、ローマ法王に比肩すべき祭祀王なのです。

     先生の庇を借りて一言。
     今上陛下は上皇になられて京都にお戻りになられるといい。これをステップに、ご皇室全体が江戸城を明け渡し、御所にお戻りになり、本来の祭祀王として,日本の文化をその根本においてささえる象徴になっていただきたい。
     三島由紀夫ではないが,皇(すめらぎ)は世俗的な「ヒト」であってはならないのです。

     では江戸城は?ロランバルドの言うように,あるいはそれを逆手にとって「空虚な何もない森の空間」として残すべし。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

旧《溪流斎日乗》 depuis 2005 をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む