「闇の男」

日本一の時事新報

◇コメント深謝

どなた様か、サッパリ存じ上げませんが、長いコメント有り難う御座いました。

バッサリと世相を斬られるところから、嘸かし、慧眼の持ち主と拝察申し上げます。

◇「闇の男 野坂参三の百年」

先日、伊藤淳著「父・伊藤律 ある家族の『戦後』」を読了してから、気になった本があり、ずっと喉奥に引っかかっておりました。

小林峻一・加藤昭共著「闇の男 野坂参三の百年」(文藝春秋)という本です。以前から「読みたい」「読まなければ話にならない」と痛感してはいたのですが、何しろ初版が1993年ですから、絶版になっていて、なかなか手に入らない。

今回はどうしても手に入れたいと熱望し、あるルートを通じて読破することができました。

もう、20年以上も昔の話ですから、「何を今さら」といった話ばかりです。当時は、週刊誌に連載され、世間にメガトン級の大反響を呼び、日本共産党の名誉議長だった野坂参三の解任と、ついには除籍という最も重い処分が下されました。当時の野坂は、100歳という超高齢もあり、本当に世間をあっと言わせた大事件でした。

とはいえ、当時の私は、それ程興味もなく、薄っぺらい事実関係を淡々と追って、底知れぬ恐ろしさを他人事のように感じていただけでした。

それが、今回、伊藤淳氏の「父・伊藤律」を読み、恐らく、伊藤律を北京に売って27年間もの長い間、幽閉させた張本人が野坂参三だったらしいことが書かれていたことから、必要に迫られて「闇の男」を読んだわけです。何しろ、「死人に口なし」のはずだったのに、「伊藤律生存」を知って腰を抜かすほど驚いた野坂が、慌てふためいて伊藤淳氏のアパートに黒塗りの車で駆けつけたぐらいでしたからね。

この本を読んで非常に納得しました。

1991年にソ連邦が崩壊し、極秘文書が一時的に公開された隙を掴んで、ジャーナリストの加藤昭氏らがスッパ抜いた歴史的大作業と言っても大袈裟ではないでしょう。

何しろ、歴史を塗り替えてしまったのですから。私は、日本共産党の大幹部で、モスクワ在住プロフィンテルン日本代表の山本懸蔵が何故、野坂の密告で粛清処刑されたのか、分からなかったのですが、この本を読んで初めて分かりました。今さらながら、人間的なあまりにも人間的な話だったんですね。

山本懸蔵が野坂の妻竜(りょう)と関係を持ったことから、コキュ野坂は、個人的怨恨から山本のスパイ容疑をでっち上げて、コミンテルン執行委員会のディミトロフ書記長に密告の書簡を送っていたのです。情報公開によって隠せぬ証拠が見つかり、野坂の除名に繋がるわけですが、自分だけ常に陽の当たる所を歩き続け、100歳の長寿を全うしたのですから、殺された多くの同志たちは怨み骨髄で、あの世から告発したに違いありません。

同書の解説によると、野坂は、ソ連のNKVD(のちのKGB)と日本の官憲と米国の情報機関(のちのCIA)と中国共産党等の五重スパイだったのではないか、という説がありこれも納得しました。
何故なら、殆どの日共幹部が密告によって逮捕か処刑されているのに、偶然にも岡野進(野坂の変名)ただ一人だけが無傷で助かっていたという事実があるからです。

それにしても、一説では、スターリンは何と3000万人もの人間を大粛清したと言われます。

3000万人ですよ!

ナチス・ヒトラーの暴虐については、繰り返し繰り返し弾劾されることは当然ですが、何で、日本の学校では、この独裁者スターリンの常軌を逸した暴虐については歴史として教えないのでしょうか?

ソ連は戦勝国だから?北方四島返還に差し障りがあるから?

この本を読んで、無実なのに碌な裁判にも掛けられず、強制的な自白のみで銃殺された多くの魂の叫び声が聞こえてきそうでした。処刑されなくても、山本懸蔵の妻関マツのように、「日本に帰りたい、帰りたい」と切望したのにも関わらず、最後は一人寂しくモスクワの精神病院で亡くなる悲劇は、涙なしには読めませんでした。

もっとも、加藤哲郎一橋大学名誉教授によりますと、山本懸蔵も、国崎定洞(元帝大医学部助教授、ドイツ共産党員)ら何人ものモスクワ在住の日本人を密告し、粛清処刑に追い込んでいたことが、その後判明します。

野坂も逆に山本から密告される寸前だったといわれます。誰も信用できない、殺るか殺られるかの密告社会だったということになります。

※加藤哲郎氏のサイトは、
http://members.jcom.home.ne.jp/tekato/Moscow.html

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