銀座・イタリア料理店「La Grotta」
ここ最近、ブログのネタに困ると、すぐ「銀座ランチ」に飛びついてしまいます。
手頃だということもありますが、これには深い訳があります(笑)。
まず、職場が銀座なのですが、あと、どれくらい今の職場にいられるかどうか分かりません。あと3年ぐらいは働き続けたいのですが、早ければ今秋にもクビを切られてしまいます。
となると、そう易々と銀座を闊歩していられなくなります。ということは、銀座でランチもできなくなってしまうのです。ですから、これまで高額で、「敷居が高い」と敬遠していたお店でも、無理してでも行くことにしたのです。全部自腹です。取材費も落ちません。釈正道老師が誤解している青色申告の還付金もありませんよ。
さてさて、私の職場は、かつては日比谷にありましたが、今は銀座にあります。職場が生活の中心になると、特にランチや夜呑みの店探しで職場近辺を探索します。おかげで、日比谷、新橋、虎ノ門、銀座、有楽町、築地、新富町、八丁堀、明石町辺りは、どんな狭い路地でも、外国人に通訳案内が出来るほど詳しくなりました(笑)。
でも、おっとどっこいです。まだまだ知らない、行ったことがない路地も沢山ありました。
今日は、気分を変えて、普段は散策しない路地に入ったら、上の写真の「石碑」を偶然、発見しました。
「海軍兵学寮跡」と「海軍軍医学校跡」の石碑でした。
「海軍兵学寮」とは、明治2年(1869年)に前身である海軍操練所が設立された翌年に「海軍兵学寮」と改称されたものです。明治9年に「海軍兵学校」となりますが、明治21年(1888年)に広島県の江田島に海軍大学校が設置されると、同時に海兵学校も移転します。
海軍軍医学校の前身は、明治6年(1873年)に創設された海軍病院付属学舎です。一時廃止されましたが、日露戦争前に医療スタッフ増強のため、軍医学校が再度設置され、明治41年(1908年)に芝山からこの築地に移転されました。昭和20年11月の閉校まで続きます。
場所は、築地川の畔で、采女橋の近くです。
現在、築地川は埋め立てられて、眼下に高速道路が走っています。この石碑は、「新橋演舞場」の対岸といいますか、裏手にあるというべきか、それとも「国立がん研究センター」の裏手にあるというべきか、まあ、その辺りにひっそりと建っています。
石碑は、あまり宣伝していないので(笑)、まず、知っている人は少ないと思います。
以前も、このブログに書きましたが、銀座のみゆき通りとは、明治天皇が宮城(皇居のことですよ)から海軍兵学校へ視察行幸される際に通られる道として名付けられました。
海軍将校養成のエリート学校である築地の海軍兵学校はここにあったんですね!私は、てっきり、今の築地市場場外辺りにあったと思っていました。