すっきり分かる日本の国のはじまりと成り立ち

ワニノ駅  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 栗林提督お勧めの長浜浩明著「国民のための日本建国史」(アイバス出版)を読んでいますが、まあ、何と言いましょうか、著者は東工大の修士号を修めた一級建築士ながら、アングルのバイオリンのように独学で考古学を何十年も研究され続けてきたらしく、その知識と教養は生半可でなく、これまで、考古学の権威と言われた大学者の説をバッサバッサと切りまくり、その壮観な景色の見晴らしは、どこまでも続くよといった勢いです。

 初版は2015年7月6日。出版されて1年以上経ち、これだけ、年代を「炭素14年代」で「実証的」に測定するなどして、既成学説を否定されておられるというのに、アカデミーの世界から何ら反証も議論もなく、全く黙殺されているように感じられます。何か、不思議ですね。

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 ただ、著者は、最初の方で、「司馬史観」を批判されておりましたが、司馬遼太郎は小説家=フィクション=虚構であって、彼の小説などを真面目に史実として扱うこと自体はおかしいんじゃないかなあ、と思ってしまいましたし、彼の「民族=言語」説というのも少しおかしい気がしました。

 まだ、全てを読んでいないので分かりませんが、後半では、私が生まれて初めて考古学に興味を持つきっかけをつくってくれた考古学者の上田正昭氏や佐原真氏、森浩一氏らに疑念を呈しておられたりするばかりでなく、渡部昇一氏についても「記紀を読んでおられないのではないか」と、右左関係なく(笑)、かなり手厳しいのです。

 そして、あの泣く子も黙る天下の共同通信社に対してまで、「科学に弱い要注意な通信社」(41ページ)と見下して、敵にまわしておられます。

 いやあ、勇気ある自信に満ち溢れた凄い方です。
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 著者の長浜氏の説、研究成果の骨子はー。

 ・ヒトのY染色体を調べると、日本人と韓国人、北方シナ人(北京)、モンゴル人とはパターンが全く異なる。よって、司馬遼太郎の言う「韓国が日本人の祖先の国」は間違い。彼らは日本人とは別人種、別民族。P30

 ・紀元前1万年から前5000年までの5000年間、朝鮮半島からの遺跡がなく、つまり、人の気配が消えた、人々が絶滅していた。P44

 ・沖縄人の御先祖様は、九州からやってきた。P45
 
 ・紀元前5000年の縄文時代、人々は日本から無主の韓半島へ家族で移住し、海峡を挟んで祖国日本との間を往来していた。P47

 ・韓国・朝鮮人の祖先は紀元前2000年頃に、(日本の)縄文人が暮らしていた地(韓半島)にやって来たに過ぎない。ということは、それまで、3000年以上にわたり、半島の主人公のルーツは日本人だった。P48、P50

 ・倭人は、春の耕作と秋の収穫をもって年紀としていたため、1年を2年と数えていた。これによって、(記紀に書かれた)天皇の長寿の謎が解ける。皇紀もまた実年に換算すると、神武天皇は、(皇紀660年=)紀元前70年(中国は前漢の時代、ローマでは剣奴スパルタクスが反乱を起こして磔にされた翌年)1月1日に、27歳で初代天皇として即位し、前33年に64歳で崩御。二代綏靖天皇は、前15年に42歳で、三代安寧天皇は、前1年に28歳で、四代懿徳天皇は、17年に38歳で、五代考昭天皇は、59年に56歳で崩御…となる。P110~129

 ・魏志倭人伝などを素直に解釈すると、邪馬台国は「九州」であり、福岡県山門郡高瀬町と推定している。P156

 ・神武天皇の東征とは、日向からやって来た神武天皇一行が、大和の豪族を急襲して惨殺したのではなく、苦戦を強いられながらも内通者を得て切り崩し、ヤマトの南部にやっと拠点を築くことができた、ということ。その後、婚姻関係を通じて勢力を拡大していった。P170~182

・「後漢書倭伝」「魏志倭人伝」に、倭人が、シナに生口を献上する記述があるが、五世紀初め、大和朝廷が女王国を併呑して後、「宋書」には、様々な爵位を要求しても、生口を献上送ったという記録はない。「隋書」にも生口の記載はない。P184

・神武天皇以来、天孫族は邪馬台国が日本人の男女を生口としてシナに献上することが許せなかった。これが決定的な違いとなって女王国と大和朝廷は和解できなかった。このような国は滅ぼすしかない、そう決意したのではないか。 P185

・1978年、埼玉古墳群・稲荷山古墳から出土した赤錆びた鉄剣に「意冨比◆土偏に危(おおひこ)」の銘が刻まれていたことが分かった。この鉄剣は、ワカタケル大王(第21代雄略天皇=457~480年)の時代のもので、銘の大彦命は、第九代開化天皇の兄と考えられる。P284

・記紀否定は、GHQによる「日本教育政策に対する管理政策」(1945年10月22日)などによるもの。 P271

以上 興味深い説でした。著者の全ての説に賛同できませんが、真実は一つでしょうから、専門家同士で激論を交わしてはっきりとさせてもらいたいものです。

10月4日読了。

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