ミラノのレオナルド・ダヴィンチ像
秋だというのに、汚れちまった悲しみで、大人になると好奇心も薄れ、子供の頃に楽しみだった運動会や遠足を誰もやってくれません。
で、仕方がないので、今週末に秋の大遠足会を開催することにしました。
この渓流斎ブログをお読みの愛読者の皆々様は御存知だと思いますが、私は最近、ようやく近現代史から解放されて(笑)、古代史に足を踏み込み、「古事記」や「日本書紀」を読み始めたことを書きました。
そして、密偵を派遣したところ、今は何十年かぶりの古代史ブームで、「古墳女子」なるミーチャン、ハーチャンとそれを追いかける腰抜け男子も存在することが分かってきました(笑)。
そこで、上田正昭京大名誉教授の著作に刺激されて、まずは、位置確認サービス情報で、電車でも行ける「さきたま古墳群」に行ってみたい、といつぞや書いたこともありました。
夏の猛暑も過ぎ、過ごしやすい秋になったので、今回、週末にその古墳群への遠足を企画したわけです。
つい最近読了した長浜浩明著「国民のための建国史」にも、埼玉古墳群・稲荷山古墳の話が出てきます。1978年に出土した赤錆びた鉄剣に「意冨比◆土偏に危(おおひこ)」の銘が刻まれていたことが分かり、この鉄剣は、ワカタケル大王(第21代雄略天皇=在位457~480年)時代のもので、銘の大彦命とは、第9代開化天皇(同177~207年)の兄と考えられるというのです。
さきたま古墳群は、古代の有力豪族の墓ですが、5世紀には大和朝廷の勢力がここまで及んでいたことが実証されたわけです。
上記の年代は、長浜氏が記紀や中国の史書等を読み熟して自ら西暦に換算して推定したものです。前にも書きましたが、初代神武天皇が即位したのは皇紀660年ですが、西暦に換算すると紀元前70年で、紀元前33年に63歳で崩御されたと推定しています。となると、ローマのカエサルとほぼ同時代人なり、何か、俄然、近しみを感じます。
戦後民主主義教育では、古事記も日本書紀も根も葉もない架空の神話で史実とは程遠いというのが通説になりましたが、長浜史観によれば、それらは占領軍のGHQによる教育戦略のせいだと断定しています。
古代史といいながら、実は近現代史だったわけですね!
私は、まだ始めたばかりなので、自説はありませんが、「天孫降臨」などは神話だとしても、もし仮に神武天皇が上記のような年代に実在したとすると、現実味を帯びて、古代史が面白くなってきます。
遠足は週末、鉄道省線行田駅勝手口で、自転車をレンタルして開始する予定です。マスコミの取材は、広報を通して下さい(笑)。