昔は大名屋敷だった

「銭形平次」の作者野村胡堂が名付け親、東京・銀座の「銭形」のランチ

桜井遥斗です。

昔は「アメリカがくしゃみをすれば、日本は風邪をひく」と言われてましたが、超大国が没落しつつある今はどうなのでしょうか?

最近の渓流斎ブログは、濁流に巻き込まれて、暗い沈んだ話題が多くて滅入りますね(苦笑)。

でも、ま、強いて無理して明るく努めることもないでしょう。

ということで、最近は、ある程度、諸行無常を感じています。

実家の近くに中学生時代の同級生が住んでおりましたが、今はその家は更地になって売り出されておりました。

数年前に彼女の両親ともに亡くされ、本人も結婚して何年も昔に家を出ておりました。お兄さんがいたはずですが、どうされたのか。兎に角、売りに出すということは、もうそこに住まないし、この後、見ず知らずの関係のない人が住むということなのでしょう。

今住んでいる私のアパートの近くにも、同じように更地になって売り出されている所があります。

諸行無常ですね。

しかし、考えてみれば、念願のマイホームとは言っても、その後どうなるか分かったもんじゃありませんね。

明治維新になった頃も、江戸の大名の上屋敷も中屋敷も下屋敷も、二束三文で人手に渡ったと言われてます。一番有名なのが、帝国大学(東京は付きません)の敷地で、加賀前田藩の上屋敷でした。

赤坂のホテルニューオータニ、四谷の上智大学の辺りは、紀尾井町ですから、まさしく、紀伊と尾張と井伊の親藩の屋敷があった所です。(井伊藩の上屋敷は、確か、桜田門の近くだったはず。万延元年、井伊直弼は、上屋敷を出た目と鼻の先で暗殺されました)

小石川後楽園は水戸藩、新宿御苑は信濃高遠藩、原宿の明治神宮は彦根藩下屋敷、築地市場は尾張藩蔵屋敷、日比谷公園は長州藩、盛岡南部藩、佐賀鍋島藩、汐留は仙台伊達藩、水天宮は久留米有馬藩、有楽町の国際フォーラム(元東京都庁)は土佐藩邸、乃木坂の国立新美術館(第一師団歩兵第三連隊跡)は伊予宇和島藩邸、六本木の東京ミッドタウン(第一師団歩兵第一連隊跡)は長州藩邸…なども有名ですね。

(あ、先日の祝賀会でもお話しした通り、今、電車の中で、スマホでこのブログを書いてますので、記臆違いが多々あると思います。御指摘頂ければ、直ぐ訂正します)

東京の大名屋敷跡を散策するいいサイトを見つけました。
http://edoshiseki.com/daimyo.html

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