京都・永観堂 by Kyoraku sensei (紅葉写真拝受賜り候)
関東地方は11月には珍しく雪が降り積もりました。
何やら、54年ぶりなんだそうですね。
54年前というと、1962年です。
1962年と言えば、ビートルズがデビューした年です。同年10月5日にデビューシングル「ラヴ・ミー・ドゥー」がリリースされました。
当時日本では全く話題になっていません。日本発売はその2年後です。
ということで、以下はビートルズ・フリークによるマニアックな話です。
1962年1月1日。日本ではお正月のお屠蘇気分でリラックスしている頃、リバプールの田舎町からロンドンに出てきた4人の若者が、デッカレコードのオーディションに臨みます。
メンバーは、ジョン、ポール、ジョージのほか、当時正式メンバーだったドラムスのピート・ベストです。このオーディションは録音され、今でも、ユーチューブで無料で試聴することができます。
其処には、多くのコメントが寄せられていますが、やはり、ピートのドラミングが全く合っていなくて、ビートに欠けています。デッカは、そのせいなのか、この四人組のバンドを落選させ、後に「世紀の大失敗」という汚名を歴史に刻んでしまいます。(これに懲りたデッカは、後にローリング・ストーンズと契約します)
そして、ビートルズは、マネジャーのブライアン・エプシュタインの奮闘で、6月6日にEMI傘下のパーロフォンという小さなレコード会社のオーディションに漕ぎ着け、漸くレコード・デビュー契約を果たすのです。
この際、やはり、プロデューサーのジョージ・マーチンは、ドラマーのピートが気に入らなかったのか、結局、同年8月に、ローリー・ストームとハリケーンズのメンバーで、リバプール一番のドラマーと評判だったリンゴ・スターを引き抜いて新生ビートルズを誕生させます。
その新メンバーによるデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥー」は9月4日に録音されます。それでも、ジョージ・マーチンは気に入らなかったのか、その一週間後の11日に、スタジオ・ミュージシャンのアンディ・ホワイトにドラムスを担当させ、リンゴはタンバリンしかやらさせてもらいませんでした。
9月4日に録音された「ラヴ・ミー・ドゥー」は、そのままシングル盤として発売されましたが、どういうわけか、翌年4月に発売されたアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」に収録された「ラヴ・ミー・ドゥー」は、アンディ・ホワイトのドラムスの方が採用されました。
非常にマニアックな話でした(笑)。
ということで、ビートルズの「ラヴ・ミー・ドゥー」には3ヴァージョンあり、現在、ピート・ベスト版は「アンソロジー1」で、リンゴ版は「ビートルズ・パスト・マスターズvol.1」で、アンディ・ホワイト版は「プリーズ・プリーズ・ミー」で聴くことができます。