あれから40年…

さきたま古墳公園

綾小路きみまろの決まりセリフに「あれから40年…」というフレーズがあります。

昨晩は、その奇妙な40年に気が付きました。

40年前、学生だった私は、色んなアルバイトをしました。中でも鮮烈な記憶として残っているのが、出版卸しの作業工場です。

もう今ではなくなったと思いますが、当時、東京・飯田橋の駅近くに日販の工場がありました。出版社から集まってくる書籍や雑誌を梱包して、全国の本屋さんなどに配送する現場でした。

雑誌なら30冊くらいを1単位として、硬い油紙のような紙に包み、非常に硬いプラスチック製のテープで、機械で一瞬にして梱包する単純作業でした。

雑誌などは、ベルトコンベアで流れてきて、休む暇もありません。皆んな黙々と作業をしています。学生バイトは、梱包された雑誌を所定の位置に運んだり、補助的な仕事を担当しました。

これを見て、チャプリンの映画「モダンタイムス」を思い出しました。チャプリン扮する労働者は、ベルトコンベアから流れてくる部品のネジを締めるだけの単純作業で、疲れて休んだりすると、次の人に影響が出て大変。何しろ、大型スクリーンで経営者が時々監視したりします。

公開は、1936年です。何と、2・26事件が起きた大昔です。考えてみたら、私もその流れ作業を体験したのは、今から約40年前の1976年だとすると、そのちょうど40年前に当たるではありませんか。

1976年に若者だった私は、その40年前の1936年の出来事は、戦前の大昔のことで、当時と繋がりはなく、戦前と戦後ことなので、遠い過去の出来事で、全く断絶したものだと誤解しておりました。

それがどうでしょう。

さきたま古墳公園

歳月を経たとはいえ、今から40年前に体験した流れ作業は、鮮やかに思い出すことができます。名前は忘れましたが、40歳代後半と思しき、髪の毛にポマードを付けてオールバックし、少しキザっぽい、遊び人のような労働者。そんな人が、昼休みになると、おにぎり二つを食べて、長椅子に寝っ転がって熱心に新聞を読んでいた姿をありありと思い出すことができます。

「あれから40年…」となると、自分が生まれる前と生まれた後では感覚が違うということなんでしょうか。

最近、作家三島由紀夫の未公開秘蔵インタビューテープが見つかったということで話題になっていますが、この中で三島は面白いことを言ってます。

生まれる前は、死は外側にあったのに、生まれたら、死は内側に入ってきた、と。

三島らしい繊細で鋭利な表現です。

この三島の記事を読んで、40年前の若い頃、そのまた40年前の自分が生まれる前のことに思いを巡らしたわけなのです。

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