バチカン市国
小生は、これでも、どういうわけか、東京都民でもないのに御縁が御座いまして、東京都主税局に毎年納税している身分(笑)ですので、「豊洲問題」については、発言する権利があるのではないか、と勝手に思っております。
3月3日の雛祭りに、石原元都知事が、東京・内幸町の日本記者クラブで、約300人の若い記者の前と老人たちの横で、連綿と釈明しておりましたが、あれは、本当に見苦しい言い逃れ、責任逃れの何ものでもなく、都民は実につまらない人間を最高権力者に選んだものだと痛感しました。
最高権力者が責任を取らなければ、責任は誰が取るのかと言えば、結局、周り廻って、石原を都知事に選んだ有権者ということになるでしょう。
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3日の記者会見を振り返ってみますと、元都知事石原は武士でもないのに「座して死を待つつもりはない」などと前置きが長過ぎ。報道陣から「何で土壌汚染がいっぱいの豊洲なんかに食べ物の市場を移転させなあかんねん?」なぞと質問されると、石原は「ワイ一人で決めたちゃうねん。議会も一緒に皆んなで決めたんねん。そもそも、ワイに専門的知見かてないもんねー」と関西弁でまくしたてたようにみえましたが、私の聞き間違いだったようです。
まあ、元都知事石原は、遠回しに、俺にだけ責任ねえ、と言いたかったんでしょう。
しかも、俺は忙しいんだ。豊洲のようなちいっちぇーことなんかに構っておられん。ぜーんぶ、「浜渦君(当時の浜渦武生副知事)に任せていた」と、さも当然のように、悪びれた様子もなく、いけしゃあしゃあと言い放つんですからね。
もし、専門知識がないことを理由に、部下にメクラ判を押させていたとしたら大問題ですし、そもそも最高権力者の知事なんて必要ないことになってしまいます。
あと、本人は「裁可をした責任は私にありますよ」と、責任の「所在」だけは認めましたが、この「裁可」という言葉は都庁で普通に使われているのでしょうか?裁可とは、本来は、君主や天皇が許認可するときに使われる言葉です。
まあ、在任中の石原さんは、待遇面では君主以上でしたからね。
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では、元都知事石原にとって、ちっちぇー豊洲移転問題より重大な案件は何だったのか?
それは、都民の血税を使って、仲間うちで一本10万円以上するワインを飲むこと、都政とは直接関係ないガラパゴスにVIP待遇で遊興すること、とにかく、外遊しまくって、アラブの大富豪以上の豪華なスイートルームに連泊すること、「余人をもって代え難い」芸術家と称する実の息子の下手な絵を如何に何百万円かで都に買わせるか、ぐらいではなかったでしょうか?
目下、週刊文春があれだけ、石原の金権体質を批判する記事を連載しているのに、なんで、何処の記者も質問しなかったんでしょうかね?
石原さんは、庶民が汚染に晒された危険食品を喰おうが、知ったーこたあねえ、という考えなんでしょうか?分かりませんが。ただ少なくとも彼の都知事時代の振る舞いを見た限り、都庁へは週に1回か2回出勤するだけで、王侯貴族並の生活をしゃぶり尽くしたいという野心で満ち溢れていました。
同年輩の評論家の江藤淳は、石原について「無意識過剰」と評したらしいですが、うまいこと言ったなあと思います。
ネス湖のネッシー探検で石原と一緒に仕事をしたプロモーターの康芳夫氏は「石原?突拍子もない男だよ」と笑いながら言っていたことを思い出しました。