日本は格付けが大好きな格差社会

菜の花

街の本屋さんの灯を消してはいけないので、たまに近所に唯一残っている本屋さんに買いに行きます。

何も、いくら便利だからといって外資系の通販ばかり儲けさせてあげることもないでしょう。

そして、出掛けてみると、意外にも、とんでもない掘り出し物にぶつかることがあります。昨日は、まさしくそうでした。

ここ最近、いやもう数十年も昔からの疑問だったのが、歴史上の身分を表す官職名です。

例えば、従三位(これで、じゅさんみ、と読みます)とか、信濃守とかいった名称です。

具体的に言いますと、豊臣秀吉は「太閤」、石田三成は「治部少輔(じぶのしょう)」、徳川家康は「内府」、このほか、水戸黄門や大岡越前守らが有名です。

これらは一体どういう意味なんでしょうか?

これらの様々な疑問に答えてくれたのが、たまたま街の本屋さんで見つけた大石学著「江戸時代の『格付け』がわかる本」(洋泉社、972円)だったのです。2017年4月19日初版なので出たばかりでした。

いやあ、長年の疑問が氷解してスッキリしました(笑)。

上の疑問で言いますと、秀吉の太閤とは、関白を中国の官職に言い換えた言葉だったのです。唐名と言います。同じように、家康の内府は、内大臣の唐名。黄門、正式には黄門侍郎は、中納言の唐名だったのです。

ちなみに、関白も内大臣も中納言も、奈良時代に中国に倣って律令制(律=刑法、令=行政法)を取り入れた時に、その官職はなかったので、令外官(りょうげのかん)と言います。令外官には、他に、征夷大将軍や検非違使などもあります。

三成の治部少輔は、官途(中央官制の長官)名で、実際の役職というより名目上の名称となりました。井伊直弼の掃部頭なんかもそうです。

大岡越前の越前守も、もともと「守」(かみ)は、国司の長官名です。身分として四等官があり、それは長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん)なので、国司となると、守、介、掾、目となるわけです。

えっ?分からない?

つまり、越前でしたら、長官が越前守、次官が越前介、判官が越前掾、主典が越前目というわけです。

江戸時代になると、国司は形骸化しますから、領地の主=国司名とはならず、名目上の名前で幕府に許可を求めます。例外として、鍋島藩の肥前守などのように一致するものもあり、武蔵守は、江戸幕府のあるところなので、名乗ることは禁止されました。

大岡越前守忠相も、町奉行になる前は、大岡伊豆守を名乗っていましたが、町奉行の中に既に伊豆守がいて、バッティングしたため、越前守に変えたのです。

あと、正一位から従八位までと大小の初位(そい)の「位階」があります。

こちらは、従五位(じゅごい)以上が「貴族」、従三位以上が「公卿」と呼ばれ、歴然たる身分制度があります。

天皇に謁見するためには、この位階がなければならないので、江戸時代に初めて象が来日した時、この象さんに従四位が贈られたという逸話があります。忠臣蔵の浅野内匠頭は従五位下だったので、何とそれより上だったのです!

このように、人は官職で婉曲に呼ばれましたが、本名は諱(いみな)と言って、忌み名に通じることから、日本人は昔から、本名で呼ばれることを嫌ったからです。

「源氏物語」にしろ「徒然草」にしろ、人は、官職名で呼ばれてますよね。

言霊の国ですからね(笑)。

ですから、ネット社会で、堂々と諱を曝け出している日本人は、勇気があるなあ、と思うわけですよ。

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