清戸道、十文字学園、蒲田温泉、豊島氏、松崎煎餅

銀座

せっかく、泉麻人著「東京いい道、しぶい道」を読了したので、備忘録を残しておきます。(一部換骨奪胎)

 ●西武池袋線の推名町駅から江古田駅までを並行して走る通称「トキワ荘通り」。この辺りに、若き頃の漫画家手塚治虫や赤塚不二夫、藤子不二雄らが共同生活をするように住んでいたトキワ荘があったので、後になって付けられたものですが、ここは中世は「清戸道」と呼ばれていた。そう、清戸道は、賢明な読者諸氏の皆さまなら、2017年5月22日付の渓流斎ブログ「第6回戦国滝の城まつりと柏の城跡」の中に出てきたことを覚えていらっしゃると思います。

 清戸道とは、大田道灌の築城した江戸城と河越城を結ぶ道路でした。(その両城の中間に滝の城を築城し、豊島氏の石神井城を攻略したわけでした)

 なるほど、清戸道は、江戸城から北西方向に進み、目白を通って、西武池袋線沿いに推名町から清瀬まで行き、埼玉県の所沢を経由して川越に抜けていたんですね!

滝の城まつり

 ●豊島区北大塚にある十文字学園。大正11年(1922年)に、東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学)を出た十文字ことが設立した学校(当初は、文華高等女学校)です。ことの夫十文字大元がこれまた凄い。明治37年(1904年)に、日本で最初のガスメーターや水道メーターを製造販売する金門商会を設立し、学園はその工場の跡地らしい。十文字大元は、実業家だけでなく、活動写真弁士の創始者の一人とも言われます。長年神経痛に悩み、大正5年(1916年)に手技治療師だった中井房五郎(1878年 ~1931年)によって創案された健康体操によって、その神経痛が治ったことから、これを自彊術(じきょうじゅつ)と命名して普及に努めました。十文字学園も、この体操を身体教育として取り入れました。

 ●京浜急行「雑色」駅辺りから北上して環状八号線に近い蒲田郵便局辺りを走る蒲田本町通りは、「蒲田温泉街道」と呼んでもいいくらい黒いナトリウム系の温泉銭湯が集中している。南から「照の湯」「隆の湯」「ヌーランドさがみ湯」「蒲田温泉」など。締めは、京急蒲田駅近くの餃子屋「ニーハオ」で冷えたビールと一緒に。渓流斎、蒲田生まれながら、何も知らなかった…(笑)。

江戸城

 ●練馬区石神井公園にある道場寺は、14世紀後半から15世紀後半にかけて一帯を支配した豊島氏の菩提寺(太田道灌により滅亡)。この道場寺の奥に控えるのが、石神井公園の池の名前(三宝寺池)でも知られる三宝寺。門脇にある串焼きだんご「池田屋」は明治35年創業。三宝寺の山門は、御成門と名付けられているが、これは鷹狩り好きの三代将軍徳川家光がしばしばここを休憩地として使った「御成りになった」から由来するという。

 ●銀座並木通りにある「松崎煎餅」は文化元年(1804年)、魚藍坂(東京都港区三田~高輪)で創業。幕末の慶応元年(1865年)からこの場所にずーとある老舗中の老舗のせんべい店。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

旧《溪流斎日乗》 depuis 2005 をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む