総理大臣日乗の答えと政治闘争に揺れたフランス19世紀

寿能城跡

昨日の答えです。

(い)首相の一日=東京新聞
(ろ)安倍日誌=産経新聞
(は)首相官邸=日経新聞
(に)首相動静=朝日新聞
(ほ)安倍首相の一日=読売新聞
(へ)首相日々=毎日新聞

如何ですか?

総理大臣日乗に、わざわざ安倍の名前を冠する新聞社は、安倍首相に忠誠を誓って、時の権力者の太鼓持ちか、御用新聞に徹していることがよく分かります。

寿能城守潮田出羽守

先日、フランス文学者の鹿島茂教授の講演を聴いたおかげで、数十年ぶりにフランス史の復習を始めています。

何しろ、フランスは、自分たちの王様(ルイ16世)の首をはねてしまった超過激の国である一方、ジャン・ジャック・ルソーに代表されるように「自由、平等、博愛」の人権主義の国でもあります。

特に19世紀が見離せません。

18世紀末(1789年)にフランス革命を成功させると、19世紀は、第一共和政、第一帝政(ナポレオン1世)、王政復古(ウィーン会議)、七月革命(1930年)、二月革命・第二共和政(1848年)、第二帝政(ナポレオン三世)、パリ・コミューン、第三共和政(1870年)と実にめまぐるしく変わります。

この間、王党派と共和派と皇帝派が入り乱れ、極右と極左が権力闘争に明け暮れて、政治体制が振り子のように右から左へ揺れ動きます。

ちなみに、仏革命後の国民公会で、議長から見て右側に王党派、左側に共和派が席を占めたことから、右翼、左翼の概念が歴史上初めて生まれたという説があります。

その後、今の「テロ」の語源にもなったテロリスムが横行し、クーデタ未遂(ブーランジェ将軍事件など)も再三再四ありました。

面白いことに19世紀の唯一のマスメディアだった新聞が政治運動の先頭に立ち、時の権力者を批判し、一方の権力者は、ジャーナリストを監獄に入れたり、反政府新聞の発行禁止処分をしたり、御用新聞に耳触りのいい情報をリークしたりして対抗します。

第二帝政の下、ヴィクトル・ノワール事件で過激な反ナポレオン・キャンペーンを張ったアンリ・ロシュフォール、七月革命から19世紀のほとんどの革命に参加し、75年の生涯のうち33年間も監獄で過ごしたオーギュスト・ブランキらが当時を代表するジャーナリストと言えます。

いやあ、何百年経っても、人間のやることですから、何処の国でも変わらないことが起き、未来永劫続いていくわけですね。

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