日野原重明氏と笹川良一氏

東京・銀座のパリマルシェ

聖路加病院の日野原重明名誉院長が、渓流斎の誕生日である7月18日に105歳で亡くなり、世間では大騒ぎです。

彼の長年の功績、これまで「成人病」と言っていた病名を「生活習慣病」と言い換えるように提唱したこと、1970年のよど号ハイジャック事件で人質となり、「残りの人生は、困った人のために使おう」と決意したことなど、数々の美談が瀬戸内寂聴先生のコメントとともに報じられました。

それに異議を唱えた方がおります。名古屋にお住まいの豊田先生です。

…死者に鞭を打つつもりは毛頭ありませんが、テレビも新聞も、どこも日野原さんと笹川良一さんとの関係に触れていませんね。画龍点睛を欠くのではありませんか?

えっ?何のことですか?

そこで、調べたところ、東洋経済オンラインの記事「日野原氏は理想のために笹川マネーも使った105年の人生で残した多大な功績を振り返る」 (←こちらをクリック)がありました。そこには、こう書かれておりました。(記者はフリージャーナリストの大西康之氏)

…日野原氏が予防医療を目的とした「ライフ・プランニング・センター」の設立にあたって、資金を提供したのは財団法人日本船舶振興会(現日本財団)の笹川良一会長(1899-1995、当時)だった。

笹川氏は自らの主治医でもあった日野原氏の思想に共鳴し、センターの活動資金として日本船舶振興会から3億6000万円を拠出、さらに東京・港区にある笹川記念館の11階フロアを権利金・敷金なしの破格の家賃で貸した。…

へー、そうだったんですかあ。そこには続けてこう書かれてますね。

…毀誉褒貶の激しい笹川氏から支援を受けることについて、周囲は反対したが、日野原氏は「世のため人のためにお金を使おうとしている今の笹川氏は立派な人だ」と話し、堂々と金を受け取った。理想を実現するためには、現実と向き合う。そんなプラグマティズム(実用主義)が氏の真骨頂だった。…

笹川氏は晩年、聖路加病院の一泊数十万円もする高級スイートルームで過ごしていたという噂を聞いたことがありますが、そういう背景があったのですね。

ところで、もう一つ。豊田先生は、面白いサイトをご紹介して下さいました。

笹川良一氏の三男で、現在、日本財団会長の笹川陽平氏のブログ (←こちらをクリック)です。

世界各国を飛び歩き、何処そこに行って、誰と会ったか、非常に事細かく書かれ、写真もアップされております。

7月18日の夜は、何と、元NHKの国際ジャーナリスト、手嶋龍一氏とお会いしているではありませんか!

これは、今や紙衣の伊左衛門になった「安倍日誌」を読むより遥かに面白い!(笑)

あの著名な手嶋氏のことですから手ぶらでお会いすることはなく、応じる笹川氏もまさか手ぶらで返すわけには行かず、どんな密談をされたかというより、どれくらいの太郎さん(隠語)が積まれたのか妄想が逞しゅうなってしまいました。

はい、あくまでも妄想です。

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