大正から昭和にかけて活躍した陶芸家、河井寛次郎(1890-1966年)の言葉です。
1921年、第1回創作陶磁展覧会で「陶界の一角に突如彗星が出現した」と絶賛された寛次郎は、次第に自分の作風に疑問を感じて一時、陶芸界から離れたことがありました。その後、1926年に柳宗悦、濱田庄司らとともに「日本民藝美術館」を設立し、無名の庶民が作った陶器に着目し、一気に民芸運動にのめりこんでいくのです。
寛次郎の素晴らしさは、アンドレ・マルローをはじめ、世界の錚錚たる知識人に賞賛されたにもかかわらず、人間国宝や文化勲章など一切の名誉を拒絶したことです。
そんじょそこらの並大抵の人間ではなかなかできるものではありません。