「やらなければならない」という義務感があると、どうもやる気が起きない。苦しい。
それなのに、自分から進んで「やりたい」と思ってやると楽しい。人も喜ぶ。だから人は、ボランティアに精を出す。
これはどうしたものなのでしょうか。
「真面目に生きなければならない」「仕事をしなければならない」ーこれも苦しい。
逆転の発想をしてみると、
「別に真面目に生きなくてもいい」「仕事をしなくてもいい。遊んでいい」
しかし、すかさず、内なる声が聞こえてきます。
「不真面目に生きていたら、親兄弟や子供に迷惑が掛かる。先生にも叱られる」
「遊んでばかりいては、食べてはいけない」
これは常識です。
だから、人間は悩むのです。
それなら、こうしたらどうでしょうか。
「やらなければならないという義務感を心の中から消し去る」
「やらなければならないこと、そのもの自体がないのだと自分を説得する」
「やらなければならないことは、そもそも、義務感という感情が錯覚させているだけで、その錯覚さえ、取り外せば、苦痛がなくなる」
「やりたいと思ったことだけやる。つまり、やりたいにしろ、やりたくないにしろ、何であれ、これこそが自分のやりたいことだと自ら言い聞かせ、たぶらかせる」
うーん。字余り…ではなくて、「言葉足らず」ですか?
反論をお待ちしております。
常識
考えの中にあるのではないと思います。
思考で分かろうとしても無理なことです。
悩んで問いつづけて、それが大事。
真剣に。
自分の心と向き合うことは、
自分にエネルギーを注ぐことになります。
つまりは、自分を愛することです。
普段、常に廻りにエネルギーを注いでいませんか?
誰かのために生きていませんか?
外側を気にすることは、全てそそいでいるのです。人の評価などなど。。。
自分を一番気にしてあげましょう。
今、何を感じているか。。。。
しっかり見てあげましょう。。。。。
「しなければならない」と動くほうが簡単なのです。根本的に人は退屈を恐れているからです。
理由をつくって勝手に「子供に迷惑がかかる」
などなど、それこそ子供に迷惑です。
あなたが平和でなくて、何を与えられるというのでしょう。
それが一番近道です。苦しいですが近道です。
苦しみはエゴからしか起きません。
だから感じて苦しんで、削り落とすのです。
そしたら、見えてくるものです。
気づきは感謝となります。だから
気づいたら変わります。心が変わるから現象も変わります。
思いこむのではないのです。気づきは起きてくるものです。
感じてたら起きてくるのです自分の中に。
やりきれば必ず次に進むわけですから。
人は信念体系をそれぞれに持っていきている。
だから、どんなことを信じてもいいと思います。
ねばならない、と信じていきてもいいし、
好きなことだけして生きていくと信じてもいい。
信じたことが起きるだけだから、それぞれの体験があるだけ。
今、ここにあることが、自分が本当は望んでいたことと深いところで、知ることが大切です。
それでなければ、起きないのですから。
はっきりとその真実に気づけば、それこそ思いのまま。
「じゃ~これからは楽しむことをしよう。」とかって自由に決めていきられる。本当に信じられる。
信じたものが創られると、はっきり知る事。
実感すること。
でも、人はそれまでに悩まないと気づけないことの方が多いいのです。
苦しむことこそが、気づく一番の近道。
味わうことが早道でしょうね。。。。
なんとかなる、と思えばなるし、ならないと思えばならない。
どんなに借金地獄でも乗り越えてる人は沢山いるわけで、会社を辞めたり、ちょっと好きにいきたぐらい、どうってことないわけで、
人が好きに生きて文句いう人は、自分が好きにいきてないからなわけで、相手にしてもしょうがない。ステージが違うから。
見てる世界が違うから。
一体どんな世界をあなたは見たいですか???
一瞬一瞬選択しているのです。