人間に関心がない今の人たち

 世間では一応ある程度認知されているマスコミ業界で、私は今でも働いているのですが、最近、気になるのは、会社の特に若い人たちの人間関係の希薄さです。

 希薄といいますか、そもそも根本的に人間に対して無関心なのです。勿論、挨拶もしません。

 他人と関わりを持ちたくない、人と交わりたくない、話をするのも真っ平だ、という感じなのですが、病理学的には「コミュニケーション障害」、略して「コミュ障」というらしいですね。そういう人が増えた気がします。病気なら仕方がないですし、私の周囲に限るのかもしれませんが、そういう若い人が最近、妙に増えた気がするのです。

 ただし、昔もそういう人がいたけれど、病名が「発見」されていなかったし、本人もただ単に我慢して付き合っていただけで、症状を隠していたか、潜在的に隠れていたのかもしれません。

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 しかし、少なくとも私たちのような職場は、他人とコミュニケーションを取ることが仕事なので、他人に無関心では取材すらできず、仕事にはなりません。

 何と言っても、そもそもマスコミの仕事は、ニュースを追いかけることであり、人間に興味や関心がなければ始まりません。森羅万象に好奇心を持たない限り、企画記事は生まれてこないし、読み応えのある記事や見応え十分の番組も生まれてきません。厳しい言い方をすれば、もし、人間や社会的事件や不条理や矛盾に興味がなければ、マスコミの仕事をしなければいいのです。他にも、対人関係のない仕事が世の中にはたくさんあるはずですから。

 もしかして、本来、他人に無関心では仕事にならないはずのマスコミ業界でこれだけ無関心派が増えているということは、他の業界でも、そういった人たちが増えているのかもしれません。仕事が終わって飲みに行く、といったことを今の若い人たちは拒否するようになったと聞きますし、忘年会などは、もってのほか、と考える人も増えたといいます。

 それに、「草食系男子」とかで、実際の女性と付き合うのが面倒で、振られて傷付きたくないのか、アニメやフィギュアと時間を過ごす方が楽しいという若者も少なくないと聞きます。

銀座7丁目 世界の高級腕時計店が集まったビル

 勿論、これらは善悪の問題でもないので、個別の趣味趣向は尊重されるべきかもしれません。私自身でさえ、できればそっとしておいてほしかったり、都会人なら見て見ぬふりをしてほしいなあと思うときもありますから。

 ただ、少なくともマスコミ業界の人間なら、仕事のこともあるわけですから、もう少しプロ意識を持って、人間にも興味を持って、深堀りしてもらいたいと思うのです。

 昔のマスコミの職場、特に編集局は鉄火場みたいな所で、大声で怒鳴り合ったりすることはしょっちゅうでした。マスコミと言っても、まだまだ、昔の古い徒弟制度が残る男社会で、若い人間の意見は通らず、不条理な世界でした。しかし、今はメールでやり取りしているせいか、電話も少なく、病院の待合室のように静かです。

 逆に言うと、今は、若い人でも尊重されますし、他人に無関心でも仕事ができる温床と苗床が21世紀の今のマスコミ業界では恵まれている、と言えるのかもしれません。他人に無関心で済んでしまうのは、若い人だけに限りません。役職が付いたロートルも同じです。年長者に対する侮蔑な態度があからさまで、挨拶すらしません。まあ、その人の個人的な性格によるものであることは確かですが。

 「昔は良かった」と懐古趣味の老人のような言いぐさをするつもりはサラサラないのですが、最近、どうも、読み応えのある新聞記事や見応えあるテレビ番組が少なくなった気がします。因果関係が気になったので、本日はこんなことを書いてみました。

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