日本の航空の父、フォール大佐にちなんだカツレツ=所沢航空公園「割烹 美好」

 本日書くことは、単なる個人的な日記なので、読んじゃ駄目ですよ(笑)。

 11月19日(金)は本当に久しぶりに会社の元同僚のM君と新宿で一献を傾けました。彼と会ったのは5,6年ぶりか、いやもっとなるかもしれません。彼は嫌な性格で(ハッハー)、こちらが誘っても向こうは断り続け、そのうちにコロナ禍になってしまい、なかなか会えず仕舞いでした。

 私が彼を誘い続けていたのは理由(わけ)がありまして、ここでは書けませんけど、個人的に大変お世話になったことがあったからでした。まあ、ズバリ、彼には御礼をしたかったわけです。

2021年11月19日(金)新宿

 結局、彼の今の職場に近い新宿で会うことになり、私が選んだのは「呑者家」(どんじゃか)という新宿三丁目にある居酒屋さん。この店はビートたけしや「噂の真相」編集長の岡留安則氏らの行きつけの店だったということで、一度行ってみたかったからでした。

 行ってみたら、それほど広いとは言えない普通の居酒屋さんでした。金曜の夜なので、満員かと思っていましたが、まだコロナ感染の怖れで自粛している人も多く、ワリと空いておりました。

 彼とは近況を話したり、かつての同僚の話をしたり、今後の仕事の話をしたりで、ここに特記するようなことはありません。新宿に来たのも、5,6年ぶりぐらいの久しぶりで、店が変わっているところもあり、何となく、街も綺麗になった感じでした。

所沢航空公園「割烹 美好」明治15年創業の老舗

 翌11月20日(土)は、父の17回忌の法要を家族きょうだいのみで墓所がある所沢聖地霊園で執り行いました。当初は6人で行う予定でしたが、結局、母は体調不調で欠席、姉夫婦も急遽不参加となりました。東北大学の教授だった義兄の御尊父が亡くなられ、仙台で葬儀などがあったりしたためでした。

 結局、兄夫婦と私の3人だけでしたが、墓掃除をしたり、綺麗な花を飾ったり、御線香をあげたり、短くお経を唱えたりして無事、法事を済ませました。

 家のお墓の最寄り駅は、西武新宿線の航空公園駅で、近くに所沢航空公園もありますが、知る人ぞ知る日本の航空の発祥地でもあります。

所沢航空公園「割烹 美好」

 その日本の航空の発展・指導の面で大いに貢献した人が、大正8年にフランス航空教育団長として来日したフォール大佐でした。(フォール大佐の通訳を務めた麦田平雄氏の墓地は、我が家と同じ所沢聖地霊園にある、と写真にありますね!)

 そのフォール大佐が日夜、利用した割烹店が今でもあるということで、ランチに行ってみました。兄の車に乗せてもらいましたが、航空公園駅から8分ぐらいの住宅街の中にありました。

所沢航空公園「割烹 美好」フォール・カツレツセット1980円

 到着したら「満員御礼」の表示がありましたが、大丈夫。法事ということで既に1カ月近く前に予約していたからです。予約注文していた料理は、勿論、日本に航空操縦技術を伝授してくださったフォール大佐に敬意を表して「フォール・カツレツセット」です。

 カツが2枚もあってお腹いっぱいになるほどボリューム満点。フランスの軍人なら平気で平らげていたことでしょうが、日本人の年配者には少し多いかもしれません。

 でも、カツレツは、肉が柔らかく、やさしい上品な味でした。

所沢航空公園「割烹 美好」を訪れた著名人

 何と言っても、この老舗店「割烹 美好」は明治15年(1882年)創業ということですから、これまで色んな著名人が訪れています。

 テレビ番組のグルメレポーターやタレントさん、芸能人らの写真が廊下の壁にベタベタと飾られておりましたが、特筆すべきは上の写真です。

 ノーベル物理学賞の湯川秀樹博士、国連事務次長、東京女子大学長などを歴任し、五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造、満鉄総裁、東京市長などを歴任した後藤新平、それに地球物理学者で東京帝大付属航空研究所顧問なども務めた田中館愛橘、日本航空界の先駆者で陸軍航空を創設・育成した徳川好敏(御三卿清水徳川家八代当主、男爵)もいます。

 へー、と思ってしまいました。彼らもフォール・カツレツを召し上がったのかしら?

 

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