今朝も、何とも言えない胸苦しい圧迫感で目が醒めました。
これらの不安とも恐れとも焦燥感とも名状しがたいものは何処から来るのかわかりません。もう2年近く続いているということだけは確かなのです。
友達に相談すると、こんなアドバイスをしてくれました。
ーあなたの不安と恐れは何処から来るのか?
因果論に囚われているからです。
原因があるから、結果があると思い込んでいるからです。
こういう結果があるのは、原因があるからと思い込んでいるからです。
人は、「こういう体験をしたからこうなった」という過去の失敗を恐れているのです。因果論に囚われている限り、未来が不安になります。
因果論から脱却しないと、半永久的に不安や恐れから逃れることができません。
つまり、「今」に生きることができないのです。
過去の体験によって、不幸になってはいけません。
体験をどうとらえるかによって、人は生き方がかわります。つまり、どんな不幸な体験をしても、捉え方によって全く違った人生になるのです。
たとえば、大病したとしても、その人が、どう心でとらえたかによって幸福にも不幸にもなれるのです。
「天が与えてくれた休息の時間」と考えただけでも救われます。
要するに、プラス志向の癖をつけないと人生は豊かにならないのです。
因果論にとらわれていると、悲しいことが起きると、周りのせいにします。誰それのせいだとか言い出します。
しかし、過去の体験のせいではないのです。過去の体験そのものを自分が引き寄せて、囚われているだけなのです。
魂はそんな因果論から自由になりたいから苦しいのです。
そして、人生は一瞬、一瞬であり、今に生きることしかできないのが真実だから、因果論から脱却しないと今に生きられないのです。
因果論に囚われていると、楽しくもないし、不安になるのは当たり前なのです。
その悪循環を断ち切って、抜けきることが再生なのです。
「今こんなことをしたら、未来がこうなってしまう」と、不安が先に立ってしまうと、人は、その原因を先に考えてしまいます。「こうしないとこうなってしまう」という因果論に囚われて、不安になってしまいます。
過去のことばかりに囚われていると、そういう時は、得てして良い方向には人は考えないものです。悪い結果しか考えないものです。
日本人はかつて、もっと自然の無償の愛に触れて、生かされていることを実感しながら生きてきました。いろんなことが満たされ、充実し、大きな営みの中に生きてきました。
そんな時、病気でさえ、小さなものに見えてくるのです。
大いなる自然なものに触れていると、心は病まないものです。
自然に育まれると、大いなるものに包まれる気持ちになることができて、安心することができるのです。
昔の人は、大いなる自然のことを神として崇めました。だからこそ、自然とつながって生きている限り、安心して生きていられるのです。
過去と未来は切り離されています。過去と未来はない、と思ってもいいのかもしれません。
今しかないのです。
いくら過去に実績があっても、その時に実力がなければ、蹴落とされます。無情の世界です。スポーツの世界がそうでしょう。だから人々は感動するのです。
過去があるから苦しいのです。
未来があると思うから苦しいのです。
今しかないのです。
今しかないのです。
今しかないから、救いの道があるのです。
今しかないから、不安も恐れもないのです。
不安と恐れは過去と未来にしかありません。
もうそろそろ、今というこの一瞬、一瞬をつかんで安心していいのです。
大いなる自然に育まれながら、安心していいのです。
ー私は、このアドバイスを聞いて、とても清々しい気分になることができました。
(明日は都合によりブログを休ませて戴きます)
Unknown
あのー知床のルポ素晴らしい。
あの空気は君を楽にしてくれたと思うのだ。価値基準を変えればと。
僭越ですか。