「アメリカン・グラフィティ」

「アメリカン・グラフィティ」を久しぶりに見ました。DVDで980円で売っていたからです。

映画公開は1973年。当時、高校生だった私は、お金がなく、ロードショー映画館で見た記憶がなく、リバイバル上映で見た気がします。池袋の「文芸座」、渋谷の「前進座」、飯田橋の「佳作座」、高田馬場の「パール座」、大塚の…名前忘れました等、当時の東京には貧乏学生向けに沢山の「二番館」がありました。

もちろん、当時は音楽映画として見ました。チャック・ベリーやプラターズなど1950年代のロックンロールが効果的に使われて、単に楽しんだだけでしたが、後にテレビやビデオでも何回も見たのも、毎回、何か発見があったからです。

まずは、「スターウォーズ」で大御所監督となった若きジョージ・ルーカスの出世作だったこと。プロデューサーは、既に「ゴッド・ファーザー」などと有名になっていたフランシス・コッポラにルーカスが頼んだこと。

俳優人も、この作品がきっかけでスターの道を歩んだ者も多かった。後に「ジョーズ」や「未知との遭遇」に主演したリチャード・ドレファイス、「スターウオーズ」や「インディージョーンズ」のハリソン・フォードも俳優を諦めて大工になっていたところを、スタッフに呼ばれて参加して復活しています。

そして今回、一番驚いたことは、主人公のノッポのそばかすだらけの少年スティーブを演じたロン・ハワード。DVDの付録の「製作余話」のインタビューに登場していましたが、30年前の面影が全くなく、すっかり禿げ上がっていましたが、後でプロダクション・ノートを読んで、驚いてしまいました。

監督業に進出し、「アポロ13」「ビューティフル・マインド」などで知られる巨匠ロン・ハワードだったのですね。

映画通にとっては当たり前の話でした。

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