お前のブログは鼻につく=そして、落とし物の話

 ここ数日、ブログ更新が滞ったのは、旧い友人からのメールがきっかけでした。「貴兄のブログは見ないようにしている。なぜなら…」というものでした。

 本人の趣旨から少し外れるかもしれませんが、私なりに斟酌するところによれば、お前のブログの内容は衒学的(ペダンチック)過ぎて鼻につく。そして、自己顕示欲か人から称賛されたいという期待が記事投稿の動機と伺われるようになるとしたら、読者としては我儘な幼児の面倒を見ているような気分になるからーといったものでした。

 旧い友人からの指摘だけに、まあ、図星ですね。少し買い被りのところがありますが、抗弁すらできません。だから、いつぞや「ブログを書いて、世間に公表することについて、浅ましさを感じる」と正直に吐露したことがありました。

 でも、一応、このブログは独立採算制で、広告収入で取材費を賄おうとしており、「個人事業主」として税務署に確定申告までしております。執筆に1日、5時間以上も掛かることがあります。とても生活費どころか取材費になるほどの収益は全くありませんが、それでも、この17年間、雨の日も風の日も、他人(とは言っても、当時近しかった人たち。本当の他人なら痛くも痒くもない)からの批判に耐えつつ書き続けて来たことだけには自負があります。

 人が時間と、ない知恵を絞って一生懸命にやっていることを全否定されてしまっては、立つ瀬がない、と旧友には応えておきたいのですが、彼はもうこのブログは見ない、ということですから、もう全く通じないことでしょうね。残念ですが。

 何となく、近しい故郷の親族や親友たちには受け入れられなかった歴史上の人物になったような気分です。

 たかが、ブログです。執筆している本人としては、単に「へー、そうだったのかあ」と一緒に喜んでもらえるだけで満足なのです。まあ、見たくない人は、無理して見なくて結構ですよ。

さて、昨日、駅の近くで、定期券付きのスイカカード(JR東日本)が落ちていたので、駅に届けに行って来ました。その定期券は既に期限が切れていましたが、もしかして、カードはチャージして使っているかもしれません。カタカナの姓名と年齢まで書いてありました。

 最初は交番に届けようかと思いましたが、色々名前を聞かれたり、紙に書かされたりするのが面倒だったので、駅にしました。案の定、こちらの名前も何も一切聞かれず、むしろ、届けるのが当たり前のような感じで若い駅員はスイカカードを受け取るだけでした。

 そう言えば、思い出したのですが、このカードはどうやって駅員は落とし主に届けるのかなあ、ということです。昔だったら、駅には必ず「黒板」があって、そこに「落とし物のお知らせ」欄があり、手袋だの、定期券だのが書いてありました。定期券だと、カタカナで姓名が書いていたことも覚えています。若い人は、何のことかさっぱり分からないでしょうけどね(笑)。

 でも、今の若い人たちは、どうやって、落とし物を探すんでしょうか?やはり、交番に行ったり、駅に問い合わせたりするんでしょうか。以前、業界のある先輩が、インターネットやSNSのことを「所詮、便所の落書きか、駅の黒板みたいなものだ」と指摘していたことがありますが、そう言えば、見事に今や便所の落書きも駅の黒板も見かけなくなりました。

 となると、ネットでも落とし物を確認できるようになって、無事に落とし主に届くことを願うばかりです。

【追記】

 今、検索してみたら、ネットで(例えば)JR東日本の「お忘れ物のご案内」のホームページがありました!やはり、携帯電話やカバンなどの忘れ物が多いようです。

 心当たりのある方は是非ともアクセスしてみてください。

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