師は言いました。
「おまえは、人の目を気にしすぎる。世間の目を気にしすぎる。人によく思われたいから、嫌なことでもしぶしぶとやっている。だから覇気がない。
要するに、いかに自分を慈しむことができるかにかかっている。
おまえは、百%自分のことを大切に思っているか?
百%大切にしているか?
自分の好きなことをしているか?
自分が納得している毎日を送っているか?
これは利己主義とは違う次元の話だ。
人を蹴落としてでも、自分の目的のために手段を選ばない、ということではない。
要するに心の問題だ。
人は、おまえさんが思っているほどおまえさんのことを見てもいないし、思ってもいない。そう思うのは、おまえさんが自意識過剰なだけだ。
人は自分が見たいようにおまえを見ているだけだ。
人は自分が思いたいように、おまえを見ているだけだ。
人はどれだけおまえのことを知っているのかい?
人はおまえほど、おまえのことを知っているのかい?
単におまえさんが、そういう人間だと思われているだけだろう?
『いい人』『悪い人』『嫌な奴』『頭の良い人』『自己保身の塊』『排他主義者』『ご都合主義』『いい加減な人』…
人は自分の世界の中に生きている。
人はテレビのチャンネルを自分で選んでいるように、自分の好きな世界を見ているんだよ。その番組が飽きたら、チャンネルを変えているだけだ。
だから、人からどう思われるかを基準にして生きると、本当の自分の幸せにはなれないのだ。
自分がどうしたいか。自分が何をしたいか。ーという意識しかないのだ。
自分が喜んでいる。自分が楽しんでいる姿を見せない限り、周囲に幸せをもたらすことができない。それは、職場でも家庭でも同じだ。
ゆめゆめ人から慈しんでもらおうなんて考えてはいけない。職場の人や世間の人や親兄弟、子供からだってもそうだ。人から期待してはいけない。
自分で自分自身を慈しむしかないのだ。
自分で自分自身を慈しんでいる姿を人に見せるしかないのだよ。
毎日、自分が楽しんで、幸せになるしかないのだよ。
そして、それは決して不可能ではないのだよ。
物質的なことを言っているわけではない。
排他的な利己主義のことを言っているわけではない。
精神的な、心の豊かさのことを言っているのだから」
師はそう言いました。