ヴェニスにて
昨晩は、友人のT君と北浦和の居酒屋「和民」で痛飲。安いチェーン店なのに、越乃寒梅をしこたま飲んだら、目の玉が飛び出る金額を請求されてしまいました。
T君とは、学生時代からの付き合いなのに、話が尽きません。昨晩、彼の両親のことを聞きました。二人とも、戦時中に満洲に居たというのです。初めて聞く話でした。母親は彼が中学3年生の時、病気で亡くなり、父親ももう10年以上前に亡くなりました。
母親が本当に謎だらけの人で、本名でさえ、家族のものに明かさなかったというのです。父親は昭和4年生まれで、「私は一歳上の年上女房よ」と家族に公言し、「けいこと呼ばれているけど、本名は辰子なのよ」と話していたそうです。1歳上なら昭和3年生まれになり、その年は、辰年なので、それが、真実だと思われていました。それが、亡くなった時、戸籍を調べたら、大正15年生まれだったのです。もともと、長崎出身でしたが、長崎から船に乗って神戸に着き、それから、流れ流れて三重県に辿り着き、彼の父親と知り合うのです。その間に、満洲にも居たらしいのですが、真相は不明です。
彼の父親は、満鉄(南満洲鉄道)に勤めていたそうです。年齢を逆算すると、15,6歳ですから、少年の下働き仕事だったと想像されます。そこで、日本人の残虐性を目の当たりにしてしまったそうです。「人間、ここまで、苛烈に残酷になれるものなのか!?」と衝撃を受け、その後の彼の人生を貫く虚無感が形成されてしまったようです。何の罪もない中国人を捕まえてきては、新兵に「試し斬り」をさせたり、婦女子を強姦したりする日本人を沢山みてきたそうです。墓穴掘りまでさせられたそうです。
私も満洲に大変興味があり、沢山の本を読んできましたが、ここまで、リアルに語った話は読んだことがありませんでした。「大東亜共和圏」だの「五族協和」だの高邁な精神だけは叫ばれましたが、実態はこういうものだったのですね。また、「自虐史観」だと批判のコメントが書かれそうですが、こういう無名の人の話を無視してきた、強者からだけ見た歴史には私自身は疑問に思っています。