語学の極意

東京・本郷で建築事務所を開いている滝沢さんと会って、語学の極意を伺ってきました。

滝沢さんは、『青山ベルコモンズ』の名付け親でもあり、建築士・不動産鑑定士が本職なのですが、ライフワークは「語学教育」だというのです。ご本人は米国シカゴの留学経験もあり、英検1級も取得し、日本語と同じくらい英語の読解、視聴能力があります。奥さんがフランス人なので、フランス語にも堪能です。現在69歳です。だからこそ長い間、語学獲得で苦労してしてきた彼のメソードを後世に伝えたいというのです。

彼の理論は明解です。「語学は、自分の頭と体の中に取り込まないと身に着かない」というものです。それは、母国語についても同じことが言えます。いくら英語をシャワーのように浴びて聞き流していても、英語は身に着かない。自分でその言葉や表現を声に出して、自分の耳で聴いて、確かに、ネイティブ・スピーカーと同じような発音で話しているなという実感を得て初めて自分自身に身に着くというのです。

近いうちに、彼の理論をテキスト教材にして出版する予定だそうです。

彼の話の中で、一番面白かったのは、「英語ほどあいまいな言語はない」という彼の理論です。通常、英語ほど、YES、NOがはっきりしていて、ストレートではっきりした物の言い方をする言語はない、と言われています。私もずっとそう思っていました。しかし、彼によると、冗談ではない。would you とか、 could have beenとかを使って、英語ほどあいまいに物事を表現をできる言語はないというのです。

とにかく、名詞そのものが抽象的だというのです。例えば、table 日本語では「テーブル」とか「卓」とかに翻訳され、物の実態、具体が明確にあります。しかし、英語のtableには日本語のような具象性はなく、日本語にあえて訳せば「テーブルといったようなもの」といった実にあいまいな意味しか持たないというのです。だから、冠詞の a を付けて、a table にして初めて日本語のテーブルに近い限定された具体的な名詞になるというのです。

ですから、英語の名詞に具象性がないからこそ、例えば time とtableを合成して time table つまり「時刻表」という言葉がすんなり生まれてくるというのです。日本語の概念から、時間とテーブルを合成して時刻表になるという言葉にはなかなか発展しません。これが、つまり、英語の名詞の持つ「抽象性」です。

反対に、日本語の名詞には抽象的概念は乏しい。だからこそ、名詞に「というもの」という接尾辞を付けて初めて、抽象的な意味になるというのです。テーブルと言ってしまえば、もう、具体的な形も質感もあるテーブルそのものになってしまいます。しかし、「テーブルのようなもの」とすれば、テーブルそのものではなく、テーブルから派生する抽象的な概念が生まれてくるわけです。

このような「滝沢説」には本当に驚嘆してしまいました。著作権もあるのでで、あまり多くは語ることができませんが、こんな例を一つ出しただけでも、彼の業績の奥深さを痛感してもらえると思います。

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