ローマ
アル・ゴア米元副大統領の映画「不都合な真実」を観てきました。
地球温暖化による影響を詳細なデータと学術論文を土台にして、大衆に分かりやすくスクリーンでゴア氏が、地球の「危機」を世界中の講演(全世界で1000回以上)で説明している様をそのまま映画化したもので、非常に衝撃的といえば、衝撃的です。あのヘミングウエイの「キリマンジャロの雪」が、このわずか20年で、あんなに溶けてなくなっていたとは知りませんでした。吐き気さえ催しました。
このまま温暖化が進めば、北極や南極の氷が溶け、モルディブやオランダをはじめ、中国の北京、上海、インドのボンベイ、東京の江東、墨田区などのゼロメートル地帯は海面の下に沈むことでしょう。あの「9・11」の舞台だったNYマンハッタンの世界貿易センターの跡地でさえ、海面下です。テロ対策と同時に地球温暖化対策が必要だと、ゴア氏は何度も力説しています。
この他、洪水や旱魃、人口の増加や、伝染病の蔓延などによる人類の破滅に近い有様が、まるで他人事のように淡々と描写されています。「50年後」と言われれば、そこまで、生きていない人にとっては、関係のない話なのかもしれませんが…。
そもそも、この映画を観たいと思ったのは、バスの中で、60代後半か70代の紳士、恐らく、単なるサラリーマンではなく、この年で現役で働く中小企業かどこかの取締役と思われる人が、この映画の話をしていたからです。
「温暖化なんていうと、温かくなって、有り難いなんて雰囲気がありますが、そんなもんじゃない。アル・ゴアは、地球の危機という言葉を使っていましたよ」と、恐らく、50年も経たなくても、遅かれ早かれ鬼籍に入られてしまうような老人が心配そうに話していたのです。
あ、映画を観なければいけないな、と老取締役の会話を聴いて、使命感を感じたのです。
ゴア氏は、環境問題に関しては、学生時代から興味を持っていたようです。その辺りは、映画の中で明らかにされています。
この映画は、政治家ゴア氏が主人公ですが、政治家不信の人のために、ゴア氏の息子が6歳の時に交通事故で重症を負った話や、父親が煙草の大農園の領主だったのですが、ゴア氏の実姉が煙草の吸いすぎで、肺がんで亡くなり、煙草農家を辞めた話などを盛り込んで、ちゃんと伏線を張っています。つまり、ゴア氏がなぜ環境問題に取り組むようになったのかというエピソードも盛り込まれているのです。
CO2の排出をこのまま続けていけば、地球は破滅してしまう。というのが、この映画の主眼だと思われますが、笑ってしまうのは、その主人公のゴア氏が映画の中で平気でCO2を排出する車を運転しているのです。ゴア氏は「いや、この車は、環境にやさしいハイブリッドカーだよ」と反論するかもしれませんが。
そうです。映画の中で明らかにされているように、一番の問題の一つは、京都議定書に調印していないアメリカとオーストラリアの存在なのです。市場原理主義、経済最優先の国の国民たちの、地球温暖化抑止のための意識がもう少し高まると、宇宙船地球丸の将来に明るい展望が開けるのです。
CO2を世界一排出する悪玉国家がアメリカなら、こういう映画を製作できるのは、その正反対の良心を持ったアメリカでしかないという現実。
もう、宣伝臭いなどと学生のような言い分がまかり通る時代は終わりました。
このままいけば、地球は破滅し、人生がどうのこうのといったお遊びをなくなってしまうのです。
皆、覚悟してこの映画を観るべきです。記者や評論家もちゃんと自腹を切って。
もう特権意識しかない鼻持ちならないマスコミだけが発言する時代は終わりました。良心を持った市民が発信する時代なのです。
【後記】
●「不都合な真実」は、アカデミー賞の「長編ドキュメンタリー賞」を受賞
●アル・ゴア氏、自宅で電力を浪費していることが判明。1年間のガス、電気代は3万ドル(350万円)とか
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070301-00000029-mai-int
モルディブのアナンタラ
モルディブのアナンタラについて
Unknown
同映画、観ました。
4半世紀前に東京で環境問題の深刻さを話題にすると、周りから狂人扱いされました。意味不明のニヤニヤ笑いとともに。
「あなたはまるで宗教家だ」
エホバの証人の活動をしている同僚から、蔑みの眼で見られたこともあります。
20年ほど前に故郷に戻ると、すぐさま環境問題に関わる様々の活動を始めました。
はじめは、映画会や座談会などのイベントを開いたり、地元の大学の先生方と共同で声明を出したりしていました。新聞やテレビに取り上げてもらうことで、記者やアナウンサーの人たちとの交流も深まりました。
大学やマスコミの人たちが、いかに現実を知らないか、ということに驚きもしました。
支局長さんなどと話していてその単純さに唖然としたことも、再三です。
ある夜、街を歩いていたら、仲良くしていた朝日新聞の若い女性記者が、コンビニから出てくるのにばったり会いました。軽く挨拶を交わすと、彼女は急いで停めてあった車に乗りこんでいきました。ドイツかイタリアか知りませんが(私には車のことは全く分かりません)大変カッコいい外国の車でした。
その後、人様に「ああしてはいけないのではないか、こうするといいのではないか」と語りかけることはやめました。
「事の成り行きはどうなるか分からない。が、人様に語りかけて、相手がそのように動いてくれるのを期待するなど、とんでもない話だ。人間に本当にできるのは、自分がどうすべきかを考えて、自分がただそれを実行することだけではないか」
時に深い孤独を感じます。が、妙な居心地の悪さはなくなりました。
私は間違っているかもしれません。その結果、いろんな不都合事を蒙ることになるかもしれません。が、だれのせいでもありません。すべて、自分です。