9月24日(土)~26日(月)、2泊3日の小旅行に行って参りました。主目的は、日蓮宗総本山「身延山久遠寺」参拝です。
そしたら、ぎゃびーんですよ。JR中央本線、特急あずさ9号で甲府駅に向かう途中、車内アナウンスで、台風15号の影響で、身延線が「終日運休」だというのです。えっ?24日は、身延山久遠寺の宿坊「覚林坊」に宿泊する予定で、1カ月以上前から予約していました。
どうしよう?
覚悟を決めました。キャンセルしかない。だって、身延まで行けないのですから。当日キャンセルなので、100%キャンセル料が戻って来ないことが分かっていましたが、仕方ありません。このまま自宅に戻ろうか、迷いましたが、そうだ、甲府の何処かで一泊して、翌日に再チャレンジすることにしました。だって、甲府の山梨県はカンカン晴れで、翌日の予報も晴天だからです。
そこで、車内で、代わりのホテルのネット予約をスマホで検索しました。1軒目、満員。2軒目、満員…。そりゃそうでしょう。当日になって、空いている方がおかしい。そして、6軒目でやっと駅前北口1分のビジネスホテルが見つかりました。「残り1室」!プチ! ジャニ―喜多川さんの「ユー、やっちまいな」の声が聞こえてきました。
甲府駅の改札で駅員さんに確認すると、「終日運休」は確かでした。しかし、何処となく無責任というか、他人行儀でした。被害者の親身になってくれません。
後で分かったのですが、甲府駅の東京~松本を通る中央本線はJR東日本ですが、甲府~静岡を走る身延線はJR東海と会社が違っていたのです。もしかして、駅員はJR東日本の社員だったので、他社のことだから、という気持ちが態度に出たのかもしれません。
今回、台風15号が静岡で1日に1カ月分の大雨を降らせる大被害を齎したので、身延線が止まってしまったわけですが、身延線は「すぐ運休する」ことで地元では有名だったようです。
駅構内で、覚林坊に電話して、事情を話して、当日キャンセルしてもらいました。
そしたら、吃驚です。
もう一度、先方から折り返し電話があり、今回は不可抗力でお越し頂けなかったわけですから、宿泊料は頂くことが出来ませんというのです。次回、機会がありましたら、御願いしますということで、キャンセル料(事前予約、クレジット決済)を返還してくれるというのです。
随分、良心的です。500年の歴史があるという身延山久遠寺の覚林坊。皆さんも覚えておいてください。
さて、甲府駅に午前10時半頃到着し、ホテルのチェックイン(15時)まで随分時間があるので、武田神社に行くことにしました。ここは勿論、武田信虎、信玄、勝頼と三代に渡って屋敷を構えた、別名「躑躅が崎館」跡です。
時間があれば、最終日に行く予定でしたが、逆転した格好です。
甲府駅北口のロータリーからバスで10分ほどで着きました。(バス停を探すのに苦労しましたが)
武田神社の拝殿前の階段を登り切ったところに、「太宰治の愛でた桜」の看板がありました。
あ、忘れていました。太宰治は新婚時代、妻美知子さんの実家のある甲府で約8カ月間過ごし、「富嶽百景」や「女生徒」「新樹の言葉」などの名作を生んでいました。
太宰の甲府時代は、小説を執筆した御坂峠の天下茶屋が有名ですが、当然、武田神社も訪れていたんですね。
本殿にて、ウクライナ戦争の一刻も早い終結と人類の平和と皆さんのご健康もお祈りしました。
神社内には能舞台までありました。
旧大手門の外に出ると、躑躅ヶ崎館跡の石垣が見られました。
いまだ調査、発掘、整備の途中のような感じがしました。
遥か先にも石垣が見えましたが、年を重ねたせいか、ちょっと、体力と気力がなく、近くまで行きませんでした。恐らく、気温30度ぐらい。汗が出てしょうがありません。
昼時だったので、日蔭のベンチで、昼食用に持って来たお握りを頂き、取り敢えず、バスの時刻に合わせて、甲府駅に戻ることにしました。(独り徒歩旅行は、電車やバスの時刻を絶えず気にして手配しなければならないので、心がいつもざわついて落ち着きません。神経が疲れます)
甲府駅に着いて、反対の南口にある甲府城跡を目指しました。
甲府城は、武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城されました。徳川体制になってからも西側への防衛として改築したり、増築したりして、重要性を保持したといわれています。
甲府城の最も有名な城主は、五代将軍綱吉の側用人になった柳沢吉保でしょう。(東京・駒込の六義園は、柳沢吉保の別邸だった)
私自身は、甲府城と言えば、幕末、最後の起死回生を図って甲府城を攻めた新選組の近藤勇を思い浮かびます。
でも、実際、足を運んで見て、その広さと堅固さに驚きです。
これは、本や文字では全然分からなかったことでした。
近藤勇が甲府城を落とせなかったのがよく分かりました。
まるで要塞です。いや、要塞そのものです。
天守から見下ろせば、敵の動静が丸見えです。
とにかく、急峻で、鎧兜で登るとなると息も絶え絶えです。
それに広い、広い。それなのに、これでも、敷地は、旧跡の3分の1しか残っていないというのです。
甲府駅の北口にもこうして山手門が復元されています。
つまり、甲府城郭のど真ん中にJR中央本線が走っていたのです。
だから、甲府駅の南口だけでなく、北口にも城郭跡が残っているのです。
甲府駅北口側に戻ると、こうして、線路を挟んで南口にある天守台が見えるわけです。
甲府城と武田氏とは関係がありませんが、甲府というか、山梨というか、甲斐の国・甲州が産んだ最大の英雄は武田信玄でしょう。(雨宮敬次郎、根津嘉一郎や小佐野賢治といった「甲州財閥」も有名ですが)
甲府駅の北口には信玄が追放した父親の信虎像が、2019年に建立されましたが、南口の武田信玄像は結構古いと思います。もう40年ぐらい昔、友人の今村君と急に昇仙峡で釣りをしようということで出掛け、この武田信玄像も拝謁したことを覚えています。当日、何処に泊まったのか、全然覚えていませんが、この信玄像だけは如実に覚えています。(調べたら、信玄像は1969年に完成。当初は駅前噴水の南側にありましたが、1985年、駅前広場の整備で現在地に移設されたそうです。)
ホテルニューステーションにチェックインした後、夕食は、このホテルの隣の隣の隣にある「甲州ほうとう 小作」にしました。
甲州の名産といえば、ほうとうでしょう。小作は結構有名店のようで、店内には有名人のサイン色紙が結構貼ってありました。
選んだのは、豚肉ほうとうです。
甲州は山岳地帯が多く、平野が少なく、お米が取れません。それで、お米が取れる領地獲得のため、武田信玄は、上杉謙信や北条氏、織田信長らとの戦いを余儀なくされたという説があります。
ほうとうは、信玄が陣中食として考えたという説が有力です。まあ、太いうどんと野菜や肉を煮込んだ鍋と言っても間違いなさそうです。戦うための栄養満点といったところでしょうか。
甲州に来たからには、「甲州ワイン」は欠かせません。今や世界的ブランドです。この店の小作ワインを注文して、ラベルを詳しくみたら、何と「チリ産」と書いてありました。
ありゃあまあ、てな感じでした。
(つづく)