帯広
四国に住む浜松輝彦氏(仮名)からメールが来ました。「朋之介さん、実は私には超能力があるのですよ」
何のことかと、思いました。予知能力?透視能力?それとも、忍者のような雲隠れの術?色々考えてみましたが、よく分かりませんでした。それから、何日か経って、また彼からメールが来ました。
「朋之介さんの書いていることに驚きました。実は、私もハンドパワーの能力を持っているのです」
「なあんだ」と、私は思いました。別に、驚きません。まだ、目の前で見たことはありませんが、否定はしません。目の前で見せてくれれば信じでもいいのですが…。そのことを伝えました。「別に驚きませんよ」。
そしたら、浜松氏はがっかりした様子でした。「なあんだ、もっと驚いてくれると思ったのですが…」
聖書で書かれているいわゆるイエス・キリストの奇蹟は、今で言うハンドパワーのことだと私は思っています。新約のマタイによる福音書には「らい病を患っている人をいやす」「百人隊長の僕をいやす」「多くの病人をいやす」(8章)、「中風の人をいやす」「二人の盲人をいやす」(9章)、「手の萎えた人をいやす」(12章)、」「大勢の病人をいやす」(15章)など、たくさんの病人をいやす様が描かれています。聖書記者がイエスの超人ぶりを強調したかったからでしょう。
しかし、これらの話は、文学的比喩とか、誇張とか、伝説とかではなく、実際に、人々の目の前でイエスがハンドパワーを使って、病人を癒したのではないかと私は思っています。
ということは、何もイエスだけ特殊に与えられた才能ではないのではないかと思っているのです。ハンドパワーの超能力を持つ人は、今の日本でも数万人はいるのではないかと私は勝手に推測しています。
ただし、そういう能力があるからといって、誰もがイエスになれるわけではありません。「逆も然り」は成り立たないのです。あと、2千年経っても、この地球上にイエスのような人間は現れないと私は確信しています。