近代の三茶人というのは、益田純翁、原三渓、松永耳庵(じあん)を指しますが、その一人の松永耳庵の別荘の茶室が新座市にある国指定天然記念物の平林寺境内林にあります。昨日はそこに行って来ました。
現在「睡足軒の森」として新座市に無償貸与され、市民らに公開されています。(市民なら有料で茶室も使えるようです)
松永耳庵は、本名松永安左衛門。明治8年長崎県壱岐生まれ。慶応大学で福沢諭吉らに学び、日本銀行などを経て、東北電気、新潟電力社長などを歴任し、東京電力を創設し、「電力王」と呼ばれました。
耳庵は、昭和13年に、原三渓(横浜の三渓園で有名)の世話で、飛騨高山付近の田舎家をここに移築して草庵としました。風流ですな。
耳庵は、昭和46年に小田原市で、97歳で亡くなりましたが、自ら傾倒していた臨済宗の石室善玖(せきしつ・ぜんきゅう)によって開山されたここ平林寺に遺言によって埋葬されました。
実は平林寺は私の子供の頃から最も近しい親しみのある名刹でした。小学校の頃、「歩行会」といって、まさしく小学校から平林寺まで約2キロのコースを「遠足」するのです。小学校の友人の誕生会をここでやったこともありました。今から思うと、どうやって行ったのか覚えていません。20人以上の子供たちが、歩いていったのでしょうか。子供の足で1時間近くかかったと思います。自転車で行ったのかもしれませんが、全員持っていなかったのではないでしょうか。
平林寺には、豊臣秀吉の五奉行の一人であった増田長盛(ました・ながもり)や川越藩主の松平信綱の墓もあります。
増田長盛は、家康に内通して、石田三成の挙兵を伝え、関が原の戦いに参戦しませんでしたが、大坂夏の陣の際には、息子の盛次が豊臣方に与したため、自害を命じられました。
松平信綱は、島原の乱を平定した最高司令官(幕府軍総大将)として有名ですね。 三代将軍家光、四代将軍家綱の時世に老中職を務めています。
信綱は、私が子供の頃「郷土の歴史」として学んだ「野火止用水」を開削した人の名前として、記憶に刻まれています。
すごい学識ですね
奥村綱雄(1903-72)さんって、「野村證券中興の祖」なんですね。実業界に全く疎いので、知りませんでした。茶人としての松永翁は知っていても、電力王としての松永氏を知らないが如く。
囹圄の身なんて言葉もよくご存知ですね。
「れいご」と読むかと思ったら、「れいぎょ」。牢屋、獄舎のことですか。
外務省休職中の佐藤優さんが当て嵌まりますね。彼は「獄中記」を書いているくらいですから。
Unknown
松永翁は、「一廉の人間になるためには、大病、浪人、そして一時は囹圄の身となるのを経験することだ」と奥村綱雄さんに言ったそうです。当時は浪人といっても、今のニートとは随分異なるものだったでしょう。私は、三つとも経験してません・・。