テレビは歴史番組を結構見ています。私自身、全く知らなかったことや新しい解釈を知ることが出来たりして、かなり勉強になるからです。
ただし、時には、番組が、歴史的解釈の面で意図的に「偏向」することがあり、これは警戒しなければいけないなあ、と思うことがあります。
例えば、NHKの「英雄たちの選択」という人気番組があります。進行役は、磯田道史さんという今や、テレビ、新聞、雑誌でお見かけしないことはないほど超売れっ子の歴史学者さんです。物事を自信満々に断定的に仰り、しかも、かつての小泉純一郎首相のようにワンフレーズで明快に発言されるので痛快感もあり、多くの人に多大な影響力を与えるインフルエンサーであることは間違いありません。立派な学者さんなのに、自著の映画化作品などにわざわざ脇役で出演されりして、露出が超過剰なところは気になりますが。
先日(3月15日)は、細川幽斎を取り上げておりました。ネット上の番組紹介欄にはこんな風に書かれています。
細川幽斎は、戦国武将であるとともに、和歌の達人であった。平安以来受け継がれてきた「古今和歌集」解釈の秘伝を武士の身でありながら継承していた。いわゆる「古今伝授」である。秀吉の時代、茶道の千利休とともに、歌道の幽斎として、秀吉の天下取り戦略のため大活躍する。そして、関ケ原の戦いの直前、幽斎・生涯最大の選択に迫られた。戦国時代に、和歌というソフトパワーで生き抜いた幽斎の人生にスポットを当てる。
この「幽斎・生涯最大の選択」というのが、その時、籠っていた田辺城を開城するか、それとも籠城して戦うか、というものでした。
私は、「幽斎・生涯最大の選択」とは、そうじゃないだろうと思ったわけです。田辺城じゃない、だろうと。やはり、本能寺の変の後、盟友・明智光秀からさんざん、一緒に挙兵して戦いに参加してもらうよう催促の手紙を何度ももらいながら、結局、裏切って、豊臣秀吉側についたことが、「幽斎・生涯最大の選択」ではないかと思うのです。
何と言っても、細川幽斎と明智光秀は盟友以上に義兄弟のような濃密な関係で、幽斎の嫡男忠興と光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が結婚しております。つまり、幽斎は、どう転ぶか分からないのに、親戚より、勢いがありそうな秀吉を選んだのです。
田辺城籠城の時点で、既に、後陽成天皇に裏工作して、「こいつを殺しては、古今伝授が永久に失われる危機がある」ことを王朝の公家社会に吹聴したフシがあるので、選択に迷うわけがありません。幽斎は、最初から生き延びるつもりだったのです。
番組では不思議なことに、「本能寺の変」は出て来ても、細川忠興と細川ガラシャとの結婚の話を意図的に隠蔽して、国宝の刀剣まで持ち出して、細川幽斎が如何にも立派な文武両道の英雄武将であることを仕立てていました。磯田先生なら知らないわけがないので、一言も触れないのはおかしいなあ、と違和感を覚えたわけです。
勿論、それらは歴史の解釈ですから、明智光秀は主君信長を下剋上で暗殺した極悪非道人で、そんな悪人に細川幽斎が加勢するわけがない、という見方でも結構だと思っています。幽斎は多分、光秀軍に参加する武将がほとんどいなく、秀吉軍に勝てないことを事前に情報としてつかんでいたのでしょう。
もともと幽斎は、室町幕府の申次衆・三淵晴員(みつぶち・はるかず)の次男として生まれ、細川家の養子になった人物でした。応仁の乱などで疲弊し、没落寸前に陥っていた管領細川家の再興を事実上任されたのです。ということは、何と言っても、「お家」が大事です。明智光秀より、豊臣秀吉。秀吉が亡くなれば、石田三成より徳川家康、とその時の状況と最新情報を忍びを使って収集して、最善策を「選択」していった、とても頭が切れる戦国武将だったのでしょう。
幽斎がいなければ、細川家も、土岐氏や畠山氏や今川氏のような運命になっていたのかもしれません。幽斎は、肥後藩52万石の礎を築いた細川家の中興の祖に間違いありません。
生前の細川幽斎に、もしインタビュー出来たとしたら、恐らく、彼は最大の選択は、明智光秀との関係を挙げるに違いありません。
その辺り、番組では意図的に「隠蔽」されていたので、「テレビ番組は100%信用してはいけないなあ」と思った次第です。メディアは何でも、編集者やディレクターや作家や学者らの意図をもって作られているからです。
「英雄たちの選択」は、以前にも歴史的事実を意図的に隠蔽しているような違和感を覚えたことがあるので、今回、はっきりとこうして文章にしてみました。
個人の感想ですが、今後は磯田先生の明解で明快な発言についても、少し、警戒しながらフォローしていきたいと思っております。歴史は、学者さんのものでもないし、英雄のためのものでもないからです。