使い捨てにされたスパイ・ゾルゲ?=尾崎=ゾルゲ研究会の第3回研究会「オーウェン・マシューズ『ゾルゲ伝』をめぐって」

 9月30日(土)、尾崎=ゾルゲ研究会(加藤哲郎代表、鈴木規夫事務局長)の第3回研究会「オーウェン・マシューズ『ゾルゲ伝』をめぐって——21世紀尾崎=ゾルゲ研究の光景——」に参加して来ました。

 今年5月に出版された「ゾルゲ伝 スターリンのマスター・エージェント」(みずず書房、翻訳者は加藤哲郎、鈴木規夫両氏)の著者でロンドン在住のオーウェン・マシューズ氏をZOOM会議のリモートでお招きして、5人の代表する日本人の研究者からの質問を交えて討論が展開される画期的なセミナーでしたが、回線の不具合でハウリングしたりして、前半はほとんど聞き取ることが出来ず、内容が理解できなかったのが残念でした。

尾崎=ゾルゲ研究会第3回研究会 モニター画面は、「ゾルゲ伝」著者オーウェン・マシューズ氏、右端は同研究会の加藤哲郎代表、その隣は鈴木規夫事務局長

 しかも、セミナーには大抵、簡単なレジュメなどが配布されるものですが、この研究会ではそれがなく、また発言者の早口のスピーチだけではメモがとても追い付けなかったため、梗概についての引用は、不正確になるかもしれないものはやめておきました。

 その前に、研究会が行われた会場には驚きました。東京国際教育会館という所でしたが、最初の案内では、地下鉄茗荷谷駅に近い拓殖大学文京キャンパスと書かれていたので、そこに行ったら、守衛さんが「ここではなく、ここを出て左を直進した所にあります」というのです。途中で分からなくなり、歩いていた小学生の女の子3人がいたので、「3人だったら、変なおじさんに間違われなくて済むかぁ」ということで道を聞いたら、彼女たちも分からず、何となく右方向に直進したところ、目の前にありました(笑)。

 どう見ても、大正か昭和初期に建てられた立派な歴史的建造物です。この東京国際教育会館とは、この会場を提供して頂いた拓殖大学教授で、「ゾルゲ・ファイル(1941-1945)」(みすず書房)の翻訳者でもある名越健郎氏の話などによると、もともと東方文化学院東京研究所(東大東洋文化研究所)で、何と清朝末期の1900年に起こった義和団事件の賠償金で、1933年に建てられたものだというのです(後で、東大安田講堂などを設計した内田祥三の設計だと分かりました)。(他にも賠償金で京大人文科学研究所も銀閣寺近くに建設されたといいます)。義和団事件のことに触れると長くなるので、もし御存知なければ、独自で調べてください(笑)。東方文化学院は戦前、中国からの留学生も受け入れていたようです。

拓殖大学文京キャンパス 国際教育会館

 戦後、外務省と東大の共同管理となり、外務省の研修所としても使われていましたが、その後、近くにキャンパスがある拓殖大学が今から20年ほど前に購入したそうです(金額を聞きましたけど秘密にしておきます)。

 先の義和団事件で賠償金を得たのは日本だけでなく、例えば、米国もそうで、米国は、自国に賠償金を使うのではなく、そのお金で中国に精華大学を創立したというのです。精華大学と言えば、中国国家主席の習近平氏の出身校です。先日、英国の教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーションが「世界の大学ランキング 2024」を発表しました。この精華大学は名門北京大学の14位を抑えて、世界12位(アジア首位)にランクされました。ちなみに、日本の東大は29位でした。習近平さんは米国がつくった大学を出たわけですから、もう少し、米国と仲良くしても良さそうです。

 あれっ? 尾崎=ゾルゲ研究会の話は何処に行ってしまったのでしょうか?ーブログ記者の力量が問われますが、今回は諸般の事情で詳細に書けませんので、堪忍してください。それより、オーウェン・マシューズ氏が「ゾルゲ伝 スターリンのマスター・エージェント」An Impeccable Spy: Richard Sorge, Stalin’s Master Agent を2019年に本国英国で出版したお蔭で、英国で多くの人にスパイ・ゾルゲの存在が知れ渡ったことを今回初めて知りました。ゾルゲはドイツ人の父親とロシア人の母親との間に生まれ、ソ連のスパイとして中国・上海と日本・東京で活動した人でした。ということは、情報公開が進まない中国は別格にして、当然、日本語とドイツ語とロシア語、または米ウィロビー報告などの文献が多いので、英国では研究者か、通好みの人以外はゾルゲは知られていなかったのでしょう。

 「ゾルゲ伝」の著者のマシューズ氏は、訳者解説などによると、1971年、英国人の父とロシア人の母との間にロンドンで生まれ、ロシア語にも堪能。名門オクスフォード大学卒業後、ジャーナリストになった人です。祖父や大叔父がスターリンの粛清期を体験したことから、殊更、ロシア近代史関係には興味があり、ニューズウィーク誌のモスクワ特派員を務めたこともあります。ゾルゲ研究の取材で何度も来日したことがあるようです。

 マシューズ氏は、この本を書くきっかけなどについて、「とにかくゾルゲは面白く興味深い人物だ。ドイツ人だが、(母親が)ロシア人でもあり、日本のことを大好きで、世界中の色んな人やモノとつながっている。彼は、大日本帝国など古い世界が崩壊する寸前の世界に生きていたが、1932年に来日した時は、将来日本と米国が戦争することなど予想もつかなかったのではないか。1930年代初めのソ連のインテリジェンスの状況は最も悲惨で、世界中に発信能力があった優秀なゾルゲを使い捨てにしたのではないか」などと話していました。(私の意訳も入ってます!)

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