「世界金融戦争」=実体を伝えていない日本のメディア

国際金融の世界がどうしても知りたくて読み始めた「世界金融戦争ー謀略うずまくウォール街」(NHK出版・2002年11月30日初版)の著者広瀬隆氏は「終章 アメリカ帝国崩壊の予兆」の最後の方で以下のように書いております。

《日本のメディアで濫用される”過激派”、”原理主義”、”テロリスト”という否定的な形容詞を”レジスタンス”、”パルチザン”、”百姓一揆”に置き換えれば、初めて世界で何が起きているかを知ることができる。(…)本書に記したことは、全て公開されているニュースと資料からの分析で、誰にでも可能な調査であるはずだ。日本におけるこれまでの報道に接して痛感するのは、私が狭い書斎で座布団一枚の上に座って分かるアメリカの大きな犯罪と過ちが、なぜ日本で明晰な頭脳を持つメディアの外信部記者に分からないのか、それが不思議でならないということである。》

メディアの外信部記者がそれほどまでに日本で明晰な頭脳をお持ちなのかどうか、議論の分かれるところかもしれませんが、それはさておき、確かに彼らが報道する欧米メディアの翻訳と映像の垂れ流しによって、日本の一般市民までもが「洗脳」されていることは確かです。

例えば、チェチェン人。彼らは2002年10月23日にモスクワの劇場を占拠し、ロシア人の観客800人以上を人質に取る事件を起こしました。これによって、チェチェン人とは人相も悪く、いかにも野蛮で獰猛なテロリストのイメージが焼き付けられました。

しかし、その前にロシア軍が1994年以降、チェチェン共和国に侵攻し、全人口110万人の1割近い10万人ものチェチェ人を虐殺していたのです。その理由は、カスピ海油田の石油を、アゼルバイジャンのバクーから黒海沿岸のロシアのノヴォロシスクにまで運ぶパイプルートの途中で、どうしてもチェチェン共和国を通過しなくてはならなかったからです。

広瀬氏はこう書きます。

《チェチェン紛争は、イスラム対ロシアの民族問題のように説明されてきたが、イスラム蜂起は結果に過ぎず、全くの嘘である。真の原因はこの油田採掘で莫大な利益を得るロシア富豪たちがエリツィン大統領の後ろで糸を引き、「アゼルバイジャン国際操業」の結成が引き金を引いた石油戦争だったのである。(…)大半のメディアは、チェチェンの住民がいかにロシア軍に殺されたか、その残虐さを伝えずに、いきなりチェチェンの抵抗運動を「テロリスト」と呼ぶことから物語をはじめる。ジャーナリズムの非道というほかない。》(一部校正)

「ジャーナリズムの非道」とは、凄い批判ながら、まさに、的確で、「何が報道されたのか」よりも、「何が報道されなかったのか」を問うことが重要なことが分かります。

この本を読むと、カスピ海油田は、ロシアだけの問題ではないことも分かります。前述のアゼルバイジャン国際操業社の出資者の顔ぶれには、英国のBPをはじめ、米国のベンゾイル(父ブッシュ元米大統領と濃厚な関係がある石油会社)、日本の伊藤忠まで著名企業が並んでいるのです。

これら石油企業の重役は米ホワイトハウス(大統領、閣僚)に潜り込み、ウォール街やロンドン・シティーの国際金融と手を結んで世界を支配している構図を複雑な人間関係や相関図を追って、この本で明らかにしています。

《グローバリズムとは、石油・ガスやクロムをはじめとする稀少金属などの地下資源を「先進国が安価に手に入れる」ための19世紀暗黒時代の貿易システムにほかならない。農地だった土地が工業化されると、大半の農民が土地を奪われて都会でスラム生活を送らなければならなくなり、彼らに代わって、世界的な穀物商社カーギルやモンサントのような大量生産方式の遺伝子組み換え農業、コカ・コーラ、マクドナルド、ケンタッキーに代表されるアメリカン・フードが入り込み、食糧の生産・貿易・流通システムを物量的に支配するようになる》

えっ!?グローバリズムは、夢と希望にあふれた、自由公平な貿易システムじゃなかったんですか?

《これが目に見える問題だが、グローバリズムの本当の恐ろしさは、別のところにある。文化面では、地域固有の文化が根絶やしされてきた。それぞれの生活習慣を楽しんできた人間にとって全く迷惑なことだ。アメリカとイギリスの通貨と文明に頼って生きるなど不愉快極まりない》

確かに、小生も、アングロサクソンの奏でる音楽に絶大な影響を受けて、常磐津、清元、長唄をそこまで熱心に聴いてこなかったなあ。。。

それに、銀行から盛んに宣伝してくる「ドル建て預金」などは、もってのほかですか。。。

《彼ら(国際金融マフィア)が政界と産業界の実権を握るため、彼らの発言だけがメディアに横行し、彼らだけが経済を論じ、あたかもほかに人間がいないかのようなジャーナリズム論を生み出す。(…)これが経済ファシズムでなくて何であろう。》

日本国憲法第13条では「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とうたわれております。

これは、経済とは、特権階級や経済団体や国際金融マフィアのものでははく、全ての日本国民が経済を論じることができる、と解釈できないことはありませんよね。

この本は、情報が多少詰め込まれ過ぎていて、決して読みやすくありませんが、特に、政治家と国際金融業界と石油や天然ガスなどの資源企業との強靭な結びつきがよく分かります。個別の具体的な事案や人物については、またこのブログで折を見て触れたいと思っております。

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