フィレンツェ
西行(1118-1190)が、23歳で出家したときに詠んだ歌
「惜しむとて 惜しまれぬべき 此世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ」
『山家集』を読みたくなりました。
フィレンツェ
内村鑑三(1861-1930)
「人もし全世界を得るとも その霊魂を失わば 何の益あらんや。人生の目的は金銭を得るに非ず。品性を感性するにあり」
ブログでメディアを主宰する操觚者(ジャーナリスト)高田謹之祐の公式サイトです。皆様の御投稿は歓迎ですが、編集権は主宰者側にあります。記事中の見解や価格は、書いた当時のものであって、現在は異にする場合もあります。禁無断転載。
フィレンツェ
西行(1118-1190)が、23歳で出家したときに詠んだ歌
「惜しむとて 惜しまれぬべき 此世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ」
『山家集』を読みたくなりました。
フィレンツェ
内村鑑三(1861-1930)
「人もし全世界を得るとも その霊魂を失わば 何の益あらんや。人生の目的は金銭を得るに非ず。品性を感性するにあり」
池田町スピナーズファーム
昨日の続きです。
「キューポラのある街」をご覧になった方は、お分かりになると思いますが、あの当時(今でもかもしれませんが)、川口は、東京の人からみて「川向こう」といって、馬鹿にされていました。いわゆる零細の鋳物工場が林立する下層労働者(ドヤ)街で、映画の通り、被差別の人々が多く住んでいました。
わずか40数年前の話ですが、今の「下層社会」の人たちとは比べものにならないくらい貧乏でした。冷蔵庫も電気洗濯機もクーラーも車も電子レンジもない時代です。
あの映画で、とても印象的なシーンが出てきます。吉永小百合扮する主人公の弟の友達一家が、祖国である朝鮮民主主義人民共和国に「帰国」するので、上野かどこかの駅頭まで、旗を振って見送る場面です。当時、朝鮮民主主義人民共和国は、一部のマスコミから「北の楽園」と喧伝され、まるで理想郷のような国のように持ち上げられていたのです。それにつられて、帰国していった人たちが多くいたということです。その結果は、現在の「拉致問題」を目の当たりにしている現代の人たちはよく分かっています。帰国していった彼らは、「敵国」日本にいたということだけで、強制収容所に入れられ、そのまま行方も知らず、といった人も多かったと聞きます。
それなのに、当時、「北の楽園」とお先棒を担いだマスコミは、いまだ誰も責任を取っていません。
実にいい加減なものです。
昨日「ブログは、世論を二つに割るような話を書けば、アクセスが増加する」といったようなことを書きました。経済評論家の山崎さんの意見です。
しかし、私の意見は、醒めています。賛成も反対も、個人の意見など、国家という強大な権力の前では無力に等しいというこです。何を言っても、犬に遠吠え。
政治経済から、社会芸能に渡るまで、あらゆるジャンルで健筆を振るった昭和を代表する高名な評論家は、新聞社や出版社から原稿を依頼されると、編集者にまず「賛成意見?反対意見?どっちが欲しいの?」と事前に聞いたそうです。「自衛隊は違憲か合憲か」「テレビは社会悪か必要か」「天皇制は是が非か」-。その大評論家にとっては、所詮、どちらでもいいのです。極論すれば、売れる原稿であれさえすればいいのですから。だから、依頼される前から、賛成意見、反対意見の両方の原稿を用意していたといわれます。
今日は実も蓋もない話を書いてしまいましたね。
図書館があって、映画館があって、そして安い居酒屋があれば、その街には、日本全国どこであれ、私は百点満点を付けます。好きな街の基準は、最低限、そこから始まります。
帯広も昨年、駅前にとても素晴らしい図書館ができましたし、映画館も居酒屋もあるので、合格点です。
でも、東京は、ゴミゴミしているので、なるべく避けるようにしています。
最近、私がよく行くのは、埼玉県の川口市です。吉永小百合さんが主演した「キューポラのある街」(1962年、浦山桐郎監督作品)の舞台になった所です。東京都北区の赤羽から荒川を渡って一つ目の駅なので、東京からも近いです。
東口は、そごうデパートなど大規模商業施設が林立して、猥雑な感じがしますが、西口にはコンサートホールの「リリア」があり、なかなか文化的な街でもあります。東京に近い通勤圏ということで、マンション建設ラッシュで、人口が50万人を超えています。十勝36万人より多いのです。
私がなぜ、川口に行くようになったのかと言うと、昨年、駅至近距離に図書館ができたからです。ここの図書館も素晴らしいですよ。穴場です。色んな雑誌や新聞がそろっていますし、自習用のデスクも100席くらいあるのではないでしょうか。雑誌コーナーは5階にあり、天井は吹き抜けのような高さで、ここから、川口駅をはじめ、210度くらいの視界が開けています。最高です。
駅から歩いて10分ほどの所にイトーヨーカドーがあり、その3階にシネコンがあります。確か、ここは、間違っているかもしれませんが、以前、サッポロビールの工場の跡地ではないでしょうか。ここで映画「007」などを見ました。この広大な敷地に、多くのマンションが今も建設中です。
居酒屋は、残念ながら、今のところ、まだいい店は発掘していません。誰か一緒に探検してくれる人を募集中です。
本当は、最近、噂が広まって、図書館もだんだん混んできたので、あまり教えたくなかったのですが、書いてしまいました。
昨日はここで、何冊か無闇やたらに雑誌を読みました。いわゆるお堅い総合誌や経済誌ばかりでした。何の 雑誌だったか、確か「ダイヤモンド」か「日経アソシエ」だったと思いますが、誰かが、「ブログというのは、世論が二つに分かれるようなことを書くと、アクセスが多い」といったことを書いていました。その通りですよね。例えば、「防衛省昇格は是か非か」といったことを書くと、私のようなブログにも見知らぬ人からコメントが寄せられました。普段は、コメントはあまりありません。映画が面白かったとか、どこの鮨屋がうまかった、みたいなことしか書いていませんからね。
その人は、「借家か持ち家か。どちらが得か」といったことを書いていました。
雑誌で色んな記事を読んだせいで、誰だったか思い出せなかったのですが、先程やっと思い出しました。山崎元さんという楽天証券経済研究所研究員でした。この人をネットで検索すると、今やマスコミで引っ張り凧の経済評論家でした。転職を12回も経験されている47歳だそうです。
たまたま、この人のブログを読んでいたら、「石原真理子さんの過去の暴露について」考察した文章があり、経済評論家らしい鋭い分析をしていたので、思わず引き込まれて読んでしまいました。
要するに、過去に彼女と関係を持った男性陣が次々と暴露されてしまったわけですが、まさか、落目になって忘れられていた(失礼!)女優が20年も経って、このような暴露本を出すとは誰も想像すらできず、山崎氏は「ちょっと専門的に言うと、男性達は、原資産のボラティリティーと長期のオプションをショートすることの怖さを過小評価した」という、誠にあざとい表現の仕方で、納得させてくれているのです。
いやあ、こんな表現や分析は私にはとてもできませんね。
続きを読みたい方は、ご自分で探してください。
今日は、霞ヶ関ビルにある病院に行った帰りに、「雑穀」という店にランチをしてきました。創作和食料理と言えばいいのでしょうか。以前、三重県に住む友人から「暇があったら寄ってみてください」とメールがあり、一度行ってみたのですが、大変評判の店らしく、午後1時を過ぎていただけなのに、既にランチは売り切れていました。友人はインターネットでみて、素材から有機野菜を使い、「健康食品」にこだわりを持つ店ということで推薦してくれたのです。
今日は、正午前だったので、大丈夫だろうと、勇んで出かけたわけです。評判に違わず美味でしたね。いわしのフライとトマト野菜添え、白菜と豚肉のスープ、豆などの前菜、8種類の雑穀ご飯に味噌汁で950円。辛くもなく、甘くもなく、それでいて薄味でもなく、ヴィネガーが効いて、旨みのある料理といったらいいでしょうか。お茶は、紙コップに入った「健康茶」でお持ち帰りができるようになっていました。
お奨めです。といっても場所が分からないでしょうから説明しておきます。JR、地下鉄の新橋駅から虎ノ門方面に5分くらい歩くと「田村町」交差点に着き、その右角の「新日本石油」本社の右裏手にあります。
さて、田村町と書きましたが、今はこの町名はありません。西新橋1丁目とか言うのでしょうか。田村町の名前はどこから来たのか、分かりますか?ここに田村右京太夫のお屋敷があったからです。ここで、あの「忠臣蔵」の浅野内匠頭が切腹させられたのです。この辺りに、史蹟の碑があったので、探してみました。日比谷通りを浜松町方面に向かって歩き、2丁目、3丁目…阪急交通社の前を通ってもまだありません。4丁目の交差点近くでやっと見つけました。
「浅野内匠頭終焉之地」
【史蹟】
旧・田村右京太夫屋敷跡にして 元禄十四年三月十四日に浅野内匠頭の自刃せし所なり
辞世
風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を 如何にとやせん
碑は紀元二六〇〇年 建立
とありました。
ミケランジェロ「ダビデ像」(フィレンツェ)
「ラジオは脳にきく」(東洋経済新報社)などの著書もある和歌山県立医科大学教授で付属病院長の板倉徹氏の話を聞きました。大変面白かったです。
人間の脳の細胞は150億個あるのですが、生まれた時が最大で、年を取ると減る一方で、退化してしまうそうです。鍛えない脳細胞はどんどんなくなってしまうというのです。だから、名ピアニストとはいえ、毎日数時間の練習は疎かにできません。1ヶ月でもさぼったりすると「タダの人」になってしまうからです。脳細胞だけでなくても、人間、やはり歩かないと、退化して歩けなくなっていきます。人の名前が出てこないのも脳の老化の一つです。私も、学生以来、数学の勉強をしていないので、微分も積分も忘れてしまいました。
・左脳は、「言語」活動や「計算」などを掌る
・右脳は、音楽を聴いたり、楽器を演奏したり、絵を描いたり、芸術活動を掌る
日本人は、どうも、左脳ばかり使いすぎなんだそうです。左脳は、いつも「頑張らないと」と、気を張っている。右脳だと「まあ、程々に」と、リラックスする。生真面目な日本人の心因性が如実に現れていますね。
板倉教授によると、脳を鍛えるために、ラジオを聴きながら、洗濯や掃除をしたりする「ながら」が効果があるそうです。それだけ、脳に負担がかかるからです。例えば、人間、アルツハイマーに罹ったりすると、靴を履きながら、自分の生年月日を言ったり、同時に二つのことをすることができないというのです。
テレビをボーと見て、受身のことだけしていては、ボケにつながります。その点、ラジオは色々と想像したり、思い出したりするので、ボケ防止になります。
例えば、「富士山」なら、テレビだとそのものが写って、イメージが固定化されますが、ラジオで「富士山」と聞けば、自分が登った富士山や、銭湯で見た富士山の絵や、写真で見た富士山や、新幹線の窓から見た富士山を思い出したりして、それだけ脳が活発化するのだというのです。
私は、最近、ほとんどテレビは見ません。この話もラジオ(TBS)で聞きました。
ヴェニス
アニメーション作家、イラストレーターの草分け的存在である画家の九里洋二さんから賀状が届きました。もう15年以上やりとりしてます。何か、個展があるといつも葉書でお知らせしてくれ、たまに銀座の画廊でお会いしたこともあります。
今年の賀状を見てびっくりしました。昨年あたりから一気に5つのブログを開設していたのです。
5つですよ!私なんか、この1つのブログでひいひい言っているのに、そのヴァイタリティーには感心してしまいました。
九里さんは今年79歳です。一体どこから、そんな活力が出てくるのでしょうか?
本当にすごい人です。これだけ大きな仕事をしてきたのに、自分を甘やかさず、絶えず努力を怠らず、新しいことに挑戦してきています。
九里さんには、事後承諾で勝手にリンクを張らさせてもらいます。
ホームページ http://www16.ocn.ne.jp/~yojikuri/index_2.htm
ヤフーブログ(絵と詩) http://blogs.yahoo.co.jp/maron20222001/MYBLOG/yblog.html
楽天ブログ(小説) http://plaza.rakuten.co.jp/kurikuriman/
エキサイトブログ(空想昆虫採集) http://ykuron.exblog.jp/
ウェブリブログ(童話) http://horafuki-kuri.at.webry.info/
グーグルブログ(絵と詩・英文版) http://yojikuri.blogspot.com/
上士幌町
公開日時: 2007年1月6日 @ 10:09
今朝の朝日新聞連載「ロストジェネレーション」には、生活保護を受けている北海道の夕張市出身の25歳の男性が登場しています。とにかく職がなく、高校卒業後、4回の失業を体験し、この3ヶ月間で16社で面接を受けて落ちたといいます。時給800円のコンビニの夜勤のバイトも倍率10倍だったとか。
家賃3万3千円のアパートに独り暮らし。ガスは契約せず、銭湯まで徒歩15分。「冬は髪が凍るので、部屋で体を拭くだけ」という言葉が空しい。
日本だけが、この有様かと思ったら、「世界の覇者」アメリカも悲惨な状態です。日経で連載された「3億人のアメリカ」によると、米国は昨年10月に人口が3億人に到達。人口2億人となったのが1967年なので、39年で1億人増えたことになります。1967年には、白人の人口比率は約82%も占めていましたが、昨年は、約66%に低下。代わってヒスパニック系が4%から14%まで増加しています。
3億人のうち、年間所得が2万ドル(約230万円)以下の貧困層が韓国の人口に匹敵する5千万人もいるそうです。全米で最も貧しい地域はテキサス州キャメロン郡で、貧困率41%。住民の8割以上がヒスパニック系だというのです。
米国の農業従事者は、1950年代には全米で400万人いましたが、現在はその半分の200万人。昨年の農産品の貿易黒字は47億ドルと10年前の6分の1に落ち込んだといいます。農務省の07年予想でも、小麦の生産量は前年比14%、大豆が5%、トウモロコシが1%減少するそうです。
こいつは、春から縁起の悪い話ばかり列挙してしまいました。
ただ、アメリカがくしゃみをすれば風邪をひく日本のことです。この実態から予測される将来から我々は逃れることはできません。
旭山動物園
公開日時: 2007年1月5日 @ 10:17
朝日新聞が正月から一面で連載している「ロストジェネレーションー25~35歳」は、随分、身につまされる話が多く、考えさせられてしまいます。この世代は約2000万人おり、バブル崩壊を少年期に迎え、学校を出た頃は厳しい就職難に見舞われ、いわゆるフリーターやパート、派遣で食いつないでいる者も多いといいます。
彼らの中には、社会問題になっている「オレオレ詐欺」の加害者になったり、悪徳リフォーム会社や1台20万円の浄水器の販売会社に入って、犯罪スレスレの仕事をしながら、「良心は痛まない。商売ってそんなもの」と嘯く若者が登場したりします。
私も営業の仕事をしたことがありますが、商品はさっぱり売れませんでした。毎月、営業報告を提出しなければならず、成績が上がらずに非常に追い込まれた時などは、「押し売りをしてでも売りたい」という誘惑に駆られたものですが、さすがに良心のかけらが残っていたので、そこまではしませんでした。
『世界』に連載されている「浅野史郎の疾走対談」で面白い人が登場していました。中国山東省出身で、ソフトブレーン社マネジメント・アドバイザーの宋文洲さんです。中国から北大に留学して土木工学の博士号まで取得した人です。自作の土木構造解析のソフト販売を始めたら、最初の半年で3000万円くらい売れ、翌年は1年で1億円を超え、3年目で3億円売れたというのです。
宋さんによると、日本人の営業は、中身も説明しないで、宴会、カラオケ、ゴルフの接待から始めて、ただ「買ってください」と言うだけ。これでは物は売れない。しかも、「根性」だの「気合」だの精神論で売ろうとする。本来の営業とは、相手が欲しくないものは売っても意味がないので、その製品を必要とする適当な人に、適当な時期に売るということ。つまり「ライト・タイム、ライト・パースン(ぴったりの時にぴったりの人)」だというのです。
この言葉は、営業を経験した人間として、ズシリと胸に落ちました。
ぴったりの時に、ぴったりの相手
この言葉は人生のあらゆる局面に当てはまるのではないでしょうか。例えば、受験、就職、結婚、出産、新築、転職、離婚、退職、転居…
何か行動を起こす前に、この言葉を思い出して、深呼吸することにします。
函館
日本経済新聞の「私の履歴書」で1月1日からノーベル物理学賞の江崎玲於奈氏が始まりましたね。同氏は、ノーベル賞を獲得するために、してはいけない「5か条」を挙げています。怒られることを承知で私なりにリライトするとー。
1、今までのしがらみにとらわれてはいけない。思い切った創造力が発揮できないから。
2、大先生にのめりこんではいけない。権威の呪縛にはまって、自由奔放な創造力が萎縮するから。
3、無用な情報に惑わされてはいけない。約20ワットで動作する我々の限定された頭脳の能力に配慮し、必要不可欠な情報だけを処理すること。
4、自分の主張を貫くためには戦うことを避けてはいけない。
5、子供のような飽くなき好奇心と初々しい感性を失ってはいけない。
江崎氏が、いかに創造力を重視しているか分かりますね。同氏によると、人間の知的能力には、物事を理解して判断する「分別力」と新しいアイデアを生み出す「創造力」の二元性がある。20歳から70歳までが人間の活動期とすると、分別力は、20歳が「0」だが、70歳で「100」に到達する。しかし、創造力は、20歳が「100」で、70歳になると「0」に落ちてしまう。その交差点は45歳。創造力と分別力が拮抗する両者の触発が活力源になると、45歳前後で大きな仕事ができることになる、と言うのです。
現在、45歳前後のあなた!チャンスですよ。これから45歳に向っている人も同じです。
既に45歳を過ぎてしまった人ですか?
うーむ、努力次第で大丈夫だと思います。何しろ分別力がありますからね。
Hi!
久しぶりに読み応えのある書物に接しました数時間で一気に読んでしまいました。
藤原新也著『黄泉の犬』(文藝春秋)です。表紙は、彼を一躍有名にした野犬が人間の死体に群がって食いついている写真です。あの「人間は犬に食われるほど自由だ」というコピーで物議を醸したあの写真です。
オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫のルーツを辿る旅から始まりますが、同書の根幹は、若き藤原新也がなぜ日本を飛び出してインドを放浪することになったのか、その理由と背景と心情と精神的心因性を初めて披瀝しており、藤原新也という世に言う写真家・作家とは何者だったのかを解明する一種の集大成になっています。
「印度放浪」「東京漂流」「メメント・モリ」「乳の海」「アメリカ」「平成幸福音頭」、そして最新作の「渋谷」と曲がりなりにも彼の著作と20年以上付き合ってきた読者の一人として、この本を読んで、「藤原さんとはそういう人だったのか」と初めて分かったような気にさせてくれました。
表紙になった人間を食う犬は、中洲でたった一人だけで撮影したもので、一旦、引きさがった野犬が、仲間を引き連れて、まるでヤクザの出入りのように、藤原氏を襲いに戻ってきた話など初めてこの本で知りました。結局、九死に一生を得て、こうして今、彼は生きているのですから、どうやって難から逃れたのか、ぜひ同書を読んでみてください。
同書には、実は、私も登場します。44ページから45ページにかけてです。具体的な会社や名前は出てきませんが、確かに私というか、私が所属していた組織のことを書いています。もう12年前の話ですが、彼はもちろん、非難以上に断罪しています。私としては、原稿を依頼した当事者だったので、何とも言いにくいのですが、彼の言い分は当然の話で、原稿をボツにした組織の不甲斐なさを感じたものです。(でも、いつか、この話は書くだろうなあ、という予感があったので驚きませんでした。)
私の人生で最も影響を受けたビートルズも断罪しています。ちょっと引用しますと「西欧人は植民地の時代以来アジア、アフリカ、南太平洋、南米といった地域の有色人種を支配してきた。しかし近代においてその合理思想に破綻をきたしはじめて以降、有色人種地域に対する無知と蔑視が、逆に思い入れ過剰な期待感へと裏返って、自らの世界に欠落する非合理性や神秘性をそれらの地域に求めるという逆転現象が起こった。(中略)その最たる象徴がビートルズだった。…」
よく知られているように、ビートルズ、特にジョージ・ハリスンを中心にジョン・レノンもポール・マッカートニーもインド宗教に一時期衷心となり、聖者マハリシ・マヘシュ・ヨギに帰依したことがあります。(後にジョンは「セクシー・セディー」でマハリシを批判)
このマハリシがいたのが、インドの聖地と呼ばれるリシケシュという所ですが、実は、ここは貧乏人を全く相手にせず、最も通俗的な所で、エセ宗教家と金満未亡人ら俗物の集まる所だというのです。藤原氏もマハリシのことを「インド風の屁理屈をこねて白人の女を見るやそのケツを追い回すセックス狂坊主であったことがのちに発覚する」とまで書いています。ビートルズは、60年代末から70年代にかけて、欧米で瞑想ブームの魁になっていたわけですが、同時期にインドを放浪していた藤原氏は随分いかがわしい宗教もどきのペテン師を見てきたことを暴露しています。
インド放浪で実体験した者として、藤原氏は
「たとえば路上に人の屍がころがり、乞食たちがむせかえるような臭いを発散させ、舌にヒリつくようなメシを喰らい、重度の象皮病やハンセン病巻患者が路上で手をさし出し、人の屍を喰う野犬が徘徊し、熱球のような太陽に頭頂を直射され、盗人にかっ攫われ、細菌に腸を占拠され、洪水に足をとられ、旱魃に渇き、砂漠のトゲに脛の血をしたたらせる、そんな、あるいはこの世界の中で最もファンタジーから遠い、”現実原則”のむき出しのこの地に、現実回避型の青年たちが大挙して訪れるというこの奇妙。」
と経験者でしか書けないことを独特の文体で表記しています。
とにかく、「ほとんどメモをとらない」という藤原氏の驚きべき記憶力には脱帽しました。
惜しむらくは、65ページの「潮汗」は「潮汁」の校正ミスだと思います。大出版社の校閲力の衰えという由々しき事態ではないでしょうか。
それでも、この本は、お奨めです !