全体主義的な監視態勢には反対です

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 2020年の新しい年を迎えた1月に、新型コロナウイルス感染がこれほど猛威を振るって世界的に拡大することを想像できた人は皆無だと思います。何しろ、1月半ば過ぎにこのウイルスの話が初めて日本に伝えられた時、テレビに出てきた医者の肩書を持つコメンテーターが、はっきりと「ヒトからヒトへの感染はない」と断言していましたからね。

 毎日、憂鬱なコロナウイルスの蔓延のニュースを聞かされてうんざりする中、笑いが一番欲しい時に、志村けんさんが亡くなり、日本でも流れが変わりました。

  とはいえ、いつまでも悲観しているわけにはいきません。テレビに出てくるコメンテーターは、まるで井戸端会議のように言いたい放題です。真偽は定かではないのに、言い放しで終わり、誰も責任を取ろうとはしません。いっそのこと、分からないことは分からない、予想がつかないことはつかない、とはっきり言ってもらった方がすっきりします。

  でも、はっきりしていることは、この2020年の新型コロナ騒動で、世界全体がガラリと変わったことです。どう変わったのか?ー

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 「サピエンス全史」で知られるイスラエルの歴史学者のハラリ氏が、今朝の日経新聞に寄稿して、良識ある市民にとってただならぬ事態になりかねないことを警告していました。 例えば、「全体主義国家」である中国当局は、市民のスマホを細かく監視し、顔認証機能を持つ監視カメラを何億台も配置して情報を収集しているといいます。市民には体温や健康状態のチェックとその報告義務を課すことで、感染が疑われる人物を特定します。同時にその人の行動を追跡して、接触した者まで特定するといいます。感染者に近づくと警告するアプリまで登場したとか。まるで、ビッグ・ブラザーによって監視されるジョージ・オーウェルの「1984年」の世界のようです。

 これは、感染者を発見することで良い面がある一方、いずれ終息して平時に戻っても、一生、死ぬまで当局に監視追跡されかねいことになります。そして、一度、「緊急事態宣言」が出されれば、後戻りできない可能性があることをハラリ氏は指摘し、最悪の事態にならないよう警告しているのです。

 ハラリ氏は「全体主義的な監視態勢を敷くのではなく、むしろ市民に力を与えることで、私たちは自分の健康を守り、新型コロナの感染拡大を阻止することを選択できる」と主張するのです。

 大いに賛同します。言い方は悪いですが、どさくさに紛れて、市民を監視する全体主義的な緊急事態宣言を発令しようとする極東の島国がありますが、いかがなものか、です。 「厳重な監視態勢を敷かなければ感染拡大を阻止できない」と主張する政治家がいることは承知していますが、中国の例のように後戻りできない可能性の方が大きいのです。 (平時でも、時の政府は、自分たちの気に入らない霞ヶ関の高級官僚を追跡し、風俗店に出入りしていたことを御用新聞にリークしてましたからね)

 昨晩は、小池都知事が緊急記者会見して、 密集、密接、密閉の「三つの密」がそろうバーやキャバクラやカラオケ等への夜間の出入りを自粛するよう呼び掛けました。私自身は、何年、いや何十年も行ってませんが(苦笑)、店側は死活問題でしょうね。でも、首都封鎖されるよりマシでしょう。封鎖されれば、首都機能が麻痺して、株も大暴落して世界同時大不況になる最悪のシナリオも考えられます。

 自由とデモクラシーを取るか、全体主義を取るかー。良識ある市民を信じるか、罰則を厳しくするか-。監視社会にするのか、しないのかー。新型コロナウイルス騒動は政治思潮にも影響を与え、今後の世界を変革していくことは間違いありません。