新型コロナでなければニュースではない

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 右を見ても左を見ても、上を見ても下を見ても、「新型コロナ」一色で、新型コロナに関連しないものはニュースではない、という勢いです。

 美談がたくさんある一方、「パチンコ店に押し寄せる県外ナンバーの車」「人が来ないように伐採されてしまった満開のチューリップや藤の花」「看護師の子どもの通園を拒否する保育園」「『感染者が出た』とデマを流して飲食店を閉店させた輩」…ちょっと耳を塞ぎたくなるような心無いニュースも聞かされます。日本人ってこんな民族じゃなかったのになあ…。

 経済関連は良い事一つもなし、といった感じで、ソフトバンクグループは30日に、2020年3月期の連結純損失(赤字)が9000億円に拡大するとの見通しを発表しました。9000億円ですよ。今年度の一般会計予算で鹿児島県が約8400億円、長野県が約9400億円などと言われますが、どれくらいの規模なのか分かります。(もっとも、ソフトバンクの有利子負債は桁違いにも15兆円もあります)

 当然ながら、1929年以来の世界大恐慌が予想されています。それなのに、本日(4月30日)なんか、世界主要国の株式は値上がりしてるんですよね。NYダウは532ドル高、東京の日経平均の終値は、3月6日以来約1カ月半ぶりに2万円台を回復しました。どうやら、エボラ出血熱用に使われている抗ウイルス薬「レムデシビル」が新型コロナにも効くんじゃないかと、治験で好成績が確認されたことが原因らしいですね。

 こんなチグハグな状況だから、危機意識の全くない命知らずの人間が暴走したり、公共心もない行動を平気でやる輩が出てくるのです。

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 その一方で、どうも、新型コロナに関しては、世界中の人々が「見えない恐怖」に怯えていると思います。もし、新型コロナウイルスの色が肉眼で見えたり、臭いがしたりしたら、そして、何よりも「死に至る病」ではなかったら、これほど大騒動にならなかったことでしょう。「感染経路が分からない」というのが一番厄介です。

 識者によれば、日本では最初の武漢ウイルスは3月半ばに収束したものの、変異したウイルスが欧州に蔓延し、その変異ウイルスが日本に入ってきて、3月末からの拡散につながったようです。

 となると、また色々と変異して強くなれば、夏場に収束しても、また今冬、来年もと第2波、第3波が来ることを覚悟しなければなりません。来年の東京五輪開催も怪しくなってきました。日本だけの問題じゃないですからね。

 これは、100年前のスペイン風邪流行(1918~1920年)の教訓が教えてくれます。3年かかったわけです。全世界で患者数約6億人で、2,000万から4,000万人が死亡したとされています。100年前も都市封鎖や学校休校、商店閉鎖などの措置が取られたようですが、犠牲者の多さには茫然とします。

 100年前も「自宅待機」が半ば強制されたでしょうが、今と比べれば本当に大変で、今の100倍以上の忍耐を強いられてことでしょう。今のようにテレビもなければ、インターネットもなく、ネットフリックで映画を見たり、SNSで顔を合わせて通話したり、zoomで社内会議したりもできませんからね。

 昔の人は偉かった。

「老活の愉しみ」で健康寿命を伸ばしましょう

  読んでいた本(「天皇と東大」)を後回しにして、帚木蓬生著「老活の愉しみ」(朝日新書)を一気に読んでしまいました。奥付の初版発行日が、2020年4月30日です。今日は、母親の誕生日でもある4月28日なので、書店に並んでいたものを素早く見つけて「事前に」に読んでしまったわけです(笑)。

 何で、そんなに急いでいたのかは理由があります。このブログにも書いてしまいましたが、忘れもしません。今月7日に、「ギッキリ脚」をやってしまい、歩行困難になってしまったからです。3週間経った今は、何とか歩けますが、「走るのが怖い」状態です。

 もう一つ。この渓流斎ブログは、「ほぼ毎日」書くことを勝手に自己に課していますが、体調不調のため、そうは言ってられなくなったからです。特に酷いのは眼精疲労で、目も開けていられないぐらいです。原因はスマホとパソコンのやり過ぎなのでしょうが、普通の人より、若い時から「液晶画面」は苦手で、すぐ眼痛が起きやすい体質でした。この眼痛が首痛に来て、それが腕が上がらないほどの肩凝りとなって、頭痛も激しくなり、ブログを書く気が起きなくなります。(そのお蔭で、筆が滑って、大切な友人をなくしてしまう機会も減って助かってますが=苦笑)

 そういう状況ですから、新聞広告でこの本を見つけて、幸いなことに、緊急事態宣言下でも会社の近くの築地の書店が開いていたので、買い求めることができたわけです。

 いやあ、素晴らしい本でした。著者の帚木氏は、御存知のように、東大文学部と九州大学医学部を卒業された方で、作家と医者(精神科医)の二足の草鞋を履いて、貫いている方です。しかも、両方とも超一流で、山本周五郎賞など文学賞の受賞は数多。私も30年ぐらい昔、出版社の記念パーティーでお会いして、名刺交換した程度ですが、「凄い人だなあ」と陰ながら尊敬していた人でした。

 ですから、「精神的不調は身を忙しくして治す」「脳が鍛えないと退化する」「食が全ての土台」「酒は百薬の長にあらず」といったこの本に書かれていることは、ほとんど納得しました。自分はかろうじて、まだ、政府国家が主張する高齢者ではありませんが、老人予備軍として実践していこうと思いました。

 例えば、「靴は健康の必需品」という章の中で、帚木氏は「靴こそは毎日世話になる必需品で、健康が大いに左右されます」として、「スポーツシューズは、何と言ってもフィンランドのカルフが気に入っています。軽くて、どれだけ長く歩いても疲れません。旅行のときはこのカルフに限ります」とまで書いていました。私も一瞬、資本主義の原理で、宣伝臭ささを感じましたが、著者を信頼しているので、早速、ネットで、このカルフとかいうスポーツシューズを注文してしまいました(笑)。足腰が弱ってきましたし、これからも趣味の「お城歩き」を続けたいですからね。

 このほか、人間、年を取ると誰でもサルコペニアと呼ばれる筋肉量が減少する傾向となりますが、同書では、これを予防するための運動(スクワットや下肢挙上運動など)も伝授してくれるので大変参考になります。

 精神科医としての帚木氏は、「森田療法」の権威で、その関連書籍も出版されていますが、森田療法では「症状は人に言わない。見せない。悟られない」というのが鉄則なんだそうです。というのに、渓流斎ブロブの主宰者は、浅はかにも、「あっちが痛い」「こっちが痛い」なぞと散々書きまくっていますね。

 駄目じゃん!

英語は普遍的、中国語は宇宙的、日本語は言霊的

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 昨晩は、中部北陸地方にお住まいのT氏と久しぶりに長電話しました。T氏は、学生時代の畏友ですが、十数年か、数十年か、音信不通になった時期があり、小生があらゆる手段を講じて捜索して数年前にやっとメールでの交際が再開した人です。

 彼は、突然、一方的に電話番号もアドレスも変えてしまったので、連絡の取りようがありませんでした。そのような仕打ちに対しての失望感と、自分が悪事を働いたのではないかという加害妄想と自己嫌悪と人間不信などについて、今日は書くつもりはありません。今日は、「空白期間」に彼がどんな生活を送って何を考えていたのか、長電話でほんの少し垣間見ることができたことを綴ってみたいと思います。

 T氏は、数年前まで、何年間か、恐らく10年近く、中国大陸に渡って、大学の日本語講師(教授待遇)をやっていたようです。日本で知り合った中国人の教授からスカウトされたといいます。彼は、私と同じ大学でフランス語を勉強していて、中国語はズブの素人でしたが、私生活で色々とあり、心機一転、ゼロからのやり直しのスタートということで決意したそうです。

 彼の中国語は、今でこそ中国人から「貴方は中国人かと思っていた」と言われるほど、完璧にマスターしましたが、最初は全くチンプンカンプンで、意味が分かってもさっぱり真意がつかめなかったといいます。それが、中国に渡って1年ぐらいして、街の商店街を一人で歩いていると、店の人から、日本語に直訳すると「おまえは何が欲しいんだ」と声を掛けられたそうです。その時、彼は「サービス業に従事する人間が客に対して、何という物の言い方をするんだ」とムッとしたそうです。「日本なら、いらっしゃいませ、が普通だろう」。

 しかし、中国語という言語そのものがそういう特質を持っていることに、後で、ハッと気が付き、それがきっかけで中国語の表現や語用が霧が晴れるようにすっかり分かったというのです。もちろん、中国語にも「いらっしゃいませ」に相当する表現法はありますが、客に対して「お前さんには何が必要だ」などと店員が普通に言うのは、日本では考えられません。しかし、そういう表現の仕方は、中国ではぶっきらぼうでも尊大でもなく、普通の言い回しで、「お前は何が欲しいんだ」という中国語が、日本語の「いらっしゃいませ」と同じ意味だということに彼は気づいたわけです。

 考えてみれば、日本語ほど、上下関係に厳しく、丁寧語、敬語などは外国人には習得が最も困難でしょう。しかも、ストレートな表現が少なく、言外の象徴的なニュアンスが含まれたりします。外国人には「惻隠の情」とか「情状酌量」とか「忖度」などという言葉はさっぱり分からないでしょう。

 例えば、彼は先生ですが、学生から「先生の授業には実に感心した」といった文面を送って来る者がいたそうです。それに対して、彼は「日本語では、先生に対して、『感心した』という表現は使わないし、使ってはいけない」と丁寧に説明するそうです。また、食事の席で、学生から、直訳すると「先生、この食事はうまいだろ」などとストレートに聞いてくるそうです。日本なら、先生に対して、そんな即物的なものの言い方はしない、せめて「いかがですか?」と遠回しに表現する、と彼は言います。

 そこで、彼が悟ったのは、中国語とはコスミック、つまり「宇宙的な言語」だということでした。これには多少説明がいりますが、とにかく、人間を超えた、寛容性すら超えた言語、何でも飲み込んでしまう蟒蛇(うわばみ)のような言語なのだ、という程度でご理解して頂き、次に進みます。

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 一方、英語にしろフランス語やドイツ語にしろ、欧米の言語はユニバーサル(普遍)だと彼は言います。英語は記号に過ぎないというのです。もっと言えば、方便に過ぎないのです。これに対して、日本語は「言霊」であり、言語に生命が込められているといいます。軽く説明しましょう。

 福沢諭吉が幕末に文久遣欧使節の一員として英国の議会を視察した時、昼間は取っ組み合いの喧嘩をしかねいほどの勢いで議論をしていた議員たちが、夜になって使節団との懇親会に参加すると、昼間の敵同士が、まるで旧友のように心の底から和気藹々となって会話を楽しんでいる様子を見て衝撃を受けたことが、「福翁自伝」に書かれています。

 それで、T氏が悟ったのが、英語は記号に過ぎないということでした。英語圏ではディベートが盛んですが、とにかく、相手を言い負かすことが言語の本質となります。となると、ディベートでは、AとBの相手が代わってもいいのです。英語という言語が方便に過ぎないのなら、いつでも I love you.などと軽く、簡単に言えるのです。日本語では、そういつも簡単に「愛しています」などと軽く言えませんよね。日本語ではそれを言ってしまったら、命をかけてでもあなたを守り、財産の全てを引き渡す覚悟でもなければ言えないわけです(笑)。

 欧州語が「記号」に過ぎず、相手を言い負かす言語なのは何故かというと、T氏の考えでは、古代ギリシャに遡り、ギリシャでは土地が少なかったので、土地に関する訴訟が異様に多かったからだそうです。そのお蔭で、訴訟相手に勝つために色んなレトリックなども使って、表現法や語用が発達したため、そのようになったのではないか、というのです。

 なるほど、一理ありますね。フランスには「明晰ではないものはフランス語ではない」という有名な格言があります。つまり、相手に付け入るスキを与えてはいけない、ということになりますね。だから接続法半過去のような日本人には到底理解できない文法を生み出すのです。日本語のような曖昧性がないのです。言語が相手をやり込める手段だとしたら。

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 一方、日本語で曖昧な、遠回しな表現が多いということは、もし、直接的な言辞を使うと、「それを言っちゃあ、おしめえよ」と寅さんのようになってしまうことになるからです。

 ところで、幕末には、尊王攘夷派と開国派と分かれて、激しい殺し合いがありました。その中でも、西洋の文化を逸早く学んだ開明的な洋学者だった佐久間象山や大村益次郎らは次々と暗殺されます。洋学者の直接的な言葉が攘夷派を刺激したのでしょう。適塾などで学び欧米文明を吸収していた福沢諭吉も、自分の生命が狙われていることを察知して、騒動が収まるまで地元の中津藩に密かに隠れ住んだりします。

 それだけ、日本語は、実存的で、肉体的な言語で、魂が込められており、「武士に二言はなし」ではありませんが、それだけ言葉には命を懸けた重みがあるというわけです。そのため、中国語や欧米語のように軽く言えない言葉が日本語には実に多い、とT氏は言うのです。

 繰り返しますと、英語は、何でも軽く言える記号のような言語で普遍的、中国語は、寛容性を超えあらゆるものを飲み込む宇宙的、そして、日本語は命を張った言語で言霊的、ということになります。その流れで、現在の言語学は、文法論より、語用論の方が盛んなんだそうです。

 以上、T氏の説ですが、それを聞いて私も非常に感銘し、昨晩は久しぶりに味わった知的興奮であまり眠れませんでした。

「天皇と東大」第1巻「大日本帝国の誕生」で近代国家の成立と仕組みを知る

  立花隆著「天皇と東大」1~4巻(文春文庫、2012年初版)は、日本人の必読書ではないかという思いで、今頃になって、第1巻「大日本帝国の誕生」を読んでいます。この20年間近く、近現代史関係の書籍を中心に読み込んできましたが、本書で初めて得る知識が多くあり、本当に勉強になります。

 立花氏といえば、若い頃は、「田中角栄研究」「日本共産党の研究」「宇宙からの帰還」「サル学の現在」等々、ほとんど彼の著作を読破し、「雲の上の存在」のジャーナリストとして影響を受けて来ました。しかし、どうも「臨死体験」辺りから、「んっ?」と自分の興味範囲からズレている感じがし、しかも、「知の巨人」とか「大天才」とか称賛の声ばかり聞かれ、本人も恥じることなく、そのようなタイトルの本を出すようになると、私もひねくれ者ですから、(彼の天才を否定しませんが)しばらく彼の著作から離れておりました。ですから、まず2005年に単行本として発行された同書は未読でした。もちろん、1998年から2005年にかけて月刊文芸春秋に連載された記事も未読でした。

 文庫版が出て8年経ちましたが、恐らく絶版とみられ、ネット通販でもこの本は手に入らなくなりました。中には、古本でも定価の3倍から5倍も付けて販売しているサイトもあり、馬鹿らしくて買う気がしなかったのですが、例によって会社の同僚の矢元君が「こんな面白い本はないぞなもし」と貸してくれました。図書館が閉鎖されている中、もう、自宅に本を飾ったり、収集癖がなくなったので有難いことです。(立花氏は、本は買うべきもので、図書館などで借りるのはけしからん、と主張していて、私もその影響で必ず買っていましたが、彼の魔術がとけ、可処分所得が激減してからは、本はどんどん図書館で借りるようになりました=笑)

 いつもながら前書きが長い!(笑)

 久しぶりに立花氏のの著作を読んでみると、「クセが強い!」と初めて感じました。若い頃は気が付かなかったのですが、ちょっと上から目線が鼻につくようになりました。

 例えば、「今の若い人は、例外なしに『国体』のことは国民体育大会のことだと思っている。国体にそれ以外の意味があるとは夢にも思っていないのである」…といった書き方。私はもう若くはありませんが、国体を知っている若い人は「ムっ」とくることでしょう。というか、近現代史関係の本を少しでも齧った人なら、国体とは自明の理であるはずです。

 それが、冗談でも誇張でもなかったんですね。立花氏にはこの本の関連本として「東大生はバカになったか」があるように、今の東大生でさえ、ほとんどの学生が国体とは何たるかを知らないようです。ジョン・レノンと同じ1940年生まれで戦後民主主義教育を受けた立花氏も、30歳半ば過ぎまで正確な意味は知らなかったと告白しています。

 あ、また、話が飛んだようです(笑)。

 とにかく、この本は、日本人とは何か、明治維新を起こして、「文明開化」「富国強兵」をスローガンに近代国家を建設した元勲らとその官僚が、どのような思想信条を持って実践したのか、事細かく描かれ、「なるほど、そういうことだったのか」と何度も膝を打ちたくなります。

 彼らが、古代律令制を復古するような天皇中心の「大日本帝国」を建設するに当たり、最初に、そして最も力を注いだのが「教育」でした。帝国大学(東京帝国大学と、頭に東京さえ付かない唯一無二の大学)を頂点にして、全国津々浦々、隅々まで小中高等学校を張り巡らし、国家の有能な人材を養成していくのです(帝大法学部は、一時期、無試験で官吏になれる官僚養成機関になっていました)。同書では、帝大(東京大学)ができるまで、江戸時代の寺子屋や昌平黌や天文方や蘭学塾などの歴史まで遡り、欧米列強に追い付くために、最初は、江戸の種痘所の流れを汲む医学部とエンジニア養成の工学部に注力した話など逸話がいっぱいです。何よりも、東大を創ったのは、あの勝海舟だったというのは意外でした。勝海舟は、ペリー来航の混乱の中、幕府に対して、西洋風に兵制を改革して、天文学から地理学、物理学等を教える学校を江戸近郊に作るよう意見書を提出し、それが川路聖謨(としあきら)や岩瀬忠震(ただなり)ら幕閣に採用され、洋学所改め蕃書調書の設立の大役に任命されたのでした。

 まだ、第1巻の前半しか読んでいませんが、明治10年に東京大学(まだ帝国大学になる前)の初代総長を務め、福沢諭吉と並ぶ明治の代表的な啓蒙思想家である加藤弘之が、最初は、立憲君主制を標榜する「国体新論」などを発表しながら、明治14年になって、絶版を宣言する新聞広告を出します。しかも、その後は、この立憲君主制や天賦人権説まで自ら否定してしまい、学者としての生命は終わってしまいます。その代わり、政府に阿ったお蔭で、勲二等や宮中顧問官など多くの栄誉を国家から授与され、胸には勲章だらけの姿で生涯を終えます。

 なぜ、加藤弘之が急に変節したかについては、元老院(明治8年から国会が開設される明治23年まで過渡的に設けられた立法機関)議官の海江田信義によって、「刺殺しかねまじき勢いで談判」されたからだといいます。この人物は、元薩摩藩士で幕末の生麦事件の際に英国人商人を一刀両断で斬殺した人で、海江田の実弟は桜田門外の変に薩摩藩から加わり、井伊直弼大老の首級をあげたといいます。立花氏は「加藤ならずとも、ビビっても不思議ではない」と半ば同情的に書いています。

緊急事態宣言下の東京・有楽町の金曜日の夜

 まだまだ書きたいのですが、今日はもう一つだけ。

 私は皆さんご案内の通り、城好きで、昨年4月に、千葉県野田市にある関宿城を訪れたことをこのブログにも書きました。その際、関宿藩が生んだ偉人で、終戦最後の首相を務めた鈴木貫太郎の記念館にも立ち寄ったことを書きました。でも、2・26事件で、侍従長だった鈴木貫太郎がなぜ襲撃されたのか知りませんでした。それは、昭和5年(1930年)のロンドン海軍軍縮条約を締結する問題で、帷幄上奏よって、条約反対を訴えようとした加藤寛治軍令部長に対して、日程の都合で鈴木侍従長が翌日に回したおかげで、浜口雄幸首相による条約調印を可とすることが裁可され、鈴木侍従長による統帥権干犯問題に発展したからでした。2・26事件はその6年後の昭和11年ですから、軍部の間では、鈴木侍従長は「国賊」としてずっとブラックリストに載っていたのでしょう。この本では、明治の近代国家がどうして昭和になってこんなファナティックな軍部独裁国家になってしまったのか、分析してくれるようです。

 東大に行った人も、東大に行けなかった人も、色んな意味で日本の近代国家の成り立ちや仕組みがこの本でよく分かります。この本を読んだか読んでいないかで、世の中を見る視点や考え方が激変すると思います。これから4巻まで、本当に読むのが楽しみです。

女優岡江久美子さんも新型コロナで=【動画】緊急事態宣言下の銀座はゴーストタウン

 女優の岡江久美子さんが23日早朝、新型コロナウイルスで亡くなったというニュースが同日午後に飛び込んできました。

 行年63歳。まだお若いですが、乳がんの手術をされた後で免疫力が弱まっていたようです。

 岡江さんは長年、TBSテレビの朝の生番組の司会役として出演されていたので、第一報はTBSでした。ご主人の俳優大和田獏さんとおしどり夫婦としても知られていました。御冥福をお祈り申し上げます。

若い人の中には、まだ危機感がなく、今度のゴールデンウィークには海や山に、そして何よりも他府県のパチンコ店へ繰り出そうと計画しているようですが、やはり、この期に及んで、ですから、自粛すべきですね。そうでなければ、為政者は、要請ではなく、もっときつい強制に変更しかねませんよ。

東京・銀座・東映映画館周辺 Copyright par keiryusai

 東京・銀座の盛り場は夕方からの書き入れ時も、ご覧のように、まるでゴーストタウンです。

 映画館も休業で、人通りも殆どなし。現実なのに、まるで映画を見るようです。皮肉ですね。この動画も、恐らく、【アーカイブ映像】として、歴史に残るかもしれません。

銀座「離亭 三ぶん」の「りゅうきゅう丼御膳」を食す

 新型コロナの感染者がいまだ判明していない岩手県にお住まいの石川先生から昨晩、電話がありまして、急に「ではメモをしてください。銀座〇丁目の〇〇、電話番号〇〇…」えっ?何ですかあ? ですよね。

 後期高齢者の石川先生は、若い頃の大半は東京暮らしで、定年退職後に郷里の盛岡市に戻ってきたのですが、東京生活が懐かしく、テレビで東京の名所や展覧会やグルメ情報等が流れると食い入るように見つめ、自分では行かれないので、このように、小生に身代わりに行くように勧めるのでした。

 昔、テレビでやっていた米国ドラマの「スパイ大作戦」みたいですね。違うかあ(笑)。

 今回、石川先生のお薦めは、どうもテレビの「酒場放浪記」みたいな番組で見たようで、昼は名物ランチをやっているらしいのです。「大分料理の『離亭 三ぶん』て店ですがね。銀座ですから、一応、高級居酒屋って感じでしょうか。昼は『りゅうきゅう丼』をやってます。ああたも暇ですから、一度食べに行ったら如何ですか?歌舞伎座の裏です。会社から近いでしょう」と仰るのです。

 いやあ、暇じゃありませんよ。りゅうきゅう丼なら沖縄料理じゃないんですか?石川先生も人使いが荒いですね。

 「ああたは、いつもつまらないブログばかり書いているから駄目なのです。だから話題を提供したまでですよ(笑)ああたみたいに、いつも安い、貧困層が食べるものばかり取り上げていては、腹の足しにもなりませんよ」

 石川先生、そこまで言いますかね。わ、わ、分かりました。行きますから、行きますよ。

 てなわけで、昼休みに早速行ってまいりました。

「りゅうきゅう丼御膳」。な、な、何と1200円。

店を出て分かったのですが、「魚の刺身を『ヅケ』に薬味とともにご飯に載せた丼。最後は出汁をかけてお茶漬けに」なる文面がお店の外の看板にありました。

 3人ほど先客がおりましたが、ほどなく入れ替わりとなり私一人に。6人掛けのカウンターとテーブル2脚というこじんまりとして、小料理屋といった雰囲気でした。

 年格好40歳前後の物静かなメガネをかけた御主人が「マグロとカツオの2種類がありますが、半分ずつにしますか?」と聞いてきたので、「じゃあ、それで」。

 普通のランチだと、事前に用意していてすぐ出てくるものですが、この店は、高級店らしく、注文を聞いてから、刺身作り。結構、時間がかかりました。手持無沙汰なので、今の状況を聞くと、「ええ、夜もやってますよ。夜8時までのおっ達しですが、流れで9時半ぐらいまでやることもあります」とのお答え。

 そうそう肝心の話を聞くのを忘れるところでした。最近、この店、テレビの取材が入ったんですか?

 「去年か一昨年の話ですよ。その方、再放送でも見たんじゃないですか?」

 銀行員にしてもおかしくない律儀そうな料理人でしたが、私も思わず、吹き出しそうになりました。ただ、その後、「どんぶりは3分の1ほど残しておいてください。お茶漬けにしますから」と言われて、何となく、中学校の生徒になった気分。

 いわゆる一つの「鯛茶漬け」のような感じになりました。そして肝心のお味は?

 美味いに決まってるじゃありませんか。上の写真で御想像あれ。

「ハルビン学院の人びと 百年目の回顧」

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通勤のバス・電車は結構空いてますが、少しでも咳をしようものなら、周囲から刺すような白い目で睨まれます。

 もちろん、マスクをしています。マスクをしないと非国民扱いです。そのうち、マスクをしない輩を見つけると棍棒で殴りつける「自警団」が跋扈することでしょう。

さて、飯島一孝著「ハルビン学院の人びと 百年目の回顧」(ユーラシア文庫)を読了しました。4月13日に初版が出たばかりの本です。

 例によって、宮さんがわざわざ自宅にまで送ってくださいました。緊急事態宣言とやらで、本屋さんまで自粛閉店してしまいました。都心の大型店舗は休業ですし、私の住む田舎の書店のほとんどは潰れてしまいました。昨日は、NHKラジオの語学テキストを買いに都心の書店に行ったら、「当面休業」の張り紙。多分、緊急事態宣言が発令されている5月6日までは閉店されることでしょう。5月号のテキストですから、間に合いませんね。どうせよ、っちゅうねん?

 「ハルビン学院」の本の著者飯島氏は、東京外国大学ロシア語科を卒業後、毎日新聞社の記者となり、モスクワ特派員を6年間も務めた人ですから、文章が読みやすい。早い人なら2時間ぐらいで読破できます。

 ハルビン学院は1920年、ロシア語とソ連事情に精通した人材を育てる目的で日露協会により中国東北地方の哈爾濱市に日露協会学校として設立されました。ということは、今年でちょうど開校100周年です。もっとも、1945年の敗戦とともに、廃校になったため、わずか25年間の存在でした。全寮制で授業料免除ということで全国の俊才が選ばれた超エリート校で学年で60~100人程度でしたから、卒業生全体で1514人です。閉校になって今年で75年になりますから、同窓会の生存会員はわずか64人で、著者の飯島氏も、執筆前は「十分な取材ができるか不安だった」とあとがきで打ち明けています。

 同書では、満鉄初代総裁や東京市長などを歴任した後藤新平が中心になって政財官界の協力で設立された日露協会のこと、1932年の満洲国建国後に日露協会学校から哈爾濱学院に改称され、関東軍の主導下になったこと、1940年には満洲国立大学に格上げされ、中国人やモンゴル人らの入学も増えたことなどハルビン学院の沿革が詳細に記述されています。

 また、卒業生にも直接インタビューして生の声を拾っています。この中で、25期の神代喜雄さんという方が登場します。奉天(現瀋陽)で育ち、ハルビン学院で学んだので、中国語とロシア語の二か国語ができたそうです。終戦後、ソ連軍の捕虜となり、2年間収容所に抑留されて帰国。共同通信(88ページに同盟通信〈現共同通信〉と書いてますが、神代氏が入社した戦後は、同盟通信は消滅しているので、明らかに間違いですね。共同通信だけでいいです)の記者を8年勤めた後、日ソ東欧貿易会に入り、日ソ経済の橋渡し役を務めた人です。

ハルビン学院 copyright par 恵雅堂出版

 個人的ながら、私の小中学校の同級生に神代京子さんという人がいますが、もしかしたら、この神代氏は、神代京子さんの父親かもしれません。7、8年前に会った時に御尊父はハルビン学院出身だと聞いたことがあるからです。その後、彼女とは急に音信不通になってしまい、確かめることができないのがとても残念です。確か、同じ小中学校の同級生に原一郎君がいましたが、彼の御尊父もハルビン学院出身だということを彼女から聞きました。

 このように、ハルビン学院出身の同窓生は異様に絆が深く、毎年4月に東京・高尾霊園での記念碑祭を行うなど結束が固いことでも有名です(今年は残念ながら中止)。卒業生にはロシア文学者の工藤精一郎や内村剛介(本名・内藤操)ら著名人がおりますが、私自身がハルビン学院と何らかの関わりを持つことになったのは、陶山幾朗編「内村剛介ロングインタビュー」(恵雅堂出版、2008年5月)を読み、このブログに掲載したことがきっかけでした。これが御縁で、編集者の宮さんと知り合い、色んな資料を提供していただき、恵雅堂出版が私の卒業した中学校の卒業アルバムの編集出版社だったことが分かり、写真は私が勤めていたマスコミの写真を使用していたことも分かり、妙な御縁を感じてしまったわけです。(このほか、恵雅堂出版の創業者の故・麻田平蔵氏らが始めたロシア料理店「チャイカ」にも何度もお邪魔しました)

現在のハルビン学院 Copyright par Duc de Matsuoqua

 実際、私も2014年に満洲旅行を決行し、哈爾濱にも行き、ハルビン学院の跡も見てきました。エリート大学が幼稚園になってしまっていました。上の写真の通り「藍天幼稚園」とありましたが、2015年頃に火災のため移転し、現在、中国空軍の管理下になっているそうです。

 このことについては、2017年10月2日に「哈爾濱学院 余話」のタイトルで書いております。藍天幼稚園は、単なるそんじょそこらの幼稚園ではなく、空軍将校の子弟が通うエリート幼稚園だったようです。

 飯島氏の本では、そこまで触れていないので、おっせかいにも付け加えさせて頂きました。また、増刷されるとき、巻末に簡単な年譜を付ければ、読者としても有難いと思いました。

東京渡辺銀行のルーツはお江戸日本橋の鮮魚商「明石屋」だったとは

 本日は1週間ぶりに都心の会社に出勤。例の「ギックリ脚」で、歩くと右太ももと右膝の後ろ辺りが痛く、ヤバイと思いましたが、何とか会社に辿り着きました。

 脚をいたわりつつ、軽く足を引きずって歩いていると、どんどん追い越されます。小さな子どもより遅いかもしれません。気が付きませんでしたが、世の中には杖をついてゆっくり歩いている人がこんなにいたとは! 彼らのスピードで歩いてみて、初めて存在が分かりました。駄目ですね、ヒトは。

 先週は外出禁止令で自宅に引きこもっていたら、パソコンのやり過ぎで、相当ギガを食ってしまいました。私の場合は、N社のモバイルWi-Fiを契約しているのですが、毎月3GB程度(何と月額968円)で済んでいたのですが、1週間で既に5GBも使用してしまいました。仕方ないので、1GBを追加(550円)し、来月は、10GBに変更(月額2508円)しました。容量は毎月変更することができ、使わなかったGBはそのまま翌月に持ち越されますので、まあまあの値段かな、と思っています。

明治元年(1868年)創業。152年の歴史を本日20日で閉じた東京・東銀座の歌舞伎座前にある弁当・仕出し屋「木挽町 弁松」。雨の中、マスコミが押しかけてました

 ところで、このブログの「コメント」欄まで御覧になっている方はいらっしゃらないと思いますが、最近、大論争になっています(笑)。いや、大袈裟でした。この《渓流斎日乗》は、相当、悔しいけど、私より遥かに頭脳明晰な方々が読者でいらしゃるので、コメントも非常に丁寧で、ハイブローなのです。

 当該ブログ記事は、小生が2017年5月31日に書いた「東京渡辺銀行が破綻しました」です。タイトルは、記事を引用しますと「東京渡辺銀行は、昭和金融恐慌の引き金となったそれこそ由緒ある銀行でした。実際は優良経営だったのに、何を血迷ったのか、片岡直温大蔵大臣が、昭和2年(1927年)3月14日の衆院予算委員会で、『渡辺銀行がとうとう破綻を致しました。誠に遺憾です』などと発言し、預金者の取り付け騒ぎが起きて、本当に破綻してしまったのです。」から取ったものでした。

 そして、この渡辺財閥の御曹司が著名な歌舞伎評論家の渡辺保氏で、「歌舞伎は庶民の物見遊山ではなく、財閥の御曹司でなければ観られないような高価な芸術だったわけです。」と私は結論づけていたのです。

 これに対して、本人が書いたことも忘れてしまっている3年も経った今年4月16日に旗森さんという恐らく小生とは面識がないと思われる方から「歌舞伎見物が財閥御曹司でなければ見られなかった、というのは過大評価です。渡辺氏自身、自分が歌舞伎を見始めたころは家も小市民生活だったと書いていますし、事実、私事にわたって恐縮ですが同年の私もサラリーマン家庭で育った芝居好きです。歌舞伎座でも下町の人々は旦那から若者まで幅広く、『今でも』見ることができます。かぶきは市民が育てた舞台芸術です。玉稿は楽しませていただいていますが折角のことですので投稿しました」とのコメントが御座いました。いやあ、こんなに熟読して頂き、誠に有難いことです。

 これに対して、私は「江戸時代の歌舞伎も決して庶民の娯楽ではなく、最上席は、今の金額に換算しても2~3万円で、今とほとんど変わらなかったいいます。大奥が忍びで繰り出した江島生島事件があったように、これでお取りつぶしなる山村座を含む江戸四座は、かなり敷居が高かったと思います。つまり、お上が許した櫓座の大歌舞伎以外に小芝居があっちこっちにあり、庶民はそちらに行ったことでしょう。」などと反論しています。生意気ですね。

 これを書いた時点では出典を明記しませんでしたが、本箱を探したら片隅にありました!山本博文監修「江戸の銭勘定」(洋泉社、2017年)という本でした。それによると、歌舞伎の一枡席は銀12匁5分(3万7500円)から35匁(10万5000円)。庶民の大衆席は100文(3000円)。「大向こう」と呼ばれる2階の立見席なら10文(300円)程度で見られたそうです。むふふふ、小生も旗森氏も正しかったわけで、「痛み分け」といった感じでしょうか。小生も、学生時代歌舞伎座の3階の「一幕見席」で2000円ぐらいで見た記憶がありますが、もう少し安かったかもしれません。(現在の歌舞伎座の1等席は1万8000円)

 話はこれで終わりではなく、京洛先生の門下生を自称するAsウーノさんという方から、実に濃厚な情報が寄せられました。「歌舞伎と東京渡邊銀行・破綻では、『ぼつちやんと紙手巾』という拙稿短編(未完^_^)を書く際、暖簾分け横浜渡邊銀行の末裔渡邊俊郎氏より、初代頭取富太郎の長男和太郎についてご教示あり。和太郎は不遇とされるロンドン時代の夏目金之助に可愛がられた若者で、下宿を世話し酒を呑み雑煮を喰らい、帰国後も和太郎が早世するまで漱石と愉快な親交を結んだ由。
 東京渡邊銀行ルーツはお江戸日本橋の鮮魚商明石屋にあり、吉原花魁の如く永らく歌舞伎座は高嶺の花、大衆化した今とは大分赴きを異にしてたようですね。」などと大変ディープな情報を御教授して頂きました。

 いやはや、東京渡辺銀行のルーツが日本橋の鮮魚商だったとか、暖簾分けに横浜渡辺銀行があったことなど知りませんでした。勉強になりますね。(既に、コメントをお読みの方はダブってます。これでは木戸銭返せ!と怒鳴られそうですね=苦笑)

文学とは実学である

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua 

新型コロナウイルス感染拡大の経済対策として、日本の国家政府は、国民1人に10万円と1世帯にマスク2枚を支給してくれるそうです。まだ届いてませんが、有難いことです。

 でも、素直に喜んでいいものやら。マスク2枚で466億円、国民1人10万円で12兆6000億円もかかるそうです。誰が立て替えてくれるのかと思ったら、新聞には「国費」と書いてましたから、結局、税金なんですね。まさか、大黒様の打ち出の小槌で、パッと現金が魔法のように現れてくれるものでもなし。

 何か、お腹の空いたタコが自分の脚を食べて、どうにか生き延びようとしているように見えます。

 うまい! これが文学です。何か、言葉に表せないモヤモヤしている感情を何とか、文字化するのが文学だとしたら、ここ数十年、厄介ものにされている大学の文学部とやらも、こういった緊急事態に何かと役に立つというものです。

 というのも、昨晩聴いたラジオで、作家の高橋源一郎さんが、現代詩作家の荒川洋治の随筆を朗読し、その中で、「文学とは実学だ。文学は、法律や医学や経済学と同じように、実社会に役立つものだ」といった趣旨のことを、孫引きの曾孫引きではありますが、強調していたからでした。(「ながら」でラジオを聴いていたので、荒川氏の本のタイトルを失念。荒川氏は何と、芸術院会員だったんですね!どうも失礼致しました)

 確かに、ここ数年、私自身も、文学の中でも小説やフィクションは、別に読まなくても良い、世の中に直接役立たないものだという思考に偏っておりました。そのため、ここ数年は、ノンフィクションか歴史書か経済書関係の本ばかり読んで来ました。

 しかし、疫病が世界中に蔓延し、アルベール・カミュの「ペスト」などの小説(結局、カミュが創作したフィクションですよ!)が改めて注目されている昨今を冷静に見つめてみると、文学の効用を見直したくなります。

Camus “La Peste”

 今、世界中で感染拡大を防止するために、経済封鎖するか、人の生命を優先するか、の究極的な二者択一を迫られています。変な言い方ですが、今、緊急事態の世の中で、実学として役に立っているのは経済学と医学ということになります。

 とはいえ、医学も経済学も万能ではありません。医学には医療過誤や副作用や、今騒がれている医療崩壊もあります。経済学も、ソ連型計画経済は歴史的にみても失敗に終わり、資本主義は、1%の富裕層に富が集中するシステム化に陥っています。

 その点、文学の弊害や副作用は、それほど劇薬ではないので、大したものではない一方、個人の生き方を変えたり、見直したりする力があります。下世話な言い方をすれば、小説を読んでもお金にはなりませんが、ヒトとしての生きる素養と指針を学ぶことができる、ということではないでしょうか。ボディーブローのようにジワジワと効いて、読んだ人の血や肉になるということです。

 昨晩はそんなことを考えていました。

ウクレレ・トリオ「まかまか」と加藤力之輔画伯の個展

WST Nationak Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua 

 外出自粛で、皆さんもストレスが溜まっていることと、拝察致します。ということで、本日は、趣向を変えまして、このブログなどで大変お世話になっている先輩・芸術家の皆様の「作品」をアップすることにしました。

 まずは、満洲関連でお世話になっている宮さんが参加しているウクレレ・トリオ「まかまか」。その演奏セッションを音声ファイルで送ってくださいました。

 小生、ズブのIT音痴であるため、ブログに画像と動画を貼っつけることは、どうにかこうにかできるようになりましたが、「音声」となると初めてです。(そうでないかもしれませんが=笑)

 さんざん苦労して一日がかりで、やっとアップできたようですので、皆さまもお聴きください。

「まかまか」の「ホテルカリフォルニア」

 ウクレレ・トリオ「まかまか」は、がまちゃん(リーダー 編曲)と、かずえさんのリードにバックコード演奏の宮さんの3人。極秘情報ですが、平均年齢は後期高齢者年齢をはるかに超えていると噂されています。
 お聴きになればお分かり通りの、曲はイーグルスの 「ホテルカリフォルニア」。「なかなかやるじゃん」と私は、称賛の返信を送っておきました。

 宮さんは、PDFでこの編曲の楽譜も送ってくださいましたが、残念ながら、何度挑戦してもうまくアップできず。画像でも音声でもないPDFは、どうブログに貼っつけたらいいのか…うまくいきませんでした。宮さん、悪しからず。

 もう一人は、京都の泉涌寺にお住まいの加藤力之輔画伯です。一昨年のスペイン旅行の際には画伯の奥方様には、ピカソの「ゲルニカ」を鑑賞する時など、お世話になりました。スペインでは予想外にも感染者と死者が拡大して大変心配していたのですが、奥方様も、昨夏お会いした画伯と同業者である御子息とスペイン人の奥さんとお子さんたちもお元気なようで安心しました。

 加藤画伯は、最近、京都市の同時代ギャラリーで個展を開催されたということで、その「展示風景」を送ってくださいました。

YouTubeのブログへのアップの仕方は、最近覚えたので、今回も大丈夫のようです(と、思われます)。

 音楽コンサートや歌舞伎を始めとした演劇公演もほとんど全てが中止に追い込まれ、芸術家の皆様も厳しい生活に追い込まれていると思います。

 アーティストだけでなく、何ともお困りなのは、裏方さんと言われる大道具、小道具、音声、照明さんらのスタッフだと思います。

 政府の対応の遅さには、虚脱感を味わいますが、何とかこの難局を乗り切ってもらいたいものです。明けない夜はない、ということで。

【追記】

 ウクレレ・トリオ「まかまか」の「ホテルカリフォルニア」の楽譜がPDFなので、ブログに貼れない、と書いたところ、宮さんが、わざわざPDFをJPGファイルに変換して送ってくださいました。これなら画像と同じですので、ブログにアップできました。