二重橋、伏見櫓…江戸城跡めぐり

 中公ムック「歴史と人物」創刊記念プレゼントに応募したところ、上の写真の通り、「オリジナルA4クリアファイル」が当選しました。

 今年1月末締め切りだったので、すっかり忘れていました(笑)。買った雑誌を見返したら、クリアファイルは、「W賞」で当選者は300人でした。本当は「B賞」の「トートバックと中公新書5冊」狙いでしたが、それでも、「W賞」に当たったのですから、凄い。良しとしなければなりませんね。ついている!

 まあ、原価10円か20円ぐらいのファイルに見えましたが(失礼!)、会社の後輩から「メルカリで売れば、500円でも売れるんじゃないですか」と言うのです。そっかー。でも私は、メルカリなんかやってないし、あまり、好きではないので、このクリアファイルは、その後輩にあげてしまいました。彼から、テレビで放送された「大戦国史」をDVDに録画したものをもらってしまいましたから、その御礼です(笑)。

二重橋

 さて、昨日の昼休みは、またまた江戸城にまで足を延ばし、いわゆる一つの「二重橋」まで行って来ました。1時間の昼休みではそこまでが限度でした。

 何と言っても江戸城は広い!細かく史跡を全てを隅々回れば数日掛かるでしょう。

 今は皇居ですから、普段は「宮殿」にまで一般人は入れませんが、個人的には2017年18年に、元ナロードニキで今や優しい右翼の友人栗林氏と一緒に2年連続、お正月の「一般参賀」に参列し、禁断の皇居内に入ったことがあります。

 2018年は、平成最後ということで、参列した日は、最多の12万6720人が参賀したということでしたから、人、人、そのまた人で身動きが取れない状態でした。(1時間半ほど並びましたが、勿論、無料です)

 でも、昨日はコロナ禍で緊急事態宣言が発令され、平日の昼間ということもあり、皇居外苑は人が少なく、ガラガラでした。

 いやはや、目的は皇居参賀ではなく、江戸城址巡りでした。

 看板には「江戸城は長禄元年(1457年)に太田道灌が創築し。天正18年(1590年)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。…」とあっさりした書き方ですが、本当は凄い所なんですけどね(だから、特別史跡か!)。

 上の写真は、伊達政宗の仙台藩上屋敷にほど近いところにある日比谷濠の石垣です。まだ素人なので間違っているかもしれませんが、この石垣は「打込接の亀甲積」に見えます。この辺りに、今は、皇居外苑管理事務所が建っていますが、江戸時代は陸奥泉藩(福島県いわき市)の上屋敷でした。

 何で分かるかと言うと、「大江戸今昔めぐり」というアプリがあるからです。これは、現代地図と古地図を一瞬にして転換できる優れものです。このアプリは、渓流斎ブログのサイトの立ち上げやサーバーなどでお世話になっている松長哲聖氏から紹介されたもので、彼も寺社仏閣に関して協力しているようです。「七福神めぐり」や「江戸歌舞伎ゆかりの地めぐり」などもあり、結構楽しく遊べる(?)アプリです。

 この二重橋は、普段は入れませんが、「一般参賀」の時に渡ることができます。

 向こうに見えるのが伏見櫓です。

 詳しくは上の説明文をお読みください。

 現在、皇居の宮殿がある所は、先ほどの「大江戸今昔めぐり」によると、「西御丸」「西御丸大奥」だったんですね。

 私も以前、何度か訪れている本丸と天守台、二の丸、三の丸などがある江戸城址は、現在、「皇居東御苑」として整備され一般公開されています。(目下、コロナ禍で休園中のようですが)

 ちなみに、天皇陛下がお住まいになる吹上御所がある所は、江戸城時代は(変な表現)、「吹上御庭」と呼ばれ、馬場や梅林や森林もあったようです。普段は一般人は誰も入れませんから、そこは、今でも、古代中世・近世から手つかずの自然が残っているそうです。

 私自身は、二重橋よりも、手前の石垣の方に興味があります(笑)。

 上部は、打込積の亀甲積に見えますが、下の方は布積というんでしょうか?お濠には忍者が潜伏していたのかしら?石垣は、関東大震災でも崩れなかったんでしょうか?

 いやはや、まだまだ勉強が足りません。