人生初の新年一般参賀~千鳥ヶ淵戦没者墓苑~靖国神社~神保町~お茶の水

新年一般参賀

昨日の1月2日、これまで、まあ長いこと生きてきましたが、生まれて初めて、新年一般参賀に皆様を代表して行って参りました。

天皇皇后両陛下を始め、皇族方が宮殿バルコニーで1日5回、新年のご挨拶をしてくださります。

私は右翼ではないので、つい、2、3年前でしたら、新年参賀に行ってみようなどという気は起きなかったのですが、自分にとっては想像もつかなかったある苛酷な体験を一昨年したため、昨年、神社で厄祓いをしてもらったりすると、神社そのものに深い関心を持つようになったわけです。

遡って、「古事記」「日本書紀」なども読むようになり、自然に、人類史的にも、世界史的にも稀な皇族についても興味を持つようになりました。

特に、昨今では今上陛下が、退位の意向を示されたこともあり、今年は是非とも、参加してみたかったのです。

新年一般参賀

大変な人出が予想されていましたから、一人で行って長い時間を持て余すのは何なんですから、大手メディア粉砕を信条とし、戦後レジームからの脱却を目指すK氏なら必ず参加することだろうと考えてお誘いして、「同行二人」で参加しました。K氏は右翼かと思ったら、元ナロードニキだったそうなので、こちらも吃驚してしまいましたが…。

皇族方は、1日5回もバルコニーにお立ちになりますが、私たちは、最終の14時20分の回を目指しました。

「入場するのに1時間は掛かる」という事前情報を仕入れていたので、東京駅に午後1時に待ち合わせをし、その足で、二重橋方面に行くと、既に、雲霞の如き群衆が皇居方面に向かって長蛇の列をつくっていました。

4回目の13時30分の回の直前に皇居バルコニー手前に到着しましたが、そこで、列が止まって並ばされて、最終回に臨んだので、比較的、特等席とも言える前から15番目くらいのいい位置を確保することができました。

昨日は、宮内庁の発表では、平成に入って2番目に多い9万6700人が足を運んだらしいので、1回につき、1万9000人ぐらい参加したと思われます。

外国人もかなり多く、皆んな何の目的で参加したのか分かりませんが、整然と礼儀正しい人もいましたが、列を乱して割り込んだり、人にぶつかっても平然として押しのけて前に進もうとする連中もおりました。まあ、世の中そんなもんでしょう。

私は単純な人間ですから、陛下の新年の挨拶を聴いて、感動してしまいました。

左横にいた、並んでいる最中にいつまでも止まらずに大声で喚いていた髭を伸ばした無神経そうな50ぐらいのおじさんは、想定した通り、陛下らが14時20分ちょうどにバルコニーに登場されると、「天皇陛下万歳!スメラミコトイヤサカ」と何度も何度も叫んでおりました。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑

この後、K氏の希望もあり、乾門を抜けて、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にお参りしました。ここは、戦場で倒れた無名兵士らのお骨が納められたまさしく本当の墓地なのですが、知っている日本国民はほんの僅かで、残念なことにいつも閑散としております。

私たちは献花して、不本意にも亡くなった多くの兵士の冥福を祈りました。K氏は事前に、私の分も含めて2個の大福を買ってきて、一瞬だけお供えしました。

K氏は、今まで、ワンカップ酒を持ってきてお参りしていたのですが、ある本で、戦場で亡くなる兵士のほとんどが、死ぬ前に「酒を飲みたい」といった兵士は少なく、むしろ、「大福を食べたい」と言って亡くなった兵士が多かったという話を読み、それ以降、お参りする際には、大福を持ってくるようにしたというのです。

2・26事件で戒厳司令部となった軍人会館(現九段会館)

この後、また、K氏の希望で、靖国神社に行きました。そしたら、驚くべきことに、ここでも、またまた長蛇の列。本殿にお参りするのにまた1時間は軽く掛かると思われたので、参拝は諦めて、無料休憩室でお茶を頂いて、少し休息しました。

その足で、神保町まで歩き、三が日でも空いている安いイタリア料理のファミレス「サイゼリヤ」でしこたま安いワインを飲み、この後、お茶の水の山の上ホテルのカウンターバー「ノンノン」でドライマティーニまで呑んだところ、前後不覚となり、どうやって家に帰り着いたのか、分からず、気がついたら自宅で寝ておりました(笑)。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

旧《溪流斎日乗》 depuis 2005 をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む