「新説 戦乱の日本史」(SB新書)が当たった!=月刊誌「歴史人」読者プレゼントに3度目の当選

 またまた月刊誌「歴史人」(ABCアーク)の読者プレゼントに当選してしまいました。

 これで何と3度目です。この雑誌は、あまりにも面白くてためになるので、ここ1~2年、毎月購入していますが、何か申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 今回当たったのは、嬉しくも本です。「新説 戦乱の日本史」(SB新書)という本です。倉本一宏、亀田俊和、千田嘉博、 川戸貴史の各氏ら古代史から近現代史までのその筋の権威が書いているので、面白くないわけがありません。

 取り上げられている「戦乱」は、乙巳の変から関ケ原の戦い、アジア・太平洋戦争まで15件。「新説」ですから、例えば、 乙巳の変は、「蘇我氏内部の抗争も関わったクーデターだった」とするなどこれまでの常識を半ば覆すような説が展開されているようなので、今から読むのが楽しみです。

和田アキ子さんの店、築地「わだ家」

 これで終わってしまうと、あっさりしてしまうので、また銀座ランチ、いや築地ランチです。 

 昨日は、久しぶりに歌手 和田アキ子さんの店、築地「わだ家」に行って来ました。前回行った時は、それほど混んでいなかったのですが、今回は、コロナ感染者の減少のせいか、ほぼ満員で、少し待たされました。

築地「わだ家」 豚丼定食880円

 注文したのは、豚丼定食。これだけ揃って880円とは超お得。

 でも、これまで北海道の帯広で元祖の本場もんを食べて来たので、申し訳ないですが、軍配は帯広の勝ち。こちらは、ちょっとご飯が少なめで、豚が多過ぎ。別に温泉卵もいらないんですけど…。

 こんなことを書くと、アッ子さんから怒られるので、本場帯広の豚丼の味を知っている私が悪いのです、と付記しておきます。

 

デジタル監視社会で窒息しそうだ=生かさぬように殺さぬように

 実に頭が痛い話です。

 サラリーマンには、年末に保険控除や家族・配偶者手当などを申請する「年末調整」というものがあります。それは、2枚ぐらいの紙で、既に色々と書かれている用紙に自分の名前や保険の種類などを書いて、領収書を添付すればそれで終わっていたのですが、今年から急に、何と、オンラインで一(いち)から申請せよ、との通達が舞い込んできたのです。

 会社のLANの通達文書には、そのマニュアルが50ページ近く添付されていて、若い人ならスラスラできるでしょうが、「えー、こんなもん出来るかあー」と叫びたくなりました。

 でも、よく考えてみると、年間給与、つまり年収を記入したり、家族構成を記入したりするわけですから、システム会社に情報が筒抜けです。

 これには怪しい伏線がありました。これまで、社内LANなり、社内メールなり、会社のシステム局が外部と委託したりして一応自前でやっておりました。それが、今年4月から急に、社内LANもメールも、それら全体を統括するシステムを米マイクロソフトに丸投げしてしまったのです。社員に対して経緯の説明は一切ないので詳細は分かりません。ただ、「システムを切り替えかえたので、新しい、ソフトにメールアドレスを移行してください」などといった指導があっただけでした。

 その裏に隠された重要性に気付いた社員はほとんどいませんでした。

 今読んでいる本は、実に憂鬱な話ばかりです。読んでいて嫌になります。

 堤未果著「デジタル・ファシズム」(NHK出版新書)です。いわゆるGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)や中国のアリババやテンセントなどネット界の巨人によって、個人情報が思う存分に吸い取られて搾取される実態が赤裸々に描かれています。心ある人なら、必ず読むべきです。

 著者の堤氏に言わせれば、彼らのビジネスモデルは、インターネットという無法地帯の仮想空間で、人間の行動を監視し、収集し、データを変換して、加工した「未来の行動予測」を商品として市場で売ることで、国家をはるかに超える巨大権力を手にしている、というものです。

 この本では、その具体例がボカスカと列挙されています。日本の例については、回を改めていつか書いてみたと思いますが、本日は、外資に食われたフィリピンの例です。同国内の電力事業は2社の国営企業が完全に独占し、利益拡大のための経費削減と、競争の欠如からくる手抜き仕事でサービスは極めて劣悪だったいいます。そこで、ドゥテルテ大統領が奮起して、民間の電力会社を参入させ、お蔭でサービスが劇的に改善します。しかし、そこには落とし穴があって、その民間企業に「国家電網公司」という中国企業の資本が入っており、そのうち、この中国企業が電力会社の株を買い占め、幹部をフィリピン人から中国人に替え、同時に扱う部品も中国製を増やしていきます。そして、気が付いたら、フィリピンの送電網を動かすサーバー設備が中国の南京市に移されていたというのです。

 となると、どうなるのか。もはや何があってもフィリピンは中国に逆らえないことになることは誰でも想像できます。(堤氏は書いていませんが、ドゥテルテ大統領の祖父は中国出身の華僑ということで、もともと中国寄りの人物と言われていますから、こうなることは予想していたのではないかと思われます)

 ◇トロント市はITガリバーを追い出す

 その全く逆に、ネットのガリバー企業を追い出した市の例も出てきます。グルメ王の辻下氏もお住まいのカナダのトロント市です。同市は2017年、グーグル系列のIT企業にデジタル都市建設を発注します。当初は「夢の未来都市」「住民目線のニーズに応えた新しいライフスタイル」といった甘い言葉に魅惑されていた市民も、次第にその「負」の部分に気付き始めます。市内中にセンサーが張り巡らされ、住民の行動を逐一、スマホから追跡し、収集した膨大なデータは「参考資料」としてグーグルの姉妹会社に送られる…ある市民が何月何日何時何分にどんなゴミを捨て、誰と会って、どこで何を食べ、飲んだか、そういった情報まで調べられていたというのです。

 これには市民たちの不満は日増しに募り、猛反発の運動が起こり、2020年5月、ついにグーグルの系列会社はトロント市からの撤退と計画中止に追い込まれたというのです。

 まさにデジタル監視社会の最たるものです。こんな社会では、窒素しそうで、生きている心地すらしません。

 そんな恐ろしい監視社会が日本でも進行中です。しかも、デジタル庁なぞは名ばかりで、米国のGAFAにほぼ丸投げ状態だというのに、優しい、政治に無頓着な日本人たちの個人情報はダダ洩れで、悪魔たちに付け入る隙ばかり与えております。

 庶民ができるささやかな抵抗は、せめて、グーグルで検索せず、Gメールは使わず、iPhoneもやめ、勿論、フェイスブックも辞め、アマゾンで買い物はしないことです。でも、禁断の蜜の味を知った日本人にそんなことできますか?

  私は、手始めにスマホの「位置情報」を切断することにしました。便利さの代償があまりにも大きいことをこの本で気付かされたからです。

凄過ぎるベルーナ

会津 裏磐梯・曽原湖

この渓流斎ブログは、4年以上前の2017年2月23日に書いた「凄過ぎる滋慶学園」という記事がどういうわけか、いまだに多くの方に読まれて、ベストセラー(笑)になっております。

 ということで、本日は、柳の下の二匹目のドジョウを狙って、タイトルを「凄過ぎるベルーナ」とすることに致します。

 ベルーナとは有名な通販の大手らしいのですが、私自身は全く知りませんでした。それが、先日、会津の裏磐梯に旅行した際に大変お世話になった北原安奈さんが働いているホテルの親会社だということを小耳にはさんで、俄然興味を持ってしまったのです。

 何で、通販がホテル経営を?

 安奈さんは、私が操觚者なので、色々と書かれてしまうと困るので、ベルーナのことについては口を閉ざし、見事「忠君愛社」ぶりを発揮していたことをベルーナの社長さんにはお伝えしておきます(笑)。でも、21世紀の今は、実に簡単に、新聞やネットなどで公開されたオープンソースで大体のことが分かってしまうんですよね。

 ベルーナとは、1968年、埼玉県上尾市に印鑑の訪問販売「友華堂」として創業したのが始まりだったのです。創業者は1944年生まれの安野清氏。同氏は、衣料品をカタログ雑誌で通信販売を始めてから、今では化粧品、日本酒、ワイン、家具等も含めた「衣食住」のネット通販、看護師人材紹介、会員向けファイナンス、不動産、ホテル事業にまで拡大し、一大グループ企業を一代で築き上げて立身出世を遂げた人物だったのです。

 大変失礼ながら、私はベルーナも安野社長のことも知りませんでしが、写真で見ると、いかにもやり手のたたき上げといった感じです。グローバル企業に成長しながら、本社をいまだに出身地である埼玉県上尾市に置いているということはよほど地元愛が強い方なのでしょう。印鑑の訪問販売から起業したということは、相当な苦労と辛酸を舐めて、ここまで這い上がって来たのではないかと想像します。

会津 裏磐梯・五色沼の弁天沼

 ホテル業は、ベルーナの子会社のグランベルホテルが運営していますが、裏磐梯のほかに、札幌、軽井沢、大阪、京都、東京の新宿、赤坂、渋谷と幅広く展開しているようです。

 過去記事の中には、2015年3月10日付の日経で、「通販大手のベルーナが国内外でホテル事業に本格参入。福島県の高級リゾートホテルを買収し、10月に新装開業する」といった記事が見られます。これが、私も泊まった「裏磐梯レイクリゾート」のことで、その前はあの有名な星野リゾートが所有していたことが書かれています。ホテル業界というのは、結構、M&A(合併・買収)が激しい業界だったんですね。

 この記事では「スリランカでは同国政府と合弁会社を設立し、高級ホテルを建設する」とありましたが、その後、どうなっているのか不明です。ベルーナの公式HPにはスリランカのホテルが出て来ないので(多分)、ペンディングになっているのかもしれません。(モルディブではホテルを開業したようです)

 いずれにせよ同HPの安野清社長のメッセージとして、「中長期の方針は『売上高3000億円、営業利益300億円を通過点に通信販売総合商社の熟成を目指す』としております。」と高らかに宣言されております。コロナ禍の痛手を受けて、この目標はまだ達成できていないようですが、いずれ実現するのではないかと思います。

 特に、安野社長は「中学卒業後、国立埼玉総合訓練所を卒業」ということですから大学は出ていないと思われます。勉強もしないで下手に大学に行ったり、学歴ロンダリングで海外留学なんかしてもしょうがないということですよ。商才や経営手腕や購買層の動向などを見抜く先見の明などは本を読んで身に着くようなものではありませんからね。

 安野社長は、23歳で印鑑販売で起業し、それからここまで大企業に育てたわけですから、お会いしたことはありませんが、松下幸之助や本田宗一郎のような立志伝中の人物ではないかと私なんか睨んでいます。特に、国税庁のように決算を監査したり、従業員の声を聞いたわけではありませんが、とてつもない方のように思われます。

 とにかく、滋慶学園も凄いですけど、ベルーナも凄過ぎます。

【追記】

 本日11月10日(水)毎日新聞(東京発行、13版)15面で、何とベルーナが全面広告(酒の通販)を打っておりました。何というコインシデンス(偶然の一致)!

会津漆塗りの盃と小鹿田焼の五寸皿

 最近、どうも「ぐい呑み」づいております。

 このブログの10月30日付「備前焼のぐい吞みをゲット=友人Y君から」に書いた通り、備前岡山出身の友人から備前焼のぐい呑みを頂いたことを書きました。

茂徳作・会津漆器盃

 今度は、先日、会津の裏磐梯に行った際、お出迎えして頂いた安奈さんから、この会津漆塗りの盃を記念に戴いてしまいました。

 ロバート・キャパにならって、写真は「ちょっとピンボケ」ですが、名工・茂徳作の高級品です。箱入りです(笑)。「ガラス工芸のうるし塗り」という説明書の最初に、「会津漆器の生産は天正18年(1590年)、時の藩主・蒲生氏郷公が基礎を築かれ、云々」と書かれております。

 出ました。蒲生氏郷ですよ。このブログの今年3月21日付「商業発展に注力した戦国武将・蒲生氏郷=近江商人や伊勢商人までも」に書いた通り、戦国時代の武将蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556~95年)は、「日本商業の父」とも言うべき大名で、今でも連綿と続く近江商人や伊勢商人を育成し(伊藤忠、武田薬品、三井財閥、イオンなど)、会津に移封されると地元の殖産興業の一つとして、漆塗り器の生産などを奨励します。

 400年以上経っても、蒲生氏郷の遺産が残っているわけです。

小鹿田焼(飛び鉋の五寸皿)いい景色です

 話は代わって、このブログの10月31日付「民藝運動に対する疑念を晴らしてくれるか?=小鹿田焼が欲しくなり」に書いた通り、小鹿田焼(おんたやき、と読みます)の「飛び鉋」(とびかんな)の五寸皿を通販で購入したことを書きましたが、割と早く、昨日届きました。

どうです? 実に見事な景色じゃあーりませんか。普通のおかずにも、フルーツ盛りにも、何でも使えそうではありませんか。鉋模様は、職人さんの手彫りですから手間暇が掛かっています。二度と同じ文様の作品は作れないそうです。

会津裏磐梯で買ってきた赤べこと小鹿田焼(飛び鉋の五寸皿)

 やっぱり、渋いですね。歳を取るのもいいもんです。渋さの味わいが分かるようになるからです。

 恐らく柳宗悦の民藝を知らなければ、この小鹿田焼も知らなかったと思います。

 小鹿田焼は江戸中期の宝永2年(1705年)、今の大分県日田に福岡県の小石原焼の技法が伝わったのが始まりだと言われています。その後、衰退しかけていたのですが、大正時代に柳宗悦らの民藝運動で「再発見」され、現在でも根強いファンが多いと言われています。

 ええんでなえかえ(北海道弁)

「わたし、船長さんになる!」そして…=裏磐梯一人旅

 御縁がありまして、週末に一人旅に行って来ました。

 御縁というのは、小学校時代からの古い古い友人の御嬢さんが、ちょっと事情があって、今年4月から福島県の裏磐梯のホテルに単身赴任されているということで、さぞかし、一人寂しく、毎晩枕を濡らしているのではないかと心配し、応援に行ってみたのでした。

東京・鍛冶橋~会津の長距離バス 行きも帰りも大渋滞で行き6時間、帰り6時間半掛かってしまいました

 ところが、おっとこどっこい。豈はからん哉でした。

 裏磐梯は、御嬢さん(北原安奈さんと言うので、これから安奈さん)が父親の仕事の関係で幼稚園から小学校低学年まで過ごした「第二の故郷」みたいな所で、私が泊まりに行った日に、ホテルの仕事をわざわざ休んで夕飯に付き合って頂いたのですが、いきなり、「私、Uターン族としてここに永住しようかと思っています」と言うので腰を抜かすほど驚いてしまいました。

 家族のプライバシーではありますが、首都圏にいる高校生の娘さん一人を置いて(面倒は母、つまり私の友人がみているわけです)での大決断だったでしょうが、随分あっさりしていたので驚いてしまったのです。

 「まあ、近いのでちょくちょく帰れますし、気が変わるかもしれませんけど」

 そうなんです。安奈さんは、猪年生まれのせいか、「猪突猛進」型で、東京の大学を卒業してから何度仕事が変わったことか。私も彼女が働く銀座のチョコレート屋さんや、高田馬場のバーに顔を出したこともあります(笑)。趣味も幅広く、またまた彼女のプライバシーを暴いてしまいますが、今よりもっと若い頃、サッカーやラグビー選手に熱をあげて、全国、試合を追っかけ回したこともあったとか。

裏磐梯レイクリゾートホテル スタッフ120人、最大872人の賓客を収容出来る大型の高級ホテルで総工費は目の玉が飛び出るほどです。オーナーは何代か代わり、現在は大手通販会社ベルーナの子会社グランベルホテルが経営。

 でも、今回はかなり本気モードのようで、裏磐梯に赴任する前に、今まで取っていなかった運転免許証を取るために、わざわざ佐賀県にまで行って合宿して取得し、今年6月には「一級小型船舶操縦免許」まで取得したというのです。

裏磐梯・檜原湖 15時間45分発の観光船に乗船

 この小型船舶の免許は、ホテルが運営する観光船の船長さんが営業が終わると湖の沖合に船を停泊させるので、船長さんが岸に戻って来られるように小型船で送り迎えするために必要だというのです。

 「へー凄いなあ」と思ったら、安奈さんは「将来、大型船の免許も取って、船長さんになりたーあい」とまで言うのです。まあ、NHK朝の連続テレビ小説の主人公にでもなりそうな破天荒な女性です(笑)。

裏磐梯・檜原湖

 安奈さんは、小学校から中学、高校まで、もう少し都会の福島県会津若松市で育ちましたが、裏磐梯の方が気に入っているのは、何と言ってもスキーが出来るからだといいます。

 目の前の会津磐梯山は、恰好のスキー場で、安奈さんは幼稚園の頃からここで滑り、中学、高校とスキー部で鳴らしたようです。

 「私、寒いのも大好きです」と言うぐらいですから、彼女にとって、裏磐梯は天国みたいな所かもしれません。

裏磐梯・檜原湖 磐梯山

 この裏磐梯に来て初めて知ったのですが、上の写真の磐梯山は、明治21年(1888年)7月15日に大噴火して、この檜原湖は、噴火によって地盤沈下と河川の氾濫などで出来た湖だというのです。

 死者477人という記録が残っていますが、この檜原湖の下には多くの集落があり、そのまま埋没してしまったという悲しい過去の歴史があったわけです。

 明治21年と言えば、つい最近のことではありませんか!近代メディアも発達したばかりで、地元福島新聞をはじめ、東京日日新聞、朝野新聞、時事新報、報知新聞、東京朝日新聞なども特派員を派遣して大きく報道しました。当時はよほどインパクトがあった事案だったのか、この年の10月には早くも五代目尾上菊五郎によって「是万代話柄 音聞浅間写画(これはばんだいのはなしぐさ おとにきくあさまのうつしえ)」(万代は磐梯にかけ、浅間山の噴火とした)の演目で歌舞伎が演じられたといいます。

裏磐梯・曽原湖

 観光船から降りると、安奈さんは、若葉マークの付いた自慢の愛車ジムニーで、彼女のお気に入りスポットである曽原湖に連れて行ってくれました。檜原湖から車でわずか数分ほどですが。

 湖面に映る対象的な風景は、もし私に絵心があれば描きたくなるような景色でした。

 私は普段は都会で、高層ビルに囲まれて、活字ばかり追っている生活ですから、さすがに目と心が洗われます。

裏磐梯・曽原湖

 裏磐梯と言われるところは、正式に福島県北塩原村と言って、この村のHPを見ると、この村の人口は今年10月1日現在2618人。観光産業に従事している方が多いとみられます。

 磐梯山という火山は、噴火で大惨事を招く一方、逆にそのお蔭で、豊かな温泉が湧き出るという立地が出来たことになります。バブルの頃は、かなり多くの別荘やペンションがあったのですが、当時と比べると今はかなり寂れてしまったそうです。

 安奈さんは、いつか、将来、恩返しの意味も込めて、この村のために尽くしてみたいと夢を語ってくれました。「全身全霊」「粉骨砕身」などという言葉が出るくらいですから、かなり本気のようです。

 今から17年後の2038年は、磐梯山大噴火から節目の150年を迎えます。美人で社交的でお友達も多い安奈さんのことですから、それまでに着々と準備をしているようです。

 17年後ですかぁ…私はそれまで生きているかどうか分かりませんが、その雄姿を見てみたいなあと思っています。

裏磐梯・五色沼自然探勝路

 ホテルの夕食は豪華な和食のフルコースで、地酒の利き酒セットをお代わりまでしていい気分になりました。彼女は車ですから、ノンアルコールビールで嫌々付き合ってもらいましたが、色々な話が聞けてよかったでした。

 翌朝も、大浴場で温泉を堪能した後、向かったのは、ホテルの近くにある「五色沼」です。大小30ほどあり、エメラルドグリーン、ターコイズブルーなど様々な色彩を持つ湖沼の総称で、村の重要な観光資源 tourist attractionになっています。2016年にミシュラン・グリーンガイド一つ星に認定されています。

約4キロの「五色沼自然探勝路」が整備されていて、往復約2時間40分掛かるということで、帰りのバスのことなどもあり、私は半分ぐらい行って引き返すことにしました。

裏磐梯・五色沼の柳沼

 最初、レンタル自転車でも借りて行こうかなあ、と思ったのですが、トレッキングコースは車両禁止でした。何でかなあ、と思って行ってみたら、かなり岩がゴツゴツした歩きにくいでこぼこ道で、これでは自転車走行も難しいと分かったわけです。

 写真では再現できませんが、この柳沼の実物は実に素晴らしい。

 この五色沼周辺を始め、磐梯山の大噴火で荒廃してしまった裏磐梯に私財を投じて植林した地元の偉人に遠藤現夢(十次郎、1863~1935年)という人がいることをここで初めて知りました。柳沼の近くに「遠藤現夢翁の碑」があります。

裏磐梯・五色沼の青沼

 この青沼は、その名前の通り、エメラルドグリーンというか、ターコイズブルーというのか、実に幻想的な色彩で、見ていて飽きませんでした。

 北海道の沼を思い出しましたが、本州にもこのような幻想的な沼があるとは思いませんでした。

裏磐梯・五色沼の瑠璃沼

 この瑠璃沼の写真は、逆光でよく分かりませんが、その名前からして、瑠璃色の沼のようです。沼といっても、小さな湖ですね。

裏磐梯・五色沼の弁天沼

 この弁天沼は、結局、今回は行かなかった「五色沼」最大の毘沙門沼に次ぎ、湖沼群の中で2番目に広い沼です。

 写真には写っていませんが、コロナ感染者の減少のせいか、結構、観光客でいっぱいで、狭い道をすれ違うのもやっとの所もありました。

 以上 安奈さん、そして仲介してくださった吟さんには大変お世話になりました。

 【追記】

 帰りのバスも、事故で大渋滞でストレスが溜まりました。そんな狭いバスの中で、後ろの心ない40代ぐらいのキツネ目の眼鏡をかけた女の客が傍若無人にもスマホでユーチューブをイヤホンもせずに、ボリュームを上げて見ているので、イライラしてしまいました。

 途中、羽生SAで休憩した際、運転手さんに、「私が直接注意すれば喧嘩になるので、後で運転手さんからマイク放送で注意してもらえませんか」とお願いしたら、再出発した際、運転手さんは「今、会社からの情報ですが、お客さんの中に、ヘッドホンをせずに音楽などを聴いていらっしゃる方もいますが、周りの方にも迷惑になるので、是非ともヘッドホンをお付けになってお聴きください」と放送してくれたのです。そしたら、ピタリと止みました。

 私が言ったことを「会社からの情報」とは、オツなことを言うものです。気分爽快で、下車の際に、何度も運転手さんに御礼を言いました。

 それにしても、傍若無人で、自己中心的で身勝手な人間が最近増えたと思いませんか?

かなりお得だった東京・新橋の「香川・愛媛せとうち旬彩館」

 訳あって、東京・銀座周辺に進出している全国各県の「物産館」巡りをしています。そこに食堂や喫茶店が付設していれば、その県の名産品を食すという遊びも昼休みにやっております。

 これまで、銀座方面は大体回ったので、今は新橋方面に足を延ばしています。

 本日行ったのは、「香川・愛媛せとうち旬彩館」です。この近くに「とっとり・おかやま新橋館」があります。歴史的に鳥取と岡山は同じ池田藩つながりがあるので、両県が共同参画するのはよく分かりますが、香川と愛媛となると、四国の瀬戸内海寄りという共通点はありますが、かつての讃岐、伊予藩で、縁戚関係はなかったと思います。そして、讃岐=うどん、伊予=蜜柑と名産品も違います。

 何ででしょうか?

東京・新橋「香川・愛媛せとうち旬彩館」伊予定食1300円⇒ランチで1100円

 ま、堅いこと言わずに2階の食堂に出かけてみたら、他の県の物産館と比べて、かなり「サービス」が行き届いておりました。週の日替わりで、ランチ定食が普段の100円~200円安になっていたのです。しかも、会計を済ませた後、年内で使える「100円割引券」まで貰ってしまいました。

 これは、2階の食堂でも、1階の物産店でもいずれでも使えるそうです。

東京・新橋「香川・愛媛せとうち旬彩館」にて

 2階食堂の窓側の席に座って食事していたら、「北海道根室市館」が目の前に見えました。県が東京に物産館を建てるのは大変だというのに、市が建ててしまうというのですから、凄いですね。でも、そう言えば、有楽町駅前の東京交通会館には、北海道や富山、秋田、兵庫など10軒以上の県の物産館がありますが、この中で、北海道の美瑛町が「丘のまち美瑛」の名前で頑張っていました。

 今、東京交通会館のホームページを見てみたら、中に「徳島・香川トモニ市場」の物産店がありました。香川県は、愛媛県にくっついてみたり、徳島県にくっついたりして忙しかったんですね(笑)。

 根室市館には「根室食堂」もあるみたいなので、今度ランチに行ってみましょうか。

新橋「玉木屋」創業1782年 老舗の佃煮屋さんです

 あ、そう言えば、今、思い出したのですが、私が赴任したことがある北海道十勝地方の池田町が東京駅近くに店を出していて、何度か行ったことがありました。「レストラン十勝 日本橋店」という店です。勿論、池田町の売り物の「十勝ワイン」が置いてあります。ステーキなんかも美味しかったでした。

 もう一軒。銀座の串焼き・もつ焼き店「ささもと」では、「葡萄割り」という強烈なお酒がありました。これは、キンミヤ焼酎を十勝ワインで割ったものです。かなり強いお酒なので、店主は3杯までしか注文を受け付けていませんでした。コロナ禍で最近ずっと行っていなかったので、ここもまた久しぶりに行きたくなりました(笑)。

 十勝ワインで有名な池田町は、ドリームズ・カム・トゥルーのボーカル吉田美和さんの出身地としても知られています。

 

教養を磨く古典に挑戦しましょう=出口治明著「還暦からの底力」

 出口治明著「還暦からの底力―歴史・人・旅に学ぶ生き方 (講談社現代新書、2020年5月20日初版)を読了しました。

 1948年生まれの著者は、60歳でライフネット生命保険を創業して名を成し、70歳で別府市の立命館アジア太平洋大学(APU)の学長に就任した人で、その間、「教養は児童書で学べ」「人類5000年史」など多数のビジネス書や歴史書を出版し、週刊誌にも何本か連載していた方で、「週5~6冊は読む」という読書量も半端ではない。「よくそんな時間があって過労で倒れないかなあ」と心配していたら、今年1月から入院されていて、現在でも病気療養中とのことで、一刻も早いご回復をお祈り申し上げる次第です。

 この本は、還暦を過ぎた高齢者向けだけはなく、別に若い人が読んでも十分に通用すると思います。定年後の生き方とか趣味などの指南書になっていないからです。誰でも「今」が一番若く、人生をいかに楽しく充実したものにするか、といった哲学書に近いかもしれません。

 ただ、著者の御意見に全面的に賛同することはできませんでした。それは、歴史観の違いかもしれません。歴史観と言っても、「歴史修正主義」とか、そんな大それた問題ではなく、例えば、「西郷隆盛は詩人で夢見る人で永久革命家」「大久保利通は私財を公に投入し、借財を残して死んだので敬愛する」といった著者の断定的な語り口には「そうかなあ」と度々、首を傾げてしまいました。好き嫌いの話になってしまうかもしれませんが、人間はもっと多面的で複雑だと思ったからです。(私自身が、大久保よりも西郷の生き方に惹かれてしまうせいかもしれませんが)

東京・銀座

 勿論、著者の思想を否定するわけではなく、かなりの部分で共鳴したことは付記しておきます。「子孫に財産を残さず、自分で稼いだお金は自分で使うこと」といった助言は御尤もです。特に、賛同したいのは「教養を磨くには古典を読むに限る」という著者の主張です。出口氏がその必読の古典として取り上げていたのが、以下の6冊です。(著者の名前や出版社、価格は勝手に付け加えました)

1,ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」(書籍工房早山、2200円)

2,イマニュエル・ウォーラーステイン「近代世界システム」1~4(名古屋大学出版会、各5280円)

3、アダム・スミス「国富論」(講談社学術文庫、上・下 計4730円)

4,アダム・スミス「道徳感情論」 (講談社学術文庫、2321円)

5,ジョン・ロック「統治二論」(岩波文庫、1650円)

6,チャールズ・ダーウィン「種の起源」(光文社古典新訳文庫、上・下 計1848円)

 いやあ、正直、皆さまとは違って、煩悩凡夫の私自身はこの中で一冊も読んでいませんでした。3~6の古典は著者と書名は知っていましたが、1は全く知らず、2は著者名だけは知っていました。何故、この6冊なのか? 

 日本人が入っておらず、1,2は米国人、3~6は英国人で少し偏っているも気もしますが、これからチャレンジしてみましょうか。

幸運にも多くの秘仏さまとお会いできました=「最澄と天台宗のすべて」

 東京・上野の東京国立博物館・平成館で開催中の「最澄と天台宗のすべて」に行って参りました。何しろ、「天台宗のすべて」ですからね。訳あって、会場を二巡してじっくりと拝観致しました。

 この展覧会は「事前予約制」で、私もネットで入場券を購入しました。一般2100円とちょっと高めでしたが、「伝教大師1200年大遠忌」ということで、大変素晴らしい企画展でした。

比叡山延暦寺 根本中堂内部(模擬)

 そんな素晴らしい展覧会なのに、読売新聞社主催ですから、読売を読んでいる方はその「存在」は分かっていたでしょうが、他の新聞を読んでいる方は知らなかったかもしれません。例えば、朝日新聞の美術展紹介欄には掲載していないほど意地悪の念の入れようですから、朝日の読者の中にはこの展覧会のことを知らない方もいるかもしれません。

 私は色々とアンテナを張ってますから大丈夫でした(笑)。先日このブログで御紹介した「歴史人」11月号「日本の仏像 基本のき」でもこの展覧会のことが紹介されていたので、しっかり予習して行きました。(展覧会では、最澄と徳一との「三一権実(さんいちごんじつ)論争」が出て来なかったので残念でした)

◇ 深大寺の国宝「釈迦如来倚像」と御対面

 大収穫だったのは、東京・深大寺所蔵の国宝「釈迦如来倚像」(7世紀後半の白鳳時代)を御拝顔できたことです。何と言っても「東日本最古の国宝仏」ですからね。いつか行くつもりでしたが、向こうから直々こちらにお会いに来てくださった感じです。倚像(いぞう)というのは椅子か何かにお座りになっている姿ですから、特に珍しいのです。日本では古代、その習慣がなかったので、坐像は多くても、倚像は廃れたという話です。

 深大寺には、もう半世紀も昔の高校生か大学生の頃に、何度か参拝に訪れたことがあるのですが、不勉強で、奈良時代の733年に創建され、平安時代の859年に天台宗別格本山となった寺院で、正式名称を「浮岳山 昌楽院 深大寺」だということまで知りませんでした。この寺には先程の国宝釈迦如来倚像のほかに、2メートル近い「慈恵大師(良源)坐像」があり、それも展示されていたので度肝を抜かれました。これは、日本最大の肖像彫刻で、江戸時代以来、205年ぶりの出開帳だというのです。まさに秘仏の中の秘仏です。「展覧会史上初出展」と主催者が胸を張るだけはあります。私もこんな奇跡に巡り合えたことを感謝したい気持ちになりました。

 秘仏と言えば、この「最澄と天台宗のすべて」展では他にも沢山の秘仏に接することができました。兵庫・能福寺蔵の重文「十一面観音菩薩立像」(平安時代、10世紀)、東京・寛永寺蔵の重文「薬師如来立像」(平安時代、9~10世紀)、滋賀・伊崎寺蔵の重文「不動明王坐像」(平安時代、10世紀)などです。

 この中で、私が何度も戻って来て、御拝顔奉ったのが、京都・真正極楽寺(真如堂)蔵の重文「阿弥陀如来立像」(平安時代、10世紀)でした。高僧・慈覚大師円仁の作と言われます。阿弥陀如来といえば、坐像が多いのですが、これは立像で、その立像の中では現存最古とされています。こんな穏やかな表情の阿弥陀さまは、私が今まで拝顔した阿弥陀如来像の中でも一番と言っていいぐらい落ち着いておられました。年に1日だけ開帳という秘仏で、しかも寺外初公開の仏像をこんなに間近に何度も御拝顔できるとは有頂天になってしまいました。(売っていた絵葉書の写真と実物とでは全くと言っていいくらい違うので、絵葉書は買いませんでした)

比叡山延暦寺 根本中堂内部(模擬)

 最澄(767~822年)は、平等思想を説いた「法華経」の教義を礎とする天台宗を開き、誰でも悟りを開くことができるという一乗思想を唱えましたが、比叡山に開いた延暦寺は仏教の総合大学と言ってもよく、後にここで学んだ法然は浄土宗、親鸞は浄土真宗(以上浄土教系)、栄西は臨済宗、道元は曹洞宗(以上禅宗)、日蓮は日蓮宗(法華経系)を開いたので、多彩な人材を輩出していると言えます。

 先程の阿弥陀如来立像を作成した円仁(山門派の祖)は、下野国(今の栃木県)の人で、「入唐求法巡礼行記」などの著書があり、唐の長安に留学し、師の最澄が果たせなかった密教を体得して天台密教(台密)を大成し、天台第三代座主にもなりました。一方、阿弥陀如来像を作成されたように、浄土教も広めた高僧でもあるので、天台宗というのは、懐が広い何でもありの寛容的な仏教のような気がしました。(その代わり、千日回峰があるように修行が一番厳しい宗派かもしれません)

 そもそも、天台宗そのものは、中国の南北朝から随にかけての高僧智顗(ちぎ)が大成した宗派ですから、中国仏教と言えます。もっとも、中国仏教はその後の廃仏毀釈で消滅に近い形で衰退してしまったので、辛うじて、日本が優等生として命脈を保ったと言えます。

 伝教大師最澄も、渡来人三津首(みつのおびと)氏の出身で出家前の幼名は広野と言いましたから、日本の仏教は今の日本人が大好きな言葉であるダイバーシティに富んでいるとも言えます。

上野でランチをしようとしたら、目当ての店は午後1時を過ぎたというのにどこも満員で行列。そこで、西川口まで行き、駅近の中国料理「天下鮮」へ。西川口は今や、神戸や横浜を越える中華街と言われ、それを確かめに行きました。

 最初に「訳あって、会場を二巡した」と書いたのは、会場の案内人の勝手な判断によって「第2会場」から先に見させられたためでした。第2会場を入ると、最澄の「さ」の字も出て来ず、いきなり「比叡山焼き討ち」辺りから始まったので、最初から推理小説の「犯人」を教えられた感じでした。時系列の意味で歴史の流れが分からなくなってしまったので、「第1会場」を見た後、もう一度「第2会場」を閲覧したのでした。

 そのお蔭で、円仁作の「阿弥陀如来立像」を再度、御拝顔することができたわけです。

JR西川口駅近の中国料理「天下鮮」の定番の蘭州ラーメン880円。やはり、本場の味でした。お客さんも中国人ばかりで、中国語が飛び交い、ここが日本だとはとても思えませんでした。西川口にはかたまってはいませんが、50軒ぐらいの「本場」の中華料理店があるといいます。その理由は、書くスペースがなくなりました。残念

 なお、私がさんざん書いた円仁作の阿弥陀如来立像は11月3日で展示期間が終了してしまったようです。となると、是非とも、京都・真正極楽寺(真如堂)まで足をお運びください。ただし、秘仏ですので、年に1度の公開日をお確かめになってくださいね。

 あ、その前に、この展覧会は来年5月22日まで、福岡と京都を巡回するので、そこで「追っかけ」でお会いできるかもしれません。

 円仁作の阿弥陀如来立像は、一生に一度は御対面する価値があります、と私は断言させて頂きます。

4人が影響受けたワールド・ミュージック=北中正和著「ビートルズ」

 私は自他ともに認めるビートルズ・フリークなので、「ビートルズに関して知らないことはない」とまで自負しておりましたが、最近話題の北中正和著「ビートルズ」(新潮新書、2021年9月20日初版)を読んで、そのあまりにものマニアックぶりには脱帽してしまいました。

 著者の北中氏は、著名な音楽評論家で、御本人はこういう言い方されると困るかもしれませんが「ワールド・ミュージックの大家」です。実は、この大家さんとは、個人的によく知っている方で、取材でお世話になったり、酒席で何度も同席させて頂いたりしております。ですから、北中氏というより、普段通り、北中さんと呼ばさせて頂きます。

 著者を知っていると、この本を読むと、北中さんの声や身振りが聞こえたり、思い浮かんだりします。博覧強記とも言うべき北中さんのワールド・ミュージックに関する博学な知識をこれでもか、これでもか、といった具合で披露してくれます。(ただし、御本人は「押し」が強い性格ではなく、真逆の静かで穏やかな方です)

 ということで、この本では、ビートルズを語っているようで、ビートルズを語っていないような、ビートルズの4人が影響を受けた世界の音楽の歴史を語った本と言えるかもしれません。まさに、北中さんの真骨頂です。4人が最も影響を受けた音楽は、エルヴィス・プレスリーやリトル・リチャードらのロックン・ロールであることは確かなのですが、そんな単純なものではありません。彼らの親の世代が聴いていたジャズを始め、カントリー、ブルース、フォーク、スキッフル、彼らのルーツであるアイルランド民謡、R&B、ラテン、はたまたキューバのソンやジャマイカのスカ、そして、ラヴィ・シャンカールを通してのインド音楽やシュトックハウゼンらの現代音楽まで取り入れていたのです。

 つまり、ビートルズはロック一辺倒ではなく、例えば、「ハニーパイ」などは1930年代のジャズ風ですし、「オブラディオブラダ」はスカのリズムの影響を受けて導入しています。(今流行りのラップは、ジョン・レノンの「平和を我等に」が魁になったと私は思っています)

 私もビートルズ・フリークを自称しているので、ある程度のことは既に知っておりましたが、例えば、ビートルズがハンブルク時代にトニー・シェリダンのバックバンドとして最初にレコーディングした「マイ・ボニー」が、英国の17世紀の名誉革命後の王権争いの伝説が元になっていたことまでは、流石に知りませんでしたね。

 驚いたことは、BBCテレビ放送の「マジカル・ミステリー・ツアー」の中で、リンゴの音頭で観光バスの中で老若男女の乗客が一緒に歌ったり、ハミングしたりする場面があります。「分かる範囲でその曲名を挙げておくと『アイヴ・ガット・ア・ラヴリー・バンチ・オブ・ココナッツ』『トゥ・トゥ・トゥツィ』「アイルランド娘が微笑めば』『レッド・レッド・ロビン』『日曜日はダメよ』『地獄のギャロップ』などで、ロック系の局がひとつも含まれていないことに注目してください」(111頁)とまで北中さんは飄々と書くのです。今は、DVDなどがあるので、ゆっくり確かめることができますが、こんなところまで注目する著者のマニアックぶりには恐れをなすほどです(笑)。

 いやあ、題名を言われてもほとんど知らない曲ばかりですね。でも、今は大変恵まれた世の中になったもので、ユーチューブなどで検索すれば、「ああ、あの曲だったのかあ」と分かります。恐らく、この本では、皆さんも知らない曲が沢山出てくると思いますが、ユーチューブを参照しながら読む手があります(笑)。

「モヤモヤさまぁ~ず」が3回も訪れた東京・王子「カレーハウス じゃんご」(ロースカツカレー 950円 ルーも御飯も超極少でした)

 最近、画家の生涯やモデル、時代背景などをマニアックに解説した「名画の見方」のような本がよく売れているようです。そういった意味で、この本も一風変わった「ビートルズの聴き方」の教則本になるのかもしれません。知識があるのとないのとでは、格段の違いです。

 ビートルズは解散して半世紀以上も経つというのに、いまだに聴かれ続け、ラジオ番組でも特集が組まれたり、関連本も世界各国で出され続けています。そろそろ、もうないのではないかと思われたのに、北中さんの本はやはり異彩を放っており、逆に、半世紀経たないと書けない本だったかもしれません。

 話は飛びますが、業界と癒着する評論家が多い中、北中さんは、そんな人たちとは一線を画し、操觚者から見ても、見事にクリーンで清廉潔白な音楽評論家です。京大卒の学究肌だからかもしれません。

 ビートルズ・フリークの私が脱帽するぐらいの内容です(笑)。勝手ながら「年長の友人」と思っている北中さんの書いたこの本を多くの人に読んでもらいたいと思っております。

 あ、書き忘れました。この本を企画した新潮新書の編集者安河内雄太さんは、「年下の友人」でした(爆笑)。