知的レベルの高さに驚嘆=レヴィ=ストロース著、川田順造訳「悲しき熱帯1」をやっと読了

 昨秋、ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)を読んだことがきっかけで、すっかり人類学、進化論、そして、生物学、地球物理学にはまってしまったことは、このブログで何度も書いております。正確に言いますと、その前に、春先にユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」(河出書房新社)などを読んだことがきっかけでした。

 根本的に、「人間とは一体、何者なのか?」という素朴な疑問が少年時代からありました。そもそも、人間とは何か分からなければ、社会現象も政治や経済のシステムも歴史も何も分かりません。つまり、哲学的考察だけでは限界があると思うようになったのです。最終的には、自然科学的アプローチで、生命とは何かに行きつくのかもしれませんが、それらについても大いに関心がありますので、これからも勉学に励んでいきたいと思っております。

 そんな読書遍歴の一環で、レヴィ=ストロース著、川田順造訳「悲しき熱帯1」(中公クラシックス)をやっと読了することが出来ました。難解で、他の本も並行して読んでいたので、読破するのに数カ月かかりました(苦笑)。既に、「古典」と呼ばれる名著ですが、昔の人の知的レベルの高さには驚嘆するばかりです。著者のレヴィ=ストロースは当然のことながら、それを受け入れる一般大衆の読者の知的レベルの高さもです。正直言いますと、当初は未開の「野蛮人」(264ページ)に接触した文化人類学者による体験記か旅行記、もしくはフィールドワークの報告記かと思っていましたら、そこまでに到達するまでが長い(笑)。少年時代の教師の身振りや服装までも事細かく描写され、船に乗り込む話かと思ったら、いつの間にか、インドの思い出の話になったりです。要するに、時系列に書かれていないのです。この本を12年間もかけて翻訳した訳者の川田氏も「時間の叙述を無視した叙述」などと前書きに書いております。

 しかも、暗喩と隠喩が多く含まれているので、この本をさらに難渋難解にしています。著者のクロード・レヴィ=ストロース(1908~2009年)が、ブラジルのサンパウロ大学の社会学教授の職を得た若き頃の1930年代にアマゾンの奥地の未開の地で先住民を取材した体験記が中心ですが、執筆したのは、何とそれから四半世紀を経た1954年から翌年にかけてだったのです(初版は1955年)。何という恐るべき記憶力!と思いましたが、恐らく著者は異様なメモ魔で、あらゆることをメモに書き残していたのではないかと想像されます。

 この本は一応、ノンフィクションではありますが、暗喩を伴った実に詩的な文章なので、まるで「失われた時を求めて」のマルセル・プルーストのような文体です(如何に難解か分かることでしょう)。レヴィ=ストロースもプルーストもユダヤ系ですから、頭脳の明晰さは人類学上でもピカイチなので、その難解さで読解できる人は少ないと思いきや、いずれもベストセラーになっておりますから、最初に書いた通り、読者の知的レベルの高さに驚嘆したわけです。

 私自身は、それほど深く理解することができたわけではないことは告白しておきます。とにかく、ブラジルの地理が頭に入っていないので、色んな地名が出て来ますが、感覚的にもつかめないのでした。

 この本はまだ「上巻」で、いまだに「下巻」まで読んでおりませんが、この上巻の中で、一つだけ興味深かったことを書いて、この記事をお終いにすることにします。

 それは、著者が、顔全体に入れ墨か、もしくは何かの染料で幾何学模様のような線を顔上に描く風習のあるカデュヴェオCADUVEO族の集落を訪れた話です。

  彼らは写真に撮られることに対して支払いを要求しただけでなく、金を払わせるため、無理失裡私に彼らの写真を撮らせようとした。女が度外れに飾り立てて私の前に現われ、私の意向にはお構いなく、シャッターを切って彼女に敬意を表するように私に強要しない日はほとんど一日もなかった。持っていたフィルムを節約するために、しばしば私は写す真似だけをし、金を払った。(306~307ページ)

 先述した通り、この本は「時間の秩序を無視した叙述」なので、はっきりといつのことか書かれておりませんが、恐らく、著者がブラジルに滞在していた1930年代初めのことだと思われます。1930年の時点で、もうすでに「未開人」の人々が金銭経済の波の中での生活を余儀なくされていたことをこの箇所で知ったわけです。