「猿族」で最も劣る人類が何故、生物の頂点に立てたのか?

 私が子どもの頃に観た「猿の惑星」(1968年)は今でも忘れられない映画です。衝撃的なラストシーンは、本当に「あっ」と驚きましたが、それ以上に、ヒト種族の人間が、他のオラウータンやゴリラやチンパンジーなどの猿に体力的にも知的にも劣る「下等動物」として奴隷のような扱いを受けている姿は、本当に衝撃的でした。

 原作となったピエール・ブールの同名SF小説(1963年発表)は読んだことはありませんが、内心では全くあり得ない、実に荒唐無稽な、科学的根拠のない全くのフィクションだと思い込んでいました。

 しかし、実はそうではなかったんですね。ピエール・ブールは正しかった。実際、人類は、いかなる猿にも劣る生物として誕生したのです。このことは、ゴリラ研究の世界的権威である山極寿一・元京大総長による論文や新聞記事で知りました。

 山極氏によると、人類が、同じ霊長類であるチンパンジーから分岐して誕生したのが、約700万年前のことでした。その時の人類は、同じ「猿族」の中で、木登りも下手くそで、走るのも遅く、体力的にも、そして脳の容量という意味で知的にも最も劣る、いわば最低の「猿」だったようです。何で、そんな下等動物が、生物界の頂点に立つとは不思議の中の不思議です。(結局は、「進化」がポイントになったのでしょう)

 人類の脳がゴリラより大きくなり始めたのは、今からやっと200万年前だったといいます。やはり、ピエール・ブールのSFは荒唐無稽ではなかったんですね。人類誕生して500万年間は、いわゆる「下等動物」だったことになります。そして、現代人並みの脳の容量が達成したのは約40万年前です。ちょうど、ホモ・サピエンスが誕生した時期と重なります。(サピエンス誕生は30万年前という説も有力ですが、それでも、脳の容量はネアンデルタール人より少なかったのです)

 さらに、我々が話しているような言語が登場したのは、7万年前だと推測されると山極氏は言います。人類が700万年前に誕生したとすれば、「人類の進化史の99%は言葉なしに暮らしていた」ことになります。

 その間、身振り手振りやアイコンタクトや雄叫びとやらでお互いにコミュニケーションを図っていたんでしょう。山極氏は面白いことを言っております。化石人類の頭骨の大きさから、当時の集団サイズの大きさを算出したところ、10~15人だったといいます。これは初期の人類がゴリラと同じぐらいの脳のサイズだったことから算出されました。200万年前に脳が大きくなり始めた頃には、集団は30人となり、現代人の1400ccぐらいの脳サイズの集団は150人ぐらいのサイズになったといいます。

 この150人の集団サイズは、現代でも狩猟採集生活を続けている民族でも大体それぐらいだ、と文化人類学者は報告しています。つまり、7万年前に言葉が登場し、1万2000年前に農耕牧畜が始まる前まで、人類は150人ほどの集団で暮らしていたと考えられるというのです。

 面白いことに、スポーツの団体競技で、サッカーは11人、ラグビーは15人です。20人とか30人とかの集団になるとやっていけないようなのです。15人なら、人類がいまだ言葉を持たなかった時の集団サイズと一致します。ということは、15人というのは、競技中は、言葉が通じないので、身振り手振りやアイコンタクトでコミュニケーションをせざるを得ない、その限界値だということになります。

 200万年前に人類の脳が大きくなり始めた時、集団は30人とか50人になりました。これは学校のクラスや宗教の布教集団、軍隊の小隊の数に一致します。

 そして、現代人の脳の大きさに匹敵する150人という集団サイズは、過去に喜怒哀楽を共にし、スポーツや音楽などで身体を共鳴して付き合った仲間で、まさに信頼できる仲間の数の上限だと山極氏は言います。

 つまり、FacebookやYouTubeなどでフォロワーがたとえ10万人、100万人いたとしても、面識があるわけではなく、本人の手に余るということなのでしょう。脳の限界だからです。

 こういう話って、面白くありませんか? 私なんか、面白い話は、他の人にもどんどん喋りたくなります。この話は、せめて150人ぐらいの読者の皆様に届けば、大変嬉しい限りです(笑)。

【追記】

 山極寿一氏の発言の主な部分は、2022年7月6日に東京・日仏会館で行われた講座記録から引用させて頂きました。

 話し言葉は7万年前に生まれたとしたら、その一方、文字ともなりますと、世界で最も古い文字は、今から5000年から3000年前になります。エジプトのヒエログリフ、メソポタミア・シュメールの楔形文字、中国の甲骨文字です。それ以前、4万年前から1万年前の欧州の氷河期の洞窟に文字らしきものが発見されたようですが、人類の歴史のほとんどが、話し言葉も書き言葉もなかったことに変わりありませんね。

【追記2】2023年4月4日

 思い出しました。私の大学時代のクラスは15人でした。言語もなかった初期人類の最大集団が15人でした。語学専門だったので、クラス15人は、その限界値だったのか、と改めて目を見張りました。

運慶作「国宝 大日如来坐像」(奈良・円成寺)のモデルを入手できました

 昨日はランチで、新橋にある「奈良まほろば館」に行って参りました。奈良まほろば館は、いわゆる奈良県の物産店ですが、店内には簡単に飲食出来るコーナーもあります。ここの「柿の葉寿司セット」が食べたくなったのでした。

 奈良には何度か行きましたが、どういうわけか真夏の思い出が多く、暑い最中を汗を拭き拭き、寺社仏閣巡りをするのですが、その近くで食べた柿の葉寿司やかき氷の方が寺社仏閣よりも印象に残ったりしてます。…駄目ですねえ。

新橋「奈良まほろば館」柿の葉寿司セットランチ

 食事を終えて、物産店ですから、ちょっと店内をひやかすことにしました。お菓子や素麺とかの土産物がありましたが、一番目を引いたのが仏像でした。以前、東京国立博物館でも展覧会が開かれた聖林寺の国宝「十一面観音像」もありましたが、確か、33万円! とても手が出ません(苦笑)。有名な興福寺の国宝「阿修羅像」もありましたが、こちらも30万円ぐらい。う-ん、これも、ちょっと…。

 そしたら、それらの隣にミニチュアの「大日如来像」がありました。こちらは、十一面観音像の10分の1以下の値段。それでも、結構高額なんですが、これなら手が届きます。それに、今の私の精神状態は、神仏に縋りついてでも、心の平安を渇望しているので、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、思い切って購入してしまいました(頭記写真)。

 そして、色々と調べてみましたら、この大日如来像のモデルは只者ではなかったのです。あの仏師運慶(?~1223年)のデビュー作だったのです!奈良市にある円成寺の国宝に指定されている大日如来坐像だったのです。平安時代末期の安元2年(1176年)の制作で、運慶がまだ20代の若々しさに溢れた仏像彫刻です。もう850年近い年月が経っているので、本物(高さ98.8センチ)は、金箔らしきものが剥げ落ちて黒くなっていますが、私が購入した「モデル」は、高さわずか9.5センチ。柘植の木肌が輝くようで、全く別物のような感じですが、そこはかとなく威厳さが漂っています。(MORITA社仏像ワールド製)

水仙

 しかも、智拳印が結ばれ、御顔立ちが綺麗で、御利益(精神的幸福)もありそうで、一心不乱に拝めそうです。大日如来は、真言密教における一切諸仏諸尊の根本仏ですが、私の干支の守護仏にもなっているようです。

 ちなみに十二支の守護本尊とは、千手観音菩薩(子歳)、虚空蔵菩薩(丑/寅歳)、文殊菩薩(卯歳)、普賢菩薩(辰/巳歳)、勢至菩薩(午歳)、大日如来(未/申歳)、不動明王(酉歳)、阿弥陀如来(戌/亥歳)となっております。

 人間はか弱い動物ですから、本当に苦しいときは、神仏に縋って、拝むか祈るしかありませんからね。

「高齢者は集団自決を」発言に一言、苦言を呈したい

3月29日付朝日新聞朝刊の「声」(読者投稿)欄で、東京にお住まいの91歳の女性が「老いた庶民の苦労 忘れないで」と題して投稿されておりました。それによると、ある若い経済学者が「高齢者は老害化する前に集団自決みたいなことをすればいい」と(ユーチューブなどで)発言したというのです。この「高齢者は集団自決を」といった問題発言は、同日同紙の鴻巣友希子氏による「文芸時評」の中でも取り上げられていました。

 私は、この問題発言のことを不覚にもこの記事で初めて知ったのですが、やはり、その「若い経済学者」とは誰なのか、気になりました。調べてみたら、東大を優秀な成績で卒業し、現在、米国の大学の助教授を務め、テレビのバラエティー番組などにも引っ張りだこの有名人だということが分かりました。

Higashi-Kurume

 彼は38歳ということなので、両親は60代後半か?そして、祖父母さんも御健在なら80代後半か90代ぐらいでしょうか。そんな自分の肉親に対しても、彼は「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」と言い放つことが出来るのかなあ?と真っ先に思ってしまいました。

 ただ、彼の発言の背景や趣旨については、よく分かっていません。純粋に、新自由経済主義的な経済効率原理で述べていたのかもしれませんし、確信的で学問的信念での発言だったのかもしれません。

MInouma

 しかし、私自身は「いかがなものか」と叱ってやりたくなります。ただ、「そういうお前は、今さら何を言っているんだ」と言われそうですね。何しろ、彼の一連の発言ついては、既に米紙「ニューヨーク・タイムズ」(2月12日付)が「このうえないほど過激」と報じ、ネットでも大きな話題になっていたからです。もう、今から1カ月以上も前じゃありませんか。今さら、何を言う!と言われても仕方ありませんね(苦笑)。

 はい、情報伝達に1か月も掛かるなんて、私は江戸時代か鎌倉時代に生きているもので、と開き直るしかありません。日本の新聞は読みますけど、ネットニュースはあまり見ませんからね。

 彼の発言について、既に多くの識者の方々もコメントされておりますから、私のような浅学菲才の出る幕はありませんが、それでも、一言、言いたくなります。

 若い経済学者さんは、国立の東京大学を出たということは、今や高齢者になった人々が払った血税で豊かな教育を受けさせてもらったということになりませんかねえ? それに、若いと言っても、あっという間に自分自身も高齢者になりますよ。その時、自分の子どもか孫のような世代から、いや、自分の子どもや孫から直接「頼むから早く死んでくれ」と言われたら、どういう気持ちになるか、想像できませんかねえ?

MInouma

 彼には、ボブ・ディランの名曲「ライク・ア・ローリングストーン」を聴いてもらいたいものです。

 ディランは、How dose it feel? Like a complete unknown? と繰り返し唄っています。貴方は、今は有名人ということで注目されていますけど、落ちぶれて、無名になって、誰も気にも留めてくれなくなったら、どういう気持ちになりますかねえ?

老若男女、身分の差別なく覚りを啓くことが出来る思想

 現在再放送中のNHK「100分de名著」の「日蓮の手紙」の著者植木雅俊氏は「そもそも『浄土』という言葉は、『阿弥陀経』のサンスクリット原典にも鳩摩羅什(による漢)訳にも出てきません。もともとは『仏国土を浄化する」(浄仏国土)という意味なのです。」と自信たっぷりに書かれていたので、自分の不勉強を恥じるとともに、驚いてしまいました。

 植木雅俊氏は、「法華経」と「維摩経」をサンスクリット語と漢訳語を参照して平易な現代日本語に翻訳された仏教思想研究家だけあって、学識の深さには恐れ入ります。

 となると、南無阿弥陀仏を唱えて、西方の「極楽浄土」を望む浄土宗や浄土真宗などは、どうなるのかと思ってしまいます。「選択本願念仏集」を著した浄土宗の開祖法然は、これまで天皇と貴族のための鎮護国家の宗教だった仏教を、老若男女を問わず、一般庶民にまで信仰を広げた革命的功績は日本史に屹立と輝く偉人だと私自身考えていますが、「選択本願念仏集」と著書名がまさに表しているように、法然は「西方浄土」を「選択」したわけです。

 そうなると、釈迦の教えの中には、東方にも「浄瑠璃浄土」があり、そこには薬師如来がいらしゃいます。浄土宗や浄土真宗といった念仏宗は、西方の阿弥陀如来だけ選択して、東方の薬師如来は重視しないのかなあ、といった素朴な疑問が浮かんできます。

 念仏宗を「無間地獄」と糾弾した日蓮は、法華経を「選択」します。選択というより、他宗派を激烈に批判ししため、多くの「敵」をつくて、日蓮自身も何度も法難に遭うわけです。

 植木雅俊氏によると、日蓮は、浄土と言えば、極楽浄土のような死後の別世界ではなく、我々が今生きている娑婆世界で体現できる世界を「霊山浄土(りょうぜんじょうど)」と呼んだといいます。これは、「現在」の瞬間に過去も未来もはらんだ永遠の世界を意味しています。

 植木氏は言います。時間は、今(現在)しか存在しません。過去といっても、過去についての「現在」の記憶であり、結局「現在」です。未来といっても、未来についての「現在」における期待や予想でしかありません。それなのに、多くの人は「今(現在)」の重みに気付かずに、過去や未来にとらわれてしまいがちです。過去につらく、忌まわしい経験をしてそれを忘れられない人は、過去に引きずられて今を生きていることになります。あるいは、今をいい加減に生きて、未来に夢想を追い求めて生きている人もいます。いずれも妄想に生きていることに変わりありません。

 植木氏は、現在の生き方次第で、過去の「事実」は変えられなくても「意味」は変えられる。未来も現在の生き方次第だ、とまで言い切るのです。

銀座「吉澤」 韓国大統領と日本の首相が会食された所です

 これこそが、「現世利益」なのかもしれません。利益(りやく)とは、金銭的なものではなく、精神的な幸福を意味すると思います。往生してあの世の幸福を願うのではなく、現実世界に浄土世界を実現して幸福になる、という意味ではないでしょうか。

 法華経の思想について、もっと詳しく知りたくなり、目下、植木雅俊氏が、サンスクリット語と漢語から現代日本語に翻訳した「法華経」(角川文庫)を読み始めたところです。サンスクリット語の原典から翻訳したところに意義があります。かつて先人たちが日本語に翻訳したものの中には、漢語からの翻訳が多く、サンスクリット語から漢語に訳された際の間違いをそのまま踏襲して日本語訳した箇所もあり、そんな誤訳も厳しく指摘しておられました。同書の「はじめに」を読んだだけでも、かなり戦闘的です(笑)。でも、解説もあり、かなり、平易に訳されているので、私でも読めます。

 法華経とは、サンスクリット語で、「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と言いますが、植木雅俊氏は、「白蓮華のように最も勝れた正しい教えの経」と翻訳されています。法華経は、釈迦が入滅後500年ほど経過した紀元1世紀末から3世紀初頭に編纂されたといいます。当時は、厳しい修行を経たほんの一部の菩薩しか悟りを啓くことができないとされ、釈迦も神格化された権威主義の小乗仏教が隆盛でした。が、そんな風潮に異議を唱える意味で、「原始仏教に帰れ」と大乗仏教が生まれ、法華経が編纂されたといいます。小乗仏教では女性は成仏できなかったのに、法華経では、老若男女、身分の差もなく平等に誰でも覚りを開く道があることを説いています。

 私も目下、必要に迫られて、法華経を読んでいるので、心に染み入ります。

恐竜史上最大のプエルタサウルスも最強のマイプも史上最古のエオラプトルも知らずに生きて来た私

 昨年、小生がジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)にハマってからは、古人類学、文化人類学、地球46億年史、それに進化論にまで興味の範囲が広がってしまったことは、拙ブログの御愛読者でしたら御案内の通りです。

 21世紀になって次々と古代人類の化石が新発見されて、それに伴い人類史も次々と塗り替えられてきました。ですから、わずか20万年程度しか歴史のない現生人類(ホモ・サピエンス)のことばかり気を取られていましたが、当然のことながら、21世紀になって恐竜の化石も次々と新発見されるようになって、恐竜史まで次々と塗り替えられているというのです。

 霊長類の人類が、チンパンジーから分岐したのは、わずか、たったの700万年前のことですが、恐竜は、1億6000万年もの間、繁栄したのです。そりゃあ、桁違いです。

 先日、NHKで放送された「恐竜超世界2 前編  巨大恐竜の王国 ゴンドワナ大陸」をたまたま見たのですが、そして、番組はお子様向けに編集・制作されてはいましたが、私自身、全く何も知らなかったことばかりで、本当に魂げてしまいました。

 何しろ、私の恐竜の知識は、「世界最強」のティラノサウルス程度ですからね。脳に苔がむしているようなもんです(笑)。

 番組では、ゴンドワナ大陸に棲息していた恐竜に絞って紹介されていました。ゴンドワナ大陸とは、このブログの「地球46億年」でも取り上げたことがありますが、地球は3億年前まで大陸ほとんど全部くっついていて、超大陸パンゲアと呼ばれ、それが1億5000年前頃に南北の二つに分かれて、南部の大陸がゴンドワナと呼ばれていました。7000万年前になると、このゴンドワナ大陸は、南米とアフリカとインドとオーストラリア、南極の各大陸に分岐するわけです。これまで恐竜研究は、ティラノサウルスが制した北米などが中心で、南米は進んでおりませんでしたが、21世紀になって新発見が相次いだのです。

 この中に、2001年に発見された竜脚類のプエルタサウルス(1億4500万~6600万年前)がいます。恐竜史上最大と言われ、全長35メートル。高さは6階建てビルに相当します。こんなにデカイのに、草食です。肉食恐竜に負けないように体格を増大させたらしいのですが、1日100キロもの植物を食べるというのです。ですから、食物を求めて移動しなければなりません。

 このプエルタサウルスを狙うのが肉食恐竜マイプ(メガラプトル類)です。全長わずか(笑)9メートル。捕食者の頂点とも言われます。ライオンなんかより遥かに強い百獣の王です。初めて聞く名前なので調べてみたら、何と2019年にパタゴニア地方(現アルゼンチン)で化石が見つかったというではありませんか。何だ、つい最近です。

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 同じアルゼンチンのサンフアン州では、「世界最古の恐竜」とも言われる化石が見つかり、1993年にエオラプトルと命名されました。全長わずか1メートルで、恐竜の部類に認めない学者もいるそうですが、中世代後期三畳紀ということで約2億3000年前です。

 6600万年前の隕石の衝突による気候変動で恐竜は絶滅したと言われますから、最古の2億3000万年ー6600万年=1億6400万年 となります。恐竜は1億6400万年間繁栄したという計算式が成り立ちます。

 この隕石衝突による「恐竜絶滅」説ですが、最近は、全滅ではなく、一部の恐竜はその後、数十万年は生き延びたという説が有力になってきました。北半球はほぼ絶滅しましたが、南半球のゴンドワナ大陸の南端、つまり、今の南極は森林火災などから免れ、新世代の地層からもシダ類の化石が見つかったことから、恐竜が食べる植物があったことの証明になりました。

 恐竜の世界は、人類より遥かに奥が深いのです。

※ 恐竜の【写真】がなくてすみません。ご興味のある方は、是非、図鑑等でご参照ください。

強い心を持ち、正しい道を歩む=日蓮の実像に迫るー「偉人・素顔の履歴書」と「100分de名著 日蓮の手紙」

 渓流斎ブログの3月20日付で「NHK『英雄たちの選択』に違和感=意図的な隠蔽を感じます」を書いて批判しましたが、今のところ、関係者からの抗議はありません(苦笑)。「あの番組は、細川幽斎の『古今伝授』という有職故実に通じた文人としての戦国武将を描くことが趣旨なので、明智光秀も細川ガラシャには敢えて触れませんでした」との回答が寄せられそうですが、テレビにせよ、出版にせよ、そしてネット情報にせよ、作品意図を貫徹するために故意に不都合な部分は切り取ってしまう「編集」には警戒するべきだ、という思いを強くしました。

 私は、この他のテレビの歴史番組として、BS11「偉人・素顔の履歴書」もよく観ますが、どちらかと言えば、こちらの方が、地方の名士ら色んな人に語らせて、比較的「客観的に」史実を追っている感じがします。御意見番で番組進行役でもある作家の加来耕三氏のキャラにもよるのでしょう。番組では、歴史上の人物が、かつて言われていた定説になっていた人物像とは全く違う意外な面を多角的に引き出しています。

 人なんて複層的ですから、見方を変えれば全く違った人物に見えたりします。下剋上の典型の「天下の極悪人」と言われた松永弾正久秀なんかもそうで、奈良の大仏を焼き討ちした張本人ではなく、教養のある茶人という一面をあったといいます。

 「偉人・素顔の履歴書」では、「兄・武田信玄を支え続けた名補佐役・武田信繁」や「信玄に二度も勝利した北信の雄・村上義清」ら私自身よく知らなかった人物も取り上げてくれたりして、勉強になりましたが、3月11日に放送された「闘う仏教者・日蓮」も、私の知らなかった日蓮の意外な面に触れることが出来て心に残りました。

 日蓮と言えば、「四箇格言(しかかくげん)」〈念仏無間(ねんぶつむけん)禅天魔(ぜんてんま)真言亡国(しんごんぼうこく)律国賊(りつこくぞく)〉に代表されるように、他宗派を激烈に批判し、何度も法難(迫害)にあっても挫けない不屈の僧というイメージが強かったのですが、この番組では、案外涙もろく、弟子たちを労わる慈悲深い面も多く紹介されていました。

 特に印象的だったことは、植木雅俊さんという仏教思想家が出演し、日蓮の意外な一面を明かしていたことでした。

 「日蓮は、飢饉の際、鎌倉の市場で鹿肉や魚などに人肉を混ぜて売っていた、と書くなどジャーナリスト的だった」

 「日蓮は、自己を拠り所として、他人を拠り所としない。法という真理を拠り所として、他の物を拠り所としない、と説いた」

 「神や迷信にすがるのではなく、一人一人が強い心を持ち、正しい道を歩めば、この世を浄土に変えることができる。来世ではなく、現世の幸福を願う法華経こそが最も尊い教えだ」

ーといった日蓮の言葉を紹介してくれたので、日蓮に対する偏見が吹き飛び、大変、大変勇気づけられました。それと同時に、紹介してくれた植木雅俊さんのことも調べたら、目下、NHKのEテレ「100分de名著 日蓮の手紙」(再放送)にも出演されているというので、テキストも買って番組も見ることにしました。

 残念ながら第1回は放送終了してしまいましたが、第2回からは間に合いました。「厳しい現実を生き抜く」というテーマで、日蓮が弟子である富木常忍、四条金吾らに宛てた手紙が紹介されておりました。この中で、直情径行型の四条金吾に対しては、冷静になるよう諄々と説き、「法華経に凝り固まるな」とまで助言している様には驚きました。日蓮こそ法華経に凝り固まった人であるはずなのに、意外にも本人は冷静で、かなり自身を客観視することが出来る人だと分かり、感服した次第です。法華経信奉者ならまず言えない言葉です。

 やはり、後世につくられた人物像より、手紙などに表れた人物像の方が確かに本物により近いのではないでしょうか。

NHK「英雄たちの選択」に違和感=意図的な隠蔽を感じます

 テレビは歴史番組を結構見ています。私自身、全く知らなかったことや新しい解釈を知ることが出来たりして、かなり勉強になるからです。

 ただし、時には、番組が、歴史的解釈の面で意図的に「偏向」することがあり、これは警戒しなければいけないなあ、と思うことがあります。

例えば、NHKの「英雄たちの選択」という人気番組があります。進行役は、磯田道史さんという今や、テレビ、新聞、雑誌でお見かけしないことはないほど超売れっ子の歴史学者さんです。物事を自信満々に断定的に仰り、しかも、かつての小泉純一郎首相のようにワンフレーズで明快に発言されるので痛快感もあり、多くの人に多大な影響力を与えるインフルエンサーであることは間違いありません。立派な学者さんなのに、自著の映画化作品などにわざわざ脇役で出演されりして、露出が超過剰なところは気になりますが。

 先日(3月15日)は、細川幽斎を取り上げておりました。ネット上の番組紹介欄にはこんな風に書かれています。

 細川幽斎は、戦国武将であるとともに、和歌の達人であった。平安以来受け継がれてきた「古今和歌集」解釈の秘伝を武士の身でありながら継承していた。いわゆる「古今伝授」である。秀吉の時代、茶道の千利休とともに、歌道の幽斎として、秀吉の天下取り戦略のため大活躍する。そして、関ケ原の戦いの直前、幽斎・生涯最大の選択に迫られた。戦国時代に、和歌というソフトパワーで生き抜いた幽斎の人生にスポットを当てる。

 この「幽斎・生涯最大の選択」というのが、その時、籠っていた田辺城を開城するか、それとも籠城して戦うか、というものでした。

 私は、「幽斎・生涯最大の選択」とは、そうじゃないだろうと思ったわけです。田辺城じゃない、だろうと。やはり、本能寺の変の後、盟友・明智光秀からさんざん、一緒に挙兵して戦いに参加してもらうよう催促の手紙を何度ももらいながら、結局、裏切って、豊臣秀吉側についたことが、「幽斎・生涯最大の選択」ではないかと思うのです。

浦和博物館(旧埼玉師範学校校舎)

 何と言っても、細川幽斎と明智光秀は盟友以上に義兄弟のような濃密な関係で、幽斎の嫡男忠興と光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が結婚しております。つまり、幽斎は、どう転ぶか分からないのに、親戚より、勢いがありそうな秀吉を選んだのです。

 田辺城籠城の時点で、既に、後陽成天皇に裏工作して、「こいつを殺しては、古今伝授が永久に失われる危機がある」ことを王朝の公家社会に吹聴したフシがあるので、選択に迷うわけがありません。幽斎は、最初から生き延びるつもりだったのです。

 番組では不思議なことに、「本能寺の変」は出て来ても、細川忠興と細川ガラシャとの結婚の話を意図的に隠蔽して、国宝の刀剣まで持ち出して、細川幽斎が如何にも立派な文武両道の英雄武将であることを仕立てていました。磯田先生なら知らないわけがないので、一言も触れないのはおかしいなあ、と違和感を覚えたわけです。

 勿論、それらは歴史の解釈ですから、明智光秀は主君信長を下剋上で暗殺した極悪非道人で、そんな悪人に細川幽斎が加勢するわけがない、という見方でも結構だと思っています。幽斎は多分、光秀軍に参加する武将がほとんどいなく、秀吉軍に勝てないことを事前に情報としてつかんでいたのでしょう。

 もともと幽斎は、室町幕府の申次衆・三淵晴員(みつぶち・はるかず)の次男として生まれ、細川家の養子になった人物でした。応仁の乱などで疲弊し、没落寸前に陥っていた管領細川家の再興を事実上任されたのです。ということは、何と言っても、「お家」が大事です。明智光秀より、豊臣秀吉。秀吉が亡くなれば、石田三成より徳川家康、とその時の状況と最新情報を忍びを使って収集して、最善策を「選択」していった、とても頭が切れる戦国武将だったのでしょう。

 幽斎がいなければ、細川家も、土岐氏や畠山氏や今川氏のような運命になっていたのかもしれません。幽斎は、肥後藩52万石の礎を築いた細川家の中興の祖に間違いありません。

 生前の細川幽斎に、もしインタビュー出来たとしたら、恐らく、彼は最大の選択は、明智光秀との関係を挙げるに違いありません。

 その辺り、番組では意図的に「隠蔽」されていたので、「テレビ番組は100%信用してはいけないなあ」と思った次第です。メディアは何でも、編集者やディレクターや作家や学者らの意図をもって作られているからです。

 「英雄たちの選択」は、以前にも歴史的事実を意図的に隠蔽しているような違和感を覚えたことがあるので、今回、はっきりとこうして文章にしてみました。

 個人の感想ですが、今後は磯田先生の明解で明快な発言についても、少し、警戒しながらフォローしていきたいと思っております。歴史は、学者さんのものでもないし、英雄のためのものでもないからです。

秀才が書くような文章でした=三木谷浩史著「未来力  『10年後の世界』を読み解く51の思考法」

 今朝の通勤電車。満員電車のはずが、私が乗ろうとした車輛はどういうわけか、空席が目立ち、異様な雰囲気でした。そしたら、ドアの出入り口付近で、もはやいくなった酔っ払いらしき人物が例の物をまき散らしていて、それに気が付いた乗客は慌てて、他のドアに移動していたのでした。 

 それでも、都心に近づくと、かなりの人が乗って来て、ハイヒールを履いたある若い女性が、例の物に全く気付かずに踏んでしまい、すってんころりん。「も~、最悪~」と言いながら、電車から降りてしまいました。

 毎日通勤していると色んな光景にぶち当たります。

 さて、三木谷浩史著「未来力  『10年後の世界』を読み解く51の思考法」(文藝春秋、2023年1月10日初版)を読了しました。申し訳ないですが、拙宅は狭いので、購入したわけではなく、図書館で借りました。お借りしたので、2日で読み終えました。

 三木谷さんは、御案内の通り、世界に3万人もの従業員を擁する楽天グループの会長兼社長です。ネット通販大手の楽天市場の創業者であり、今や、電気、ガス事業から携帯電話にまで進出し、スポーツ好きで、プロ野球楽天イーグルスやサッカーJリーグのヴィッセル神戸のオーナーでもあります。新経済連盟の代表理事として多くの政治家とのパイプも持っておられます。以前、三木谷氏の楽天創業時の苦労話は読んだことがありますが、そんな超大物財界人が、今後10年の未来をどう予想されているのか興味を持ってページを捲ってみたわけです。

 そしたら、驚くほど、正統的で、米ハーバード大学でMBAを取得したまさに秀才の文章でした。大変お忙しい方なので、最初はゴーストライターが書いたものにかなり筆を入れたのではないか、と勝手に想像されますが、もっと破天荒なことが書かれているかと思いましたら、理路整然といいますか、地道な話でしたので、少し拍子抜けしました。

 三木谷氏は、どうも御尊父で経済学者だった三木谷良一神戸大名誉教授(1929~2013年)に多大な影響を受けたようで、本書でも何度も登場します。その父親が影響を受けた世界的経済学者シュンペーター(1883~1950年)の「イノベーション」や「創造的破壊」にもかなり影響を受けていたようで、起業するに当たって、理論的支柱になったことも明かしております。

銀座「萬福」レバニラ定食890円

 当たり前の話ですが、超一流の経営者には読書家が多いのですが、三木谷さんも例にもれず、唐の皇帝太宗の統治をまとめた「貞観政要」までこの本で引用していたので吃驚しました。私はちょうど、植木雅俊著「日蓮の手紙」(NHK出版)も読んでいて、この中で、日蓮の愛読書として「貞観政要」が登場していたからです。何という偶然の一致! もっとも、植木氏の説明では、この「貞観政要」は、「唐代の呉兢(ごきょう)が編纂したとされる北宋第二代皇帝太宗の言行録で、政治の要諦がまとめられている。全10巻40篇」と書かれています。唐第2代皇帝も太宗ですが、有名な「貞観の治」と呼ばれる太平の世を築いたことから、やはり、唐の太宗の方かもしれません。

 三木谷氏は、「貞観政要」の中から、「三鏡」の逸話を引用しています。三つの鏡ーすなわち「銅の鏡」で自分の表情を確認し、「歴史の鏡」で過去から物事の盛衰を学び、「人の鏡」で今自分のやっていることが周囲からどう見られているかを知り、行いを省みる、というものです。三木谷氏は「三鏡は、組織を率いる者にとって重要だ」と引用しているわけです。

 三木谷氏は米シリコンバレーにも邸宅をお持ちのようで、ホームパーティーを開いて、色んな国からのIT関係者らと親睦を深めて最新情報も仕入れているようです。例えば、シリコンバレーがあるカリフォルニア州は、個人所得税は1~12.3%、法人所得税は9%なのに対して、テキサス州では基本的に個人所得税も法人所得税もゼロ。そのため、イーロン・マスクのテスラ社を始め、オラクルもヒューレットパッカードも、次々とテキサス州に移転(計画)しているというのです。

 私も、テキサス州に住む日本人の友人がおりますから、起業したらどうかな、と思いました。もっとも、彼は最近、このブログを読んでいないようなので、通じないかなあ?(苦笑)。

 三木谷氏は今年58歳。まだ当分、現役を続けられるようです。私は、彼の政治信条とは全く合いませんけど、今後もブレイクスルーを続けてほしいものです。何故かって? だって、昨今、スマホから電気まで、楽天グループの色んなものと契約してしまったからです。まさに、死活問題ですから、トップの動向は、そりゃ気になりますよ(笑)。

🎬映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」はマイナス★

 今年の第95回米アカデミー賞で、主要部門の作品賞を含む7部門も受賞した「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」(ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート両監督)を観に映画館まで足を運びましたが、あまりにも観るに耐えられず、途中で退席してしまいました。途中退席はあまり覚えていませんが、生涯で初めてかもしれません。

 映画記者や評論家としてではなく、一般庶民として入場券を購入して観たので、正々堂々と開陳させて頂きますと、この映画で、製作者や監督が何を言いたいのかさっぱり分かりませんでした。そして、主演のミシェル・ヨーさん(60)がアジア系で初めて主演女優賞を受賞するなど大きな話題になり、つい田舎もんの私も観てしまいましたが、結局、米アカデミー賞の選考委員たちがどうしてこの映画に栄誉を与えたのか、さっぱり理解できませんでした。

 考えられることは、ハリウッド関係者が、世界第2位の経済大国であり、世界一の人口を誇る中国のマーケットを意識したのでしょう。アカデミー賞は宣伝効果抜群ですから、恐らく、何十億ドルもの興収を狙っているはずです。映画では中国語が頻出しますので、世界中の中国系の人たちは痛快かもしれません。

 メタフィジックスにせよ、血が出る暴力シーンが多く、単なるカンフー映画か、SF映画と割り切って楽しめば良いんでしょうけど、個人的には、あまりにも荒唐無稽過ぎて、観ていて少しも楽しめず、登場人物に少しも感情移入が出来ませんでした。エンターテインメントなのに、腹を立ててしまってはもうどうしようもありませんよね?

 「お金と時間の無駄」と判断して、途中で松岡洋石全権代表の如く、席を蹴って、退席しました。

 

「京」と「宮」の違いとは?=「歴史人」4月号から

 「古代の首都になった『京』と『宮』の違いって分かりますか? 何で、平城京や平安京と言うのに、飛鳥宮や近江大津宮は、飛鳥京とか近江京とか言わないんでしょうかねえ?」ー会社の同僚のAさんが何処か思わせぶりな言い方で私にカマを掛けてきました。

 いやあ、分からん!今まで、そんな違いなんて全く意識していませんでした。

 そこで、しょうがないので、久しぶりに「月刊歴史人」(ABCアーク)4月号「古代の都と遷都の謎」特集を買ってみました。Aさんは、答えはその本に書いてある、というからです。

 「歴史人」を買ったのは3カ月ぶりぐらいです。その間買わなかったのは、ここ数年買い続けてきたので、同じような特集が続いていたからです。拙宅は狭いのでそんなに沢山の本を置けません。でも、4月号の「古代の都と遷都の謎」特集は初めてです。昨日、読了しましたが、知らなかったことばかりでした。雑誌ですから図表や写真がふんだんに掲載されているので、本当に分かりやすく、確かに「保存版」です。しかも、「歴史人」にしては珍しく、本文に大きな誤植がないので、驚愕してしまいました。失礼!大袈裟でした(笑)。

 さて、冒頭の京と宮の違いです。

宮=天皇の住まい+儀式のための役所

京=宮+豪族・庶民の居住域を計画的に造った都

ということでした。

 武家時代で言えば、宮とはお城と大名屋敷で、京とは城下町ということになりますか。

 時代の変遷でどんどん変わっていきますが、平安京を例にとりますと、平城京以来中国・唐の都・長安などにならって、碁盤の目の道路を整備して、「平安京」の中央北端に政務の中心である「平安宮」を置き、それ以外には、貴族が館を構え、寺社仏閣も創建され、庶民も住み、禁止されていたにも関わらず、右京の南部は湿地帯だったため、水田にもなったようです。貴族の人気スポットは左京の北側だったということです。

 平安宮の中には大内裏があり、ここには政務が行われる政庁である「朝堂院」や国家や宮廷儀礼が行われる「大極殿(だいごくでん)」、それに「太政官」や「民部省」などの官庁があります。また、その大内裏の中に天皇がお住まいになる「内裏」があり、「源氏物語」などにも出て来る「清涼殿」(天皇の日常生活の場)や即位礼など宮廷儀式が行われる「紫宸殿」などもありました。こういうのは、文章ではなく、雑誌で図解で見るのが一番ですね(笑)。

 古代は天皇が変わる度に何度も遷都をしておりましたが、一番興味深かったことは、桓武天皇が奈良の平城京を捨てて、京都の長岡京に遷都した理由です。仏教勢力の南都六宗の政治干渉を避ける目的があったから、というのは定説で、私も習ったことがあります。もう一つ、この本の著者の一人である藤井勝彦氏によると、天武天皇の孫・元正天皇が即位した霊亀元年(715年)から天武系の天皇が続いていたのに対し、桓武天皇の父・光仁天皇の代で半世紀ぶりに天智天皇系の天皇が出現しました。天応元年(781年)に父から譲位された桓武天皇が新たな天智系の王朝と捉えて、新王朝にふさわしい王都の造営を目論んだというのです。なるほど、奥が深い。(他に平城京は、下水道設備が不十分で、また清掃が行き届かなくて不衛生で、金属による環境汚染もあったという説もあります。)

 さらには、桓武天皇の生母が、百済渡来人である高野新笠(にいがさ)で、その父・和乙継(やまとのおとつぐ)は百済王武寧王の子孫だといいます。ですから、平城京から長岡京への遷都は、造営された山背国乙訓郡長岡村(現京都府向日市南部)が高野新笠の本拠地だったため、ということもあったようです。長岡村は、絶大な財力を持っていた秦氏の拠点でもありました。秦氏というのは、応神天皇の御代に百済から渡来してきた弓月君(ゆづきのきみ)を祖とする氏族で、当初は大和国葛城辺りに住んでいところ、後に山背国太秦などにも移り住み、土木や養蚕、機織りなどの技術を生かして財を蓄えたといいます。長岡京から平安京への遷都も秦氏の財力に頼ったことでしょう。

 こうしてみると、日本の古代国家(政権)が定着するには渡来人の助力がなければ、成り立たなかったと言えます。さらに踏み込んで言えば、人類学的にみて、弥生人=渡来人ならば、日本人のルーツ、特に権力者や上流階級の一部というより、多くのルーツは、文字や算術や仏教、それに農耕、土木建築、冶金、陶芸、養蚕、機織り技術を会得していた渡来人なのかもしれません。

 少なくとも、渡来人や遣隋使や遣唐使らが齎した朝鮮や中国の文物や文献なしでは、日本の古代国家が成立したなかったことは確かだと言えます。