仏ボルドーとアリエノール・ダキテーヌのこと

 昨晩、自宅でボルドーBordeaux ワインを飲んでいたら、アリエノール・ダキテーヌのことを思い出しました。ボルドーは、フランス大西洋岸の都市であることは誰でも御存知のことでしょう。

 でも、かつてのボルドーはフランス領ではなく、イギリス領だったことを知っている日本人は私も含めてほとんどいらっしゃらないのではないかと思います。しかも、数年間ではなく300年間もです。不勉強な私がこの史実を知ったのはつい数年前のことでしたから(苦笑)。

 かつて、というのは1154年から1453年までの中世の300年間です。日本で言えば、平安時代末期から室町時代、銀閣寺の足利義政の時代までに当たります。簡単に歴史を振り返ってみますと、ボルドーには早くも紀元前300年頃にケルト系のガリア人(ゴーロワ)が住み着きます。紀元前56年にはローマ帝国の支配下になり、ブルディガラと呼ばれ、ブドウ栽培も始まりました。中世の300年間の英国領については後で触れるとして、フランス領に回帰して大西洋岸の中心都市となり、1581年~85年にかけて、「随想録 エセ―」で有名な哲学者・人文主義者モンテーニュがボルドー市長を務めます。17世紀の大航海時代になると、ボルドーは、アフリカと新大陸アメリカを結ぶ三角貿易の拠点として発展します。現在は、2016年にフランスの行政区分が変更され、ヌーヴェル・アキテーヌ地域圏の首府となっています。

 このアキテーヌに注目してください(ヌーヴェルとは「新しい」という意味です)。中世はボルドーを含むアキテーヌ地方は、アキテーヌ公の領地でした。アキテーヌ公は、王家にもつながる貴族です。日本で言えば、天皇王家と外戚関係を結んだ古代豪族の葛城氏や蘇我氏や藤原氏みたいなもんと理解すれば早いかもしれません。ただしアキテーヌ公の領地は日本の豪族とは比べ物にならないくらい広大です。

 そこにアリエノール・ダキテーヌ Aliénor d’Aquitaine(1122~1204年)が登場します。最重要人物です。アキテーヌ公ギョーム10世の第1子(長女)として生まれ、広大な領地を相続した女王(もしくは封建領主)です。結婚した相手は、後にフランス国王になるカペー朝のルイ7世でした。当時の王権の領土はパリ周辺程度でまだ確固としたものではなく、広大なアキテーヌ公の領地獲得が目的の一つだったとも言われています。夫婦仲は悪く、十字軍遠征の失敗などもあり、二人は離婚します。

 アリエノールが1152年に再婚した相手は、アンジュー伯ノルマンディー公アンリでした。そのアンリは、母親がイギリスのノルマン朝ヘンリー1世の娘マティルダだったことから王位継承を主張し、1154年に英国王ヘンリー2世(1133~89年)として即位します(プランタジネット朝)。その結果、英王妃となったアリエノールのアキテーヌ公領も英国領土(アンジュー帝国とも)になったわけです。

 しかし、アリエノール王妃とその11歳も年下のヘンリー2世との関係もぎくしゃくし、ヘンリー2世が愛人ロザモンドを寵愛したことから、子どもたちまでもが離反・敵対します。ヘンリー2世は、最期は失意の内に仏ロワール渓谷のシノン城で亡くなります。行年56歳。彼の晩年は、1966年に「冬のライオン」としてブロードウェーで舞台化され、68年には英国で映画化され、ヘンリー2世をピーター・オトゥール、エレノア(アリエノール)をキャサリン・ヘップバーンが演じて、彼女は米アカデミー賞主演女優賞を獲得しています。

 ボルドーを始め仏大西洋岸のアキテーヌ地方は、英国領として300年間続きましたが、その後、失地回復を狙うフランスと英国との間で、1339年に百年戦争が勃発し、奇跡的なジャンヌ・ダルクの活躍もあり、1453年、仏国王シャルル7世が英国軍が守るボルドーを陥落させて戦争を終結させ、領土も奪還しました。