縄文土器と土偶さまには圧倒されました

今日は斎藤君のお誕生日でしたが、猛暑の中、上野の東京国立博物館で開催中の「特別展 1万年の美の鼓動 縄文」を見に行って来ました。

暑かったので、戸外で並びたくなかったのですが、流石にこの暑さでは通常の週末にしては空いていました。

今は夏休みですから、子どもさんも多く訪れ、母親と小学校3年生ぐらいの男の子が仲良く見学していて、男の子は土偶を見ながら、「おちんちん付いているね」「おっぱいあるね」と感動してお母さんに大声で話しかけていました。将来が楽しみです(笑)。

大きくなってもこの感動を忘れないでほしいものです。私自身は、最近、日ごろの生きているだけでシンドイ、数々の、諸々の、生まれいずる悩みに振り回されていたことから、1万年前の日本人のご先祖さまたちが作った作品に癒しを求めにいったというのが正直なところでしょうか。

何しろ、5000年も1万年も前の大昔の人たちがつくった土器や土偶や飾りなどが目の前で見られるわけですから、たかだか、100年も生きられるか分からない人間の悩みなんて、ちっぽけに感じてしまうわけです。

フラッシュなしの撮影コーナーがありました

土器1点、土偶5点の「国宝コーナー」もありました。比較的新しい1992年ごろに指定されたようです。もっと早く認定されてもおかしくなかったことでしょう。今のところ、縄文作品の国宝は、この6点だけらしいのですが、それが、一堂に会して見られるのですからこんな贅沢な至福の時はありません。

国宝の「火焔型土器」(新潟県十日町市笹山遺跡出土)は意外と小さかったですね。でも、あの文様は誰が考案したんでしょうか。現代人やAIではとても作れませんね。果たして人間は進歩しているのかしら?

有名な土偶「仮面のビーナス」(長野県茅野市棚畑遺跡出土)や「縄文の女神」(山形県舟形町西ノ前遺跡出土)などは、まるで、宇宙人がつくったような造形でした。私が気に入った国宝は「合掌土偶」(青森県八戸市風張1遺跡出土)で、30センチもない本当に小さな土偶で、若い男性が這いつくばるようにして、蹲って手を前で合掌している姿をしていました。一度目にしただけで、ぐっと胸に迫ってくる感動がありました。

細かい技巧には圧倒されます。赤ちゃんを産んでいる母親の壺まであるんですよ。土偶などは祭祀に使われたのでしょう。縄文時代は、まだまだ未解明なところが多く、さらに研究が進んでほしい分野です。日本列島、南は九州から、北は函館まで、あちらこちらに縄文時代の遺跡が分散していたことには驚かされました。

せっかく、上野まで来ましたので、上野山の激戦地に建てられた彰義隊の墓をお参りして、国営放送の大河ドラマの主人公「西郷どん」の銅像にも会いに行ってきました。

やはり暑くて、とてもじっとしていられませんでした。

昼時を過ぎていたので、明治の文豪森鴎外もよく通っていたという「上野 蓮玉庵」に久しぶりに入り、かき揚げそば1000円とビール中700円を注文し、一人で縄文土器の感動に再び浸っておりました。

ご案内の通り、稲作の伝わった弥生時代の土器は、機能重視で、芸術性に欠けることは確かです。

縄文土器は、柳宗悦、河井寛次郎(文化勲章、人間国宝などは辞退)、濱田庄司といった民藝派をはじめ、「芸術は爆発だ」の岡本太郎らがこよなく愛し、多大な芸術的影響を受けたと言われています。

確かに見ているだけで、生きる勇気が湧いてきて、会場では思わず手を合わせて感謝してしまいました。

うまいめん食い村通信 ごちそうさまでした            2拍手

京都国立博物館の「池大雅展」は見どころ一杯

渓流斎先生ともあろう人が、じゃあーなりすとを気取っておきながら、よっぽど才能が劣化したのか、ネタが尽きたように思われますので、またまた、いつものように、タネをご提供申し上げましょう。
あ、申し遅れましたが、皆様ご存知の京洛先生です。
  迂生は、連休中に京博の「池大雅展」を見てきましたが、4月29日の祝日は、がら空きで、国宝、重文多数をゆっくり見ることができました。
 文豪川端康成が愛藏した国宝「十便十宜」(川端康成記念會蔵)は、大雅と与謝蕪村の合作ですが、確かに川端が手元に置いておきたかった名品、優品であるのが分かりました。
  来場者が少ないので、ガラスケース越しに、ゆっくり15分くらい、自分の所有物のように眺めることができました(笑)。
 このほか、国宝「楼閣山水図屏風」(東博蔵)、国宝「山水人物図襖」(遍照光院蔵)や、重文「蘭亭曲水・龍山勝会図屏風」(静岡県立美術館蔵)、重文「魚楽図」(京博蔵)、重文「五百羅漢図」(萬福寺蔵)などなど、どれも堂々として、画面いっぱいに、大雅の心意気が伝わります。
 池大雅は本名は「池野」だそうですね。京都の銀座の下っ端役人の子供で、彼が生きた享保(1704年)から元文、寛保、延享、寛延、宝暦、明和 、安永(1780年)までの、18世紀の洛中は、ちょうど与謝蕪村、円山応挙、長澤芦雪、伊藤若冲らも活躍していた時代でした。
  大坂に住んでいた皆様ご存知の木村兼葭堂(画家、本草学者)も京都に池大雅を訪ねて、あれこれ交流し、サロン活動を繰り広げていたようです。江戸時代も、幕末に向かう前の頃ですね。
 頼山陽も18世紀後半の生まれで、大雅より年下ですが、恐らく、池大雅らの影響を受けたりしていた思います。
  会期は今月20日までですが、今から出かけてもゆっくり見られると思いますよ。
 京博の近くにある真言宗智山派総本山「智積院」にもついでに立ち寄り、躑躅(つつじ)なども撮ってきました。
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「名作誕生」観賞記

世の中、平気で嘘をつく人たちが支配する殺伐とした雰囲気になりましたので、気分を洗いたくなり、東京・上野の国立博物館で開催し始めた「名作誕生」に足を運びました。

週末だというのに、始まったばかりなのか、それとも、民度が到達していないのか(笑)、意外と空いていてゆっくりと観賞できました。

ラッキーでした。

これでも渓流斎翁は、御幼少の砌から、東博には足を運んで、芸術作品を鑑賞したものです。

当時は、専ら「泰西名画」です。泰西名画といっても、今の若い人は分からないかもしれませんが、とにかく、泰西名画展のタイトルで盛んに展覧会が開催されていて、ルーベンスからゴッホ、モジリアニに至るまで、欧米から高い借り賃を払って運ばれた西洋の生の絵画を堪能してきたものです。

しかし、歳をとると、DNAのせいか、脂ぎった洋画はどうも胃にもたれるようになってしまいました。

たまには、お新香とお茶漬けを食べたいという感じです。

ということで、最近は専ら、日本美術の観賞に勤しんでおります。

本展でも、雪舟から、琳派、若冲、狩野派、等伯まで、しっかり神髄を抑えており、確かな手応えと見応えを感じました。

今まで、雪舟という名前だけしか掲示されませんでしたが、最新の研究成果からか、最近は「雪舟等楊」と掲示されるようになりましたね。

「名作誕生」ですから、影響を受けた中国の宋や明などの画壇の長老を模写した日本人絵師の作品が展示されてましたが、伊藤若冲ともなると、完璧にオリジナルを超えてました。

国際主義者と言われるかもしれませんが、若冲は、技量の面で、西洋絵画も超えてます。

それなのに、明治革命政権は廃仏毀釈をしたり、「平治物語絵巻」など国宝級作品の海外流出を黙認したりしていることから、若冲の偉大さに気づいていなかったのでしょうね。

米国人収集家によって、再発見、再評価されるのですから、何をか言わんですよ。

東博

本展で、最も感動した作品を一点挙げよと言われれば、迷うことなく長谷川等伯の「松林図屏風」です。

霧の中に浮かぶ松林が、黒白の墨絵で描かれ、近くで見ると分かりませんが、遠くで見ると見事に焦点が結ぶという、これ以上単純化できない、全ての装飾を剥ぎ取った究極の美を感じます。

東博所蔵で、もちろん「国宝」です。

何度目かの「再会」ですが、この作品を見られるだけでも足を運んだ甲斐がありました。

速水御舟が描いた二曲一双の屏風「名樹散椿」

こんにちは、京洛先生です。
 春のお彼岸の時季に、奥多摩では、遭難騒ぎがあったようですね。テレビのニュースでは、雪が降って、男女13人が下山出来ず、7人が、ヘリで救助された様子を空撮で流していました。ヘリコプターの救助は大掛かりで、相当お金もかかります。携帯電話で、救助を求めたそうで、”スマフォの時代”では、携帯電話も登山の必需品になっているのですね。しかも、遭難騒ぎには「外国人」も居て、すべて時代の合わせ鏡、写し絵です。
 
 ところでこの写真は何だか分かりますか?
 「これから、桜の季節に、京洛先生、椿ですか?」と反応があるかもしれませんが、茅屋の傍にある、通称「椿寺」こと、浄土宗「昆陽山 地蔵院」の散椿です。
 まだ、三分咲きですが、これから、4月上旬頃までが、見頃ですね。
 近代日本画の巨星、速水御舟が描いた二曲一双の屏風「名樹散椿」(「山種美術館」所蔵)は、この地蔵院の境内に咲き誇った、樹齢400年の椿を描いた作品です。
 昭和4年(1929年)に、御舟が描いた椿は、天正年間(1573年~92年)に、豊臣秀吉が、このお寺に寄進した椿で、原木は加藤清正が朝鮮から持ちかえったと言われていました。残念ながら、昭和57年(1983年)に枯れてしまい、写真の椿はその二代目です。それでも樹齢120年も経つ古木です。
 先代の椿も、今の椿も、紅、白、桃、紅白絞りと多彩で、五色八重の散り椿です。
 速水御舟は、昭和4年(1929年)に、屏風を描きましたが、近砂子(金の細粉)を撒き散らした、独自の画法で出来上がっていて、椿の華麗さがよく分かります。「名樹散椿」は昭和52年(1977年)に、昭和期の作品として初の「重文」指定されています。如何に名品、名画であるか分かるでしょう。
 渋谷区広尾の「山種美術館」に出向いて、時間のある時に、この作品をじっくり眺められてはどうですか。
 同美術館には、やはり御舟の作品「炎舞」も所蔵していますが、同美術館にとっては、御舟のこの2作品だけで、十分、その存在価値があると思いますね。
 桜を愛でる前に、二代目ですが、美しい椿の色を愉しんでみてくだされば幸いです。
 以上
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「仁和寺と御室派のみほとけ」展では思わず手を合わせてしまいました

最近、文化事業に力を入れている天下の読売新聞主催の特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」を帝都・上野国立博物館まで朝一番で観に行ってきました。

京都にお住まいの京洛先生からのお薦めで、出掛けたのですが、京洛先生の仰るように「帝都の臣民は、篤い信仰心もなければ、教養が高い人は少ないので、並ばずに直ぐに入れますよ」というわけにはいかず、下記写真のように、「待ち時間40分」の表示。

実質時間を測りましたら、22分で入場することができ、「国宝」や「重要文化財」の前では、二重、三重、四重のとぐろ状態で、かなり盛況でした。

京都・真言宗御室派総本山仁和寺の秘蔵お宝だけではなく、その御室派の筋に当たる大阪・金剛寺、福井・明通寺、香川・屋島寺、大阪・葛井寺、三重・蓮光院などからも惜しげもなく国宝や重文が出展され、それはそれは見事でした。

日本の展覧会では、まず、録音や写真撮影は禁止されておりますが、仁和寺観音堂を再現したこの場所だけは、どういうわけか撮影オッケーでした。

表現が不適切かもしれませんが、圧倒的な迫力で、まるで、仁和寺の伽藍にいるかのような錯覚に陥り、思わず、手を合わせてしまいました。

昔は、展覧会に行く度に、必ず、カタログを買っていたのですが、最近は、やめてしまいました。重く嵩張り、自宅で置くスペースもなく、死んであの世に持っていけるわけでもなく(笑)、蔵書も含めてあらゆる意味で、コレクションの趣味をやめてしまったからです。

それでも、撮影禁止の国宝「千手観音菩薩坐像」(奈良時代・8世紀、大阪・葛井寺)は、ことのほか感銘してしまい、思わず、カタログか絵葉書でも買おうかとしましたが、結局、やめてしまいました。

(リーフレットから葛井寺の千手観音坐像)

このご本尊様は本当に凄い秘仏でした。大阪・葛井寺でも滅多に公開されないようです。公開されたとしても、今回の特別展のように、背後まで見られるようなことはないでしょう。

千手観音の名前の通り、実際に手が千本以上あるのは、この葛井寺の「千手観音坐像」以外、日本では他にないらしく、ここだけは、人だかりが半端じゃありませんでした。

入口に置いてあった「出品目録」で数えてみたら、国宝は、空海の「三十帖冊子」など24点、重文は、徳島・雲辺寺「千手観音菩薩坐像」(経尋作、平安時代・12世紀)など75点もありました。

仁和寺は仁和4年(888年)、宇多天皇により創建されました。ということは、皇室皇族の寺院というわけです。秘仏や国宝が揃っているわけです。

そして、天皇は一人しかなれないことで、他の皇子や皇族は代々、このような寺院の門跡(住職)を務めるようになっていたのです。よく考えられたシステムです。

正直言いますと、私自身、博物館での仏像展示は、何ら功徳も御利益もなく、邪道ではないかと訝しむ気持ちがかつてはありましたが、信仰心さえあれば、そんなことはない、と心を改めることにしました。

この特別展がそのきっかけを作ってくださった気がします。

「仁和寺展」は、東博の「平成館」で開催されていて、見終われば、いつもなら、そのまま帰路に着いていたのですが、今回は、久し振りに「本館」にも立ち寄ってみました、数十年ぶりかもしれません(笑)。

多くの展示品の中で、徳川四天王の一人、榊原康政(上野国館林藩主)の甲冑に魅せられました。本物だと思われますが、意外と小さい。兜には1本太刀がスッと装飾されていました。

ランチがてら、上野から御徒町の「寿司幸」まで足を伸ばしました。博物館から歩けないことはないのですが、以前、アメ横を通ったら、人混みでほとんど前に足が進めない状態で、ウンザリしてしまったので、電車に乗って行きました。

そこまでして食べたかったのは、ここの名物のネギトロとコハダの握り。

昼間っから、オチャケで喉を潤しました。

いやあ、極楽、極楽(笑)

「唐代 胡人俑(こじんよう)」特別展

大阪の浪華先生です。ご無沙汰しております。

東京は此処へきて気温が上昇、暖かくなっているようですが、関西は寒さがおさまりそうではありませんね。少し温かくなったか、と思うと、すぐ、小雪が舞い散り、春はやはり奈良の「お水取り」が終わらないとやはりダメです。「梅は咲いたか、桜は、まだ、かいなあ!」とは、よく言ったものです。

東京は東京国立博物館で「仁和寺」特別展が開かれているようですが、こちらは、大阪・中之島の大阪市立東洋陶磁美術館で、日中国交正常化45周年記念と開館35周年記念と題して「唐代 胡人俑(こじんよう)」特別展(3月25日まで)が開催中です。

2001年に甘粛省慶城県で、唐の時代の遊撃将軍と言われた穆秦(ぼくたい)のお墓(730年)が発見されました。お墓から出土、発見されたのは、極めてリアルでエキゾチックな、胡人や交易に使われたラクダ、馬などを描いた陶製の副葬品で、今回、それらのうち、慶城県博物館所蔵の貴重な、60点が中国から運ばれて、特別展として展示されています。

「胡人(こじん)」は、漢民族にとっては異民族であり、中央アジアを中心に活躍したソクド人らを指します。
唐(618年~907年)の時代、シルクロードを使って、唐の都である長安と、西方文化の交易に大きな影響を与えたわけですが、これらの作品を見ると胡人が漢人からどう見られていたか、よく分かります。

実物を直かに見ると、何とも言えない、ユーモアや人間味が感じられ見惚れました。大胆に異民族をデフォルメして、今、見ても、唐代の人が、胡人に感じた怖れや違和感、彼らのバイタリティを巧みに表現、それらをひしひしと感じ取れました。人物だけでなく、駱駝や馬も、活き活きと描かれていて、渓流斎さんも、ご覧になると、きっと「極端に誇張されているようにみえて、本質を迫っていますね」と礼賛されると思います。

残念ながら、東京では開催されません。もし、ご興味があれば「大阪市立東洋陶磁美術館」のホームページを検索されて、その中で動画の「黄土の魂 唐代 胡人俑の世界~生を写して気満ちる」(約15分)をご覧になると歴史的な経過などが分かることでしょう。

この展覧会では、フラッシュさえ使用しなければ、写真撮影もOKでした。珍しいですね。
小生は、紅色が鮮やかな「加彩女俑(唐 開元18年 西暦730年)」と、泣いているようにも見え、両手、両膝を地面に付けている「加彩跪拝俑」(同)の二点をデジカメで寫してきました。ご覧ください。

仁和寺の名宝展は見応え十分ですぞよ

お久しぶりです。京洛先生です。(いよっ!待ってました!)

渓流斎さんとやら、昨日は、帝都・銀座の高級バー「伽藍」のことを書かれておられましたが、貴人のような「減俸サラリーマン」が通えるようなお店ではありませんよ。まあ、ランチでお茶を濁すことぐらいが関の山でしょう(笑)。

さて、同じ伽藍は伽藍でも、先月11日から、上野の東京国立博物館で始まった「仁和寺御室派みほとけ~天平真言密教の名宝」特別展(開催3月11日まで。主催=東博、仁和寺、讀賣新聞社)はまだご覧になっていませんか。
まだなら、是非見に行かれたら良いでしょう。「京洛先生!1600円もかかりますよ。年金もない減給の身ではとても行けませんよ!」などととケチ臭いことを言ってはいけませんね。”東銀座の大伽藍”で、知的なお仕事をされているのですから日々、「教養」を高めなければいけませんね。

この展覧会は、仁和寺の本山は勿論、同寺の関連寺院の秘仏や国宝が一堂に展観されていて、見応え十分です。「御用新聞」に成り下がった讀賣新聞拡販のための宣撫活動ではありませんよ(笑)。

以前、貴人に「絶対秘仏」と「秘仏」についてお話をしましたが、会期中に、仁和寺の本尊秘仏の「国宝 薬師如来坐像(2月14日~3月11日)」や「国宝 孔雀明王像(2月12日まで展示)」などが展観されていて、同展開催中は、文字通り、京都の仁和寺の「伽藍」は、もぬけの殻状態でしょう。

Copyright par Matsouoqua  Sousoumou

特に来週14日(火)から、展示される大阪府藤井寺市の葛井寺(ふじいてら)の本尊「国宝 千手観音菩薩坐像」は是非見に行かれるべきですね。奈良時代、天平彫刻の傑作の一つと言われています。この像は大手、小手が全部で1041本あり、数ある千手観音像の中で、1000本以上も手があるのはこの像しか日本ではないそうです。迂生はまだ拝んだことはありませんが、写真で見てもその有難味が伝わりますね。

このほか、一年に一回しか開扉されない兵庫県西宮市の神呪寺(かんのうじ)の秘仏「重文 如意輪観音菩薩坐像(平安末期)」(通期展示)や、御室派寺院秘仏本尊が展示されています。

帝都に居ても、これだけの仏教秘仏はなかなかお目にかかれないと思います。拝んで来られたら、色々、ご利益があると思います。当然、貴人の運気も向上することでしょう。

無神論者=無党派層が多い、帝都圏では、同展の有難味が分からず、意外にも並ばずにスムーズに拝見出来るのではないでしょうか。行ってきて感想譚を日乗に書いてください。

…は、はあー…そこまで言われちゃいますとねえ…

青野画伯のパステル画個展

東京・銀座「澁谷画廊」青野平パステル画個展で熱心に鑑賞される辰澤殿下

昨晩は、赤羽先生からのお導きで東京・銀座の澁谷画廊で開催中の「青野平パステル画個展」に行って来ました。

何の予備知識もなく、ただ単に「澁谷画廊の瀬戸内支配人さんが、皆んなで集まって飲み会をやりますので、参加しませんか」と誘われ、待ち合わせ場所が、澁谷画廊だと聞いて、ホイホイ出掛けただけだったのでした。

そしたら驚きましたね。

色鮮やかなパステル画で、風景画や静物画が多く、北海道の美瑛や中国の蘇州や興福寺の阿修羅や薔薇の絵などデッサンもしっかりしていて玄人はだし。

いや、青野画伯はもともと裁判官だった方だというお話を聞いていただけでしたので、まさか、絵までお描きになるなんて知らなかったもので、失礼なことをしてしまったなあと思ったわけです。

消息筋によりますと、青野画伯は愛媛県で、本当は東京芸大に進学したかったらしいですが、県下一の大秀才という誉れ高く、教師らから猛反対されて、渋々、東京大学法学部を受けたところ首席で合格。愛媛県の同世代にノーベル賞作家の大江健三郎がおりますが、彼より頭が良かったそうです。

司法試験にもトップで合格し、裁判官の道に進みますが、少年時代からの夢を捨てがたく、札幌家裁の所長として赴任した際に本格的にほぼ独学でパステル画を始めたそうです。

パステル画の絵の具は、世界的に有名なドイツ製のシュミンケを使っているそうですが、色彩が豊富で、プロが使うような720種になると15万円ぐらいするそうですね。

ですから、青野画伯に対して「玄人はだし」なぞという言葉は大変失礼で、今は正真正銘のプロの作家です。これまた、噂ながら、青野画伯の絵は、1号当たり、ウン万円もするらしく、もう数点、売約済みなんだそうです。

東京・銀座8丁目「八丈島 ゆうき丸」いも焼酎「島流し」

この後、瀬戸内支配人のお導きで、彼女の行きつけの銀座8丁目「八丈島 ゆうき丸」に行きました。青野画伯も同席されるのかと思ったら、そうではなく、本当に予備知識なく、言われるまんまついて行きました(笑)。

そこは、超が付くくらい高級の八丈島料理店でした。銀座ですからね。

そこで、瀬戸内支配人おススメの芋焼酎「島流し」や明日葉と烏賊の天ぷら、お刺身盛り合わせなどに舌鼓を打ちました。(そいえば、関ケ原の合戦で敗れた秀吉五大老の宇喜多秀家は、八丈島に島流しされましたね。島流しをブランド名にするとは!)

画廊の瀬戸内支配人の話で驚いたことは、中国人観光客のマナーの悪さです。画廊ですから、確かに誰でも出入り自由ですが、彼らは団体で押し寄せ、大きな声でお喋りして奥のソファに居座って絵なんか見やしない。その反対に、断りもなく勝手にバチバチ写真を撮り始める。厚かましいことに勝手にトイレまで使ってそのまま休憩して出て行くというのです。

考えられませんね。我々が海外に行ってトイレを使えば、チップを払いますからね。

意外なことに、と書くと怒られてしまいますが、韓国人観光客は礼儀正しく、勝手に写真を撮ったりしないというのです。

へーと思ってしまいました。

ところで、同席した圧力団体職員幹部の辰澤殿下は「渓流斎日乗って、最近、つまんないですね。いつも、ITの松長社長と痛飲した話ばかり。面白いのは、京洛先生の京都のお話ぐらいですよ」と、何を血迷ったのか、日馬富士のようにリモコン片手に絡んでくるのです。

しかも、私、本人がいる前、まさに面罵ですからね。

ちったあ手加減してくれい!

「正倉院展」見聞記

奈良・東大寺 Copyright par Saidaiji sensei

奈良の西大寺先生です。

◇宝物10件が初出陳

昨日は「正倉院展(〜13日まで)」を見てきました。パリからこちらに戻ってから、毎年見て来ていますが、今年の陳列58件の宝物のうち10件は、初出陳でした。

ご案内のように写真厳禁で撮れませんので「こうだ!ああだ!」と言えませんが、初出陳のうち、蠟ミツバチの巣から作った「﨟蜜(ろうみつ)」は興味を持って見てきました。

奈良公園 Copyright par Saidaiji sensei

◇薬品を工芸に使う

「正倉院展」で検索すれば写真が出てくると思いますが、今年の目玉の出陳品は、羊木﨟纈屏風(ひつぎろうけちびょうぶ)などに使われた宝物の薬品です。この薬品を使って、屏風の模様を描く材料に使われていたそうです。

1〜2センチ程度の形状で、お餅というか円盤のような形をしていました。トウヨウミツバチの巣を溶かし圧搾してつくるということです。
中国の古代の医書にも記されていて、正倉院でも「種々薬帳」に記載されていて、古代、薬を工芸の目的に使っていたのです。

このほか、緑色ガラスの「緑瑠璃十二曲長坏(みどり るりの じゅうにきょく ちょうはい)」は色鮮やかで、人だかりが多く、ちらっと見ることしかできませんでした。ウサギの模様が描かれているのですが、「ちらっと」ですから、よく確かめられませんでした(笑)。

奈良公園 Copyright par Saidaiji sensei

◇三軒茶屋ガルーダ博士の講釈聴きたい

「伎楽面 迦楼羅(ぎがくめん かるら)」も、初出陳で、中国・江南地方が源流と言われる「仮面舞踊劇」に使われたお面です。古代インドのガルーダ(霊鳥)に由来するという事で、三軒茶屋のガルーダ博士の講釈を伺いたいところでした。

京博の「国宝」も長蛇の列ですが、「正倉院展」も舞員御礼。入場制限がありそうなので、混雑しない時間はないかと調べてみたら、「平日の昼食時12時から1時半が空いている」という事でした。
確かに12時過ぎに行きましたが、スイスイ入場出来ましたね(笑)。
帰途、「東大寺」の大仏さんも久しぶりに見てきましたが、東大寺、奈良公園の紅葉はこれからでした。

「運慶」見て来ました★★★★★

東京国立博物館平成館

東京・上野の東博で開催中の「運慶」を見て来ました。京都国立博物館の「国宝」と同じように、こちらも運慶展などと言いません(笑)。

京都のように、かなり並ばされるかなあ、と覚悟してましたが、小雨の悪天候のためか、週末なのに並ばれずに入れました。ただし、館内は二重三重の大混雑でした。

出展作品は、仏像や四天王が主ですから、本来なら荘厳なる寺院で敬虔なる面持ちで拝さなければならないのに、こうして美術作品のように鑑賞するのも何か変な感じがしました。

こちらにも「国宝」がありました(笑)。あの美術の教科書にも載っている東大寺の「重源上人像」も出品されていたので吃驚。作者名はなく、「運慶作とみられる」ということで展示されていたようです。割と小振りですが、生前の上人の性格から強い意志まで見事に表現しておりました。

運慶と言えば、誰が何と言っても、奈良・東大寺南大門の「金剛力士像(阿吽像)」でしょうが、まさか、東京まで運んで来るわけにはいきませんよね。

作品の殆どは、奈良・興福寺蔵のもので、ちょうど今、興福寺では国宝館の耐震工事や中金堂の復元などが行われているため、こうして、寺院外での展示が実現したのでしょう。

これだけ大天才の芸術家の運慶なのに、興福寺の仏師康慶の息子であること以外、生年不詳なんですよね。「風神雷神」の俵屋宗達もよく分かっておりませんが、大天才に限ってそんなもんかもしれません。

今回、私が最も気に入った展示品は、運慶の三男康弁(生没年不詳)の「天燈鬼・龍燈鬼立像」のうちの天燈鬼像でした。これも美術の教科書なんかによく載っています。

高さ約78センチ。普段は四天王に踏みつけられている邪鬼が主役です。天燈鬼は、2本の角と三つの目を持ち、燈籠を左肩に乗せて踏ん張ってます。いいですねえ。普段は、皆んなに恐れられ、汚わらしいと忌み嫌われ、差別されている鬼さんが主役です。本当は心優しい働き者なんですよ、とでも言いたげです。

この作品は、エヘン、国宝です。

東博を出て、昼時でしたので、上野名物トンカツ屋さんにでも行こうかと思いましたが、今は、哀しい哉、立ち喰い蕎麦の身分です。

しかし、わざわざ上野にまで出て来て立ち喰い蕎麦ではあまりにも味気ない。ということで、久し振りに上野警察署近くの「おきな庵」に行ってきました。知る人ぞ知る名店でいつも混雑してます。

思い切って、天麩羅蕎麦950円。やはり、邪鬼としては、身分不相応でした(笑)。