ロバート・ジョンソン

公開日時: 2005年3月31日 

◎カレーにブルースはよく似合う
=ロバート・ジョンソンは渋い大人の味だ!=

帯広市東1条南5丁目にある「東印度会社」という名前のカレー屋さんは、恐らく帯広一、いや北海道で一番美味しいと思う。
ここのマスターの村井さんが、大の音楽好き。大正時代に作られた古い土蔵を改装したこの店では、色んなジャンルの音楽をかけているが、私が食事に行く夜の時間帯は決まってブルースが掛けられている。マスターの一番のお気に入りだ。ここでライトニング・ホプキンスやバディ・ガイといった数々のブルースマンの名盤を教えてもらい、聴かせてもらっている。

でも、ロバート・ジョンソンはあまりにも有名すぎて解説もいらないかもしれない。私も以前からその存在は耳にしていた。ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンらが大変影響を受けていて、クリーム時代のクラプトンが取り上げた「クロスロード」やストーンズの名盤「レット・イット・ブリード」に収められた「ラブ・イン・ヴェイン」は彼の作品だということは知っていた。しかし、実は、オリジナルを聴くのは今回が初めてだった。

CD「コンプリート ロバート・ジョンソン」にはジョンソンが残した全29曲が収録されている。わずか?そう、彼は全盛期の27歳の時、毒殺されたのだ。女にだらしのなかったジョンソンは、旅の先々でちょっかいを出し、関係を持った女性の夫にミシシッピの酒場で毒入りのバーボンを飲まされたという。1938年のことだった。それでも、音楽面で後世に与えた影響は甚大だ。

何しろストーンズのキースが若い頃、ジョンソンの曲を初めて聴いた時、彼以外にもう一人がギターを弾いていると思っていたというし、クラプトンは全てジョンソンの曲をカバーしたアルバムを最近発表するぐらい心酔している。その超人的なギターテクニックも「悪魔に魂を売って身に着けた」という伝説の持ち主。初めは随分シンプルに聴こえるが、そのうちに、ジョンソンの魂の叫びが耳に付いて離れなくなる。カレーのように辛酸をなめた大人の味。そう、意外にもカレーにブルースはお似合いだ。(了)

エディット・ピアフを知っていますか?

公開日時: 2005年3月30日

今の若い人は「愛の讃歌」も「バラ色の人生」も知らないどころか、エディット・ピアフの名前すら知らない人が多いという。ピアフは1963年、今から42年も前に47歳の若さで生涯を閉じている。もう歴史上の存在といっていいのかもしれない。

そういう私も、若い頃はピアフはあまり好きではなかった。と言うより、あまり関心がなかった。正直、理解できなかった。それもそのはず。世間知らずのお坊ちゃんには彼女の苦悩が理解できるわけがない。世間にもまれて己の成熟を待つしかない。

ピアフは1915年、大道芸人の娘として生まれ、育児を放棄した両親に代わって、祖母に育てられ、3歳で失明し、6歳で視力を取り戻し、7歳で街頭で歌を歌い始め、17歳で娘を出産し、その娘も2歳半で脳膜炎で亡くし…、キリがないの端折るが、32歳でボクサーと激しい恋に落ち、彼はミドル級の世界チャンピオンになるが、その栄光の絶頂で飛行機事故で死亡…。人はこれらを不幸と呼ぶが、ピアフに限って、その不幸の数は枚挙に暇が無い。歌手として大成功した幸運の代償にしてはあまりにも大きすぎる。

シモーヌ・ベルトー著『愛の讃歌ーエディット・ピアフの生涯』によると、彼女は1951年から1963年にかけて、自動車事故4回、自殺未遂1回、麻薬中毒療法4回、睡眠療法1回、肝臓病の昏睡3回、狂気の発作1回、アル中の発作2回、手術7回、気管支肺炎2回、肺水腫1回を経験したという。何ですか、この有様は!

神様は、その人が耐え切れないほどの苦悩や不幸は与えないと言われるが、彼女ならずとも「これは、あんまりではありませんか」と、天を怨みたくなってしまう。

ピアフの生涯を思えば…。どんな辛いことがあっても乗り切れそうな気持ちになれる。

カエターノ・ヴェローゾ

公開日時: 2005年3月28日

◎日曜日はサウダージな世界に浸ろう
=カエターノ・ヴェローゾを知らなかった私=

北海道帯広市にある地元紙「十勝毎日新聞」の栗田記者から「日曜日の昼下がりに聴くのでしたら、ピッタリですよ」と言って薦められたのがカエターノ・ヴェローゾの「ドミンゴ」というCDでした。どこか1960年代のフラワームーブメントの世代を思わせるカバージャケット。それもそのはず、このCDは1967年に発表されていたのでした。
栗田記者はまだ20代後半だというのに、やたらとジャズやワールドミュージックに詳しい。何しろ私と音楽談義をしても一歩も引けをとらないからだ(笑)。
「渓流斎先生、カエターノ・ヴェローゾも知らないなんてもぐりですよ」。ありゃあ、一本取られた。ということで、インターネット通して密かに買い求めてしまいました。
調べてみると、カエターノはMPB(ブラジル・ポピュラー音楽)の第一人者で、トロピカリズモの創始者。まあ、簡単に言えば、同郷のバイア州出身のジョアン・ジルベルトに憧れて音楽を始め、ボサノヴァにロックを取り入れた革命児らしい。今年、63歳になるからあのポール・マッカートニーと同い年。音楽活動暦も40年にも及ぶ。
正直、知らなかったですね、彼のこと。日本のマスコミも欧米偏重だったからブラジル音楽といえば、「セルジオ・メンデスとブラジル66」ぐらいだったのです。
このCD。私もやはり文句なしにお奨めです。ジャケットの中央のカエターノの右隣が当時22歳のガル・コスタ。彼女のヴォーカルがまたいい。カエターノのメランコリックでサウダージ(哀愁)な世界によく似合う。カエターノの抑制の効いた囁くような声もしびれる。驚くことに、この時、まだ25歳の若さだ。
このCDの1曲目の「コラサォン・ヴァガブンド」がカエターノの芸歴で最も重要な曲の1つらしいが、私のように最初は何の偏見も持たず、聞き流したらどうでしょうか。好きな1曲が必ず見つかるはずです。それにしても栗田記者は何で「日曜の昼下がり」なんて言ったのだろう。そうかあ、タイトル曲の「ドミンゴ」が「日曜日」という意味だったのですね。

夏川りみ讃

公開日時: 2005年3月23日 

確かにブログを毎日書き続けることは大変ですね。
本日は再び、過去に書いた音楽エッセイで誤魔化します。

◎南国の潮の香りにあこがれて
=北国には夏川りみの歌声が似合う=

私は目下、北海道に住んでいます。4月に入っても本当に寒いですよ、こちらは。人間、特に私のような天邪鬼は正反対なものに憧れるようで、雪深い中、毎日毎日、南国の椰子の木陰と潮の香りを渇望しているわけです。そんな時、ラジオから流れる夏川りみちゃんの澄んだ歌声とゆったりとした三線(さんしん)の音色が、故郷でもないのに、一度だけ行ったことがある沖縄への「望郷の念」を掻き立てるのです。

迷わず、徒歩10分のCDショップに駆け込みました。目指すは彼女の最新アルバム「沖縄の風」。やはり期待を裏切りませんでした。これまで何度もCD化されている「涙そうそう」(ついに100万枚突破!)と「童神」も収められているので初めて買う人にはお得かもしれません。この2曲は何度聴いても飽きないし、本当に名曲ですね。世界に誇ってもいいくらいです。

石垣島出身の夏川りみは、子供の時に「のど自慢大会」で優勝するなど「天才歌手」として誉れ高かったのですが、何と一度「星美里」の芸名でデビューして全く売れず、一旦、歌手を廃業していたんですね。

「涙そうそう」は、同じ石垣島出身のビギンが、森山良子のために作った曲で、森山は22歳の時に死別した兄のことを詞にしたそうです。この曲をりみちゃんがビギンから「もらった」というエピソードは彼女のファンの人なら誰でも知っているでしょうが、私は正直知らなかったなあ。何しろ「なみだそうそう」と読んでいたくらいですから。本当は「なだそうそう」。沖縄の方言で「涙ぽろぽろ」という意味だそうです。あ、これも彼女のファンにとっては常識でしたね。

チェット・ベイカー

公開日時: 2005年3月21日

渓流斎がブログを始めた理由の1つに、これまで8年間、ある雑誌に連載していた音楽エッセーが終了したことが原因にあります。おかげで世間様に署名で発表する機会が1つ減ってしまったわけです。「それなら、自分で手間暇掛けずに発信してしまおう」というのがこのブログに挑戦したきっかけになったのです。これから、数日間に渡って、これまで連載してきたその音楽エッセーの一部をご紹介致します。

◎ジャズの歴史的名盤をついに発掘!
=チェット・ベイカーにみる人生の悦びと辛さ=

チェット・ベイカーと聞いて「おー」と声を上げた人はかなりの音楽通かジャズファンですね。チェット・ベイカーには「シングス」という歴史に残る名盤中の名盤があります。と、書きながら、小生は知らなかったのですね。恥ずかしながら。帯広の地元FM局の一つである「FM-WING」でこのアーティストを教えてもらいました。これでもジャズについてはかなり通になったつもりでした。十年程にビル・エバンスを聴いてすっかりはまって、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンを中心にCDも百枚以上買ったと思う。六本木の「ピット・イン」や南青山の「ブルーノート」にも足繁く通ったものです。CDは持っていなくても大抵のジャズマンの名前と曲ぐらいは知っているつもりでした。
しかし、正直、彼のことは知らなかですね。最初、聴いた時、女性の黒人ヴォーカリストだと思ったくらいですから。早速、自宅から歩いて10分のCDショップ「玉光堂」に行ってきました。まさか、売っているとは思はなかったのに何と彼のCDが20枚くらいもあるのです。おかげで何を買ったらいいのか分からず、結局「えい、やあ」と選んで買ったのがこのCD「シングス」でした。
「歴史的名盤」というのも別に私が決めたわけではありません。このCDを知らないジャズファンは「もぐり」なんだそうです。そんな「もぐり」が講釈するとは片腹痛いのですが、まあ、聞いてくんなせい。
ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンとミュージシャンの中には、不幸な最期を遂げる人が多いが、彼もご多分に漏れず、かなり波乱万丈の生涯を送ったようです。1929年に米国のオクラホマ州に生まれ、トランペッターとしてデビューし、20代で早くもウエストコースト・ジャズの旗手としてマイルスを凌ぐ人気者に。しかし、このCDは、トランペット奏者としてではなく、彼のヴォーカルにスポットを当てたもので、54年と56年に録音されている。まさにジャズの黄金時代。ヘレン・メリルの名盤「ウイズ・クロフォード・ブラウン」がリリースされたのもこの頃なんですね。
「シングス」のジャケット写真を見ると、髪型といい、白いTシャツにジーンズ姿といい、同世代のジェームス・ディーンにそっくりだ。その端正な顔つきも、麻薬中毒のおかげで、40代にして早くも老醜を晒し、58歳にしてホテルから転落するという、自殺か事故かわからない非業な死を遂げるのです。
もっと色々書きたいのだが、残念、紙数が尽きた。とにかく、一度聴いて彼の魅力に浸ってほしい。彼の囁くような中性的な歌声には、大人であることの苦しみ、辛さ、悦びがすべて詰まっているような気がする。
おっと、忘れるところだった。彼から最も影響を受けたのが、あのボサノヴァの創始者、ジョアン・ジルベルトだったんですって!道理で…。