黒人差別が激しかった1960年代の米最南部が舞台の青春物語=山本悦夫著「ホーニドハウス」

 山本悦夫著「ホーニドハウス」(インターナショナルセイア社、2021年5月31日初版、1980円)を読了しました。

 この本は、今年4月21日付のこの渓流斎ブログで取り上げましたので、少し重複するかもしれませんが、読後感は、なかなか良かったでした。(何しろ、著者の山本氏は、この小説について、5万部の売り上げを目指していますからね。)

 事件が起きるようで起きないようで、やはり何かが起き、恋の成就がうまくいくようで、いかないようで…。要するに先が読めないというか、これから先どうなってしまうのか、いわゆる一つのサスペンスのような推理小説として読んでもいいような作品でした。

 いやはや、どっち付かずな書き方で大変失礼致しましたが、80歳代後半の方が書かれたとはとても思えない、瑞々しい青春物語になっています。作品は、1965年、米最南部フロリダ州の大学町が舞台になっています。この年に米軍によるベトナム北爆が始まり、米国内では依然として黒人への人種差別が激しく、黒人が入れる店と白人が入れる店とは別々で、黒人暴動や公民権運動が広がった時代でした。

 著者の山本氏をそのまま反映した主人公の太郎は、そんな時代の最中に米フロリダ大学経済学部大学院に留学し、そこで知り合った韓国やタイやインドネシアからの国費留学生や現地の白人や黒人らとの交流が描かれます。著者の記憶力には脱帽です。

 主人公太郎が下宿したホーニドハウスとは、haunted house(お化け屋敷)のことですから、「ホーンテッドハウス」の間違いかと思ったら、ディープサウス(米最南部)では、ホーニドハウスと発音するらしいですね。私も一度、フロリダ州オーランド経由で大型客船に乗って、バハマなど周遊(クルージング)する取材旅行に行ったことがありますが(何という贅沢!)、オーランドのホテルの受付の女性の南部なまりの発音が独特で、さっぱり聞き取ることができなかったことを思い出しました。

 第一、オーランドは、「オーランド」とは発音せず、「オラーーンド」と発音していましたからね。通じないはずです(笑)。

 さて、物語には一癖も二癖もありそうな人が登場します。ホーニドハウスの隣人だったジョンは印刷会社に勤めながら、自宅ではダンテの地獄図のような絵を描くアーチストで、室内を真っ赤に装飾する変わった人物で、性的マイノリティー。結局、彼には振り回される日々を送ることになります。

 ホーニドハウスは、黒人居住区と白人居住区の境目辺りにあり、近くにある黒人専用の酒場に思い切って入った太郎は、そこで黒人女性のジンと知り合います。その前に白人のマーサーと一度だけデートをしますが、マーサーは大学のホームカミングのクイーンに推薦されるほどの金髪美人で、太郎は、とても自分に釣り合うわけがないと自ら引いてしまいます。

 同じ大学に通う白人のフレッドは、日本人の太郎に親近感を持って自宅のパーティーに招待してくれ、美大生である従妹のリリーを紹介してくれますが、彼女は足が悪く杖がなければ歩けません。リリーは性格も良く素晴らしい女性ですが、太郎は、日本に恋人がいるし、このままだとフロリダの田舎で一生住み続けることになり、それは本意ではありません。それでも、フレッドは、何かと機会をつくって、しきりにリリーを太郎とくっつけようとします。

 まあ、主人公の本職は勉学ですが、その合間に出掛けた酒場で、黒人から「ビールをおごれ」とナイフで脅されたり、逆にマックという親切な男にバーベキューパーティーに招待され、黒人たちから歓待されたりします。

 最後はどうなるのか、ここでは触れられませんが、読み終わった後、この作品を映画化したら面白いじゃないかなあ、と思いました。フィクションとはいえ、ほぼ実際に体験したことが書かれ、貴重な同時代人の証言になっていますから。

日本国を動かしている闇の世界が熟知できますよ=寺尾文孝著「闇の盾」

 「ワクチン優等生」のはずだったイスラエルで、コロナ感染が再拡大していると報じられています。5月下旬に1日4人だったのが、6月21日には約2カ月ぶりに100人を超えて増加傾向なんだそうです。市民の約55%が既に2回のワクチン接種済みだというのに、です。変異種のインド型デルタ株が要因のようです。

 変異種が蔓延ってしまうと、今のワクチン打っても駄目なんでしょうかねえ? と聞いても誰も答えられないでしょうね(苦笑)。

◇裏社会のことを知ってこそ

 さて、今、私の自宅書斎の机の上は、読みたい本やら、読まなければいけない本やらで、積読状態で、それらの本の高さが1メートルぐらいあります(少し大袈裟)。先日亡くなった評論家の立花隆さんじゃありませんが、まだまだ知りたいことがいっぱいあるので、仕方ありません。

 長年、この渓流斎ブログを御愛読して頂いている皆様なら既に御承知でしょうが、私の好奇心の原点には、世の中の仕組みや、誰が動かしているか、とか、背後にどんな力があったのかといったことを知りたいということがあります。となると、表で報道されていることだけでは、事件や事案の真相は全く分かりません。歴史も、正史よりも稗史が面白いのと同じように、皮相的な新聞やテレビの報道よりも雑誌報道の方が真実をついていることが多いのと同じです。となると、世間では毛嫌いされている裏社会のことも熟知しなければなりません。

 前置きが長くなりましたが、新聞広告で寺尾文孝著「闇の盾」(講談社、2021年6月15日第2刷、1980円)という本の存在を知り、すぐさま購入し、他に読む本がいっぱいあるのに、この本だけは一気に読んでしまいました。凄い本でした。まあ、とてつもない。

 不勉強ながら、この著者の寺尾文孝氏については全く知りませんでした。本の副題は「政界・警察・芸能界の守り神と呼ばれた男」で、新聞広告では元首相の細川護熙氏や野球解説者の江本孟紀氏までもが推薦文を寄せていました。どうやら、著者は裏社会の人間ではなく、表社会の警察官出身のようでした。肩書は、日本リスクコントロール社長。同社は、究極のトラブルを解決する会社で、仕事の依頼は全て口コミで、宣伝はせず、電話番号も公表していないというのに、政財界人、宗教団体、芸能人らからの揉め事の相談などが押し寄せられるというのです。しかも、最終処理まで面倒を見る「A会員」の会費が年間2000万円、助言までしか行わない「B会員」が500万円という超高額だというのに、です。

 で、読んでみて納得しました。それだけ高額の料金を払っても十分通用する凄腕の「仕事師」だということが分かりました。長くなるので端折りますが、著者の寺尾氏は1941年、長野県佐久市に生まれ、高校卒業後、警視庁に入庁。第1機動隊勤務の1965年に起きた渋谷ライフル銃事件で犯人を最初に取り押さえる殊勲で警視総監賞(賞詞二級)を受賞するも、警察組織内での出世競争に疑問を持つなどして5年半で退職。しかし、その後も警察官時代の人脈を大切にしているうちに、元警視総監で参院議員だった秦野章氏と出会うことができ、私設秘書に抜擢されます。秦野氏も渋谷ライフル銃事件の立役者の名前を憶えていたお蔭でもありました。

 寺尾氏は、秦野氏との出会いで運命が開けていきます。以前から興味があった不動産経営を始めようと、東京・三田に2棟も高級マンションを建設しますが、その資金を融資してくれたのが、秦野氏から紹介された、あの平和相銀の小宮山英蔵会長でした(小宮山は、元731石井細菌部隊の二木秀雄とも昵懇)。マンションは全日空が社宅として買い上げてくれたりしたので、1棟目の融資金16億円は3年で完済し、毎月入って来る数百万円の家賃収入で、毎晩のように銀座や赤坂の料亭やクラブで豪遊して、政財界人や有名人らとの人脈を広げていきます。(豊富な財力で、逆転して秦野氏のキャッシュディスペンサーになります)

 ◇墓場まで持って行く秘密の話

 この本には、「こんなこと書いてしまっていいのかなあ」ということまで沢山書かれています。元警視総監だった秦野氏が山口組三代目田岡組長の葬儀に参列した話だとか、秦野事務所の私設秘書時代に、頼まれて交通事故違反の刑を軽くしてもらったりといった話です。(秦野事務所の公設秘書の豊嶋典雄氏は、時事通信政治部出身だったとは!驚いてしまいました)

 とにかく、著者寺尾氏の人脈の広さには恐れ入ります。「ドリーム観光攻防戦」での、コスモポリタン代表の池田保次氏(元山口組系岸本組配下、その後失踪)との対決については長く紙数を費やしていますが、「バブル紳士」と言われた伊藤寿永光、許永中、高橋治則や「兜町の風雲児」中江慈樹、街金アイチの森下安道といった歴史に名を残す錚々たる人物がほとんど登場しますから圧倒されます。

 何と言っても、プロローグから山口組系後藤組の後藤忠政組長による有名芸能人を招待した大パーティーに寺尾氏が参列する模様が活写され、度肝を抜かされます。「芸能界のドン」バーニングの周防郁雄社長も、2000年に事務所に数発銃弾を撃ち込まれた事件があり、彼から相談を持ち掛けられた話も暴露しています。もう20年以上昔ですが、当時、私は芸能担当記者だったので、「ああ、そういう経緯だったのか」と納得しました。私が得た情報では犯人らしい関係者のことは聞いてましたが、さすがに、この本には書かれていませんでしたが(笑)。

◇「八芳園」は「つきじ治作」だったとは

結局、長くなってしまいましたが、まだまだ書き足りません。

 この本では、私が知らなかったことが沢山書かれているからです。例えば、マイルドな話だけに絞れば、東京・白金の八芳園は、日立創業者の久原房之助の所有地だったことは知っていましたが、その前は、今の大河ドラマの「青天を衝け」でも登場する渋沢栄一の従弟の渋沢喜作の邸宅だったんですね。江戸時代は大久保彦左衛門の屋敷だったとか。この八芳園を昭和25年に、姉妹店として開業したのが、料亭「つきじ治作」の経営者の長谷敏司だったことも知りませんでした。

◇悪いことをすれば必ず地獄に堕ちる

 いやはや、この本では、カナダにお住まいの杉下氏も熟知されている夜の世界の高級キャバレーやクラブや料亭の話も満載されていますが、日本国を動かしている警察や検察の組織にいる生々しい人間関係や天下り先などが明快に分かり、読んでスッキリしました(笑)。当然のことながら、寺尾氏はかなりの勉強家で、読書家のようで、情報収集力は超人的です。

 これを言っては身も蓋もないですが、スキャンダルの要因は、結局、「女とカネ」に尽きるというのがこの本を読了した私の感想です。欲望が肥大化した人間の成れの果てです。何であれ、「もう知り尽くしてしまった」という感じです(苦笑)。

 そして何よりも、

 人を裏切るなど、悪いことをした人間は、いつか必ず天罰を受けて、地獄に堕ちる

ことをこの本を読んで確信しました。これは、確信というより、真理ですね。

鳥追、揚弓店とは何か?=明治東京の下層生活

 昨日は、東京・銀座の高級フランス料理店「ポール・ボキューズ」のランチに行きながら、「明治東京下層生活誌」(岩波文庫)を読んでおりました。例の明治時代の東京で、貧困層が集まって生活していた区画のルポルタージュです。

 この中で、社会主義運動家の斎藤兼次郎が「下谷区万年町 貧民屈の状態」というタイトルで、「貧民窟の食事といえば、皆々残飯…この残飯は実に監獄の囚人の食ひ余した南京米と麦との混合飯で犬も食わないような食物なのだ」などと書いていました。

 こんな文章を読んでおきながら、高級フランス料理とは、矛盾しているというか、我ながら忸怩たる思いを致しました。

 でも、この本を読むと、今の時代は平和だし、現代人は、明治の下層民と比べれば随分ましな暮らしができているのではないかと、通勤電車内で見かける市民を見ながら思いました。彼らは何をされているのか皆目見当も尽きませんが、何処かの会社か官庁か商店かに勤務する真面目な勤め人だと思われます。仕事があるので、身綺麗な服装やブランド物のバッグを持てるようです。

 一方、明治の貧民窟に住む人たちには、大した仕事がない。あっても低賃金の車夫や土方や左官や雪駄直し、屑拾いや物乞い、果ては泥棒、かっぱらいの類です。他にも色々仕事があるようですが、今では死語になっていて、意味が分からないものもあります。例えば、角兵衛獅子なら分かりますが、鳥追は知りませんでしたね。他に揚弓店(矢場)、六十六部、願人坊主などがあります。答えを書いてしまっては、皆さんもすぐ忘れてしまうことでしょうから、ご興味のある方は御自分で調べてみてください。この本では注釈がなかったので、自分自身でも調べてみました(笑)。

 そうそう、今でも「ドヤ街」とか使われてますが、ドヤとは宿を逆にした言葉だったんですね。この本に収録されている幸徳秋水(後の大逆事件で刑死したジャーナリスト)の「東京の木賃宿」で教えられました。もう一つ、「連れ込み」宿なんか今でも使われますが、この明治中頃の新語だったようです。ただ、同じ「連れ込み」の意味の「レコ附き」は全く死語になりました。(レコとは、「これ」を逆にした語で主に金銭や情人のことを言うらしい)

銀座の紫陽花

 さて、昨日、このブログで、「皮肉屋の釈正道老師は御隠れになったのか、最近、全く音沙汰がない」といった趣旨のことを書いたところ、早速、コメントがありました。なあんだ、読んでるんじゃん(笑)。

 コロナ退散を願い、六十余州のみならず、蝦夷、琉球まで東奔西走、南船北馬しておりました、と言いたいところながら、首都圏で不要不急の外出を繰り返す悟りの境地とは無縁の日々を過ごしておりました。貴兄は、自称ジャーナリストを標榜するのでしたら、センスが無いことを自覚するべきです。ブログ唯一のウリになっている銀座から築地のランチ巡りは、浪費癖丸出しの成金趣味ですなあ…。六道なら畜生か餓鬼のレベルですよ。東北から新潟にかけての即身成仏された僧に赦しを乞いましょう。合掌

 何か意味不明のところがありますが、何となく言いたいことは分かります。老師におかれましては、既に鬼さんの戸籍を取得されたのではないかと心配していたので、無病息災でよかったです。

【追記】

 「知の巨人」立花隆氏が4月30日に急性冠症候群のため亡くなっていたことが本日明らかになりました。行年80歳。一度インタビューしたかったのですが叶わず残念でしたが、著書を通して大変お世話になりました。「田中角栄研究」「宇宙からの帰還」「サル学の現在」「日本共産党の研究」など夢中になって読みましたが、やはり、「天皇と東大」が衝撃的に一番面白かったです。

 

「明治東京下層生活誌」は身につまされます

 世の中には、銀座のどこそこのランチが美味い、なぞとブログに書いて喜んでいる輩がおりますが、最低ですねえ。(ワイのことやないけー)

 今、中川清編「明治東京下層生活誌」(岩波文庫)を読んでいますが、身につまされます。この本を購入したきっかけは、銀座ランチに勤しんでいる真っ最中に参考文献(笑)として購入した阿古真理著「日本外食全史」(亜紀書房、3080円)の中で、松原岩五郎著「最暗黒の東京」(講談社学術文庫)を引用していたからでした(明治の貧困層はモツを食べていた、といった感じで)。これは、明治25年から26年にかけて「国民新聞」(徳富蘇峰が創刊)に連載されたルポで、東京府内の貧民窟を探訪した名著として知られています。

 この本を読もうかと思いましたが、その前に、明治19年に「朝野新聞」(成島柳北が主宰)に掲載された「府下貧民の真況」(著者不詳)が収録されているというので「明治東京下層生活誌」(岩波文庫)を先に買って読むことにしたのです。ある人に言わせると、この「明治東京下層生活誌」と「最暗黒の東京」と、もう一つ、横山源之助著「日本の下層社会」 (岩波文庫)を、「日本下層史3部作」と呼ぶ人もいるそうです。私は、いずれも未読なので、読破したいと思っております。

 何故なら、ヒトは、残念ながら、失敗からしか教訓を学べないという真理があるからです。世の中には、石油王だの、金融王だの、鉄鋼王だの、数多くの成功物語があり、多くの関連本が書店に並んでいますが、悲しい哉、それら成功譚は、やはり、特別で万人向きではありません。特殊な才能があったり、生まれながらの資産があったり、特別な運に恵まれたりする人のためで、ほとんどの99%の凡夫には関係ない話なのです。

 むしろ、失敗譚の方がより良く生きていく上で、大変参考になるのです。

 とはいえ、これら「下層史3部作」は、失敗譚ではありません。努力したくても最初から教育の機会に恵まれなかったり、運に見放されたりしているだけで、決して、怠惰のせいで、失敗しているわけではないからです。

銀座の紫陽花

 「明治東京下層生活誌」に収録されている「府下貧民の真況」(著者不詳)や桜田文吾著「貧天地饑寒窟探検記抄」(明治23年8月29日~24年1月5日「日本」)などでは、当時、明治東京府で「貧民窟」と呼ばれた下層社会の実態と生活ぶりを探訪しています。四谷鮫河橋(信濃町=江戸時代の岡場所)、芝新網町(浜松町)、下谷万年町(上野)が「三大貧民窟」として当時は有名でしたが、他に、麻布箪笥町(六本木)、神田橋本町、浅草松葉町、八丁堀仲町、芝高輪…など枚挙に暇がないほどです。

 これら、貧民窟は100数十年経った現在、全く跡形がないほどその痕跡すら見られませんが、「人生百年」時代に、そのわずか100年ちょっと前に、住む長屋の壁も剥げ落ち、雨漏りがし、夜具もなく、不衛生で、蚤虱や南京虫が這いずり回り、勿論、食べる物に事欠く見すぼらしい姿の人々が多く住んでいたことを、現代人は想像すらできないことでしょう。

 彼らの職業は、三味線弾き、鼻緒職、車曳き、左官、鳶職、日雇い、屑拾いなどの日銭稼ぎで、雨でも降ればその日の収入は全くなしといった状態です。勿論、食事に、肉や魚にありつけるわけがなく、御粥をすする程度で、中には拾ってきた腐りかけた食べ物を「腹が減った」と泣き叫ぶ子どもに食べさせたりします。

 「貧天地饑寒窟探検記抄」の著者桜田文吾は、今で言うルポライターかノンフィクション作家で、元仙台藩士でしたが、牛のシタとは何かと思ったら、高級な「舌」ではなく「下」で、本来捨てられていた臓腑の部分のことで、これらを貧困層の人たちが好んで食べているのを見て驚き、「その腥(なまぐさ)くして生硬なる、常人はわずかに口に入れたるのみにてたちまち嘔気(はきけ)を催すべし」とまで書いています。

 明治の歴史といえば、大久保利通や伊藤博文や板垣退助らが登場し、やれ、民撰議院設立建白書だの、やれ、鹿鳴館だの、大日本帝国憲法発布などといった華々しい側面ばかり教えられます。一方、こうした下層の人たちの生活ぶりは陰に隠れるというより、歴史上から抹殺されてきた感じがします。下層社会にこそ、人間の真理があるというのに…。

 下層史に関して、テレビに出るような(出ている、とは言ってませんよ)偉い歴史学者さんたちは、暗い話だし、視聴率も取れないし、まともに研究している学者も少ないので、番組として取り上げることはないでしょう。それなのに、彼らは「俺は何でも知っているんだ」といった顔をしています。大久保利通や伊藤博文だけが明治史ではないのです。それは一つの側面であって、名もなき貧しい人たちが歴史をつくってきたことを忘れてはいけないと思いながら、この本を読んでいます。

戦中から戦後にかけての不可解な歴史的事件=加藤哲郎著「『飽食した悪魔』の戦後」

 加藤哲郎著「『飽食した悪魔』の戦後」(花伝社)を読了しました。既に、6月3日の渓流斎ブログでも「731部隊の切れ者二木秀雄という男」というタイトルでこの本について取り上げましたが、加藤先生の代表作ではないかと思えるほどの力作でした。

 いわゆる731石井細菌部隊の話ですから、プロローグ (歴史認識として甦る「悪魔の飽食」)と第一部( 七三一部隊の隠蔽工作と二木秀雄)では、おぞましい人体実験や生体解剖の話が出てきますが、第二部( 七三一部隊の免責と『政界ジープ』)以降は、主に、戦後になって731部隊がGHQとの「取引」によって免責され、戦犯にもならずに復権していく有り様を事細かく追跡しています。前半は、森村誠一、青木富貴子、近藤昭二、常石敬一各氏らの先行研究を踏まえているので、この本は、むしろ、タイトルにもなっているように、埋もれた史実を発掘した後半の「戦後」の方が主眼だと思われます。(この本の続編か関連本に当たる「731部隊と戦後日本――隠蔽と覚醒の情報戦」=2018年、花伝社=も刊行されています)

 加藤哲郎一橋大学名誉教授の御専門は比較政治学ではありますが、この本は、もう一つの御専門の「現代史」本と言えます。ゾルゲ事件、731部隊事件、シベリア抑留、帝銀事件、下山事件、三鷹事件、松川事件など戦中から戦後にかけての不可解な歴史的事件が登場し(まるで松本清張「日本の黒い霧」のよう…)、一つ一つが直接関係はなくても、何処かで何らかの関連性があったりします。その裏で、GHQのキャノン機関や、旧帝国陸軍の有末精三機関や服部卓四郎機関、陸軍中野学校の残党などが暗躍します。そして、その背後には、東京裁判や朝鮮戦争、熱狂的な反共マーカーシズム、米ソ冷戦などいった時代的背景もあります。

 特に、同書の主人公になっている二木秀雄(金沢医科大学出身の博士号を持つ技師で、731部隊では梅毒の人体実験や諜報活動を担当)という男が、戦後になって「政界ジープ」という(紆余曲折の末)「反ソ反共」の大衆右翼時局雑誌を創刊して復権するものの、企業のスキャンダルをネタに多額の金品を恐喝したことから実刑判決を受けて没落していくという、忘れられていた史実を掘り起こしたことは大いなる功績で、本書の白眉ともなっています。

 「政界ジープ」誌(1946~56年)は、廃刊されても、出身記者の中には、同じように企業を恐喝する手法を真似して「総会屋雑誌」を創刊したり、潜り込んだりします。また、同誌末期の編集長を務めた久保俊広(陸軍中野学校出身)は「政界ジープ」まがいの院内紙「国会ニュース」を創刊したりします。一方、「政界ジープ」のライバル誌だった左翼系時局誌「真相」(日本共産党員だった佐和慶太郎が創刊、1946~57年)は、後に岡留安則による「噂の真相」の創刊(1979~2004年)に影響を与えたということから、この本は「メディア史」ともなっています。

 私のような戦後世代で、「戦後民主主義教育」を受けた者にとっては、どうも、戦中と戦後の間に大きな段差があって、全く違う時代になって、戦争犯罪者は、ある程度、淘汰されたという認識がありましたが、731部隊に関しては、戦犯にもならず全くの「陸続き」で、彼らには軍人恩給まで出ていたとは驚きでした。その典型がこの本の主人公の二木秀雄で、大変機を見るに敏だった人で、マスコミ社長~日本ブラッドバンク社(後のミドリ十字、薬害エイズ事件後、田辺三菱製薬)重役~開業医、そして日本イスラム教団を設立した教祖、と目まぐるしく変転しながらも、社会的高い地位を維持したまま84歳で亡くなっています。

 1986年に、平和相互銀行による特別背任事件がありましたが、平和相銀会長の小宮山英蔵は二木秀雄の有力なパトロンだったらしく、小宮山の実弟である重四郎は、自民党の衆院議員を務め(郵政大臣)、保守系政治家と総会屋・右翼などと関係を持ち、「闇の紳士の貯金箱」とまで噂された人物だったということですから、この世界の闇はなかなか深い。戦後右翼の大物と言われた「室町将軍」こと三浦義一までこの本に登場します。

 と、ここまで書いて少し反省。戦後、何もなかったかのように京大や東大の大学教授に復帰したり、開業医になったりした731部隊員の悪行を断罪することは当然のことながらも、なぜ、彼らを無罪放免したGHQ=米軍を誰も強く非難しないのか、不可解な気がしてきました。「GHQ=非の打ち所がない正義」という歴史観は、検閲による弾圧と、戦後民主主義教育によって植え付けられたもののような気がしてきました。 不一

 

「古代天皇と古墳の謎」に迫る

 「歴史人」6月号の「古代天皇と古墳の謎」は、恐らく、現代の古代史学の最先端の学術を取り入れた「完璧版」に近いものではないかと思っています。(読み通すのに1カ月近く掛かりました)

 勿論、反対意見もあると思います。例えば、18ページの「ヤマト政権の真実」の中で、安田清人氏はこんな風に記述しています。

  かつて、(大和盆地の纏向=まきむく=遺跡の)箸墓(はしはか)古墳を邪馬台国の卑弥呼、あるいは後継者の台与(とよ)の墓とする説もあったが、邪馬台国は、北部九州にあった約30国からなる倭国連合の盟主であるクニ、すなわち地方王権のひとつに過ぎず、ここでいう倭王権とは無関係である。

 あれっ? こんなにキッパリと邪馬台国を九州と断定してしまっていいんですか? あれほど、「畿内説」と「北九州説」が長い間、侃々諤々、喧々囂々と論争され、確か、今でも決着ついていないはずなんですが、大丈夫なんでしょうか?

 この章の監修者に倉本一宏氏が立てられています。「なあんだ」。私自身は、倉本氏の「蘇我氏」「藤原氏」「白村江の戦」など結構、著書を愛読して彼の説を信頼し、私も「邪馬台国=九州説」なので、大賛成で、文句ありませんけど(笑)。

 それにしても、私が学生時代に古代史を習ったのは1970年代初めですからもう半世紀近い大昔です。その間の学問の進歩は目を見張るばかりです。第一、纏向遺跡も箸墓古墳も全く習ったことはありません。今は「倭王権」とか「ヤマト政権」とか言うようになりましたが、昔は「大和朝廷」と教えられていました。ついでに言えば、645年の「乙巳の変」なんか全く習っていません。「大化の改新」だけです。恐らく、「乙巳の変」を知っているか、知っていないかで、世代が分かると思います(笑)。(おっ!頷いている方がいらっしゃいますね)

 天皇についてもそうです。戦後になって昭和天皇が「人間宣言」され、ある程度のタブーから解放されて自由に研究されることができるようになりました。私の親の世代は戦前の昭和初期に教育を受けましたが、大正生まれの父親は「天皇陛下は神様で、学校では神武天皇から綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化、崇神…と全て覚えさせられた」と話していましたからね。

◇「三王朝交替説」

 これまで、天皇は「万世一系」で神武天皇以来現在に至るまで、血統が同じだということが戦前までは常識でしたが、1952年に水野祐博士が「三王朝交替説」を唱え、82ページに紹介されています。初代神武天皇をはじめ、二代綏靖天皇から九代開化天皇までの「欠史八代」まではフィクションで、実在する最初の天皇を十代崇神天皇とし、この王朝は十四代仲哀天皇まで続く。次に十五代応神天皇からは別の王朝で(大和の豪族葛城氏との縁戚関係が強い)、「残虐と記紀に書かれた」二十五代武烈天皇まで続く(この間、「倭の五王=讃、珍、済、興、武」が大陸から冊封を受ける)。最後は、近江の豪族息長(おきなが)氏出身と言われ、母方の越前育ちで、尾張の豪族の目子媛(めのこひめ)を妃として娶っていた二十六代継体天皇からで(継体天皇は、後に二十四代仁賢天皇の皇女手白香皇女=たしらかのひめみこ=を皇后とするので、自身が十五代応神天皇の末裔であるとの主張がフィクションなら、継体天皇は女系天皇だという見方をする学説もあります)この王朝が現在の天皇家まで続いているという説です。

 私はこの「三王朝交替説」には十分に納得します。いずれにせよ、畿内だけでなく、全国(特に毛野=けぬ=、吉備、出雲、筑紫など)に大きな古墳が存在するということは、地方にも天皇家に匹敵するような権力を持った豪族が存在していたということになります。(そもそも、天皇はもともと大王=おおきみ=呼ばれ、初めて天皇と称するようになったのは第四十代天武天皇からでした)

 大和の一豪族に過ぎなかった天皇家が、「倭王権」として全国統一するようになった背景には、やはり、高句麗や唐、新羅といった敵対する外国勢力に対抗するために中央集権的な強い国家を存立させる必要に迫られたのではないかと考えられます。その間に、出雲や吉備、筑紫(磐井の乱)といった豪族が倭王権に服属(もしくは同化)するようになったと考えれば、分かりやすい気がします。

 「歴史人」では古墳の話も多く図解入りで記述されています。日本最大の古墳は、世界遺産にもなった百舌鳥古墳群の仁徳天皇陵ですが、全長486メートル、高さ33.9メートルの3段もあり、秦の始皇帝陵、エジプトのクフ王のピラミッドと並び「世界三大墳墓」だったんですね。知らなかった(苦笑)。「日本は凄い!」と右翼の人でなくても嬉しくなります。

 仁徳天皇陵は、5世紀中ごろに建設されましたが、大林組の1986年の試算によると、680万人日(一人一日分の労働量)を必要とし、工期は15年8カ月、工費796億円だといいます。それだけ、天皇家には絶大なる権力があったということになります。

 しかし、現在、天皇陵は宮内庁が厳重に管理し、学術研究でさえ禁止されているので、いまだに解明されていない謎だらけだとも言えます。何故なら、現在、天皇陵と比定されている所は、幕末の文久2年(1863年)、宇都宮藩の家老戸田忠至(ただゆき)が朝廷から山稜奉行を命じられ、修陵に当たり10人の研究顧問団が選ばれ、その筆頭格の谷森善臣(たにもり・よしおみ、1818~1911)が決定したものだからです。谷森は、天皇の近侍である舎人家出身ながら、現在の学問から見て必ずしも正しくない場所が散見されるといいます。(例えば、継体天皇陵は、大阪府茨木市の三嶋藍野陵と比定されていますが、実は、大阪府高槻市の今城塚古墳ではないか、という説が有力で、神武天皇陵を本居宣長らの丸山説を否定してかなり強引に白橿村山本の地として押し通したことなど)

 いつになるか分かりませんが、天皇陵の学術調査が認可されれば、古代史がまた大幅に変わっていくのではないかと、私なんか期待を込めて考えています。が、私が生きている間は難しいかなあ…?

731部隊の切れ者二木秀雄という男=加藤哲郎著「『飽食した悪魔』の戦後」

 コロナ禍で、ただでさえ気分が落ち込んでいるというのに、さらに輪を掛けて気分が落ち込む?本を読んでいます。とはいえ、推理小説を読むような感じで、結果が分かっていても、「次はどうなってしまうのか」とページが進みます。

 私淑する加藤哲郎一橋大学名誉教授が書かれた「『飽食した悪魔』の戦後 七三一部隊と二木秀雄『政界ジープ』」(花伝社)という本です。2017年5月25日に初版が出たので、もう4年前の本です。

 3850円というちょっと高価な本でしたし、内容に関しては既に加藤先生の講演会やセミナーなどで聴いていたので、「いつか買おう」と思っていたら、今になってしまいました(スミマセン)。私が購入した本は、2018年3月20日発行の第2刷で、少しは売れているというということなので大変嬉しくなりました。図書館で借りるにせよ、どんな形でも良いですから、多くの人に読んでもらいたいと思ったからです。

 実は、この本の258ページに、何と私の名前が出てきます!(笑)。私が「ゾルゲ事件関係外国語文献翻訳集」35号(2012年12月)に寄稿した「70年間誰も知らなかった謎の人物ー石島栄」という論文を引用してくださったのです。加藤先生の御自宅は「汗牛充棟」の比喩がピッタリで、市販本からこのような研究会の論文集までありとあらゆる文献を所有されて目を通しておられます。まさに博覧強記です。

銀座「山笑ふ」ランチA 1650円

 今ではよく知られるようになりましたが、731部隊とは、旧満洲(現中国東北部)ハルビン郊外に設置された関東軍防疫給水部本部が正式名称で、最高責任者の部隊長が、京都帝大医学部出身の石井四郎陸軍軍医中将だったことから石井(細菌)部隊などとも言われます。中国人の捕虜らを「マルタ」と呼んでおぞましい人体実験や生体解剖を行っていたと言われますが、資料や実験データを米軍に引き渡す条件で免責されて戦犯にもなりませんでした。しかも、戦後も731の残存部隊は鉄の結束で秘密を守り通したため、真相はヴェールに包まれていました。

 しかし、著名な推理作家森村誠一が1981年に出版した「悪魔の飽食 『関東軍細菌戦部隊』恐怖の全貌! 長編ドキュメント」(光文社)がベストセラーになり、多くの研究者、ジャーナリスト(常石敬一、近藤昭二、青木冨貴子各氏ら)によって関連本が(先行して)出版されるようになり、賛否両論も含め多くの人に認知されるようになりました。

 加藤氏の本は、これら先行研究書の成果を踏まえた上で、新たに、二木秀雄という731部隊第1部第11課(結核班長)の技師(高等文官の最高位で、武官の将校に相当)だった人物を主人公(とはいってもダーティーヒーローですが)にしています。

 この人は複雑怪奇な人で、金沢医科大学(現金沢大学医学部)で博士号を取得して731部隊に所属したエリート高官でした。この人、部隊では、結核菌だけでなく、捕虜に強制的に性行為をさせて梅毒に感染させる(抵抗した男女は射殺)など、この本ではちょっと読むに堪えない場面が出てきます。戦後は、郷里の金沢に戻り、優先的に早々と帰国して生き残り、後に大学教授や研究所所長や開業医などになった731の残存部隊の仮本部設立を任され、東京に出てからは右派大衆時局雑誌「政界ジープ」を発行したりします。(どういうわけか、この雑誌の第2号に「尾崎ゾルゲ赤色スパイ事件の真相」なる記事が掲載されます)1950年には、輸血用の血を確保する日本ブラッドバンク設立発起人となり重役に就任。当時の朝鮮戦争での需要で急成長し、1964年には商号をミドリ十字に変更しますが、同社は薬害エイズ事件で業績が悪化し、今の田辺三菱製薬に吸収合併されたことは皆さんも御存知の通りです。

江戸城 桜田門 (本文とは関係ありません)

 確かに凄惨な場面は、読むと気分が落ち込みますが、皆さんも勇気を出して目を塞がず、読んでほしいと思います。編注が巻末にではなく、同じページに出てくるので大変読みやすい本です。

 731部隊は、終わった過去の出来事で現代人には何ら関係ないという考え方は間違っています。コロナ禍で、ウイルスや感染症については、今は一番関心がもたれていることではありませんか。皮肉にも彼らは、最先端の病毒や感染症を人体実験した部隊だったのですから…。例えば、76ページにはこんな記述が引用されています。

 七三一部隊へは当時大正製薬より莫大な寄附金が投じられており、その見返りとして、サルバルサン六〇六号という梅毒治療薬の製造権が同製薬に与えられた。同製薬は戦後もサルバルサンを製造し続け、主要医薬品メーカーへと成長した。(山口研一郎「医学の歴史的犯罪」)

 大正製薬といえば、リポビタンDとかパブロンの風邪薬を出している会社でクリーンなイメージがありましたから、731部隊に関わっていた過去があったとは全く知りませんでした。

和食、洋食、中華、何でもござれ=「日本外食全史」(亜紀書房)

 ここ数週間、ずっと阿古真理著「日本外食全史」(亜紀書房、2021年3月22日初版)を読んでいました。3080円と、私にとってはちょっと高めの本でしたが、ちょうど銀座の資生堂パーラーや煉瓦亭など「銀座ランチ」を食べ歩いていたので、参考になるかと思い、思い切って購入したわけです。

 まあ、色んなことが書かれています。「買った者の特権」と誤解されたくはないのですが、ちょっと「ごった煮」状態で、引用が多いカタログ雑誌のような感じでした。見たことも聞いたこともないテレビドラマや漫画やアニメ、映画で使われた「グルメ」を書かれても、あまり漫画やドラマは見ない者にとってはピンと来ませんでしたし、「えっ?」と思うぐらいネット記事からの引用も多く、「今の時代の本って、ブログみたいになってしまったなあ」というのが正直な感想です。勿論、この書物の価値を貶めるつもりは毛頭ありませんし、こんな個人の感想を遥かに越えた労作です。

 戦後の外食ブームは、1970年の大阪万博がきっかけらしいのですが、とにかくよく調べています。和食、中華、洋食、何でもござれ、といった感じです。何しろ、本文、索引を入れて659ページという長尺ですから、ほんの一部、印象に残ったものだけご紹介致します。

 タチアオイ Copyright par Keiryusai

 その一つが「伝説の総料理長サリー・ワイル」です。スイス人のワイルは1927年、関東大震災復興のシンボルとして開業した横浜のホテルニューグランドの外国人シェフとして招聘された調理師でした。20世紀初頭にフランス料理を確立したエスコフィエの正統料理のほか、ドイツの地方料理も得意としたといいます。日本料理界の伝統だった、後輩に教えない悪弊を廃止し、料理人の服装や態度、飲酒、喫煙まで細かく指導して近代的システムを導入したといいます。(この本では、後に帝国ホテル第11代料理長になる村上信夫が、若き修行の皿洗い時代、鍋底に残ったスープやタレの味を隠れて覚えようとすると、先輩から、塩を掛けられたり、洗剤に浸けられてしまう逸話などが出てきます)

 ワイルは多くの弟子を育て、ナポリタンやプリン・アラモードなどを考案したホテルニューグランド二代目料理長入江茂忠、ホテルオークラの総料理長を務めた小野正吉、帝国ホテルの第四代料理長内海藤太郎、アラスカの飯田進三郎、レストランエスコフィエのオーナーシェフ平田醇、レストランピアジェの水口多喜男、東京プリンスホテルの木沢武男、札幌パークホテルの本堂正己、そして1964年東京五輪選手村の総料理長を務めた馬場久らがいます。

 先程の、若い頃に相当苦労して修行を積んだ帝国ホテル料理長の村上信夫は、NHKの「きょうの料理」で有名になった人で、私でもお名前だけは知っていました。1921年生まれの戦争世代ですから、先輩から「お前はどうせ戦争で死ぬんだから秘密は漏れない」と、やっと料理のコツを教えてもらったそうです。1942年に召集されて中国戦線へ。戦後、シベリアに抑留され、帰国できたのが1947年ということですから、恐らく満洲だったのでしょう。前線で4回も負傷し、体に残った銃弾と地雷の破片を取り出したのは1988年のことだったとは驚きでした。

◇巨人・辻静雄

 もう一人、この本で章立てて紹介されているのが、辻調理師専門学校を創立した辻静雄です。著者は「日本の特にフランス料理現代史を考える上で彼の存在は大きい」巨人と紹介しています。もともと大阪読売新聞の記者でしたが、結婚した辻勝子の父辻徳光が経営していた人気料理学校の後継ぎとして見込まれ、新聞社を退職します。早稲田大学で仏文学を専攻したので、仏語文献の翻訳を手掛け、フランスに料理修行にも行った関係でポール・ボキューズらと知り合い、1950年代末のヌーベル・キュイジーヌの勃興に立ち合うことになります。逸話に事欠かない人でしたが、1993年に60歳の若さで亡くなっています。

 でも、特に平成以降になると「辻調理師専門学校卒」の有名料理人が続出します。ミシュラン三ツ星を取った大阪HAJIMEのオーナーシェフ米田肇、「里山料理」で世界的評価も高いNARISAWAの成澤由浩、大阪の名店で「きょうの料理」でおなじみのポンテ・ベッキオの山根大助、志摩観光ホテル総料理長の樋口宏江らです。

 あ、料理そのものの話から外れて、人物論の話になってしまいましたね(笑)。勿論、北大路魯山人も登場しますが、彼はあまりにも有名なので省略します。

Copyright par Keiryusai

 私自身は、この本に出てくる高級料理よりも、ラーメン、カレー、餃子といった大衆料理の歴史の方が興味があり、面白かったです。例えば、東京・蒲田の有名な羽根つきギョウザを作り出した(1983年)のは「你好(ニーハオ)」の八木功(1934~)で、この方は旧満州旅順生まれの日本人で、苦労して引き揚げてきた中国残留者だったんですね。この人の波乱万丈の生涯は一冊の本になりそうです。(失礼!実際に本が出版されていました)

 もうキリがないので、この辺でやめておきますが、166ページの「佐多啓二」(佐田啓二のこと?)と212ページの「JR埼京線の赤羽」(間違いではないのですが、赤羽は他に高崎線や宇都宮線なども通り、一つだけ線路を書くとしたら「JR京浜東北線の赤羽」というのが関東育ちにはしっくりいく)はちょっと気になりました。あと、中華料理の歴史で、長崎、神戸、横浜の中華街の話は出てきますが、周恩来ら中国からの留学生目当てに中華料理店街になった神田神保町のことももう少し詳しく触れてほしかった。もう一つ、ファミレスの「すかいらーく」の名前は、1962年に横川兄弟が東京・保谷町のひばりが丘団地前に開いた乾物屋「ことぶき食品」が原点なので、その場所のひばり(スカイラーク)から取ったものだと聞いたことがあります。それも触れてほしかった。私が不良の中学生だった頃、よく、ひばりが丘をフラフラしていたので、個人的な理由です(笑)。

 何か、自分が「あら捜し」の小舅になったような気がしましたが、この本が「永久保存版」になってほしいので、敢えて書きました。よくぞ茲まで書いてくださいました。

(一部敬称略)

ワクチンで85人が死亡?=何を信じていいのやら…

Mt Fuji Copyright par Duc de Matsuoqua

 不可解なる孝之進の変節の背後に毬ありき。友情より毬を取りし孝之進の行為は人倫に悖り両者諸共別次に堕ちなんと覚ゆ。今生どころか来世でもゆめ相まみえまじ。

Copyright par keiryusai

 相変わらず、毎日、ワクチン報道のオンパレードです。東京と大阪で大規模接種会場が特設されて、テレビや新聞は「やっと打てて、これで一安心です」といった声ばかり拾ってます。まるで、「バスに乗り遅れるな!」といった感じで煽っています。でも、本当に安心なのでしょうかー?

 というのも、「医療従事者」ということで私の娘が一昨日ワクチン接種したところ、発熱し、自宅の階段も昇れないほどフラフラで、昨日は仕事を休んだという話を聞いたからです。

 そこで、本日発売の「週刊現代」の「日本人ワクチン死85人『自分は打たない』と決めた医師たちの意見」という記事を読んでみました。いきなり、鹿児島県のひらやまのクリニックの森田洋之院長が「私はワクチンを打たない」と宣言しています。

  厚生労働省は26日に開いた専門家部会で、3月の接種開始から5月21日までの約3カ月間で、ファイザーのワクチンの接種を受けた601万6200人余のうち25歳から102歳の男女85人の死亡を確認したことが報告されたというのです。ただし、政府は、ワクチンと死亡との因果関係が認めていません。

 週刊現代では、69歳の妻を亡くした夫が「基礎疾患もなくあんな元気だったのに…。死因はワクチン以外考えられない」と悲痛なコメントを寄せています。

躑躅 Copyright par keiryusai

 同誌によると、インフルエンザワクチンによる一般人の死亡例は100万回に0.08人ですが、新型コロナワクチンの場合は、100万回に9.9人(5月21日時点)もいるというのです。

 「接種後に亡くなった人を解剖していない。だから、因果関係が分からない」と言う医師もいるので、上に挙げた数字の信憑性まで分かりません。が、普通、ワクチン開発には10年、20年単位の治験が必要だという話を聞いたことがあります。今回のコロナはわずか1年です。やはり「大丈夫なのかなあ」という疑念は払しょくできません。

 かなりの接種が進んでいる米国や欧州での死亡例がほとんど報道されていないことも疑念に拍車が掛かります。米国では「ワクチン接種した人に100万ドル(1億1000万円)が当たるクジをプレゼント」などという州(オハイオ州など)もありましたが、何か、怪しいなあ~。

「明治維新」は必ずしも「正義」ではない?

 昨日は是非とも書きたいことがあったのですが、「自己検閲」で書くのはやめにすることにしました。どうやら、この渓流斎ブログを毎日、熱心にチェックされている方がいらっしゃるようで、もし何かあれば、その方は「殿に御注進」を図るらしいのです。もし書いたら、完璧に人間関係が崩壊するので、やめた方がいいですね。こちらには全く落ち度がないので、冒険してもいいのですが、やはり、大人げないのでやめました(笑)。

◇渋沢栄一は幕末の志士

 さて、今、NHKの大河ドラマは、渋沢栄一が主人公の「青天を衝け」をやってます。渋沢と言えば、「近代日本資本主義の父」と言われ、500もの会社を起業した実業家として名を残しましたが、もともとは幕末の動乱期を生き抜いた志士だったことがドラマでは描かれています。

 何しろ、運命の巡り合わせで、今の埼玉県深谷市の豪農の生まれながら、最後の将軍徳川慶喜の幕臣として取り立てられるんですからね。その関係で、西郷隆盛にも、新撰組の土方歳三にも幅広く直接会っているのですから、まさに「歴史の証人」です。(栄一と一緒に行動した渋沢喜作こと栄一郎は、後に彰義隊の頭取になります)

 NHKの大河ドラマは、(大袈裟ですが)、やはり日本を動かします(笑)。便乗商法で、民放の番組や雑誌で渋沢栄一が取り上げられたり、観光資源(深谷市、東京都北区飛鳥山など)になったりするからです。

 この週刊朝日MOOK「歴史道」Vol.15もその便乗商法の一つかもしれませんが(笑)、「明治維新と戊辰戦争の真実」を特集しています。第1部「1年5カ月におよぶ激闘の軌跡をすべて追う!戊辰戦争 全史」、第2部「『文明開化』&『富国強兵』を目指した新政府の改革の軌跡を追う!明治維新と近代日本の幕開け」といった内容で、時間を掛けて通読しましたが、正直、あまり、スッと頭に入って来ませんでしたね。

 執筆者が複数いるので、重複する箇所もあり、内容が整理されて頭に入って来なかったのです。勿論、こちらの頭の悪さのせいでしょう。でも、表や図版や写真等が多く採用されているので、幕末通史としては大変参考になりました。

 それにしても、歴史の「解釈」は、日進月歩で変わっていくものです。例えば、巻頭の「明治維新が後世に遺した『功』と『罪』を読み解く」で一坂太郎氏は明治維新について、こんなことを書いております。

 先年、政府は「明治百五十年」をイベント化して盛り上げようとしたが、民間ではアンチ本が多数出版された。国が押し付ける「明治維新」は、必ずしも「正義」ではないとの思いが、多くの国民の胸底にあるのだろう。

 その通りですね。明治150年は2018年でしたが、「え、そうだったの?」と言う国民の方が多いと思われます。私が子どもだった1968年は「明治百年」の記念式典が政府主催で日本武道館で開催されましたが、それはそれは大盛り上がりだったことを覚えています。えらい違いです。

躑躅 Copyright par Keiryusai

 上で一坂太郎氏が書かれた「アンチ本」というのは、私もこの渓流斎ブログで取り上げた武田鏡村著「歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す 薩長史観の正体」(東洋経済新報社)もその一つかもしれません。このブログを長年愛読されている方にはバレてますが、私は、圧倒的に会津派であり、幕臣派です(笑)。明治維新は「維新」などではなく、薩長土肥による暴力革命であり、薩長対徳川の内戦であるという見方でいいと思います。

 関ケ原の戦いで勝利を収めた徳川家康がつくった幕藩体制と幕末を比較するととても面白いですね。家康が最も警戒した毛利(長州)と島津(薩摩)に、結局やられてしまうんですからね。最後まで徳川方として戦った会津藩は保科正之(家康の孫)以来の伝統で、桑名藩は、徳川四天王の一人・本多忠勝の立藩ということで分かりやすいのですが、家康が警戒していた伊達政宗の仙台藩が奥州越列藩同盟の雄となってしまったのは、歴史の皮肉か?

 何と言っても、鳥羽伏見の戦いで、徳川慶喜が「敵前逃亡」で大坂城から江戸に逃げ帰ったことで勝敗は決まったようなものでした。革命軍は、「錦の御旗」を掲げたお蔭で、官軍となり、あれだけ家康から恩顧を受けた藤堂高虎の流れを汲む津藩までもが寝返って、徳川を裏切ってしまうのですからね。歴史は、勝ち馬に乗りたがる「日和見主義」によってつくられる、と私なんか確信してしまいました。

◇暗殺が多い幕末から明治

 明治になって新政府が出来ますが、権力闘争そのものです。征韓論を巡る明治6年の政変、不平武士による反革命武力闘争の大団円となった明治10年の西南戦争、そして明治14年の政変で薩長土肥の土佐と肥前が脱落し(自由民権運動に走り)、陸軍は長州、海軍は薩摩という棲み分けで「軍事政権」が確立し、それが昭和の敗戦まで続く、というのが私の大雑把な見方です。

 それにしても、幕末から明治にかけて、坂本龍馬、中岡慎太郎、佐久間象山、横井小楠、大村益次郎、そして渋沢栄一を幕臣に取り立てた平岡円四郎、大久保利通…と暗殺が多過ぎます。