闇が深い占領期の検閲の史実=山本武利著「検閲官 発見されたGHQ名簿」

 山本武利著「検閲官 発見されたGHQ名簿」(新潮新書、2021年2月20日初版)を読了しました。

 実は、2月28日の渓流斎ブログで「占領期の検閲問題=三浦義一論文も削除、木下順二は検閲官だった?-第34回諜報研究会」という記事を書きました。この中で、この諜報研究会を主催するインテリジェンス研究所理事長の山本武利一橋大学・早稲田大学名誉教授が最近上梓された「検閲官」(新潮新書)を未読だったため、オンライン講演会で質問もできなかった、といった趣旨のことを書いたところ、この記事に目を留めて頂いた山本先生御本人から「まだ購入されていなかったら献本致しますよ」と、声を掛けて頂いたのです。

 一瞬、自分自身が、GHQ占領下の日本人検閲官か、総務省の高級官僚になったような気分に陥りましたが、せっかくの御厚意ですからお言葉に甘えてお願いしてしまいました。

梅は咲いたか、桜はまだかいな

 いつもながら、前置きが長くなりましたが、これはかなりの労作です。新書のスタイルですが、中身はかなり濃厚です。著者略歴で公表されている通り、山本氏満80歳の著作ですから、本当に頭が下がります。「GHQの検閲・諜報・宣伝工作」など長年にわたってライフワークとして取り組んできたインテリジェンス(諜報)研究の最新の成果が表れています。

 戦後、GHQによる検閲に関しては、江藤淳による先行研究がありますが、山本氏は江藤説を止揚(アウフヘーベン)している格好です。例えば、江藤説では、日本人検閲官は約1万人だった、としていたのに対して、山本氏は2万人余と訂正。また、長洲一二元神奈川県知事(1919~99年)ら東京裁判の検察側証人の事務所雇員を、江藤が検察官グループに入れてしまった誤りなどを山本氏は指摘しています。

 何しろ、GHQによる検閲を主導したCCD(民間検閲局)が閉鎖された時点(CCDは1949年10月31日廃止)での全国の本部・支部の所在地について、山本氏は長年追求してきましたが、ようやく資料が発見できたのが、アメリカ公文書館で、何と2019年11月のことだった、というのです。つい、最近ではありませんか!!江藤淳が「閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(文藝春秋、1989年)を発表した当時は、日本人検閲官だった人は誰一人証言する人はなく、メリーランド大学のプランゲ文庫などが全面的に公開されていなかった時代だったかもしれませんが、もしかしたら、今後も新資料が見つかるかもしれません。(本書では日本人検閲官の体験談がかなり採用されています)

ミモザ

 さて、私自身が、GHQによる検閲という史実を初めて知ったのはいつだったのか忘れてしまいましたが、少なくとも若い頃は、新聞雑誌の検閲や仇討映画や演劇の上映、上演禁止といったこと以外は、あまりよく知りませんでした。特に日本人のインテリによって電話が盗聴されたり、庶民の私信が開封されて英訳されたりしていたことなど、これは超機密の極秘事項だったので、多くの国民が知る由もなかった、というのが実情でしょう。

 本書では、その実体について、的確に教授してくれます。まず、敗戦後の日本を支配下占領軍GHQ(General Headquarters、連合国軍最高司令部)内で諜報、検閲を扱う総本部はG-2(参謀第2部)と呼ばれ、そのトップは、マッカーサーの忠臣チャールズ・ウィロビーでした。そのG-2の傘下には民事を扱うCIS(民間諜報部)と軍事・刑事を扱うCIC(対敵諜報部)が置かれ、このCISに属していたのがCCD(Civil Censorship Detachment、民間検閲局)でした。

 CCDには、郵便、電信、電話の検閲を行う通信部門(Communications)と、新聞、出版、映画、放送等を検閲するPPB(Press, Pictorial &Broadcasting)部門がありました。検閲対象については、例えば、1948年6,9月のリストでは郵便部門が75%と全体の4分の3を占めていました。つまり、GHQは、右翼、左翼の大物も含めて、日本国民の占領軍に対する「庶民感情」を一番知りたかったことになりますね。支配者として、統治の基準を暗中模索で探っていたか、問題人物は刑務所にぶち込むなどしていたのでしょうね。

 日本人検閲官は、かなりの高給で採用されたことを本書で初めて知りましたが、GHQのポケットマネーで給与が支払われたわけではなく、日本政府が賠償金代わりに負担させられていたというのです。まさに、踏んだり蹴ったりですね。

 江藤淳が追及していた当時は分からなかった日本人検閲官については、ほんの一部ながら、本人による手記などで分かってきています。2月27日の諜報研究会のオンライン講座で話題になった進歩派知識人の代表である劇作家の木下順二もその可能性大ですが、後に推理小説の大家となる鮎川哲也(1919~2002)は、「うしろめたい仕事だった」と回想し、ロッキード事件などの追及で「国会の爆弾男」の異名を持った楢崎弥之助(1920~2012、元衆院議員)も、福岡のCCDで検閲に携わった体験談を残しています。

 日本人検閲官は、英語の出来る東大や津田塾大などの若い学生が多かったようですが、興味深かったのは高齢者雇用です。例えば、斎藤玉男という人は、東大医学部を卒業した精神科医で、「智恵子抄」の高村智恵子が入院したゼームス坂病院を開設したり、東京府立松沢病院副院長などを歴任しながら、戦後は職がなく、猛烈な食糧難とインフレに悩まされていたことから、1948年にCCDに採用されます。斎藤は1880年生まれなので、この時、68歳です。他にも高齢者採用の中に、元大学教授や元外交官らエリート層がいましたが、著者の山本氏は「人生50年と言われた当時の60歳代は現在の90歳代に相当するだろう」と書いています。

参謀本部の高級幕僚は売国奴に

 検閲以外で、著者の山本氏が最も糾弾しているのが、有末精三中将や服部卓四郎大佐といった戦時中の参謀本部の高級幕僚だった元軍人で、彼らは専門知識を旧敵国に最高値で売り込み、占領の手助けをしたというのです。山本氏は「売国奴以外の何者でもない」と書いてますが、その通りですね。戦後直後の占領期には、帝銀事件、下山国鉄総裁事件、三鷹事件、松川事件などといった「陰謀事件」が多発し、キャノン機関による工作などGHQの影もちらついています。

 私自身、最近、戦国時代に夢中になって、少しだけ近現代史から遠ざかっていましたが、まだまだ勉強が足りないと実感しました。

占領期の検閲問題=三浦義一論文も削除、木下順二は検閲官だった?-第34回諜報研究会

Pleine lune, le samedi 27 fevrier Copyright par Duc de Matsuoqua

 昨日27日(土)は第34回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催、早大20世紀メディア研共催)にオンラインで参加しました。ZOOM参加は二度目ですが、どうも苦手ですね。どこか後ろめたい気持ちになり(笑)、こちらの機器と体調の関係で聞き逃したり、聞き取りにくかったりして、どうもいかんばい。あまりご参考にならないかもしれませんが、印象に残ったことを少しだけ翻案して書き留めておきます。

 報告者はお二人で、最初は短歌雑誌「まひる野」運営・編集委員の中根誠氏で、演題は「GHQの短歌雑誌検閲」。同氏には「プレス・コードの影ーGHQの短歌雑誌検閲の実態」(2020年、短歌研究者)という著作があり、今回の諜報研究会司会者の加藤哲郎一橋大名誉教授も「占領下の検閲で、短歌のジャンルでの研究は恐らく初めて」と発言されておりましたが、私も全く知らないことばかりでした。

◇右翼から左翼まで幅広く

 この中で、GHQは、短歌雑誌を(1)right (右翼)(2)left(左翼)(3)center(中道)(4)conservative(保守的)(5)liberal(自由主義的)(6)radical(急進的)ーの6種類に分類して検閲したことを知りました。

 例えば、(1)の右翼に当たる短歌雑誌「不二」の場合、国粋主義的、天皇の神格化・擁護、神道主義的、軍国主義的などの理由で、何首も雑誌掲載が削除されています。この雑誌の昭和22年4月号に掲載される予定だった右翼界の大立者で、後に「室町将軍」と畏怖されたあの三浦義一氏の「璞草堂残筆」という論文もdelete ではなく、suppressedという強い表現で全面削除されている資料写真を見たときは、感慨深いものがありました。

(2)の左翼的雑誌として代表される「人民短歌」の場合、共産主義の宣伝、連合国軍司令部批判、検閲への言及などで何首も削除されています。

 この他、「フラタナイゼーション」といって、米兵が占領国民と交わる場面を詠んだ短歌も削除の対象になっています。(前島弘「町角に進駐兵と語る女の顔の堪へがたき卑屈さ」=「日本短歌」)

 私は右翼でも左翼でもありませんが、こうして見ると、占領軍の容赦ない一方的な傲慢さが垣間見えると同時に、GHQは占領を「正当化」するのに必死で、民衆の反乱を抑えるのに苦心惨憺だったということが惻隠されます。(極めてマイルドに表現しました)

2・26事件で襲撃された東京朝日新聞社の85年経った跡地に建つ有楽町マリオン=2021年2月26日

 続く報告者は、インテリジェンス研究所理事長の山本武利氏で、演題は「秘密機関CCDの正体研究ー日本人検閲官はどう利用されたか」でした。山本氏は最近、「検閲官ー発見されたGHQ名簿」(新潮新書)を上梓されたばかりで、この本に沿って講演されておりましたが、小生はまだ未読だったため、残念ながら質問すらできませんでした。ということで、この後は、自分の疑問も含めた中途半端な書き方になってしまうことを御了承くだされ。

◇木下順二は検閲官だのか?

 まず、CCDというのはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)内に設立された秘密機関「民間検閲局」のことで、2万人余の日本人を使ってメディアや郵便、通信などの検閲を行っていたところです(第4区と呼ばれた朝鮮半島南部では朝鮮出身者を採用)。山本氏は「検閲で動員されるのは英語リテラシーのある知的エリートで、彼らは戦争直後の食糧難と生活苦から逃れるためにCCDに検閲官として雇用され、旧敵国のために自国民の秘密を暴く役割を演じた」と断罪されておりました。当時の検閲者名簿リストを入手し、この中に、Kinoshita Junji(1946年11月~49年9月、試験で90点の高成績) という名前があり、「夕鶴」で知られる著名な劇作家木下順二ではないか、と、先程の著書「検閲官」の中でも問題提起されており、今回もその衝撃的な発言をされておりました。

 木下順二本人は、著作の中ではGHQとの関係について、一切書いていないので、別人説もあり、山本氏も「百パーセント確実な証拠はない」としながらも、木下順二と関係が深かった出版社の未来社の関係者や木下順二の養女らから山本氏が直接聞いた証言(中野好夫の紹介でCCDで働いていた)などから、「本人ではないか」と結論付けておりました。

 講演の後の質疑応答で、「木下順二の世界」などの著作がある演劇研究家の井上理恵氏から「木下は熊本のかなり古い惣庄屋の出で、裕福だったので、生活苦などで協力するのは考えられない。当時は『オセロ』の翻訳が終わり、自分の作品を書いている時期で、生活が大変だったとは思えないし、関係者の証言もどこまで信用できるかどうか…。これから私自身も調べていきます」などと発言されていました。

Mont Fuji Copyright par Duc de Matsuoqua

 このほか、CCDは、「ウオッチ・リスト」といって右翼、左翼かかわらず「要注意人物」のブラックリストを作って、彼らの郵便物や通信を監視していたようですが、私自身が興味を持ったのはメディア検閲でした。全国に検閲場所があったようですが、大阪では朝日新聞大阪本社がその会場だったとは驚きでした。朝日新聞社自体はその事実に関してはいまだ非公表を貫いているようですが、朝日の社員も検閲に協力していたということなんでしょうか?

 東京での新聞雑誌などメディア検閲の場所は、日比谷の市政会館だったようです。ここは、戦中の国策通信社である同盟通信が入居していた所で、戦後すぐに同盟が解散して、占領期は共同通信社と時事通信社が同居していた時期に当たります。ということは、英語ができる共同と時事の社員もGHQの検閲に協力していた可能性があります。これらは、後で、質問すればよかったかな、と思ったことでした。

【追記】

早速、山本武利理事長からメールが送られて来まして、朝日新聞も共同、時事両通信社も場所を提供しただけで、社員による検閲はなかったのではないか、という御見解でした。

 東京の市政会館には全国紙だけでなく、全ての地方新聞が集まって来ますし、大阪の朝日新聞にも相当数の新聞雑誌が集まってくるので、GHQの CCDにとっては、メディアを検閲するのに大変都合が良かったので、もしかしたら半ば強制的に選んだのかもしれません。

とはいえ、新聞社、通信社側も同じビル内なので、何らかのメリットが色々あったのではないか、というのが山本理事長の推測でした。

 

「新疆ウイグル自治区の現代史」と「感染症と情報と危機管理」=インテリジェンス研究所主催「諜報研究会」を初めてZoom聴講

Tokyo landscape Copyright par Duc de Matsuoqua

◇「Zoom会議」初体験

 土曜日、生まれて初めて「Zoom会議」なるものに参加しました。インテリジェンス研究所(山本武利理事長)主催の「第33回 諜報研究会」の講演です。

 参加、とは言っても、聴講といいますか、舞台のそでからそっと覗き見するような感じでしたが…。でも、割合簡単に聴講できました。iPadにZoomのアプリをダウンロードし、主催者から送られてきたメールの「ミーティングに参加する」というタッグをクリックしただけで、簡単に繋がりました。

 新型コロナの影響で、同研究所の講演会はもう一年近くZoomで開催されていましたが、私の場合、長時間に耐える家のWi-Fi環境が整っていなかったため、見合わせておりました。今回参加できたのは、携帯スマホを楽天モバイルに換え、これは無制限にデータが使えてテザリングを利用すれば、パソコンなどに繋がることも分かり、早速試してみたのでした。

 今時の大学生は、ほとんどこうしたオンライン授業が主流になった、と聞いてますが、やはり、講義は「生の舞台」には劣りますね。ま、言ってみれば、歌舞伎の舞台中継をテレビで見ているようなものです。

◇複雑な新疆ウイグル自治区の成立

 肝心の講演ですが、お二人の講師が登壇しました。最初は、東大先端科学技術研究センターの田中周(あまね)特任研究員による「新疆における中国共産党の国家建設:1949-1954年の軍事的側面を中心に」で、もう一人は、加藤哲郎一橋大学名誉教授で、「パンデミックとインテリジェンス」のタイトルで、実に複雑な奥深い、そして何よりも大変難解な講義をされておりました。

 最初の田中氏の新疆ウイグル自治区の「歴史」は、全く知らないことばかりでした。新疆ウイグル自治区といえば、イスラム教のウイグル族が住む地区で、最近では、米トランプ政権のポンペオ国務長官が「中国政府はウイグル族に対してジェノサイド(集団虐殺)を犯している」と非難し、次のバイデン政権のブリンケン国務長官も同意を表明して、俄然、世界的にも注目されていることは皆様ご案内の通り。

 田中氏の講演は、1949年~54年の中国共産党政権による”新疆併合””の話が中心で、そこに、ソ連スターリンの意向や、毛沢東や周恩来は新疆を早く「併合」したくても、他の地域との戦闘などでなかなか進出できなかった(毛沢東の実弟毛沢民は、新疆のウルムチで暗殺された)ことや、新疆地区内部にも共産党派と反共派と国民党派などが複雑に絡み合っていたことなどを初めて知りました。

 確か、中国には56の民族があり、宗教も違えば文化も言語も違います。広大な面積の全土を「統一」することは至難の業です。中国共産党が新疆ウイグル自治区を何よりも欲しかったのは、同地区には「白と黒」の経済の要(かなめ)があったという話が一番興味深かったでした。白とは綿花で、黒とは石油のことです。

◇核実験の場になった新疆

 そして、何よりも、ある参加者が「質問コーナー」で指摘されておりましたが、1960年の中ソ対立をきっかけに、中国共産党は核武装に踏み切り、その核実験を行ったのが、この新疆ウイグル自治区だったというのです。その質問者の方々らは、2011年の東日本大震災と福島原発事故の後、密かに放射能測定器を持参してこの地区に入ったところ、いまだに福島のホットスポットより高い放射能の測定反応があったという話には驚いてしまいました。

◇旧内務省官僚の復活

 続く、加藤一橋大名誉教授による「パンデミックとインテリジェンス」は、映画「スパイの妻」や731石井細菌部隊の話あり、スパイ・ゾルゲ事件の話あり、太田耐造ら「思想検察」を中心にした戦時治安維持の話あり、戦後も、旧内務省官僚の復活と再編を目論むような危機管理と国家安全保障体制の話(今、菅首相と最も頻繁に面会しているのは警察官僚出身の北村滋・内閣情報官=1956年12月生まれ、東大法学部卒、1980年警察庁入庁=であること)などあり、あまりにも複雑多岐に渡り、勿論、いずれも共通の「糸」で繋がりますが、ちょっと一言でまとめるには私の能力の限界を越えておりました。

◇世界でも遅れている日本の感染症対策

 ただ、一つ、特筆したいことは、今の新型コロナウイルス感染症対策の専門家会議の主要メンバーは、国立感染症研究所(⇦伝染病研究所)、医療センター(⇐陸軍病院)、慈恵医大(⇦海軍病院)関係者らが含まれているとはいえ、感染症研究については、日本は戦後、がん研究やゲノム分析の方に人材や資源を投入したため、大幅に予算も削減され、先端研究の面で大きく世界から取り残されてしまったという事実です。

 ですから、日本先導のワクチン開発がなかなか進まなかったという指摘には大いにうなずかされました。

ベトナム人留学生のトゥクさんと話が弾む=焼鳥屋で

 新型コロナの蔓延で気が引けましたが、週末、自宅近くの居酒屋に行って来ました。自粛警察がウロウロしていましたが、今のところ味覚が分かり、平熱の私は、困っている飲食店を応援したくなったのです。

◇新型コロナと鳥インフルのWパンチの焼鳥屋を救え

 新型コロナウイルスに加え、全国で鳥インフルが吹き荒れて何百万羽もの鶏たちが処分されていることから、飲食店の中でも焼鳥屋さんを選んで行って来ました。

 それでも、この御時勢で、私自身、ある程度の常識と時代的識見を持ち合わせているつもりなので、人が混んでいないと予想される午後4時に出掛けました。

◇ベトナム人留学生との対話

 ネットで探してやっと見つけたお店は、チェーン展開している焼鳥屋さんなので、皆さんも一度は行ったことがあるかもしれませんが、私は初めて行きました。そしたら、そのお店のアルバイトがトゥクさんという大学3年生のベトナム人で、彼とは随分と話が弾んでしまいました。ビールや焼き鳥や鶏雑炊などを注文する度に、店主に気兼ねしながら話しかけました。

私 日本語うまいね。もう何年いるの?

トゥク 4年です。今は大学に通ってます。

 どこの大学?

トゥク K市のS大学です。今は、オンライン授業ですけど。

 ベトナムの何省の出身なのかなあ?

トゥク フエという所です。

 おお、フエですか。「ベトナムの京都」と言われている古都だね?

トゥク えーー、嬉しい。よく知ってますねえ。。。

 うん、ベトナムには仕事と観光で何度か行ってるからね。ハノイとかハイフォンとかホーチミンとかビンズオン省とか…フエには行ったことがないけど。

◇自分の首都に行ったことがないトゥクさん

トゥク よく知ってますね。僕はまだハノイに行ったことがありません。

 何?ベトナム人なのに首都に行ったことないの?

トゥク 行ったことないです。フエの大学を卒業して日本に来ましたから。それに、今はコロナでずっとベトナムに帰れないんです。

 残念だねえ。でも、フエは、19世紀から150年近く続いたグエン王朝の首都だったんでしょ?世界遺産にもなっているし…。

トゥク 嬉しいですね。本当によく知っていますね。

 僕は変なおじさんだからね。それより、グエン・スアン・フック首相(66)はお元気ですか?ベトナムでは1月25日から2月2日まで、5年に1度の共産党大会が開かれて、76歳のグエン・フー・チョン国家主席が、ベトナムの最高権力者である書記長を続投するかどうか注目されてるけど?

トゥク えーー、何で知っているんですか? ベトナム人でも知らないのに、こんな(日本)人、初めてですよ。

◇技能実習生の犯罪

 うん、おじさんは怪しい人だからね(笑)。それより、この新型コロナで、多くの外国人労働者が雇い止めされているけど、最近のベトナム人の技能実習生は、豚を盗んだり、梨や桃を盗んだり、日本の法律に違反した犯罪者が増えて、評判を落としているんじゃないかなあ?

トゥク ぼ、僕は違いますよ。そういう人がいることは知ってますけど…。僕は今、サービス経営学を専攻しているので、できたら、日本のホテルに就職したいと思っているんです。

 じゃあ、日本語と英語を習得しなければ駄目じゃん。

トゥク 漢字が難しいです。

◇戦争を知らない子供たち

 あれ? もともとベトナムは漢字を使っていたんだよ。今は、似非フランス語みたいな変なアルファベットを使っているけど。ベトナムは、「越南」と国境の南の辺境、つまり「南蛮」だと中国に蔑まされて1000年間支配されて、漢字が嫌になっちゃんたんだよね?それでも、中国の後に、フランスに100年間、日本に5年間、アメリカに30年間ぐらい支配されたわけだ。トゥクさんは、ベトナム戦争なんか知らないでしょ?1975年に終わっているから。もう、45年以上も昔だからね…。

トゥク 僕は今28歳ですから、知りませんけど、お祖母ちゃんの弟が戦死しています。フエも結構、激しい戦闘があったんです。

 嗚呼、古都フエでの「テト攻勢」は有名だね。フエのお坊さんが戦争に抗議して焼身自殺をしたフィルムを見たことあるよ。貴方は平和な時代に生まれてよかったね。いずれにせよ、今、そしてこれからの日本は、ベトナムなど東南アジアとの交流抜きでは考えられないから、どうぞ宜しく。

トゥク こちらこそお願いします。

黙っていることは独裁者の容認につながる=ジョージ・オーウェル「動物農場」を読んで

  ジョージ・オーウェルの代表作「動物農場」(早川文庫)を読了しました。

 読書力(視力、記憶力、読解力)が衰えたせいか、「あれ?このミュリエルって何だっけ?」「ピンチャーって何の動物だったかなあ…?」などと、何度も前に戻って読み返さなくてはなりませんでした。嗚呼…。

◇ケッタイな小説ではない

 しかも、読み終わった後も、「何だか、ケッタイな小説だったなあ」と関西人でもないのに、関西弁が出る始末です。でも、この浅はかな感想は、巻末のオーウェルによる「報道の自由:『動物農場』序文案」と「『動物農場』ウクライナ語版への序文」、それに「訳者あとがき」を読んで、自らに鞭を打たなくても撤回しなければならないことを悟りました。

 この本を読む前の予備知識は、ソ連の社会主義、というよりスターリン独裁主義を英国伝統のマザーグース(寓話)の形を取って暗に批判したもの、ぐらいだと思っていたのですが、もっともっと遥かに深く、含蓄に富んだ野心作だったのです。著者によると、1944年に書き上げた時点で、この作品を世に出そうとしたら、出版社4社にも断られたといいます。当時は、まだ秘密のヴェールに包まれたソビエト社会主義に対する幻想と崇高な憧れが蔓延していて、こんな本を出してロシア人の神経を逆なでしては不味いという「忖度」が、出版を取り締まる英国情報省内にあったようです。

本文と関係ありません

 社会主義者を自称するオーウェルに対して強硬に批判したのが、右翼ではなく、まだスターリンの粛清や死の強制収容所の実態を知らない左翼知識人だったというのは何とも皮肉です。後にノーベル文学賞を受賞する詩人T・S・エリオット(当時、出版を断ったフェイバー&フェイバー社の重役だった)もその一人です。訳者の山形浩生氏によると、同書は、ナチスによる反共プロパガンダに似たようなものと受け止められた可能性さえあったといいます。当時の時代背景をしっかり熟慮しなければいけませんね。(日本は太平洋戦争真っ只中で、敗戦に次ぐ敗戦)

 いずれにせよ、この作品は1945年にやっと刊行され、日本でも、米軍占領下の1949年に永島啓輔による訳(GHQによる翻訳解禁第1号だった)が出されるなど世界的ベストセラーとなり、オーウェルの代表作になりますが、その間、色々とすったもんだがあったことが巻末の「あとがき」などに書かれています。

 日本ではこの後、あの開高健まで訳書を出すなど何冊か翻訳版が出ていますが、私が読んだのは、2017年に初版が出た山形氏による「新訳版」です。日本語はすぐ古びてしまうので、このように新訳が出ると助かります。原書を読んでもいいのですが…。

◇知らぬ間に独裁政権

 私自身は浅はかな読み方しかできませんでしたが、登場するブタの老メイジャーがレーニン、インテリで演説がうまいスノーボールがトロツキー、そして、このスノーボールを追放して徐々に徐々に独裁政権樹立していくナポレオンがスターリンをモデルにしていることは感じていました。当初は、人間であるメイナー農場主のジョーンズを「武装蜂起」で追放して、平等な動物社会を築いていく目論見だったのが、最初に皆で誓った「七戒」が、ナポレオンに都合の良いように書き換えられていくことがこの作品の眼目になっています。例えば、もともと最後の7番目の戒律が「すべての動物は平等である」だけだったのに、いつのまにか、「だが一部の動物は他よりもっと平等である」という文言が付け加えられていて、次第次第にブタのナポレオンが、イヌや羊や馬やロバやガチョウなどの上に君臨して富と権力を独占していくのです。

抗議しないことは独裁者容認と同じ

 私自身は、こういった独裁者に対する批判だけが著者の言いたかったことだと皮相的に読んでしまったのですが、訳者の山形氏は「あとがき」でこう書いておりました。(一部変更)

 ここで批判されているのは、独裁者や支配階級たちだけではない。不当な仕打ちを受けても甘んじる動物たちの方である。…動物たちの弱腰、抗議もせず発言しようとしない無力ぶりこそが、権力の横暴を招き、スターリンをはじめ独裁者を容認してしまうことなのだ。

 なるほど、さすがに深い洞察です。

 ここで思い起こすことがあります。今、ロシアのプーチン政権下で、毒殺されかけた反体制指導者アレクセイ・ナワリヌイ(44)氏が、拘束されると分かっていながら、1月17日、ドイツからモスクワに帰国し、案の定、空港で拘束されて30日間の勾留を命じられました。ナワルヌイ氏は、とても勇気のある行動で尊敬に値することですが、私は、正直、無謀の感じがして、普通の人なら「長い物には巻かれろ」で黙ってしまうと思ってしまいました。でも、抗議の声を上げないことは権力者の横暴と独裁を容認することになってしまう、という自覚がナワリヌイ氏にあったということなのでしょう。「動物農場」を読んでその思いを強くしました。

三島事件から半世紀、極めて個人的な雑観

 ◇三島割腹自決の衝撃

 11月25日は作家三島由紀夫が陸上自衛隊の市谷駐屯地で割腹自決した日で、今年はちょうど半世紀です。ということは、現在53歳ぐらいか、それ以上の方でないと、この事件を実体験した感想は書けないと思います。

 あの衝撃は今でも忘れられません。私は東京都下の中学生でした。当時、自分でもよく分からないのですが、剣道部に所属していて、この事件の第一報を知ったのは、剣道部の顧問の杉本教頭先生からでした。帰りがけの我々に学校の校庭で彼はこう言いました。「本日、日本で一番偉い方が亡くなりました」。

 日本で一番偉いのかどうなのか。当時、三島の作品を碌に読んでいなかったくせに、妙に反発心が湧き起きたことを覚えています。名前を知っていた三島作品は「潮騒」「永すぎた春」「金閣寺」など映画化された作品ばかり。ということは、まだ読んでおらず、小説は「仮面の告白」を既に読んでいたかどうか、記憶は曖昧です。

 三島主演の映画「憂国」(1966年)は見ていなくとも、切腹シーンで話題騒然となったことは覚えています。それが、実際、三島自身がミニチュア軍隊のような「楯の会」を結成して、メンバーとともに市谷駐屯地を襲撃して、本当に割腹してしまうのですから、興味よりも恐ろしさの方が先だったことを覚えています。当時は全共闘運動が盛んで、世間では左翼勢力の天下のような雰囲気だったせいか、極右の三島は恐ろしい人だ、憲法が改正され、徴兵制が敷かれ、戦争が始まる、といった恐怖心の方が強かったのでした。(私の少年時代は、親世代の戦争の記憶はまだ生々しく、私自身も徴兵制は復活すると思い込んでいました)

 翌日だったか、クラスの誰かが、朝日新聞の前日の夕刊を持ってきました。総監室で割腹自決した三島と三島を介錯した後自決した森田必勝の二人の首が並んだ写真が一面に大きく掲載されていました。この写真は、カメラマンが敷居の上から当てずっぽうにシャッターだけを押して隠し撮りしたら写っていたらしいのですが、個人的には「どうしてこんな写真を載せるんだろう」という気持ちが強かったでした。

◇50年後を予言した三島由紀夫

 まだ、中学生でしたから、政治も文学も思想も哲学も難し過ぎて関心すらなし。ビートルズやレッドツェッペリンに夢中でした。そのせいか、三島のクーデターまがいの行動には、滑稽と言えば生意気過ぎますが、正直、痛々しさを感じました。バルコニーで演説中は野次が飛び、三島本人も自衛隊員が同調して一緒に決起してくれることを期待していなかったようですし。

 半世紀を過ぎ、三島が生きた45歳をとうに過ぎた今の私は、三島が命を懸けて書いた「檄」文はある程度理解できます。それ以上に、檄文はまるで「予言の書」ではないかと思うようになりました。三島が憂いたように、「自衛隊はアメリカの傭兵」のような存在のままで、今でも莫大な資金でイージス艦など大量の米国製武器を買わされて続けています。日本国民の税金で。

 三島の死後、経済優先の弱肉強食の金融市場主義が蔓延って貧富の格差が拡大し、電車の中で化粧をしても恥とも思わない、三島が予言したような魂の抜けたような日本人ばかりになってしまいました。

 私は高校から大学にかけて、三島の主要作品は読破して、その煌めくような華麗な文体に眩暈し、日本文学史上最高の知性を持った文章家ではないかとさえ思ったことがあります。三島が自決する前夜に「最後の晩餐」をした東京・新橋の「末げん」に食事に行ったり、三島の遺児が成長して開店していた銀座の「宝石店」を探して見に行ったり、三島が夜な夜な通い詰めた新宿のバー「どん底」に飲みに行ったりし、結構、ミーハーなこともやったりしました。

それなのに、最後までアンビバレントの気持ちはなくなりませんでした。純真だった中学生の頃の反発心と、長じて文体に魅了された敬服心という相反する気持ちです。

◇ジャーナリズムの真骨頂

 今は、仮面を被った三島由紀夫よりも、幼少期病弱で祖母に溺愛された本名の平岡公威の方が興味があります。また、農商務官僚で、三島の死後も長命を保った実父平岡梓の方が興味があります。さらに、内務官僚で汚職の嫌疑で樺太長官の職を追われた三島の祖父平岡定太郎の方がもっと興味があります。

 三島のボディビルで鍛えた筋肉隆々で自身満々の姿は、己の弱さを隠すための方便だったのではないかと愚察しています。文学として、三島より、夏目漱石や芥川龍之介や太宰治の方に私自身が惹かれるのは、後者は、三島のように「弱さ」を隠すことなく、人間の「弱さ」を作品の中で正直に吐露してくれたからだと思います。

 三島没後50年ということで、新聞、テレビ、雑誌等で散々取り上げられ、未だに熱烈な信奉者が多いことも分かりました。でも、11月25日を過ぎれば、取り上げられる機会は減ることでしょう。

 それこそがジャーナリズムの真骨頂です。

言語は世界制覇の最大の武器

昭和10年創業らしい「かいらく」 もやしそば 700円

 人間、否が応でも、政治や経済や社会の影響なしでは生きてはいけないということは自明の理です。でも、それ以上に重要なことは、日ごろ安易に感じられがちな文化だと私は思っています。文化の中でも最も大切なものは、言語です。

 言語は単なるコミュニケーションの手段だと、またまた安易に考えられがちですが、人間は言語によって思考したり、言語によって感情を表現したりする極めて重要なツールなのです。つまり、言語は世界制覇の最大の武器になるのです。

…なぞと、いつもながらの渓流斎ブログらしく、ややこしい前触れから始めましたが、何でこんなことを考えたかと言いますと、欧米が中国の「孔子学院」を相次いで閉鎖している、という記事を読んだからです。

 孔子学院とは、中国教育省傘下の孔子学院本部(北京)が海外の大学構内に設置しているもので、教師や教科書は中国から提供され、運営費の半額は原則的に中国が負担しているといいます。今年10月の時点で、世界162カ国・地域で計541校も開校しているといいます。

 しかし、ここに来て、中国が香港やウイグル、内モンゴルなどに強権的政治力を発動し、人権問題になったりしたことから、欧米を中心に反発が広がり、閉鎖される傾向が続いているといいます。そうでなくても、もともと孔子学院は中国政府のプロパガンダ(政治宣伝)機関かスパイ養成機関ではないかといわれるような疑心暗鬼があったことから、拍車が掛かったようです。

 私自身は、孔子学院でどのような教科書が使われているか知りませんが、中国国内でネット検索すらできない「天安門事件」や「香港国家安全維持法」などは取り上げられていないと想像しています。

実家の老親がやっと退院できるようになりましたが、条件はこのように家内に介護環境を整えることでした

 10月28日付産経新聞は「スウェーデン 対中感情悪化=欧州で突出 香港人権問題契機に」という見出しで大きく報道していました。中国共産党の批判書を扱い閉店に追い込まれた香港の「銅鑼湾書店」の親会社の大株主でスウェーデン国籍も取得している桂民海氏が2018年、中国本土で警察に拘束されたことが関係悪化の契機だったといいます。

 スウェーデンは、国内に8カ所ある孔子学院を全て閉鎖し、携帯電話の5Gで中国のファーウェイの機器の使用を禁止したといいます。

 産経の記事だけを読んでいる限り、「そうですか。中国って悪い国ですね」と言いたいところですが、少し冷静になってみると、そう言い切れないところがあります。この深層に、今年新たに孔子学院を2校閉鎖し、最大120校あったものを現在、81校に減少させた米国と、政治的、経済的に世界制覇を狙う中国との覇権争いがあるからです。つまり、善悪で捉えてはいけないということです。中国が一方的に悪で、米国が善というわけではないのです。言ってみれば、サバンナの弱肉強食の世界です。

 スウェーデンにしたって、2000年初めまでは、経済大国であり、ノーベル賞学者を多く輩出する日本を重視し、多くの日本語講座を設けていたのに、中国が経済発展すると、手のひらを反すようにして、日本語学校を閉鎖・追放して中国語講座を設けるようになったという話を以前、スウェーデン留学歴のある学者に聞いたことがあります。

 正確な引用ではありませんが、勝海舟は毀誉褒貶がある人とはいえ、日清戦争が起きる前、「あれだけ、昔はお世話になったのに、支那(中国)がかわいそうじゃないか」と言って、戦争に反対したと言われてます。

 古代に仏教(漢訳経典)も、稲作灌漑技術も中国大陸から渡ってきたものです。何と言っても、日本語の根幹となった漢字の導入があります。ベトナムや韓国北朝鮮は漢字を棄てましたが、「優等生」の日本は漢字を棄てず、今でも漢字なしでは日本語は語れません。日本人は漢字なしでは思考すらできません。

 尖閣諸島に出没する中国船の話などが連日報道され、世論調査でも中国に対する好感度が極度に下がっています。しかし、隣国として将来に渡って付き合わざるを得ません。

 そう言えば、日本のメディアの中国報道はネガティブなものが多い気がします。それが日本人の対中感情の悪化の原因の一つになっています。

 正直、私自身も皆さんと同じように、今の中国のことを大好きにはなれませんが、何事もほどほどに。欧米だけが一方的に正しいというわけではないのです。「中庸の精神」が大事だと私は思っています。

 

🎬「スパイの妻」は★★

 ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞した話題作「スパイの妻」(黒沢清監督作品)を大いに期待して観に行ってきました。

 劇場に着いたら、超満員の観客が列を作ってました。私は事前にネットでチケットを購入していたので安心していましたが、なかなか入り口に辿り着きません。

 「えらい人気だなあ」と思ったら、この作品ではなく、今、子どもから大人まで大人気のアニメ?「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の観客でした。この映画館だけで、この作品を週末は1日15~20回ぐらい上映しているらしく、三密状態で押し合いへし合いでした。

 私は全く興味がないので、漫画なのかアニメなのかよく分かりませんけど、恐らく今年一番の観客動員数を記録することでしょう。

 私の目当ての「スパイの妻」は、7割ぐらいの観客入りといったところでした。

 最初に書いた通り、大いに期待して観たのですが、ガッカリでした。「サスペンス」と称していますので、あまり詳しく内容には触れられませんけど、サスペンスにしては、驚くほど緊迫感はありませんでした。

 「回路」「トウキョウソナタ」などで知られる黒沢清監督も今年65歳となり、もう巨匠です。東大総長も務め、立教大学時代、黒沢監督の師匠に当たる有名映画評論家が、この作品を大絶賛する映画評を新聞に書いてましたが、それほど傑作とは思えませんでした。

 「何でかなあ」と自問してみましたが、はっきりした回答は出てきません。恐らく、もう少し、細部に拘ったドキュメンタリータッチの作品を期待していたのかもしれません。太平洋戦争前夜という緊迫した時代を背景に、神戸の商社社長である主人公福原優作(高橋一生)が、満洲(現中国東北部)に商用で出張した折に、国家機密の情報を知り得てしまうという話で、この映画を観る前、「一体何の話なのか」と思っていたら、結局、「何だ、その話でしたか」という意外性がなかったことで失望したのかもしれません。(その国家機密は、ハルビン郊外の話ですが、映画では新京は出てきてもハルビンのハの字も出てきませんでした。あ、あくまでも映画でしたね)

 この映画は、「スパイの妻」聡子役の蒼井優を中心に描かれた作品ということになるでしょうが、あまりにも彼女の顔のアップシーンが多い気がしました。(だから何だという話ですが)

 出てくる軍人役の俳優が一人も軍人に見えないし,軍隊行進の姿も全くなってない。登場人物の誰一人にも感情移入できなかったのが、最大の難点だったかもしれません。

 研究し尽くされていたのは、当時のファッションだったかもしれません。これは、うまく再現していましたが、当時の人はもっと帽子を被っていたと思いました。

 28歳の若さで戦病死した山中貞雄監督の「河内山宗俊」(1936年)を福原夫妻が映画館で観るシーンが出てきましが、これは旧き大先輩に対するオマージュだったのでしょう。しかし、映画の舞台は主に1940年の神戸。「人情紙風船」などで知られる山中貞雄監督は、1938年に亡くなっていますから、福原夫妻は超大金持ちなのに、弐番館の名画座で観たのかしら?

 昭和初期の細部にこだわる、と言いますか、うるさい人間がこの映画を観ると、難癖をつけたくなってしまいました。あまり詳しくない人にとっては、どうでも良い話でした。

「禁じられた西郷隆盛の『顔』」=写真から消された維新最大の功労者

いつも何かと小生に気を遣ってくださるノンフィクション作家の斎藤充功(みちのり)氏から、出版社二見書房を通して本が送られて来ました。

 「禁じられた西郷隆盛の『顔』 写真から消された維新最大の功労者」(二見文庫、2020年10月25日初版)という本です。2014年に刊行された「消された『西郷写真』の謎 写真がとらえた禁断の歴史」(学研パブリッシング)を増補改訂した文庫版です。

 ちょうど1年前に出版され、小生もこのブログ(2019年9月26日付)で取り上げさせて頂いた「フルベッキ写真の正体 孝明天皇すり替え説の真相」(二見文庫)の続編にもなっております。

 一応、帯にある通り、「明治維新史の暗部に切りこむノンフィクションミステリー」となっていますので、タネ明かしをしてしまうのはフェアではありませんが、結論を先に言ってしまいますと、結局、これまで出回っている西郷隆盛の「真顔」と言われていた写真は、東京歯科大学法人類学研究室の橋本正次教授による鑑定で「一致」に至らず、なおも探索作業が続いている…ということでした。

 著者は、「西郷写真」の存在を求めて、上野の西郷さん像をスタートして、二戸、大阪、下関、長崎、鹿児島…と関係者に会い、3年間かけて丹念に取材しています。そのフットワークの軽さはさすがです。

 斎藤充功氏が特に問題とした代表的な写真が、加治将一著「幕末 維新の暗号」(祥伝社、2007年)で再脚光を浴びた「フルベッキ群像写真」(幕末に来日したオランダ系米人宣教師フルベッキと息子を囲んで44人の武士が写ったもの。写っている武士たちは、坂本龍馬、中岡慎太郎、西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作、伊藤博文…ではないかと推定された)、明治2年から8年にかけて浅草で撮影された「スイカ西郷」と呼ばれる写真(西瓜のような頭をした人物が西郷ではないかと言われたが、法人類学者の鑑定では否定。医師小田原瑞苛が有力だが、確定にまで至っていない)、天皇の専属写真師、内田久一撮影の「大阪造幣寮前に集合した近衛兵と3人の指揮官らしき人物=その中央が西郷か?」、オーストリア人のスティルフリードによって盗撮された「横須賀造幣所を行幸中の明治天皇」などです。

 実際、写真がないと、参照できず、このように文字だけ並べても、お読みになっている方は何のことか分からないことでしょう。仕方がないので、ご興味のある方は本書を手に取って頂きたいと存じます。

 フットワークの軽い斎藤氏は、鹿児島県さつま町にある「宮之城島津家資料センター」を訪れ、加治将一著「西郷の貌」などで、西郷隆盛と同定している「一三人撮り」写真の史料根拠としていた「宮之城史」が、資料として存在しないことを同センター専門委員の川添俊行氏から引き出したことは、この本の手柄でしょう。

「スイカ西郷」に写る右端の男性が大久保利通と一致

 著者の斎藤氏は、法人類学の橋本教授とタッグを組んで、さまざまな「西郷写真」を鑑定し、結果的には西郷さんに「一致」と断定できる写真は見つかりませんでしたが、その過程で、思わぬ収穫がありました。

 「スイカ西郷」の写真で右端に立ち、西郷と思しき西瓜頭の男性の肩に手を掛けている男性が、大久保利通であるとほぼ確定できたことでした。有名な髭もじゃの大久保ではなく、まだ明治初期の若い頃の写真です。

 結局、西郷隆盛と断定できる写真は発見できませんでしたが、著者は「必ずどこかにあるはずだ」という確信を持っていることから、この続編が書かれるかもしれません。

 坂本龍馬も高杉晋作も桂小五郎=木戸孝允も大久保利通も幕末の志士と呼ばれた人たちのほとんどの写真が残っているというのに、維新最大の功労者である西郷隆盛の写真だけが残っていないのは何故か?ー 著者は、西郷隆盛が神格化されたり、反政府の象徴にされないように、明治の要人の誰かが故意に、隠したり、消したりしたのではないかという説を取っておりましたが、確かに、その通りなのでしょうね。

 「あるものをなかったことに」したのは現代の安倍政権下の官僚によって行われましたが(公文書破棄事件)、西郷写真の抹殺は、確かに明治維新史暗部のミステリーですね。

今は昔、元首相邸は大使館に近衛歩兵第3連隊はTBSに

平林寺前「たけ山」うどんランチ1000円

 竹内正浩著「『家系図』と『お屋敷』で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇」(実業之日本社)を読了しました。明治大正の歴代首相や有力者、元老らが住んでいたお屋敷などが、今、どうなっているのかも書かれていましたので、備忘録として列記しておきたいと存じます。(順不同で全て現在の東京都内の話に絞り、既に知っていることは省略=笑)

 ・麹町区永田町(千代田区永田町)西郷従道(隆盛実弟、陸軍中将、海軍大将)邸⇒(中略)国会議事堂

 ・早稲田・彦根井伊藩下屋敷⇒東京専門学校(早稲田大学キャンパス)

 ・築地・旗本戸川安宅(やすいえ)邸⇒大隈重信(肥前藩士、首相、侯爵)邸⇒(中略)料亭「新喜楽」(芥川・直木賞選考会場)

 ・築地・海軍大学校⇒(中略)築地市場(豊洲に移転しても健在)

 ・京橋区木挽町(中央区銀座8丁目)逓信大臣官邸⇒(中略)銀座中学校

 ・麻布区桜田町(港区元麻布)後藤新平(満鉄総裁、東京市長など歴任)邸⇒満洲国大使館⇒中華民国大使館⇒中華人民共和国大使館

 ・麹町区下二番町(千代田区二番町)加藤高明(尾張藩士族、帝大首席卒業、首相。岩崎弥太郎の長女と結婚し、「三菱の大番頭」の異名、伯爵)邸⇒ベルギー大使館

 ・神田一ツ橋(千代田区一ツ橋)文部省⇒(中略)毎日新聞社東京本社

 ・赤坂区一ツ木町(港区赤坂)近衛歩兵第3連隊⇒(中略)TBS、赤坂パークビル

 ・内山下町(千代田区内幸町)鹿鳴館⇒華族会館⇒(中略)日比谷Uー1ビル

【その他の逸話】

・戦前、霞が関といえば、海軍省があった海軍のことを指していた。陸軍は三宅坂と言ったように。戦後は、霞が関といえば中央官庁の別称となり、三宅坂は、本部があった社会党を指すことがあった。

・頭が大きかった桂太郎(長州藩士、陸軍次官、台湾総督、内大臣、首相、公爵)の脳は1600グラムもあった。一方、夏目漱石は1425グラム。

・三菱合資会社地所部(現三菱地所)が開発した駒込の六義園(旧・柳沢吉保別邸)近くの高級住宅地「大和郷(むら)」の初代名誉村長は若槻禮次郎(松江藩士族、帝大首席卒業、憲政会、首相、男爵)、村長は俵孫一(北海道庁長官などを歴任した内務官僚。浜口雄幸内閣商工大臣。政治評論家俵孝太郎の祖父)だった。