安倍首相のお気に入りがトランプ大統領と握手していたとは…

昨晩、名古屋にお住まいの篠田先生から電話が掛かってきました。

篠田「ああたね、何か昨日はスパイ研究会に出たらしいけど、今日は、本物の現代のスパイが登場しましたよ」

渓流斎「えっ!? どういうことですか?」

篠「国技館ですよ。トランプ米大統領と握手していたでしょ? 古い、過去のもう終わったスパイの研究もいいですけど、今現在のスパイにも目配りしなければ駄目ですよ」

渓「えっ!?誰なんですか、それ?」

篠「知らないんですか?今、ネット上では大騒ぎですよ。どうせ、明日の朝刊では、どこの大新聞もテレビも報じないでしょう。相撲の取組が終わって、トランプ米大統領が升席を取っ払った特別観覧席から引き上げる際、NHKのアナウンサーが『一般のお客さんと握手を交わしています』と絶叫したでしょ?よく見たら、一般客でも何でもない。台湾出身の政治運動家・金美齢氏と極右国粋評論家・櫻井よし子氏、週刊新潮出身のノンフィクション作家門田隆将氏じゃあ、あーりませんか。いずれも、安倍首相お気に入りの親衛隊。産経新聞、フジテレビ御用達です。

渓「えーーー!、本当ですか?」

篠「知らなかったんですか?駄目ですね。ブログはこういうことを書かなければ駄目ですよ。彼らは千秋楽という最も入手困難な高額キップをどうやって手に入れたんでしょう?ネット上では『どうせ、ご招待だろ』とか『何が、一般客だ。NHKもグルだな』などと喧々諤々ですよ」

渓「知らなかったですね。どうせ明日の朝刊大手紙はどこも取り上げないでしょうけど、こちら方面が得意の『日刊ゲンダイ』や『東京スポーツ』なんかは売れなくなるはずですね。『夕刊フジ』はフジサンケイ・グループだからエールを送って載せるかも…」

新聞配達をしていた中学生の時、160センチだったのが、今や3メートルに伸びてました

篠「夕刊紙どころか、週刊誌だって、年金や相続や病気の話ばかりの『老人メディア』で、若い人はもう見向きもしませんよ。それより、トランプ大統領と安倍首相らが夜に会食した六本木の居酒屋は何処か知ってますか?」

渓「さあ…知りませんねえ」

篠「駄目ですねえ。『田舎家 東店』ですよ。六本木交差点から飯倉片町方面に下って、左手にドンキホーテがありますから、その近くですよ。ニューヨークにも支店があり大人気で、今、飛ぶ鳥を落とす勢いで、ブイブイ言わせてますよ。まあ、予算は一献2万円ってとこでしょうか」

渓「それにしても、随分、詳しいんですねえ…」

篠「ジャーナリストのくせに、ああたの取材力が足りないだけですよ(笑)」

渓「そう言われましてもねえ…」

篠「じゃ、答えをお教えしませう。 官報に告示されていたからですよ。そこにはドローン飛行禁止区域が書かれていたんですよ。ゴルフをやった千葉・茂原カントリー倶楽部や相撲観戦の国技館はマスコミ発表で事前から大々的に取り上げられましたが、大統領夫妻が宿泊するのはパレスホテル東京、夕食を供にすると思われる六本木3丁目のアロービルまで告示されてましたよ。あとは、内調(内閣情報調査室)やCIAでなくても、パンピー(NHKの好きな一般人)だって、ちょこっと調べれば分かるわけですよ」

渓「なあるほど。分かり過ぎるほど、分かりました。ぐうの音も出ません」

母の日にコンビーフ

 ウマイめんこい村の白羽作彦村長です。

 何か、わたすのライヴァル・サイト「ウマズイめんくい村」の赤羽彦作村長さんが、東京・千駄木腰塚の「極旨 コンビーフ」を取り上げておりましたが、たまたま、わたすも同じように「ここのコンビーフは日本一、極旨ですよ」という極秘情報をある情報筋から仕入れて来ました。

 もしかしたら、この極秘情報は、ワトキ会か、または、同じ情報筋かもしれませんが(笑)、今日は「母の日」ということもあって、母親へのお土産として、奮発して買いに行って来たわけです。

 千駄木本店にしか売っていないという情報でしたが、JR日暮里駅の「駅ナカ」でも販売しておりました。昭和24年創業の腰塚自家製「極旨 コンビーフ」は、400グラムというかなりボリュームで、価格は、1個1980円。

 コンビーフは最近ほとんど口にしていませんでしたが、子どもの頃は、缶詰入りのコンビーフをよく食べたものでした。そう言えば、小中学校の給食でもよく出ていたと思います。

 手始めに生でそのまま食べてみました。まあ、コンビーフの味はしましたけど(笑)、脂の乗ったほどよい塩加減にしろ、今まで食したコンビーフと比べると、老舗の腰塚さんから広告宣伝費をもらっているわけではありませんが、類似品とは違い、高級感たっぷりで、旨味がありました。

 でも、キャベツなどの野菜炒めにしたり、手を加えても美味しいと思いました。

 生コンビーフと一緒に、サンドイッチ(580円)も一緒に買ってきました。

 このサンドのコンビーフにはキャベツが入ってました。

 「千駄木 腰塚」のネットのサイトを見たら、「コンビーフは一人1個まで」とか、「午前10時には売れ切れてしまう」といったコメントが書かれてあったので、日曜日だというのに朝早く起きて、買いに行きましたが、コンビーフは何個でも買えたし(年末とか特別な日は制限するらしいですが)、午前10時ぐらいでしたが、まだ沢山売れずに残っておりました(笑)。

 一緒に食べた母親も「美味しい」と褒めてくれたので、ほんの少し親孝行ができてよかったかな、と思いました。

3月のふぐ料理 東久留米に温泉が出た

 春分の日の前日の20日に、シーズン最後のふぐ料理を食してきました。

 ふぐの「旬」は、「秋の彼岸から春の彼岸まで」と言われてますから、2018年度の旬は、9月23日から3月21日までだったというわけです。

 ふぐ料理は、庶民にとっては高嶺の花ですが、観念よりも「食いしん坊」が優ってしまい、中学時代(世間では無名の東久留米市立東中学校)の同級生の誘いに乗って、参加してきました。何よりもブログのネタになると思ったからでした(笑)。

 それでも、目の玉が飛び出るほど高いせいか、参加者はわずか3人でした。場所は、黒田さんが勤めていた石油会社の福利厚生施設で、何と都心の六本木にあります。

 六本木に足を踏み入れるのは10年ぶりに近いくらい久しぶりで、街の様子がすっかり変わってしまっていたのには驚きました。昔通ったディスコはなくなってました。大使館が近いせいか、昔から外国人が多い街で、以前は欧米人が多かったのですが、最近は、インド、パキスタン系、アフリカ系、イスラム系が格段に増えてました。警察官がアフリカ系の若者に職務質問しているのを見掛けました。

 騒音と雑踏は駅から徒歩圏で10分ぐらいですが、それを過ぎて、神谷町方面に向かって大通りを左折すると、閑静な高級マンション街となり、その一角に福利施設がありました。

 集合時間より30分も早く着いてしまい、何となく、「勘」で場違いな所に来てしまったような気がしましたが、それは少し当たってしまいました。

 何よりも、飲み物の持ち込みは自由だという話を聞いていたのですが、缶ビールをテーブルに置いた途端、それを見た接待してくれた和服を着た係りの女性が「瓶ビールはいいですが、缶ビールは駄目ですよ」とイチャモンを付けてくるんですからね。

 ふぐ刺しも、何か量が少ない気がしました(笑)。

 思えば、本格的なふぐ料理を食したのは、1985年3月、本場の下関でした。当時、プロ野球大洋ホエールズの担当記者をやっていて、オープン戦取材で下関球場に行った際、球団から「夜の接待」を受けて、フルコースをご馳走になったのです。癒着記者ですね(笑)。牧歌的時代でした。刺身から唐揚げから鍋しゃぶから、あらゆる料理で、それこそ、高級料亭で、目の玉が飛び出るほど高かったことでしょう。まあ、あの時を超えるふぐ料理はもう味わえないということでした。

 参加者は中学時代の同級生ですから、当然、半世紀も昔の話になりました。黒田さんは記憶力が良くて、授業中に高畠先生が話してくれた「輪廻転生」の話をまだ覚えていて、「あのお蔭で死が怖くなくなった」などと述懐していました。私の中学時代は、非行に走った不良でしたから、先生の話なんか聞かず、ほとんど覚えていません(苦笑)。

 大学卒業後、ノンキャリアで警察庁の警視にまでなり、今は某会社に天下り(?)している岡本君は、城先生によく殴られた話をしていました。(ちなみに、警視以上に出世できる警察官は全体約23万人の3%しかいません)我々の先生の世代は大正生まれで、鉄拳制裁を食らった軍隊経験の方が多く、暴力は日常茶飯事でしたね。

 中学校の隣にあった私が卒業した東久留米市立第四小学校は、児童数が減少して2012年3月に廃校になってしまいました。近くの公団や公務員住宅団地も建て替えやらで、廃墟となり、ゴーストタウンになりかかっていましたが、黒田さんの話では、何と、その近くで天然温泉が発見され、3月9日に「関東最大級」と銘打つスパがオープンして、凄い活況を呈しているというのです。彼女はもう7回も行った、と自慢していました。

 個人的ながら、東久留米市上の原周辺は、小学校1年生(当時は東京都北多摩郡久留米町)から中学、高校、大学、社会人まで21年間も住んだ私の故郷みたいな街です。子ども時代に駆け回っていた所に温泉が出たとは、驚くやら、嬉しいやら。皆さんも「話のタネ」に東京郊外に足を延ばしてみたら如何でしょうか。(上の「スパ」をクリックすると場所が出てきます)

 

700円のとんかつランチ満喫!

 寒さが厳しくなるのと平行して、懐具合も寒くなるものです。

 東京・東銀座の500円ランチが閉店してしまい、難民状態が続いておりましたが、忍びを派遣したり、諜報活動を頻繁に行った結果、ついに格安ランチを発掘致しました。

 明治に日本で初めて開通した鉄道駅の新橋停車場近くの汐留にある高層ビルに入っている「まるや」というとんかつ屋さんです。

 ロースかつ定食が、な、な、何と700円! 安かろう不味かろうでは、話になりませんが、及第点、いや合格点です。まあ、850円の価値はあります(笑)。うまずいめん食い村の赤羽村長もびっくりです。

何でこんな安くて旨いのか不思議ですが、他のランチ・メニューで、ヒレかつ定食は1000円、特ロースかつ定食も1000円と、ひどく真っ当な値段になっておりました。

勘繰れば、真っ当なランチに誘導する釣り価格設定なのかもしれません(笑)。

夜は、立ち呑み屋さんに早変わりするようです。

勘定しようと立ち上がったら、真黄色に髪の毛を染めた綺麗なお姐ちゃんが、既に300円のお釣りを持って近くに立っておりました。

はや!

バルセロナ・サグラダ・ファミリア教会

【洛中便り】西班牙料理での饗宴

おはようございます。京洛先生です。今年も本当に残り少なくなりましたね。

 ところで、昨晩は、貴人が、加藤力之輔画伯のご令室から、マドリードで美味しい食事をされた、本場仕込みの「西班牙料理」を、加藤画伯の洛中のアトリエで迂生もご馳走になる機会を得ました。

Copyright par Kyoraque-sensei

 上の写真をご笑覧ください。凄いでしょう。ついでに、アトリエのベランダから眺めた洛中の眺望、京都タワーの威容がよく見えました。


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饗宴料理の中には、マドリードで、渓流斎さんがお口にされた西班牙料理と同じものがありますかね?(笑)。小生は、外国料理は苦手ですが、昨夜の西班牙料理は、いずれも美味しかったですね。


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 料理の名前は憶えていませんが(笑)、西班牙から送られてきた素材をふんだんに使って、加藤画伯と、招待客ながら手伝いに見えていた料理に詳しい立体作家が共作で作られ、もてなしてくださいました。

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加藤画伯のアトリエにふさわしく、集まったのは、ポルトガルと京都を拠点に、「アズレージョ」というポルトガルの装飾絵タイルの創作活動をしている造形作家の石井春さん(www.ishii-haru.info)。泉涌寺の傍で茶道を教えられている「山荘流」家元さん。そのほか眼科医さんなど多彩な顔ぶれが招かれ、“加藤サロン”の楽しい小宴でした。

造形作家の石井さんは自らのブログを持っておられ、いろいろ電脳空間活動も展開されているので、その創作活動の一端をご覧ください。

 また、茶道と言えば、凡人は、表千家、裏千家、武者小路の“三千家”だけが頭に浮かびますが、「山荘流」は高谷宗範という嘉永生まれで、明治、大正、昭和前期に活躍。弁護士、検事もした人物が創始した流派です。

宗範はもともと「遠州流」でしたが、同派から独立した新しい流派を興しました。宗範は当時の茶道界の現実を嘆き、国民道徳を向上させる狙いから、草庵(小間)の茶道を書院(広間)に力点を置くよう唱導したそうです。

これに対して、当時の茶人の高橋菷庵(三井の重役、新聞記者)は「広間でやる台子茶は原始人がするものだ。小間こそ奥行きが深い」と批判し、論争になったそうです。


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宗範は、大正時代に宇治の木幡の道元禅師の生誕の地に「松殿山荘」という約3万4000坪の茶道の道場を作り「財団法人『松殿山荘茶道会』」を設立して書院茶道を広める基礎を作りました。

今も、そこが山荘流茶道会の活躍拠点になっています。これも「松殿山荘茶道会」のホームページがありますから、ご覧になるとその内容、規模の大きさが分かると思います。

まあ、貴人が先日、渓流斎ブログで取り上げた1800年代のフランスのマスコミやサロンの世界を蹂躙、活躍した新聞王ジラルダンと同様、わが日本国も、その時代に、高谷宗範しかり、新聞記者から三井に転身して茶人になった高橋菷庵しかり、似たような軌跡の人物が存在したわけです(笑)。

貴人は、「言論ギャング」野依秀市とジラルダンを比較・考察されていたようですが、結局、芸術、マスコミ、経済界、政治家も、人とのつながり、融合した「サロン」という存在が大きな働きを持つのです。


Copyright par Kyoraque-sensei

新聞記者が安倍首相と談笑するのも情報交換という「サロン」です。そこに“出前の岡持ち”「スシロー」が加わるのですから、その規模、中身がどういうものか分かるというものです(笑)。

以上報告終わり。

ずわんねん、500円ランチが終わってしまう

 東京・銀座ながら、ランチを500円(税込)で出してくれるお店が閉店しまうというので、大ショックです。

 東銀座にある「橙」(だいだい)という居酒屋さんのランチでした。以前にも一度ご紹介しましたが、小鉢が二つも付くのです。相場からすると900円か1000円ぐらいといったところでしょうか。

大いに家計を助けてくれたのですが、明日12月21日(金)で閉店してしまうというのです。

 店主は余計なことは話さない、無口な方なので、閉店の理由については詳らかではありません。でも、一種の慈善活動みたいでしたから、本当に助かりました。

さんまの竜田揚げ

とにかく、明日までですので、余裕がある方は、一度、試しに行ってみたら如何でしょうか。

 嗚呼、日経平均株価が大幅に暴落してます。

私は明日からどうこの窮状を凌いでいったらいいんでしょか?

銀座の500円ランチにライバル「ウマズイいめんく食い村通信」も吃驚

「最近の《渓流斎日乗》は堅くて難しいですねえ」とお嘆きの読者諸兄姉の皆々様方には朗報です。皆様の御要望にお応えしまして、久しぶりにグルメ譚です。

最近、「500円ランチ」にはまっています。皆様のご自宅のお近くにあるかもしれませんが、な、な、な、何と、場所は銀座ですからね(笑)。

この通りです。「橙(だいだい)」というビルの地下にあるお店です。

夜の居酒屋がメインなのでしょうが、最近、この半年ぐらい前から、こんな看板を目にするようになり、入ったことがなかったのですが、同僚に誘われて、3週間ぐらい前から入り浸るようになりました(笑)。

週に2回は行ってます。

「安かろう、不味かろう」では困りますが、これだけの料理なら750円、いや800円以上は取られても十分に通用します。それが500円ですからね。ウマズイめんくい村の赤羽村長も大した魂消た、吃驚ころりんです。

お店の人に直接聞いたわけではありませんが、夜の居酒屋に来てほしいために、ランチは半ば「宣伝」かサービスでやっているのではという噂がのさばっています。

納豆やヒジキなど小鉢2個は、自分で好きなものを選べるようになっています。これがまたいい。日替わり定食で、毎日メニューが変わるところもいいです。(営業は、火曜日~金曜日)

それにしても、われわれ貧民層にとって、500円ランチは本当に有難い。

ただし、当然のことながら混みますから、結構並びます。ずらっと行列ができていて、まあ、15分ぐらいは並びます。でも、いつまで「500円ランチ」をやっているか分かりませんので、もし、皆さんが私のような階級に属しているとしたら、お勧めですよ。

スペイン堪能記ー余話

ピカソ「ゲルニカ」

まだスペインから帰って早々ですので、いまだに「スペイン病」を引きずっております(笑)。

今日なんかは、東京・銀座の有名スペイン料理店「エスペロ」にランチしに行ってしまいました。

ランチ1200円と、小生としては、ほんの少し割高でしたが(10ユーロと考えると断然安い!スペインでは、ランチでも17~30ユーロが相場で結構高い)、上写真右のガスパッチョ(冷製野菜スープ)なんかは美味で、本場とさほど変わらない味でした。

この店は、パエリアの国際大会で優勝したことがあるらしく、店頭に誇らしげに表彰状を飾っておりました。

店内を見渡すと、闘牛のポスターばかりでした。

今回のスペイン旅行で残念ながら、闘牛を見ることができませんでしたが、本場スペインではどうやら「下火」になっているようです。2日目のミハスでランチしたレストランは、元闘牛場で、食堂に改装したものでした。

バルセロナでは、ガイドさんが「ここの闘牛場は先週、閉鎖されました」と仰るではありませんか!

色々、聴いてみると、どうやら、入場料がかなり割高で、地元の人があまり行かなくなり、主に観光客相手になってしまったとのこと。「残虐」ということで、動物愛護団体などから闘牛を中止するよう様々な形で要望があったらしい、ということでした。

私自身は20代の若き頃、ヘミングウエイの「日はまた昇る」を読んで、感動して、「いつか、闘牛を見てみたい」と思っておりましたが、恐らく、もう見ることはできないでしょうね。

今回のスペイン旅行の一つが、ピカソの「ゲルニカ」を見ることでしたから、実現したときは、「かぶりつきの席」で、10分間ぐらいジーと見詰めていました。そして、見れば見るほど、よく分からなくなる不思議な絵でした。

私の記憶が確かなら、1937年のスペイン内戦の際、バスク地方ゲルニカが、ナチスドイツ軍による無差別都市爆撃を受けたことから、当時パリにいたピカソは、新聞報道や写真などを参考に一気に描き上げたものでした。ヒトラーは、フランコによる要請で他国のスペインを爆撃しましたが、その2年後に開始される第2次世界大戦を見据えて、空爆の演習を兼ねていたとも言われます。(フランコは、これを取引に、スペインは第2次大戦に参戦しないことをヒトラーに約束させたという説もあります)

「ゲルニカ」は、一気に描き上げたといっても、縦3.49メートル、横7.77メートルというかなりの大きさですから、ピカソはその前に45枚の習作デッサンを描きました。それら習作も会場の国立ソフィア王妃芸術センター(マドリード)で展示されておりました。

ピカソが何故、この絵を白と黒だけで描いたのか、色んな説がありますが、白黒でも凝視すると、真っ赤な太陽や血の色などの色彩が網膜に浮かぶようでした。ついでに阿鼻叫喚の悲鳴や泣き声まで聞こえるようでした。

天下の「ゲルニカ」ですから、写真撮影は禁止でした。左右に屈強のガードマン2人が配置されておりましたが、かなりの至近距離まで近づいて見ることができ、感激しました。

バルセロナ ガウディ作「グエル公園」

今回のスペイン旅行で、「スペイン語不足」を痛感しました。

トイレに行くと「caballero(カバジェーロ)」と書かれた入り口は、「紳士」用だということが後になってようやく分かりました(苦笑)。(senora=セニョーラ、淑女は、すぐ分かりました)

ビールは、Cerveza(セルベッサ)、赤ワインは Vino tinto(ビーノ・ティント)、グラスで注文するならCopa(コパ)、ボトルなら、Bottella(ボテージャ)。

うーん、フランス語とも単語がじぇんじぇん違いますね。ポルトガル語とはほとんど似ているでしょうが。。。

何しろ、taberna(タベルナ=居酒屋)は、「食べるな」と言われてるようで、吃驚しますよね。

昨日書いたスペイン語のバカ=牛は、正確にはVaca(バカ)=雌牛でしたね。アホ=ニンニクは、ajoで、アッホとも発音するらしいですね。

加藤画伯の御令室によると、首都マドリードの Madrid は、本当は「マドリー」と言うのが正確なんだそうですね。最後の「d」は発音しないとか。

あと、スペイン語の疑問文は、最初に「?」の真っ逆さまを書きますよね?書き言葉は、読者に最初から、次に書かれているのは疑問文ですよ、と注意喚起するためなんでしょうか?

スペイン語に詳しい方は、どうか、コメントで御教授願います。

京都大旅行、のはずが関西大旅行

奈良・猿沢池

2泊3日の京都大旅行のはずが、関西大旅行と相成りました。

◇2018年8月25日(土)

いつもの如く、新幹線京都駅中央口改札で、京洛先生がお出迎え。

「渓流斎さん、旅の醍醐味をご存知ですか?ー 珍道中ですよ」

ということで、京都駅で下車することなく、そのまま新幹線口の真向かいにある近鉄線で、何と奈良駅へ。まさに、弥次喜多珍道中の始まりとなりました。

近鉄奈良駅から歩いて数分のお好み焼き屋さん(名前は失念)で「豚焼きそば」とビールで豪華ランチ。

この後、中臣鎌足が鹿島神宮から連れてきた神さまの使者といわれる鹿さんが3000匹も戯れる奈良公園を通って、奈良国立博物館 へ。「修理完成記念特別展 糸のみほとけ-国宝 綴織當麻曼荼羅と繍仏-」展(26日で終了)を鑑賞しました。

繍仏とは、仏像などを刺繍した、いわゆるタピストリーのことです。当麻寺の曼陀羅は、中将姫が一夜にして縫い遂げたといわれる伝説の繍仏で、普段は未公開。何年か、何十年に一度しか「御開帳」されないので、今回、大変見る価値があるというのです。

もう1300年ぐらい時が経ているので、原型はほとんど消えて黒ずんでしまっていましたが、何か、居住まいを正したくなるような威厳がありました。伝説では一夜で縫い上げたことになっておりますが、実際は早くても7年は掛かるようです。刺繍ですから、立体的に浮き上がって見えたことでしょう。

奈良といえば、東大寺(の大仏)か、興福寺なんですが、玄人の京洛先生は、そんな修学旅行生が行くようなところは見向きもせず、一路目指したのが、元興寺(がんごうじ)でした。

元興寺は、飛鳥の飛鳥寺をこの奈良に移築したもので、1300年以上昔の飛鳥時代の屋根瓦が今でも現存する如何にも玄人好みの仏閣でした。国宝です。しばし、斑鳩の里に思いを馳せました。

◇◇◇

この後、京都に戻り、夜は、北野白梅町にある創業安政3年(1856年)の米屋、大米米穀店が経営する洋食屋「キッチンパパ」へ。キスフライ付ハンバーグ 1280円と ハイボール500円を飲食しました。日本人向きにアレンジしたデミグラスソースのハンバーグで、とても美味しゅうござんした。繁華街ではないので、歩いている人は少ないのに、この店だけは、学生風の若い人でいっぱいで、並んでいる人もいました。

◇8月26日(日)

さて、「今日こそ京都の寺社仏閣を存分に楽しめるぞ」と期待していたら、京洛先生「今日は神戸の南京中華街に行きます。よろしく」ですからね。

えっ? 神戸なの? 京都から遠いでしょ!しかし、実際は1時間ほどで行けてしまい、阪急電車の日曜日割引チケットを金券ショップで買うと、片道620円が420円となり、往復400円のお得になりました(笑)。

京洛先生、どうやら、神戸南京町の中華街にある「元祖ぎょうざ苑(1951年創業)」に行きたいというのです。ここは、神戸の味噌だれ餃子の発祥の地で、食通の京洛先生は、寅さん俳優の渥美清らがよく通った東京・渋谷の中華料理店「大穀」の味噌だれ餃子の味が忘れられず、どうしても神戸の評判の店で食したいというのでした。

阪急神戸三宮駅から歩いてJR元町駅へ。そこから、グーグルマップを手掛かりに10分ほどで着きました。評判の店なので、12時ちょっと過ぎて着いたら、先客がいて、ちょっと並びました。でも、出たときは、入ったときの倍以上の人が列をつくっておりました。

確かに評判通りの美味しさ。変な言い方ですが、皮や肉汁まで旨いのでした。猛暑でビールもうまい!

個人的に、横浜の中華街は何十回も行っておりますが、神戸の中華街は生まれて初めて行きました。南京町は、今年で開設150周年なんだそうです。明治維新と一緒ですか。

JR元町駅から神戸駅へ行き、この駅にほど近い湊川神社へ参拝。ここは、別名、楠公神社と言われるように、南北朝時代の忠臣楠木正成をまつった神社です。有名な湊川の戦いで敗れて自害した場所に、明治以降にこのような立派な神社が建てられたといいます。

この後、阪急御影駅で途中下車して、香雪美術館へ。朝日新聞を創刊した村山龍平(と二代目村山長挙=岸和田藩主の三男が婿入り)の集めた日本と東アジアの古美術を自宅の一角で公開展示したもので(香雪は、龍平の雅号)、御影という関西でも屈指の超高級住宅街の中でも、図抜けてだだっ広い敷地で、その広さには腰を抜かすほど驚いてしまいました。

村山邸を1周すれば軽く20~30分ぐらい掛かるのです。森林に囲まれ、どこかの植物園か動物園と言われてもおかしくない広大な敷地でした。

朝日新聞社は戦前、飛行機会社(実際は航空部。戦後、全日空に発展)まで作ったりしましたから、創業者一族には相当な収益があったということなんでしょう。桁違いの大きさに唖然としました。

帰り、御影駅近くの喫茶店「マハロ」でいちごかき氷600円で一息つきました。店名がハワイ語で、店内の掲示がフランス語、店内でかかっている曲はブラジルのボサノヴァ、そして、歯科技工士の相談会開催と、何か超変わった店でした(笑)。でも、気配りの行き届いた感じのいい店でした。

◇◇◇

京都に戻り、夕方「京極湯」で一風呂浴びたあと、この銭湯近くのお好み焼き屋「にしで」で、ミックス焼そば、お好み焼きなどを食しました。この店は、以前よく入った店で、今回は5年ぶりぐらいに入りましたが、女将さんが、小生の顔を覚えてくれていて吃驚。美人の女将さんもさすがに少し老けました。お互い様ですか(笑)。

そう言えば、銭湯では、番台の女将さんから、京洛先生より小生の方がかなり年上に見えたらしく、個人的に相当なショックを受けました。茲ではっきり申し上げておきますが、小生は京洛先生より一回り近く若いのですぞよ。

◇8月27日(月)

京都堀河三条「力」の元女将さんのところに久しぶりに立ち寄り、グーグル・スピーカーの威力を見せてもらいました。

「オッケー、グーグル、今、気温は何度なの?」と彼女が言うと、「32度です」と答えるし、「オッケー、グーグル、音楽かけて」と命令すると、しっかり、登録していた(?)好きな音楽をかけてくれるんですからね。何か、怖くなるくらい便利でした。

さて、この日は、ついに小生の希望が通り(笑)、念願の京都・伏見稲荷大社に行きました。全国3万社もある稲荷神社の総本社です。和銅四年(711年)御鎮座で、渡来人の秦氏が創建したという説が有力です。ちなみに、全国の神社数は約8万8000社(全国のコンビニは約5万6700軒)、このうち八幡宮は4万4000社、天満宮は1万2000社と言われております。

奈良もそうでしたが、外国人の多さには本当に吃驚しました。すれ違う人は殆ど外国人。比率は東京より多いんじゃないでしょうか。

「千本鳥居」など、何百メートルも続く鳥居の列が「インスタ映え」するということで、世界的に外国人観光客の間で伏見稲荷大社は、大人気スポットなんだそうです。

我々は「奥の院」の辺りまでしか行きませんでしたが、この奥に行くと勾配もきつく、実際、迷い人が出るほど迷宮化しているそうです。

小生、先週「名誉の負傷」をして、全治2週間ぐらいではないか、と思われるくらい膝が痛んで歩きにくいので、当然、ギブアップしました。(歩けますが、まだ走れません)

奥の院の茶店でビールを飲んでいた75歳ぐらいの日本人男性が「伏見稲荷大社は、拝観料も駐車場もただで、24時間オープン。だから、大型バスでぎょうさん乗り付けて、外人が9割ぐらいになったんや」と、こちらから聞くわけではないのに、答えてくれました。

確かに、浴衣や着物を着ている人のほとんどが、日本人ではなくて、外国人でしたからね。売り子も怪しい日本語でした。

この後、京阪電車「中書島駅」に向かい、その近くの寺田屋を見に行きました。私の希望でした。建物は意外にも小さいので少々驚き。当時は水運が盛んですから、この辺りは大坂から淀川を通って京都に入る中継地で、花街地として栄えたらしいですね。

中に入ろうと思ったら、「月曜休館」で閉まってました。仕方ないので「沿革」を引用しておきます。

寺田屋は伏見の船宿。文久2(1862)年4月23日、薩摩藩急進派有馬新七(1825~62)以下35名が関白九条尚忠(1798~1871)と京都所司代の殺害を計画して集結した。薩摩藩は藩士を鎮圧に向かわせたが両者乱闘となり、有馬以下9名が死亡した(寺田屋騒動)。慶応2(1866)年正月21日坂本龍馬(1835~67)も伏見奉行所の捕方に襲われたが、難を逃れた。寺田屋は鳥羽伏見の戦(1868年)に罹災し、焼失した。現在の建物はその後再建されたものである。

ここから市バスで30分、京都駅南口辺りで降りて、京洛先生お勧めのうどん屋「殿田」で遅いランチ。たぬきうどん600円、稲荷寿司三個300円という安さでした。

たぬきうどんは、関東なら天かすなのですが、こちらは、油揚げなので、関東なら、きつねうどんです。刻んだ長ネギにショウガがたっぷり。あんかけ汁で、結構上品な味でした。店の人の感じもよく、京都に行ったらもう一度食べたい味でした。

自殺した米有名シェフ、ベトナムでも悲しみに包まれる

昨日の休み、家でたまたま米CNNテレビを見ていたら、米著名料理人アンソニー・ボーデインさん Anthony Bourdain という人が、8日にフランス・アルザス地方のケゼルスベールの高級ホテルで首吊り自殺したというニュースが報じられていました。61歳だったといいます。

私は全く知らない人でしたが、2013年に放送が始まったCNNの料理・旅番組「パーツ・アンノウン(邦題:アンソニー世界を駆ける)」に出演して、一躍人気者になり、世界中で顔が売れている超有名シェフだったとか。

2016年にはオバマ大統領(当時)がベトナムを公式訪問した際に、彼と2人でハノイ市内のブンチャー(つけ麺)食堂で、気軽に食事を取っている姿が同番組で紹介されたこともあり、ベトナムでもボーデインさんの人気が高かったといいます。

“Low plastic stool, cheap but delicious noodles, cold Hanoi beer.” This is how I’ll remember Tony. He taught us about food — but more importantly, about its ability to bring us together. To make us a little less afraid of the unknown. We’ll miss him.

↑ オバマ氏による追悼ツイッターから転載(オバマ氏の右がボーデイン氏)↑

何と言っても、ボーディンさんはその前に何度もベトナムを訪問し、ベトナム料理の魅力を世界中に伝えるテレビ番組を何本か制作していたそうです。

ボーディンさんは気取らない性格で多くの人に愛されたらしく、あの大統領のオバマ氏と食事をするというのに、豪華とは言えない狭い大衆店で、ビールを飲みながら、わずか3米ドル程度のポーク麺と春巻きを注文して食べたといいます。ボーデインさんが、この店の味を気に入っていっていたからなのでしょうね。

お蔭で、そのハノイ市のつけ麺店「フオンリエン」は、世界中から観光客が押し寄せるほどの人気店となり、店内にはオバマ大統領とボーディンさんが座った上の写真の小さなテーブルといすがショーケースの中で飾られているそうです。

ボーディンさんの死を知った多くのベトナム人がこの店に詰め掛けて、彼に哀悼の意を捧げるとともに、ベトナム料理の素晴らしさを世界中に広めてくれたことを感謝していたことが、地元の新聞に載っていました。

かつて米国はベトナムで泥沼の戦争を続け、枯葉剤などの後遺症もいまだに残り、ベトナムにとっては、憎んでも憎み切れないかつての敵国なのに、こうして、食を通して市民レベルの友情が育まれるものなのですね。

ホッとするエピソードでしたので、茲にご紹介致しました。