フォーが食べたい、そして日産の正体

 9月も半ばになろうとしているのに、まだ気温が30度を超え、猛暑のように暑い。地球温暖化は進む。去年もこんなに暑かったっけ? 残念ながら、もう忘れています。

 こう暑いと、急にヴェトナム料理が食べたくなってしまいました。ヴェトナムは、ハノイ、ハイフォン、ホーチミン、ビンズオン省など、仕事と遊びで何度か訪れています。私の世代は、どうもベトナム戦争のイメージだけが濃厚で、行く前は、大変な国だという印象ばかりでした。

 でも、着いてみると、そんなイメージは全くなく、戦争の爪痕が残っているのはホーチミンの「戦争証跡博物館」ぐらいで、私が訪れた5、6年前は、ベトナム人の平均年齢が27歳という若々しさ(年長者は戦争で亡くなっていたということか)でした。フランスの植民地だったのに、フランス語で話しかけても全く通じませんでした。

 ハノイもホーチミンも、都市は驚くほど近代的なビルが建ち並び、ゴミも少なく清潔でした。ただし、やたらとモータバイクだらけで道路を渡るのに苦労しました。また、取材で訪れた日系企業の工業団地なども衛生管理が行き届いていて、日本の工場よりきれいじゃないかと思ったぐらいでした。

 そこで、初めて触れたヴェトナム料理は、日本人にも合って、病みつきなりました。特に「フォー」という米粉のラーメンみたいな麺料理は、ラーメンと同じような色んな味付けがあり、上に載せる具までも、鳥から豚から牛肉など本当に千差万別で、毎日食べても飽きませんでした。

鶏肉入りフォー

 ということで、ランチは、フォーがまた食べたくなって、銀座のヴェトナム料理店に向かいました。今の愉しみといったら、食べることぐらいですからね。金に糸目は付けません(大袈裟な)。お互い、いつ死ぬか分かりませんから、子孫に美田を残さず、です。

 入った店は、マロニエビルの11階にあり、結構、高級店で、フォーのランチセット(春巻きとベトナムコーヒー付き)が1650円もしました。普段の私のランチの1.5日分です(笑)。

 さすがに高級店らしく、お客さんも裕福そうでした。私の隣に座った40歳前後の女性は、文字盤を見れば一目で分かる50万円ぐらいのフランク・ミュラーの高級腕時計をさり気なくしておりました。女性客の大半は、着ているものも、ジョン・スメドレーとかストロベリーフィールズとかいかにも高級そうでした。

 肝心の料理ですが、お値段なりに、とても美味しかった、とブログには書いておきます。

◇日産の正体

 さて、昨日のこのブログで、日産自動車へ1300億円もの政府保証融資がなされ、「何で日産だけが特別待遇になるのか?」といったような趣旨のことを書きました。

 そこで、調べてみたら、確かに日産は特別な会社だということが分かりました。日産は、皆さん御存知のように、戦前は日本産業株式会社と呼ばれていました。設立者は、満洲の「二キ三スケ」の一人、鮎川義介です。鮎川は、義弟の久原房之助が1905年に設立した久原鉱業や日立製作所など久原コンツェルンが、第一次世界大戦後の慢性不況により経営不振に陥ったため、1928年にその経営再建を託されたのでした。鮎川は手腕を発揮して多角経営に乗り出し、日産自動車もダットサンなどを吸収合併して手に入れたものでした。ダットサンのダットは国産第一号車「脱兎号」の出資者DAT(田、青山、竹内)の頭文字から取ったという話は、皆さんも御案内の通りです。

 こうして、日立製作所、日産自動車、日本水産、損害ジャパン、ENEOSなどの日産グループは現在、「春光懇話会」と呼ばれています。

 そして、この春光というのは、初代総理大臣伊藤博文の子息(婚外子)の伊藤文吉(元日本鉱業社長)の雅号でした。芝公園にあった文吉の私邸(現春光会館)にグループ企業の幹部が集まり、「春光会」を開いたのがその始まりでした。文吉の長男俊夫(伊藤博文の孫)も東大法学部を卒業後、日産自動車に勤務していたといいます。

 日産は、初代総理大臣伊藤博文と縁のあった会社だったんですね。ビスマルクは「鉄は国家なり」という名言を残しましたが、その伝でいけば、「日産は国家なり」というわけだったんですか? 日本政府の皆さん。

タコスが駄目ならポルトガル

 今週になって少しは和らぎましたが、猛暑が続き、銀座を歩くと鉄板の上で焼かれているようで、焼き鳥になってしまいそうでした。

 そんな時、食べたくなるのが、メキシコ料理のタコスです。暑さで食欲が落ちても、スパイスが効いて何個でも食べられそう。ということで、東京・銀座は、パリやニューヨークに劣らぬ世界のグルメ街ですから、本場タコスが食べられる店を探してみました。ありました、ありました。泰明小学校近くにありました。まあ、会社からも歩いて行ける距離なので早速、昼時に行ってみました。

 そしたら、ガーン、8月23日で閉店していたのです。な、な、何で?聞いてないよ。テレビでは、としまえんの閉園のニュースばかりやってましたが、ネットにも閉店のお知らせがありませんでした。

 仕方がないので、この近くにあったポルトガル料理店「V」に躊躇なく入りました。その時、ポルトガルのことで頭がいっぱいだったからです。

 何でポルトガルだったかと言いますと、三島由紀夫の実弟である平岡千之(1930~96)のことを考えていたからです。彼は外交官で駐ポルトガル大使などを歴任し、引退後、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの作品を翻訳したいという思いを持ったまま、まだ65歳で病死した人でした。

 そして、何で三島由紀夫の実弟平岡千之氏のことを考えていたかといいますと、昨日このブログで旧友の御尊父の御逝去のことに触れ、御尊父は、三島由紀夫と同い年なので大蔵省の同期入省ではないか、と書いたところ、早速、旧友から連絡があり、「父から三島由紀夫の話はあまりなかったけど、三島の弟で外交官だった平岡千之さんとは面識があった。市ヶ谷での事件(三島事件)があったとき、しょんぼりしていたと聞いてます」といった応えがあったからでした。

 三島由紀夫こと平岡公威は、華麗なる一族で、父平岡梓は一高~東京帝大から農商務省の官僚になった人(一高時代から岸信介らと同級生)。祖父の平岡定太郎は、帝国大学法科大学を出て内務省官僚となり、福島県知事、樺太庁長官を歴任した人で、私も名前は存じ上げておりました。でも、三島の実弟が外交官だったことまで知らず、不明を恥じていたわけです。

 で、タコスの店が閉店したことは至極残念、とうろたえていたところ、目の前にポルトガル料理店の看板が目に入り、ポルトガル大使だった三島の実弟平岡千之氏のことを思い出し、その地下の店にすぐ入店したわけです。何か、彼に導かれたような感じがしたからです。

 これも御縁ですね。

 注文した日替わりランチ(豚バラ肉のビール煮)が1000円(税込)というリーズナブルな価格。お味も合格点だったので、また来て、別のメニューに挑戦してみようかなあ、と思っています。

 今日はグルメの巨魁ブログ「ウマズイめんくい村通信」の二番煎じ(出来損ない)みたいで、失礼致しました。

土用の丑の日は「竹葉亭」木挽町本店のうな丼

7月21日、今日は土用の丑の日。

 長期入院を余儀なくされている方もいらっしゃるというのに、大変申し訳ございません。本日は、一世一代の懸け、といいますか、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、お昼に豪華「うな丼」を食して参りました。

 そんじょそこらの「うな丼」ではありませんよ。な、な、何と、竹葉亭です。

 スーパーやファミレスやファストフード店の「うな丼」ではありません、念のため。

 しかも、竹葉亭の中でも、銀座支店ではありません。木挽町本店です。分かったかああ?頭が高いぜよ…

 ははあああ、御意。

 竹葉亭は慶応2年、江戸は大富町(東京・新富町)で創業の老舗です。日本を、いや世界を代表するうなぎ店でしょう。

 私もうなぎは大好きですから、調布先生のお導きもあり、色々なうなぎ店を行脚したものです。

 思い出深いのは、十三世片岡仁左衛門が贔屓にしていた「小満津」(京橋から現在東高円寺に移転)、十一代将軍家斉の寛政年間創業の「野田岩」(麻布飯倉本店と日本橋高島屋店)、浅草の「色川」(文久元年創業)、築地「宮川本廛」、神保町の「なかや蒲焼店」、関内「わかな」、小江戸川越の「いちのや」(天保3年創業)、浦和で最も古い「山崎屋」(創業文政年間頃)…。

 まだ、行ったことはありませんが、一度行ってみたい老舗は、重光葵が贔屓にした日本橋の「伊勢定」、評判高い駒形の老舗「前川」、そして何よりも神楽坂の「たつみや」。ここはジョン・レノンがヨーコに連れられて入った店ですからね。

完食 写真を撮るのが難しかった 赤羽村長の苦労が分かりました

 肝心なお味ですか?

 いやあ、グルメ雑誌でもテレビでもないので、野暮なリポートはやめときましょう(笑)。

 竹葉亭は、他店と比べると上品な味付けだと思います。個人的には、表が少しカリッとして中がふんわりと焼いた「野田岩」が一番の好みですが。

 以前は、と言っても6、7年ぐらい前までは、うな丼ならランチで1200円ぐらいで食べられましたが、今は、高騰してしまい、夢のまた夢です。

 今、竹葉亭木挽町本店の昼メニュー「うな丼」(B)は、3520円です。…明日から当分、立ち食いソバになりそうです。

「四馬路」のロールキャベツは本当に旨かった

 テレビのグルメドラマでやっていた東京・銀座のお店にランチに行って来ました。「銀座は私の庭」と日頃から自称していますからね(笑)。

 お店と言っても、バーで、お昼に「昼食堂」と称してランチをやっている「四馬路」という店です。しかも、ランチと言っても、「ロールキャベツ定食」ぐらい。そして、銀座の泰明小学校の近くにありますが、とても分かりにくい場所で、狭い分かりにくい路地を入って、古い旧いビルの地下にやっとそのお店はありました。

 青髭の館のようなしっかりとして分厚い出入口の木扉なので、普段はとても入りにくいでしょうが、コロナ禍で、この扉は開いていたのですんなり入れました。

 「本当にあったんだあ…」とカウンター席に座ると、私も思わず安堵して本音を漏らしてしまいました。

 グルメドラマでは、ママさん役を室井滋さんが演っていて、とても、大袈裟な演技で、「そんな人いるわけない」と思っていたら、本物のママさんは、室井さん以上に大袈裟な方で、底抜けに明るい方でした。

 店は6人ぐらいが座れるカウンターと二つのテーブル席があるこじんまりとした感じで、奥にはピアノがありました。夜はジャズの生演奏でもあるのかもしれません。結構堅い本が沢山置いてあり、聞いてみると「お客さんが置いていってくれるので、1冊は自分で買って置いてます」とママさんは応えてくれました。常連客が結構いるらしく、壁に掛かった絵や版画は、お客さんが置いてくださったものだとか。

 肝心のロールキャベツは、ドラマでは主役の松重豊さんが、異常なほど大袈裟な素振りで、美味しそうに食べていましたから、「…んなわけ…」と心の中で呟いて見てましたが、実際に賞味してみると、本当に「美味い!」。ヨーグルトを隠し味にした絶品でした。豆腐とワカメのお味噌汁と大根と人参のなますも付いています。1000円也。

 でも、毎日は食べられませんから、月に1回ぐらいは食べに来ようかなあと思いました。銀座なのに庶民的な店なので、夜、飲みに来てもいいかもしれません。

コロナ禍でも繁盛している店があるとは驚き

 緊急事態宣言下の東京・銀座のアップルショップ

 今月、後期高齢者となった京都方面にお住まいの仙人先生から昨晩、電話がありました。

 「『週刊文春』買われたようですね。巻末のグラビアにラーメン店が載っていたでしょう。銀座のHという店も載ってます。貴方の会社からも近いので、覗いてみたら如何ですか。いつも本ばかり読んでいては身体に毒ですよ。世間の人はそんなに勉強していません。ブログを読んでる人もつまらないでしょう。たまには、グルメの話題をお書きになってはどうですか」と仰るのです。

 確かに、その週刊誌には、黒川・高検検事長の賭け麻雀のスクープ記事が載っていたので、昨日買いました。巻末のグラビアを見てみたら、「味玉中華そば」なるものが950円と載っていました。ラ、ラーメンで950円もするんですか?…。まあ、出版不況にも強い天下の文芸春秋(社は付かないんですよ)といえば、結構グルメ情報誌や単行本を出していて、重宝していました。今でも忘れられないのは、北千住の立ち呑み居酒屋「X」。立ち呑みながら、安価な値段で「料亭の懐石料理並みの味が楽しめる」というので、仙人先生と一緒に行ってみたら、結構並んでいて、やっとありつけたら、本当に旨かった。コスパもバッチリでした。

この写真を撮った30分後、整理券を求めて(?)結構人が並んでいました

 ラーメン950円は、正直、あんまし、気乗りしなかったのですが、今日の昼休み、早速行ってみましたよ。

 その前に、ネットで場所を確かめたら、「超人気店」とかで、いつもは長蛇の列でかなりの時間待たされる。でも、新型コロナの影響で、今は、整理券を配っている、とか何とかコメントが載っていました。

 嫌な予感がしました。昼の12時半過ぎに店先に到着したのですが、上の写真の通り、「お昼のスープが終了致しました」とかで、売り切れでした。実は、こういう並ぶような人気店は好きじゃないんですよね(笑)。しかも、この店の若い衆が、時折、外に出てきて、周囲を睥睨して、変なおじさんが写真を撮っていないかどうか監視していました。感じ悪い。仙人先生には申し訳ないんですが、多分、もう行かないと思います。

 でも、新型コロナ禍で、99%と言っていいくらいの飲食店が、閉店したり、自粛したり、中には倒産したりしているのに、この店に限って、そんな災禍は、ものかは!すぐ売り切れてしまうほど満員御礼です。恐らく、休業手当なんぞ必要ないことでしょう。

 こんな店もあるもんなんですね。私はアンチ人間なので、客が来なくて困っている馴染みのイタリア料理店に行きましたよ。

銀座「離亭 三ぶん」の「りゅうきゅう丼御膳」を食す

 新型コロナの感染者がいまだ判明していない岩手県にお住まいの石川先生から昨晩、電話がありまして、急に「ではメモをしてください。銀座〇丁目の〇〇、電話番号〇〇…」えっ?何ですかあ? ですよね。

 後期高齢者の石川先生は、若い頃の大半は東京暮らしで、定年退職後に郷里の盛岡市に戻ってきたのですが、東京生活が懐かしく、テレビで東京の名所や展覧会やグルメ情報等が流れると食い入るように見つめ、自分では行かれないので、このように、小生に身代わりに行くように勧めるのでした。

 昔、テレビでやっていた米国ドラマの「スパイ大作戦」みたいですね。違うかあ(笑)。

 今回、石川先生のお薦めは、どうもテレビの「酒場放浪記」みたいな番組で見たようで、昼は名物ランチをやっているらしいのです。「大分料理の『離亭 三ぶん』て店ですがね。銀座ですから、一応、高級居酒屋って感じでしょうか。昼は『りゅうきゅう丼』をやってます。ああたも暇ですから、一度食べに行ったら如何ですか?歌舞伎座の裏です。会社から近いでしょう」と仰るのです。

 いやあ、暇じゃありませんよ。りゅうきゅう丼なら沖縄料理じゃないんですか?石川先生も人使いが荒いですね。

 「ああたは、いつもつまらないブログばかり書いているから駄目なのです。だから話題を提供したまでですよ(笑)ああたみたいに、いつも安い、貧困層が食べるものばかり取り上げていては、腹の足しにもなりませんよ」

 石川先生、そこまで言いますかね。わ、わ、分かりました。行きますから、行きますよ。

 てなわけで、昼休みに早速行ってまいりました。

「りゅうきゅう丼御膳」。な、な、何と1200円。

店を出て分かったのですが、「魚の刺身を『ヅケ』に薬味とともにご飯に載せた丼。最後は出汁をかけてお茶漬けに」なる文面がお店の外の看板にありました。

 3人ほど先客がおりましたが、ほどなく入れ替わりとなり私一人に。6人掛けのカウンターとテーブル2脚というこじんまりとして、小料理屋といった雰囲気でした。

 年格好40歳前後の物静かなメガネをかけた御主人が「マグロとカツオの2種類がありますが、半分ずつにしますか?」と聞いてきたので、「じゃあ、それで」。

 普通のランチだと、事前に用意していてすぐ出てくるものですが、この店は、高級店らしく、注文を聞いてから、刺身作り。結構、時間がかかりました。手持無沙汰なので、今の状況を聞くと、「ええ、夜もやってますよ。夜8時までのおっ達しですが、流れで9時半ぐらいまでやることもあります」とのお答え。

 そうそう肝心の話を聞くのを忘れるところでした。最近、この店、テレビの取材が入ったんですか?

 「去年か一昨年の話ですよ。その方、再放送でも見たんじゃないですか?」

 銀行員にしてもおかしくない律儀そうな料理人でしたが、私も思わず、吹き出しそうになりました。ただ、その後、「どんぶりは3分の1ほど残しておいてください。お茶漬けにしますから」と言われて、何となく、中学校の生徒になった気分。

 いわゆる一つの「鯛茶漬け」のような感じになりました。そして肝心のお味は?

 美味いに決まってるじゃありませんか。上の写真で御想像あれ。

銀座さとうの「丸メンチカツバーガー」は花丸=「渓流斎日乗15周年記念会」は中止が決定

 何ですかねえ。 新型肺炎の感染拡大を理由 に「今年の東京オリンピックは中止」なんて、ガサネタやデマを流す不逞の輩がいるかと思っていたら、19日にロンドン市長選の主要2候補が、東京大会中止を見込んでロンドンでの代替開催の誘致に名乗りを上げたというんですからね。 「ロンドンでは五輪を2012年にやっていて、施設も残ってるから大丈夫」というわけですが、火事場泥棒的利権の臭いがプンプンしてきます。

 それにしても、ここにきて、マラソンやゴルフなどのスポーツや音楽公演や講習会などのイベントの中止や延期のニュースがボンボン出てきています。一気に自粛ムードが広がり、この期に及んで開催を強行しようものなら、「非国民」扱いされかねません。

 このブログ《渓流斎日乗》を開始したのは2005年3月15日ですが、来月、ちょうど15周年の記念日を迎えます。西方浄土方面から「都内の一流ホテルを貸し切って、何か記念会をやったらどうですか?人が集まらなかったら赤字が出るでしょうが、100万円か200万円程度で済みますから大丈夫ですよ」なぞと他人事のように(笑)薦める方もおられました。

 でも、この御時勢ではねえ。感染拡大に協力したくはないし、「渓流斎ブログ15周年記念会」は、中止せざるを得ませんね。延期ではなく、中止に決めました。

 さて、また当たり障りのないグルメの話。

 東京・吉祥寺の本店では長い長い行列が出来るという国産黒毛和牛専門店「さとう」。お肉だけでなく、コロッケやメンチカツやステーキやカレーなども店で食べられたり販売されたりしています。その2号店が銀座1丁目にあるというので、銀座は私の庭ですから、昼休みに行って来ました。

 お目当ては、銀座店しか売っていないという「丸メンチカツバーガー」。400円と、まあまあの値段ですが、会社の同僚が美味そうに、しかも自慢気に、一つ一つ講釈しながら一人で食べていたので、私も買ってきました。

 まあ何と言いましょうか。確かに旨い。優しい味、といいますか、丁寧に作られた心がこもった味といいましょうか。舶来のチェーン店のハンバーガーのビッグ何とか(390円)より少し高いですが、これなら三つぐらい食べられそうです(笑)。他に、ヒレカツバーガー(500円)、ビーフカツバーガー(600円)などもあります。→「銀座さとう

 つまらない政治家や官僚の醜聞で腹を立てるより、美味いモンを食べて腹を満たした方が、健康にも精神衛生にも良いということであります。

小泉環境相の感染症対策会議すっぽかしは大問題なのでは?=そして「鈴懸」の豆大福

 毎日、新型コロナウイルスのニュースばかりで、嫌になりますね。感染拡大を防ぐために、政府は「不要不急の用は差し控えるように」と命じました。記者から「不要不急とはどんなことですか?」と質問された当局者は、答えに詰まり、「…、あ、その…、何と言いますか、忘年会とか新年会とかです…」と声を絞り出していました。

 そんな折、小泉進次郎環境相が2月16日(日)に開かれた政府の新型コロナウイルス感染症対策本部会議を欠席して、地元での後援会の新年会に出席したというではありませんか。まさに、新年会! 政府の公式発表をお借りすれば、それって「不要不急」と言えるんじゃないですか? つまり、新年会は差し控えるべきじゃないんですか? 国民の緊急の課題よりも、地元後援会を優先するということは、「票集めのため」と勘繰りたくなります。

 しかも、この問題は18日の国会で可視化され、夕方の民放は報道しましたが、天下の国営放送NHKは、その日の夜の7時のニュースで報道しないんですからね。作為を感じます。

 話は変わって、そういう私も既報通り、今月1日に新年会に参加しました。新型コロナウイルスがこんな異様な形で騒がれていない時期で、政府からの禁止命令もありませんでしたからね。

 その席で、大手出版社の名物編集者大河内さんが、興奮しながら、「『鈴懸』の豆大福は美味いですよ。ピカイチですよ。知らなければモグリですよ」と、グルメ自慢するのでした。どうやら、鈴懸とは、博多で創業して90年以上になる和菓子屋さんで、東京には、新宿伊勢丹と日比谷のミッドタウンに出店しているというのです。(福岡以外では他に名古屋に出店し、関西にはないようです)

 あまりにも勧めるので、私は新宿は好きではないので、日比谷のミッドタウンに行ってみました。探しまくったら、地下一階の通路みたいなところに店があり、店名の看板もなく、トレードマークの「鈴」があるだけでした。

 店員に「こちらは鈴懸さんですか?」と聞いても、仏頂面で低い声で「ええ」。豆大福などを買って帰るときに、「店の看板、出していないんですか?」と改めて聞くと、店員は面倒臭そうに「あっち側に書いてますけど」と一言。うーん、大名商売ですねえ。

 ま、いいですけんど、大河内先生が仰る「日本一」の豆大福です。悔しいですが、確かに美味い。て、ゆーか、この味は初めてでした。

 餡は、小豆を何度もさらしたようで、色がピンクっぽくになり、塩が微妙な加減で入って甘さを引き立てています。

 まあ、病みつきになり、また買うかもしれません。嫌味な言い方ですが、「大名商売で頑張ってください」。

【後記】

政府主催の新型コロナウイルス感染症対策本部会議を欠席したのは、小泉環境相だけかと思ったら、最高検検事総長問題を抱える森雅子法相と、高校時代に朝鮮高校の生徒と大格闘し、二度の停学処分を受けたことを自慢にしている萩生田光一文部科学相までもが地元日程を理由に会合を欠席していたことが19日に判明。もう、漫画が漫才の世界ですよ。

庶民が知りえない秘密の別世界=京都・百味会

 大阪の浪速先生のライバル、京都の京洛先生から電話があり、「浪速先生は賭博師ですねえ。渓流斎ブログの沽券に関わりませんかねえ(笑)」と半ば冗談で忠告されるのでした。

 京洛先生は真面目ですからね。お彼岸の日は、競馬場には行かず、檀家である京都五山の建仁寺にお参りして、上層幹部僧侶と談笑されたそうです。詳しい内容については茲ではあまり書けませんが、相国寺の有馬頼底管長をはじめ、古刹の管長さんともなると一般庶民からみると破格の扱いで、想像もつかない別世界があるということです。

 映画や小説などで、京都のお坊さんは、よく祇園の老舗料亭に招かれて芸者をあげている場面などがありますが、それらは空想のフィクションではないかもしれない、ことだけは書いておきましょう(笑)。

 その話の延長で、京都には「百味会」という老舗の味を守るのれん会があることを教えてもらいました。戦後まもない昭和24年2月、「1名物1店 」の原則で結成され、創業が400年も500年も続く老舗67店が加盟。一切の追加入を認めていない「京都の真髄」の集まりと言われています。

 皆さんとはご縁がない(笑)懐石料理の「瓢亭」、スッポン料理の「大市」など超高級料亭もありますが、京都土産の定番、八ッ橋の「聖護院八ッ橋総本店」、羊かんの「とらや」、日本酒の「月桂冠」など、皆さんでも手が届く馴染みの店もあります。ご興味があれば、こちらを⇒「京名物 百味会」

 この秘密のヴェールに包まれた百味会が、「知られざる“奥座敷”の世界」として、テレビ史上初めて内部にカメラが入り、今年8月4日にNHKで放送されたらしいのですが、私は見逃しておりました。それが、今ではユーチューブで見られるというので、私も一生懸命に探して見てみました。私が探したのは、音声が途中で長らく切れたり、NHKなのに何度も何度もCMが入るガサツモノでしたが、京洛先生が口を酸っぱくして仰っていた通り、実に面白かったですね。

 祇園にある創業480年の「二軒茶屋 中村楼」を中心に、そこの12代目の辻雅光氏と跡継ぎの13代目喜彦氏の悲喜こもごもがテレビカメラの前で晒されます。若女将の出奔場面まで出てきます。

 百味会だの、老舗中の老舗だのと言っても、どこの世界でも大変です。伝統の味は守らなければならないのに、現代風にアレンジしなければ今のお客や増え続ける外国人観光客がついて来ないという二律背反に迫られ、特に跡継ぎ問題や嫁入りする女将の素質問題など、色々と山積します。番組では創業440年の老舗京菓子屋さんが廃業に追い込まれて、そこの御主人が今ではタクシードライバーをやって生活費を稼いでる有様までカメラで捉えています。

 京洛先生が、何で百味会の話をしたかというと、その番組の中で、普通の人ではとても区別は付きませんが、京洛先生には見慣れた建仁寺のお坊さんたちが登場していたからでした。上層幹部僧侶にその話をしたら、「いやあ、撮られていましたか。テレビに映っていましたか」と、しきりに頭をかいていたそうです。

 どういう形でお坊さんたちが登場していたのか、ご興味があれば、例のユーチューブで御覧になってみてください。世の中には、我々のような庶民が知りえない秘密のヴェールに包まれた別世界があるということですよ(笑)。

 京都「百味会」はこちらのサイトの方が見やすいかもしれませんので、リンクを貼っておきます。

さいたま新都心でジャズ祭り

9月8日~9日に首都圏を襲った台風15号の影響で、千葉県はいまだに9万軒が停電のままで、苦しい不便な生活が続いております。熱中症で亡くなった方もおられたということで、お見舞い申し上げます。

 そんな折に、呑気に趣味の神社仏閣と城歩きをしていては駄目でしょ、と気が引けたので、3連休は近場で過ごしました。

 どうも埼玉県民は漢字が読めないので県庁の所在地を「さいたま市」と、ひらがなにしたという根強い噂がありますが、この3連休、その「さいたま新都心」で、「ビール祭り」が開かれているというので、出掛けてみました。

 よく調べずに勝手に行ったら、会場でのビール売り場はたったの1軒だけ。確か、10年ぐらい前に行った時は、ドイツビールから全国の地ビールに至るまで何種類ものビール売店が並んでいましたから、拍子抜けしてしまいました。

その代わりに、ジャズの野外コンサートをやっていました。印象で判断するのは怒られそうですが、超有名バンドではなく、セミプロみたいな感じでした。でも、無料で聴けるわけですから、ビール片手に何か得した気分です。

 あまり知られていませんが、さいたま新都心は、東京・霞ケ関の官庁の支所がほとんどあり、もし、東京が壊滅的被害に遭った時に、臨時的に官庁業務を代行するという噂を聞いたことがあります。

 さいたま新都心は、東京都心から急行で40分ぐらいの所ですが、埼玉県は、関東大震災の際に被害に遭った都心の盆栽屋が大宮に移転したり、太平洋戦争の際に、都心の子どもたちの疎開先になったりしています。避難場所ですね。

 そう言えば、埼玉県は大きな地震や風水害に襲われたという話はあまり聞いたことがありません。

暇人が多く、1000人ぐらいの観客が聴き入りました

今でこそ、東京・墨田区に「東京スカイツリー」が鎮座していますが、大胆不敵にも、さいたま新都心は、「第2東京タワー」の設置場所として立候補したことがあります。墨田区に敗れはしましたが、世が世なら、「埼玉スカイツリー」になっていたのかもしれません(笑)。

あまり、皮肉を書くと埼玉県民の皆様に怒られるのでやめておきます。そう言えば、さいたま新都心にある「埼玉スーパーアリーナ」は、来年の東京五輪のバスケット会場になりますね。酷暑に開催される東京五輪は大反対ですが、アリーナは室内で冷房も効いているので、体調不良を訴える人は少ないことでしょう。

 さいたま新都心駅は、2000年4月1日に開業した比較的新しい 駅で、官庁街とショッピングモールで出来た人工的な街です。

 でも、500円の生ビール片手にジャズの生演奏を聴いていると、どこかヨーロッパの古い都市にいるような感覚になれました。埼玉県は意外といい所ですよ。

【後記】いつも、このブログに書いたことと現実とのシンクロニシティを感じていますが、さいたま新都心駅を設計したのが著名な建築家エドワード鈴木氏で、同氏は9月15日に71歳で亡くなっていたことが、9月18日に分かりました。

私がさいたま新都心駅を訪れたのは、何と9月15日でした。エドワード鈴木氏の御冥福をお祈り申し上げます。