天婦羅もタバコもコップも元々はポルトガル語だったとは!

 ポルトガルの旅行番組を見ていたら、ポルトガル料理が食べたくなりました。ポルトガル料理といえば、ポルトガル好きが高じて何年か現地に滞在した好きな作家の檀一雄のことを思い起こします。ポルトガル料理店は、銀座にあるのかしら?

 ご安心ください。東京・銀座は、恐らく世界一のグルメ都市かもしれません。ない料理店はないくらいです。ミシュランの三ツ星レストランが多いということで世界的に有名になったスペイン・バスク地方のサン・セバスティアンに引けを取らないのではないでしょうか?だって、ランチでさえも、世界中の料理が楽しめるからです。

 私の個人的印象では、やはり、銀座で気軽にランチが食べられるお店で一番多いのは和食店というのは当たり前ですが、二番目は一時の「イタ飯」ブームが続いているイタリア料理店だと思います。西洋料理店の筆頭でしょう。次は、フランス料理店といきたいところですが、どうも高級感が先に出て下火になり、イタリアンに抜かれ、今やスペイン料理店の方がフレンチより多いような気がします。フランス料理店ともなると、ロワジールにせよ、エスコフィエにせよ、ポール・ボウキューズにせよ、ちょっと敷居が高過ぎますからね。フレンチと聞いただけで、庶民は、敬遠してしまいます。

銀座・ベトナム料理「ニャー」バンミー&牛フォーセットランチ一1200円

 残念ながら、英国とドイツはグルメの世界では除外されてしまいますが、銀座にはあります。また、ロシア料理店は数軒あり、私の行きつけの店もあります。世界三大料理の一つと言われるトルコ料理店もあります。アジアでは、中華料理店がイタリアンと同じか、それより少し多いぐらいありますが、タイやヴェトナム、インドネシアなども増えました。個人的には、ヴェトナムのラーメンと言われる「フォー」が好きなので、結構、ヴェトナム料理店には行きます。

 さて、銀座にポルトガル料理店はあるのでしょうか?

 ありました、ありました。さすがに銀座です。数軒あるようですが、私は、その中の泰明小学校の向かいのビルの地下にある「ビラモウラ」という店にしました。何度か店先は通っても、入店するのは初めてでした。

 ビラモウラとは、ポルトガルの南の地中海に面したリゾート地らしいですね。

 ランチに何種類かありましたが、私はポルトガルの伝統料理「フェイジョアーダ」というのも頼んでみました。「麦小町豚肉と豆の煮込み」と書いてありましたが、同じイベリア半島なのに、スペイン料理と全くと言っていいぐらい違いますね。豆が入っているせいかもしれません。言い過ぎかもしれませんが、ポルトガル料理の方が、庶民的な味がしました。

 そう言えば、ワインもスペインのきりっとしたワインとポルトガルのポートワインと全然違いますからね。ポルトガル人は甘口を好むのかしら?

 世界のGDPランキングで、ポルトガルは現在50位で、スペインは15位ですから、欧州の中でも下位です。15世紀から17世紀にかけての大航海時代では、スペインと世界を二分した超大国だったポルトガルは、今はその勢いの影もないほどですが、遺産だけは残しています。植民地にしたブラジルやアンゴラ、モザンビークなどでは今でも公用語はポルトガル語ですし、南蛮人として日本にやって来たので、結構、ポルトガル語が日本語に取り入れられているのです。

 カステラ、カルタ、ボタン、ビロード、ビスケット、キャラメルなどは私も知っておりましたが、何と何と、天婦羅までポルトガル語のtempero から来ているんですってね! これには吃驚しました。天婦羅がもともとポルトガル料理だとしたら、世界遺産の和食じゃないってことなんでしょうか?(笑)

 テーブルに「日本語になったポルトガル語」の一覧表があって、他にも色々とありました。ブランコ、カナリア、コンペイトウ、チャルメラ、コップ、デウス(神)、マント、パン、オルガン、タバコ、ベランダ、シャボン(石鹸)までありました。

 全く「へ~」ですよ。確かに、日本人が最初に接触した西洋人は1543年に種子島に鉄砲を伝来したポルトガル人でした。世が世なら、日本はもっとポルトガルの影響を受けたかもしれませんが、コップ、パン、ベランダ…といった言葉だけでも凄いですよ。

味とは情報なり、味より情報が全てなり

 「歴史人」(ABCアーク)8月号「江戸の暮らし大全」特集を読んでいて、驚いてしまいました。

 「江戸町民の食事」なんですが、朝は、1日に1回しか炊かない炊き立てのアツアツのご飯と味噌汁、そして香の物だけ。卵も海苔もありません。お昼は、朝に炊いたご飯の残りと、干物の焼き魚、そして香の物。結局、このランチが一番豪華なのです。というのも、夕飯は、残った冷や飯をお茶漬けにして流し込み、おかずと言えば、香の物だけですからね。コロッケも生姜焼きも餃子も何もありません。これは、庶民の暮らしぶりなので、将軍さまや大名家ともなれば、これより遥かにましな食事をしていたことでしょうが、それにしても庶民は質素です。

 恐らく、江戸時代、庶民は、かなりの肉体労働に勤しんだはずですから、カロリー的にも足りるわけありません。昼間働いているからランチを豪華にしているんでしょうか。

 その点、現代人、特に私は、将軍さまや大名も驚くほど超豪華なランチを毎日のように取っていることになります。その贅沢さは、江戸幕府の将軍さま以上、ということになるかもしれません。

 まあ、お許しください。私が今働いているのは、ランチを食するため、と言っても過言ではないからです。働くためにランチを食べるのではなく、ランチを食べるために働いているのです(笑)。

新富町「蕎麦和食 はたり」

 そのためには情報収集が欠かせません。かと言って、あまりネット情報は重視しません。「孤独のグルメ」のように、自分の足で稼いで、フラッと入った店が美味しかったりするからです。

 とは言いながらも、全く、ネット情報を参考にしないわけでもありません。本日は、猛暑ですから、あっさりと蕎麦にでもしようと、検索してみたら、新富町の「蕎麦和食 はたり」という店が味、人気とも界隈ナンバーワンだということを知りました。

 「はたり」? あまり聞いたことがないので、地図で調べてみたら、何と、以前に1回か2回、行ったことがあった店だったのです(苦笑)。最近、ちょくちょくランチに行くようになった小料理屋「中むら」の近く、というより、同じビルの地下にあります。

新富町「蕎麦和食 はたり」もりそば+ミニ豚丼ランチ 1100円

 初めて行った時は、何も知らず、外の看板とメニューをチラッと見て入り、今では味も覚えていないくらい、淡々と済ませたのですが、今回は違います。ネット情報から、この店は、「厳選したそばの実を石臼で丁寧に挽いた、そば粉100%の十割そばがいただける人気店」という情報が私の脳の奥底にインプットされていました。

 そんな情報が入っていて、いざ食べてみると、まるっきり味が違うのです。蕎麦をすすりながら、「おー、これが石臼で挽いた蕎麦粉100%なのかあ~。さすが、十割蕎麦だなああ~」と、味に磨きがかかります。それこそ、情報の恐ろしさです。何でもそうでしょう。「ウチは魯山人の器を使っておるどす」なぞと言われれば、急に背筋がピンと伸びて、旨さも格別になってくるんじゃないでしょうか。

 そう、食べ物は結局、情報なんですよ。「天保3年創業」の鰻屋とか「嘉永2年創業」の和菓子屋なんて言われれば、震えて、思わず襟を正してしまいます。

 また、宮内庁御用達の銘菓なんて言われれば、何か自分が偉くなったような気分にもなれます。オーギュスト・エスコフィエやポール・ボキューズなんて名シェフの名前が出たりすれば、眼も眩んで圧倒されます。

 味は二の次です。情報を食べているようなものですからね。「ミシュランの星が付けば、絶対に美味い」なんという法律はないのに、多くの人が盲目的に信じ込んでいます。本末転倒ではありますが、これが日本人の哀しい性(さが)なのです。

 要するに、人間の脳は何とでも、騙されてしまうものなのです。

日本人の顔の個性がなくなった?=日本一高い?ハンバーガーを食べながら

 先日は、宇宙や物理や星座関連の書籍をいっぱい買い込んで、思い切って「理科人間になります」と宣言致しました。 

 でも、もしかしたら、手遅れだったかもしれませんね(苦笑)。色々と、専門用語が頭に入っても、なかなか覚えられないのです。目下、永田美絵著「星座図鑑」(成美堂出版)を読んでいまして、「夏の大三角形とは、デネブ(白鳥座)、ベガ(琴座)、アルタイル(鷲座)のこと」「冬の大三角形とは、ベテルギウス(オリオン座)、シリウス(おおいぬ座)、プロキオン(こいぬ座)のこと」などと書かれていてもすぐ忘れてしまうのです。駄目ですねえ。あと100回、呪文を唱えるように記憶に定着させれば、覚えられるでしょうけど、なかなかページが進みません。

 もし、子どもの時だったら、2回ぐらい繰り返して読めば、すぐ覚えられていたことでしょう。でも、まあ、考えてみれば、老人になっても、まだ只管、子どものように勉強している人なんて私ぐらいです(笑)。まず、世の中にはいませんからね。もしかして、100万人に1人ぐらい、いるでしょうか。そんなことを言って、自分自身を慰めています。

 ということで、ブログもなかなか書けず、本日は、学術的なお話はお休みして、いつもながらのランチの話でお茶を濁すことに致します(笑)。

 本日4日付の東京新聞朝刊を読んでいたら、「比べてみたら」のコーナーで、「日本生まれのハンバーガーチェーン店」を取り上げていました。「和食の味を取り入れ」たモスバーガー(1972年、東京・成増駅近くで開業)、「牛肉にこだわり」のフレッシュネスバーガー(1992年、東京・渋谷区で誕生)、「国内最古チェーン店」のドムドムハンバーガー(1970年、東京・町田市で開業)の3チェーン店です。私が行ったことがある店は、モスバーガーだけで、他の2店は知りませんでした。でも、記事を読んでいるうちに、本日はどうしてもハンバーガーが食べたくなってしまいました。(東京新聞の影響力は絶大です。以前も掲載されていた八丁堀の蕎麦屋に走って行ったことがありました。)

 3店を検索してみたら、銀座にあるのはドムドムハンバーガーだけでした。でも、本日行くことにしたのは、いつも店前を何度も何度も通ったことがある新富町の「ブラザーズ」という豪州発のグルメバーガー店です。日本進出は2000年(日本橋人形町店)で、新富町店は2012年に出来たようです。

新富町「Brozers’」 チーズバーガー1595円、ジンジャーエール275円=1870円

 何と言っても、この店、異様に高いのです。もうしばらく行っておりませんが、世界一のバーガーチェーン店のビッグマックは450円ぐらいです。それが、この「ブラザーズ」ではランチで安くてもハンバーガーは1320円もするのです。こりゃあ、清水の舞台から飛び降りる覚悟でなければ、入店出来ません。

 本日は、東京新聞の呪文もあり、思い切って、スッと入店しました。M店のようにカウンターの前に順番に並ぶのかと思ったら、テーブル席に案内してくれて、若い男性が接客してくれました。

結論を先に書きますと、目の玉が飛び出るほど驚くほど美味しいバーガーかと思いましたが、それほどまでの驚きはありませんでした。かといって、M店に入るような気分とはまるっきり違って、かなり贅沢な気分だけは味わえました。やっぱりお肉が全く違うんでしょうね。何しろ、チーズバーガーとジンジャーエールを注文しただけで1870円でした。私がこれまでの人生で食した「最強のハンバーガー」でした。

 周囲を見ると、やはり、M店に来るようなオーディナリー・ピープルではなく、富裕層とはいかなくても、小金持ちといった感じのお客さんばかりでした。若い人が多かったのですが、こういう高級店に入れるのは、やはりお金持ちのボンボンかお嬢様、それに外国人観光客ぐらいでしょう。私の後から、身なりの良い、薄いサングラスをかけた若い男性3人組が入店しましたが、その顔立ちから、てっきり、韓国人か香港人か台湾人か、もしくはタイかインドネシア人(の観光客)かと思っていたら、流暢な日本語を話し始めたので、吃驚しました。同じエイジアンではありますが、最近の若い日本人は、ますます、区別が付かなくなりました。

 2022年の1人当たりのGDPで、日本は同じアジアのシンガポール(6位)に抜かれ、香港(20位)に抜かれ、目下、世界30位です。今年か、来年にも台湾(32位)や韓国(33位)に抜かれるのではないか、とも言われ、日本がアジアの中で埋没していくのと比例して、経済力も、個性も、影響力も低下していったことは否めないことでしょう。(世界第2位の経済大国である中国の台頭が言うまでもなく。)

 誤解を恐れずに言えば、日本人の若者の顔立ちが、他のアジア人に似てきて、その中に埋没していったのも、その影響力の低下の表れなのかもしれません。

浅草物語=Aさんと10年ぶりの再会

 25日(日)は、久しぶりに浅草に行って来ました。友人のAさんと10年ぶりぐらいに会うためでした。

 Aさんは日本人ですが、もう長らくフランスに住んでおり、何年に1度か帰国する程度で、今回、久しぶりにタイミングが合ったので、渡仏する前日にお会いすることにしたのです。

浅草寺 雷門

 Aさんとは老舗蕎麦屋で待ち合わせしましたが、時間があったので、一人で観音様にお参りすることにしました。

浅草寺

 日曜日なので、凄い人出でした。でも、ほとんどが外国人観光客という感じでした。コロナの第9波が始まったという報道もありましたが、彼らは、もうほとんどマスクもせずに満喫しておられました。

浅草寺

 でも、考えてみれば、外国人観光客が東京見物するとすれば、浅草ぐらいしかないんですよね。奈良や京都のように広大な敷地を持つ寺社仏閣が東京にはほとんどありませんからね。

 私も以前、外国人観光客のツアーガイドをしたことがありますが、やはり、浅草と秋葉原と銀座ぐらいでした。あとは原宿の明治神宮ぐらいでしょうか。

 だから、浅草に人が殺到するのでしょう。本堂の参拝所の前は、ほとんどが外国人観光客で、かなりの行列でしたので、参拝は諦めて、目的地に向かいました。

浅草 そば処「弁天」天せいろ 1980円

 目的地のそば処「弁天」は昭和25年創業で、江戸時代から続く店もある浅草の中では、それほど老舗ではありませんが、もう70年以上続いています。グルメ雑誌「dancyu」で紹介されていたので、3週間も前に予約を取っておきました。

 天せいろに板わさ、それにビールと日本酒を注文しました。さすがdancyuお勧めとあって、蕎麦の旨味、カラット揚がった天婦羅との相性が抜群で、その美味に舌鼓を打ちました。

 久し振りの再会で、積もる話もあり、調子に乗って呑んでいたら、店の主人が不機嫌そうな顔をして「ここは2時間で制限してます」と言うではありませんか。こちらもそのつもりでしたが、まだ!1時間半しか経っていません。我々も気分を悪くして、勘定を済ませる時に、私が「まだ1時間半でしたよ」と嫌味を言ったら、向こうは「本当は日曜日の予約を取っていないんですよ」と反発するではありませんか! それなら最初から、電話で予約を受けた際に「日曜日は予約受け付けていない」と言えばいいじゃないか! 味は「日本一」で、最高だけど、もう二度とこの店の暖簾をくぐるものか、と思いましたね。(※あくまでも個人の感想です。鬼平ファンのAさんのために、せっかく日本酒と蕎麦の組み合わせで蕎麦屋さんにしたのに残念でした。)

浅草「神谷バー」デンキブラン 350円

 このまま別れるつもりでしたが、気分直しに有名な「神谷バー」に行こうと提案したら、Aさんも「私も行きたかった店です」と言うではありませんか。凄い偶然。その前に、通りすがりにビジネスホテルがあったので、私が当てずっぽうに「(前泊するのは)ここのホテルでしょ?」と聞いたら、ズバリでした。偶然の一致が続きました(やはり、人生とは偶然の産物でした=笑)。

 Aさんは大変慎み深い人で、あまりネットに書かれることは好まれないので、細かい事は省略させて頂きますが、パリ郊外の某大学で、日本語と日本文化の教鞭を執っておられる方です。久しぶりにお会いして、話は脈絡がないほど多岐に渡りましたが、超エリート教育を進めるフランスのグランゼコールの話などを伺いました。

 神谷バー名物のデンキブランは2杯で打ち止めにして帰宅しました。昨年は40度の焼酎で泥酔して帰りは傷だらけとなり、今でもその傷跡が残るぐらいですから、さすがに自重しました(笑)。

仏ボルドーとアリエノール・ダキテーヌのこと

 昨晩、自宅でボルドーBordeaux ワインを飲んでいたら、アリエノール・ダキテーヌのことを思い出しました。ボルドーは、フランス大西洋岸の都市であることは誰でも御存知のことでしょう。

 でも、かつてのボルドーはフランス領ではなく、イギリス領だったことを知っている日本人は私も含めてほとんどいらっしゃらないのではないかと思います。しかも、数年間ではなく300年間もです。不勉強な私がこの史実を知ったのはつい数年前のことでしたから(苦笑)。

 かつて、というのは1154年から1453年までの中世の300年間です。日本で言えば、平安時代末期から室町時代、銀閣寺の足利義政の時代までに当たります。簡単に歴史を振り返ってみますと、ボルドーには早くも紀元前300年頃にケルト系のガリア人(ゴーロワ)が住み着きます。紀元前56年にはローマ帝国の支配下になり、ブルディガラと呼ばれ、ブドウ栽培も始まりました。中世の300年間の英国領については後で触れるとして、フランス領に回帰して大西洋岸の中心都市となり、1581年~85年にかけて、「随想録 エセ―」で有名な哲学者・人文主義者モンテーニュがボルドー市長を務めます。17世紀の大航海時代になると、ボルドーは、アフリカと新大陸アメリカを結ぶ三角貿易の拠点として発展します。現在は、2016年にフランスの行政区分が変更され、ヌーヴェル・アキテーヌ地域圏の首府となっています。

 このアキテーヌに注目してください(ヌーヴェルとは「新しい」という意味です)。中世はボルドーを含むアキテーヌ地方は、アキテーヌ公の領地でした。アキテーヌ公は、王家にもつながる貴族です。日本で言えば、天皇王家と外戚関係を結んだ古代豪族の葛城氏や蘇我氏や藤原氏みたいなもんと理解すれば早いかもしれません。ただしアキテーヌ公の領地は日本の豪族とは比べ物にならないくらい広大です。

 そこにアリエノール・ダキテーヌ Aliénor d’Aquitaine(1122~1204年)が登場します。最重要人物です。アキテーヌ公ギョーム10世の第1子(長女)として生まれ、広大な領地を相続した女王(もしくは封建領主)です。結婚した相手は、後にフランス国王になるカペー朝のルイ7世でした。当時の王権の領土はパリ周辺程度でまだ確固としたものではなく、広大なアキテーヌ公の領地獲得が目的の一つだったとも言われています。夫婦仲は悪く、十字軍遠征の失敗などもあり、二人は離婚します。

 アリエノールが1152年に再婚した相手は、アンジュー伯ノルマンディー公アンリでした。そのアンリは、母親がイギリスのノルマン朝ヘンリー1世の娘マティルダだったことから王位継承を主張し、1154年に英国王ヘンリー2世(1133~89年)として即位します(プランタジネット朝)。その結果、英王妃となったアリエノールのアキテーヌ公領も英国領土(アンジュー帝国とも)になったわけです。

 しかし、アリエノール王妃とその11歳も年下のヘンリー2世との関係もぎくしゃくし、ヘンリー2世が愛人ロザモンドを寵愛したことから、子どもたちまでもが離反・敵対します。ヘンリー2世は、最期は失意の内に仏ロワール渓谷のシノン城で亡くなります。行年56歳。彼の晩年は、1966年に「冬のライオン」としてブロードウェーで舞台化され、68年には英国で映画化され、ヘンリー2世をピーター・オトゥール、エレノア(アリエノール)をキャサリン・ヘップバーンが演じて、彼女は米アカデミー賞主演女優賞を獲得しています。

 ボルドーを始め仏大西洋岸のアキテーヌ地方は、英国領として300年間続きましたが、その後、失地回復を狙うフランスと英国との間で、1339年に百年戦争が勃発し、奇跡的なジャンヌ・ダルクの活躍もあり、1453年、仏国王シャルル7世が英国軍が守るボルドーを陥落させて戦争を終結させ、領土も奪還しました。

12月12日は何の日?=来年は運勢絶頂期か?

 都心の会社まで、毎日往復3時間近く掛けて通勤しているのは、ランチが楽しみだからです(笑)。(そう言えば、満員の通勤電車の中で、私より年長の人は、まずいないことに最近、やっと気が付きました!)

 「今日のランチは何にしようかな?」と考えるのが至福の時間です(笑)。

 本日は12月12日。どういうわけか、トンカツが食べたくなり、東銀座、築地辺りにあるとんかつ店を渉猟しました。そしたら、「イマカツ」6人、「にし邑」は11人、最後の砦「とん㐂」も5人と大行列。こりや、駄目だ、と諦めました。

 「何で? 今日はとんかつの日なのかな?」と調べてみたら、「とんかつの日」は10月1日だそうで、本日12月12日は、「(車の)バッテリーの日」(野球の守備の投手が1,捕手が2だから)、もしくは「漢字の日」なんだそうです。

 道理で、毎年、この辺りになると、京都の清水寺で、「今年の漢字」が発表されますね。先ほど、テレビで生中継していましたが、今年の漢字は「戦」でした。清水寺の森清範貫主の達筆は見事なものでした。2022年の重大ニュースの第1位は、何と言っても、「ロシアによるウクライナ侵攻」ですから、「戦」はまさしく妥当な選択でした。

カナダ在住のTさんからのクリスマスカード

 扨て、毎年、この季節になると、カナダにお住まいのTさんからクリスマスカードを送ってくださいます。

 Tさんは、5年前に亡くなった「おつな寿司会」のメンバーで、翻訳家・作家の片岡みい子さんの御主人正垣親一氏(故人)の成城学園時代の親友ということで、私がこのブログで片岡みい子さんが亡くなったことを書いたことが御縁で、一度銀座でお会いして食事をしたこともあります。大変真面目で、実に律儀な方で、こうして、師走になると毎年、カードを送ってくださるのです。Tさんの御尊父は昭和時代の赤坂辺りの夜の社交界で知らない人はいないと言われた名士で、力道山やポール・アンカら海外も含め芸能界、スポーツ界に友人・知人を沢山お持ちになり、裏話にも通じた方でした。Tさんは現在、カナダにお住まいなのに、日本のニュースに関して、私以上に熟知されているので、驚いてしまいます。

 早いもので、来年は私も片岡みい子さんが亡くなった享年と同い年になります。月日の経つのは、嫌になるくらい早いものです。

 昨日も、自宅で、好きなブラームスの交響曲第1番から4番までCD(レナード・バーンスタイン指揮、NYフィル)で聴いていて、ブラームスの長い白髪の髭面の肖像画から、彼が亡くなったのは70代後半か80代かとばかり思っていたら、略歴から計算したら、何と63歳だったんですね。今の私より若い!

 考えてみれば、シューベルトは亡くなったのが31歳、モーツァルトは35歳、メンデルスゾーン38歳、ショパンは39歳、ベートーヴェンも56歳で亡くなっています。結構、大作曲家の天才の皆さんは早死にされています。彼らは歴史に残る大仕事をされたのに、それに比べて自分は、馬齢ばかり重ねて何をやっているんだ、と情けなくなります。

Ginza

 しかし、残された人生、出来るだけ前向きに生きなければいけない、と思っていますので、たまたま、ある占い本を買って読んでみました。そしたら、来年の私の運勢は超絶好調だったのです(笑)。超絶好調というのは、来年が一番のピークで、再来年からは、私の運勢は下降期に入るということになりますが…。(注=運勢を馬鹿にしてはいけませんよ。サッカーW杯のPK戦だって、運、不運で決まると言うではありませんか!)

 ということで、来年(だけ)は良い年になりそうです。年齢的にも、人生、最後のチャンスかもしれません。「よおし、一丁、やってやるかあ〜」とカラ元気が出て来ました(笑)。

銀座、ちょっと気になるスポット(10)=「億の細道」と「長野県物産館」

 昨晩は夜遅くまでブログを書いていたので、少しは休めばいいのに、職業病なのか、本日もブログを書いております。

 また、「何でもブログに書けばいいと思っているんだろ?…このマンガ野郎が!」と馬鹿にされそうですが…(苦笑)。

 The show must go on!

 銀座といいますか、有楽町マリオン近くに「億の細道」があります(正式名称は「西銀座チャンスセンター」)。1等前後賞合わせて7億円の「サマージャンボ宝くじ」や10億円の「年末ジャンボ宝くじ」販売の時期ともなると、毎回長蛇の列が出来ます。日本人は縁起を担ぐので、よく観察すると、「仏滅」の日はそれほど多くはないのですが、「大安吉日」ともなると、本当に長い列が出来ます。

 この辺りは、私の通勤途中なので、並んでいる烏合の衆の皆さんを横目で見ながら、いつも「御苦労さまです」と頭を下げています。以前の古いデータではありますが、高額賞金に当選する確率は、2000万分の1だと言われているからです。1枚300円ですから、2000万枚買うと、60億円となります。

 つまり、60億円分買えば、やっと7億円とか10億円とかが当たるという単純計算になります(勿論、末等賞とかが当たりますから概算です)。同時に2000万人にやっと1人が当選するという言い方をしてもいいかもしれません。こりゃ、どう考えても詐欺(失礼!)に近い(笑)。やはり、苦労なしで確実に儲かるのは胴元に決まっている、と昔の人はよく言っておりました。

 それでも、人は長蛇の列をつくるのです。恐らく、夢を買っているのでしょう。それに、宝くじの収益金の一部で、公園の遊具などを買っているらしく、公共施設に還元しているという話ですから、彼らは納税者みたいなもんです。有楽町のここは「日本一当たる売り場」と言われていますが、わざわざ猛暑や寒風吹き荒れる中、1時間も2時間も辛抱強く並んでお金を納めてくださるのですから、私は心の中で、いつも「ご苦労さまです」と手を合わせているわけです。

銀座 NAGANO

 さて、話は変わって、先週、久しぶりに「週刊文春」を買いました。「100歳まで健康に生きる 60歳からの食事<新常識>」特集を読みたかったからでした。「食」に関しては大いに興味がありますからね。

 内容をあまり書くと、また、批判する人がいるので、最低限の引用に留めますが、この中で、一番印象に残ったことは、「なるべく白よりも黒が良い」という話です。

 これはどういうことかと言いますと、健康食として、白糖よりも黒糖が良い。白米よりも雑穀米の方が良い。そして、白いうどんよりも蕎麦の方が良い、という話なのです。

 私は「健康になれるなら死んでも構わない」というタイプですから(笑)、食べるものには気をつけます。これまで、新橋の「香川・愛媛 せとうち旬彩館」で本場の(白い)うどんばかり食べておりましたが、これから蕎麦も食べた方が良い、と一瞬で判断したわけです。

 ということで、本日は蕎麦の本場である銀座の長野県物産館に行って来ました。このビルの3階にある蕎麦専門店「真田」で、ランチして来ました。

「銀座 真田」野菜小天丼と蕎麦セット 1430円

 メニューを見たら意外と高いので、一瞬、すくんで、ひるみましたけど、思い切って、比較的安い「野菜小天丼と蕎麦セット」(1430円)を注文しました。おソバは、銀座にある大衆向けの安い蕎麦屋さんより、やはり、歯ごたえも違い、栄養分が豊富に含まれているような感じでした。

 ただし、若い仕事バリバリの現役男性ではちょっと量が足りないかもしれません。でも、健康に良い、ということなら、私自身は、麺類はなるべく蕎麦にしょうかなあ、と思っています。

銀座、ちょっと気になるスポット(9)=「名古屋名物 みそかつ 矢場とん」の看板

 日曜日に深酒泥酔、前後不覚になった話を書きましたが、3日経っても回復しません。老人力が付いたということなのでしょう。

 皆さんもくれぐれもお気をつけください。深酒すると、正気を失い、翌日も翌々日も響きますから、何もできません。今流行り言葉でいえば、タイムパフォーマンス=タイパが悪い、ということになります。別に、タイパなんて言わなくても、「時間効率が悪い」とか「時間の無駄」で十分通用するんですけどねえ。「回復力」についても、インテリの皆さんは最近、「レジリエントな社会」なんて、やたらとカタカナ語を使いたがりますけど、格好良いつもりなんでしょうか。

 さて、私は職業病で、ブログを書き続けていますが、題材に関してはかなり不自由しております。ので、いつものマンネリでお許しください。

銀座「みそかつ 矢場とん」

 銀座のど真ん中に、上の写真の看板が目立っていますが、これまで一度も入ったことはありませんでした。理由は簡単です。敷居が高いからです(笑)。

銀座「みそかつ 矢場とん」

 御覧の通り、「ひれとんかつ御膳」ともなりますと、6000円ですからね。そう毎日通えるようなお店ではありません。(それなのに、店内、お昼時は、ひっきりなしにお客さんが入って来ました。不景気なんて言いながら、日本人ってお金持ちなんですねえ)

 「矢場とん」は勿論、本店は名古屋にあり、「みそかつ」も名古屋名物であることは熟知しております。今年、5月に名古屋の友人に会いに行きましたが、一泊した夜は、日曜日だったせいもあり、名物店は軒並み休業で、「海老フリャア」も「みそかつ」も、とうとう現地で「名古屋名産」を食すことなく帰宅してしまいました。

 その敵討ちですかね?(笑) いえいえ、もう一回、「名古屋」の雰囲気を味わいたくなったのです。

銀座「みそかつ 矢場とん」 わらじとんかつ定食2000円

 いつも思うんですが、もし、江戸・東京が日本の首都ではなく、名古屋だったら、今頃どうなっていたんだろう?と、空想したりします。那古屋城を本拠地にした織田信長が暗殺されていなかったら…、名古屋の中村生まれの豊臣秀吉が大坂ではなく、名古屋を本拠地にしていたら…全くゼロではない可能性があります。今では、名古屋には日本を代表する世界的企業トヨタがありますし、メガバンクの名古屋支店長は出世コースでしょう。中日新聞(東京新聞)も部数で毎日新聞を抜き、全国紙並みです。

 もし名古屋が首都になっていたら、日本人は標準語として「ミャー、ミャー」語を喋っていたのかと思うと、名古屋関係者の皆様にはすみませんが、笑えてきます。

 名古屋は伊勢湾がそばにありますから、伊勢海老などの海産物も美味しければ、名古屋コーチンも有名で、隠れた食の名産がたくさんあります。

 「矢場とん」では、迷った末に「わらじとんかつ」定食2000円也を注文しましたが、みそかつと普通のとんかつの二種類セットも選べたので、つまり二人分みたいなものでした。値段並みのボリュームがありました。みそも思ったほど辛くなく、キャベツの量もちょうどよかったのですが、もう少し御飯が欲しかったなあ。(おかわり出来たかもしれませんけど)

 深酒で不調でしたが、名古屋から元気をもらいました。

今まで食べていたスシは寿司ではなかったのか?

 ブログのネタに困ると、やはりランチになってしまいます。

 私の好物はたくさんありますが、中でもお寿司は大好物です。運の良いことに、銀座、築地界隈は全国一と言っていいくらい寿司屋さんのオンパレードです。それらは、ミシュランの星が付くような超高級店から大衆店までさまざまです。

手前がランチ寿司5万円の「とも樹」、向こうがカケ蕎麦500円の「歌舞伎そば」(東銀座)

 超高級店を列挙すれば、一番有名なのは、日本の首相が米大統領を接待する「すきやばし次郎」でしょうか。それに、「寿司界の東大」と言われる「二葉鮨」、会社からほど近い所にあってミシュランの星が付いて今最も勢いのある「鮨 銀座おのでら」辺りでしょうか。そうそう忘れていました。ランチが5万円からという歌舞伎座の裏にある「とも樹」なんかも富裕層に注目されています。老舗では「銀座 九兵衛」「銀座 きよ田」などがあり、枚挙に暇がありません。

 しかし、我々庶民は、そんな超高級店の暖簾はめったにくぐれません。(えっ?我々庶民、って一緒にするな、ですか?)

 では、私だけの場合、ランチの寿司を食する場合、大抵、値上げする前の「銀座 壮石」や「築地 きたろう」「築地 かつら」「築地 江戸銀」「築地 すしざんまい」辺りに行きます。大体、ランチ寿司1000円~1300円ぐらいで食べられるからです。「銀座 壮石」は、3年前は一番安い「染井」は980円でしたが、現在は1600円です。

 上限はないのですが、贅沢したい時は、2000円ぐらいの予算で、銀座コリドー街にある「美登利総本店」に行ったりします。

鮨 Ishijima ※撮影は板さんに断っております

 それが、本日は間違えて、予算を遥かにオーバーする寿司店に入ってしまいました。新富町にある「鮨 Ishijima」です。いつもなら大行列なのに、誰も並んでいない。扉が開いているので、中をチラッと覗き見するとほとんどお客さんがいない。「しめた!」と思って飛び込んでしまったのです。

 そしたら、ランチは4400円(十貫)と6600円(十二貫)の二種類のみ。「あれま」もう入ってしまったので仕方がない。4400円のランチを注文することにしました。

鮨 Ishijima ※撮影は板さんに断っております

 威勢の良い40代ぐらいの板さんの話によると、これまで、大行列が出来ていたのは、4400円相当?のランチを「特別ランチ」として期間限定で1650円で提供していたからだといいます。それが、先月9月いっぱいで終了したというのです。知らなかった…。

 特別ランチを提供した最終日は午後4時までランチの時間を延長したそうですが、それでも、皆、平均2時間ぐらい並んでいたそうです。

 10月になり、特別ランチがなくなった店内は、貧困層、いや失礼しました、情報通が来なくなったので、がら空きになったわけでした。それ、早く言ってよ~

鮨 Ishijima ※撮影は板さんに断っております

 しかし、板さんには隙を見せるわけにはいきません。いつも、「すきやばし次郎」や「おのでら」や「とも樹」に通い慣れているような素振りをみせなければいけません。

 でも、正直な私は、つい「こんな旨い寿司は今まで食べたことがないくらいですよ」と告白してしまいました。本当にその通りだったのです。第一に、カウンターに醤油が置いていない。「へい、お待ち」と差し出される握りには、既に味付けされているからです。醤油を置いていない寿司店なんて初めてでした。

 第二に、魚に筋っぽさが全くなく、鮪も鯵もトロリと溶けるような柔らかさ…。板さんの説明では、食材は宮城産、対馬産、房州産等の最高級魚の中でも最高級部位を取り揃えているというのです。それらは、キロ当たりで普通のものより2000円も高いというのです。道理で美味いはずです。

 となると、今まで私が食べていたお寿司は何だったのか?と思ってしまいましたよ。お金を出さなければ、本物は食べられませんね。哀しいかな、それが世の中の仕組みです。

 ちなみに、新富町「鮨 Ishijima」は銀座1丁目の「鮨 石島」の姉妹店です。銀座の本店(有名なイタリアン「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」の近くにあります)の方は、ランチは6600円~からです。だから、本物の鮨を出す4400円の新富町店のランチは一生に一度は経験してみると良いかもしれません。

 私も「今度また宝くじでも当たったら来ますよ」と言って、お店を出ました。

銀座、ちょっと気になるスポット(8)=歌舞伎発祥之地

 しばらく中断しておりましたが、久しぶりに「銀座、ちょっと気になるスポット」シリーズを再開しましょう。

 銀座といえば、やはり歌舞伎座です。今ある歌舞伎座は明治になって、東京日日新聞社長なども務めた福地源一郎らの尽力で出来ましたが、江戸時代には、今では「歌舞伎発祥之地」になっている猿若中村座があったり、森田(守田)座(明治になって新富座に)があったり、山村座(「絵島生島事件」で廃座に)があったりしましたので、銀座は「芝居小屋町」と言っても差し支えないでしょう。

 以前、この渓流斎ブログで、守田座跡や山村座跡、新富座跡を何回かご紹介したことがありましたので、今回は歌舞伎発祥之地である猿若中村座跡(写真上)を取り上げることにします。

 場所は、京橋3丁目なので、正確に言えば銀座ではありませんが、銀座1丁目の高速下の歩道を渡ってすぐ側ですから、あまり堅いことは言わんといてください(笑)。

  座元中村勘三郎が、猿若中村座をこの地に建てたのは、寛永元年(1624年)のことです。中村勘三郎と言えば思い出してください。2022年5月17日付の渓流斎ブログ「旧友を訪ねて 43年ぶり再会も=名古屋珍道中(上)」で取り上げております。初代中村勘三郎(1598~1658年)は、あの豊臣秀吉と全く同じ現在の名古屋市中村区にある中村公園内に生まれ、その生誕記念碑が建っていることを御紹介しました。

 …中村勘三郎は、豊臣秀吉の三大老中の一人、中村一氏の末弟・中村右近の孫だと言われてます。兄の狂言師・中村勘次郎らと大蔵流狂言を学び、舞踊「猿若」を創作したといいます。 元和8年(1622年)江戸に行き、寛永元年(1624年)、猿若勘三郎を名乗り、同年江戸の中橋南地(現東京・京橋)に「猿若座」(のちの「中村座」)を建てて、その座元(支配人)となった人です。…

 これを読むと、勘三郎丈が猿若座を建てたのは26歳の若さだったことが分かります。それなりの潤沢な資金があったのでしょうか。中村屋(屋号)は現在でも続く名門中の名門の大幹部で、勘三郎はその基礎を作った人ですから、実に偉い人だったことが分かります。

コナミ本社=銀座1丁目

 先ほど、「歌舞伎発祥之地」は正確には銀座ではなく、京橋3丁目です、と書きました。

 でも、その目の前(という言い方も変ですが)は銀座1丁目です。そこは、かつてセゾングループの高級ホテル西洋銀座(2013年閉鎖)と、映画館の銀座テアトルシネマなどがあったのですが、今はすっかり様変わりして、アミューズメント会社のコナミの本社になっておりました。

 しばらく、この場所に足を運んでいなかったので吃驚です。もう30年ぐらい昔ですが、この高級ホテル西洋銀座で、セゾングループ総帥堤清二氏というか作家の辻井喬氏(1927~2013年)にインタビューしたことがあったので、隔世の感を禁じ得ませんでした。

銀座1丁目「ニューキャッスル」

 このあと、銀座1丁目にある「ニューキャッスル」に行き、ランチのカライライス(レギュラー100円)を食しました。

 喫茶店「ニューキャッスル」はかつて、蔦がからまった店舗が有楽町駅近くにあり、私も昔、通ったことがありますが、いつの間にかなくなっていました。それが、先日、テレビでやっていて、2011年に東北大震災の影響で古い建物が損害を受けるなどして閉店し、今は、常連さんだった人が三代目として切り盛りしているということでしたので、訪れたのでした。

 創業昭和21年の看板の味をしっかり受け継いでおりました。