クール・マスクと田中帽子

 都心でも連日34度の猛暑が続いています。第7波のコロナ激増中ですから、これにマスクを付けて外を歩かなければならない、となると苦行僧そのものです。

 私は病み上がりですから対策を取らなければなりません。マスクは結構、買い溜めして余っているのですが、それらは真冬用といいますか、付けているだけで息苦しくなります。そこで、ドラッグストアで、「クール」用のマスクを買って来ました。30枚入りで980円でした。

 結構涼しい。息苦しくないのです。皆さんにも、夏場は、クール用をお勧めします。

田中帽子店 明治十三年創業 天然草木(麦わら)100%

 さて、もう一つが帽子です。結構、持っているのですが、改めて、ブランド品を買ってみました。明治13年に埼玉県春日部市で創業された田中帽子です。現在の社長は6代目という老舗です。

 単なる麦わら帽子なんですが、馬鹿にしちゃあいけません。驚くべき機能性を持っていたのです。7月19日に民放のバラエティ番組で、この田中帽子店が取り上げられ、私も随分感心してしまいました。

 麦わら帽子の利点は、何と言っても、その驚くべき通気性です。私は夏の帽子として他にイタリア製の帽子を2年前に購入したのですが、被ると汗でびっしょりになります。帽子に表示されているマークを読んでみると、その素材は「再生繊維(紙)」と書かれていたのです。そっかぁー、紙だったら、通気性がないわけでした。

 その点、麦わらだと通気性抜群ですから、それほど汗をかくことはありません。それに何と言っても軽いので、頭にかかる負担も少ないのです。

 私が7月14日(木)にJR大宮駅構内の田中帽子店臨時ショップで購入したのは、「シモン」という麦わら 細麦中折れハットでした。1万1000円もしましたが、テレビの番組で見たら、製品の製造過程が全て手作りだったので、「これぐらいの価格なら安いぐらいだ」と納得しました。

 そうそう、テレビでは実験していましたが、再生繊維(紙)の帽子では紫外線を少しだけ吸収してしまいますが、麦わら帽子となると、紫外線は100%カットされていたのです。これなら堂々と猛暑の陽中でも歩けます。

 田中帽子店には立派なHPがありますので、御覧になると良いと思いますけど、残念なことに、私が購入した「シモン」は現在、品切れ中のようですね。

 えっ!? 勿論、私は田中帽子店の回し者ではありませんし、これは宣伝でもありません(笑)。猛暑、パンデミックという最中、皆さんも御自身の身の上を御自分で守るために、ちょっと工夫したら如何ですか、といった話でした。

ザ・ビートルズBlu-ray「ゲットバック」セッション感想

 1週間の病気療養生活で、本は読めないし、寝てばかりいられなかったので、ちょうど購入したばかりのBlu-ray3枚組「ザ・ビートルズ:Get Back」(ウォルト・ディズニー・ジャパン、7月13日発売、1万6500円)を時間を分散して見ていました。

 1969年1月2日から31日にかけて収録された「ゲットバック」セッションで、約60時間の映像と約150時間の音声を、新たに7時間47分間のDVD3枚組に編集したものです。既に昨年、ネットで配信されて話題になりました。

 私はネットの有料会員ではないので、DVD化されればいつか買うつもりでしたが、私のようなビートルズ・フリークから言わせてもらえれば、やはり、Blu-ray3枚組1万6500円は高過ぎるし、長過ぎる。普通の人なら、映画「レット・イット・ビー」で有名になったルーフトップ・コンサートが入った3枚目(2時間18分)だけで十分だと思います(バラ売りしないでしょうが)。

 会社の同僚の勧めで、DVDセット(1万3200円)ではなく、より画質が鮮明なBlu-rayセットを選んだので、53年以上昔の映像なのに昨日撮影したばかりのような驚くべき鮮やさです。デジタル・リマスター技術の進歩のおかげでしょうが、驚嘆するしかありません。

 今更説明するまでもありませんが、「ゲットバック」セッションは当初、レコーディングの様子やライブ演奏を収録してテレビ番組のために撮影されたものでした。ライブ演奏会場は当初、古代劇場だったり、テレビスタジオだったりしましたが、中止になり、結局、ロンドンのアップル社の屋上になりました。4人は激しく意見をぶつけ合い「空中分解」となり、ジョージが途中で「脱退宣言」してスタジオに顔を出さなくなったりします。

 当初は、「ゲットバック」アルバムとして、春にも発売する予定でしたが(私は、当時中学生で、「ミュージックライフ」誌に、ニューアルバム「ゲットバック」の広告が掲載されていた事を覚えています)、「お蔵入り」となり、夏に、ビートルズとしては最期のレコーディングとなった「アビイ・ロード」の方が先に秋に発売され、お蔵入りになっていた「ゲットバック」は翌70年に映画「レット・イット・ビー」のサントラ盤(フィル・スペクターによるアレンジ)として発売され、同年4月にビートルズ解散(ポール脱退)も発表されます。

 話が前後した、随分マニアックな話でした。

 ということで、このセッションではビートルズの初期のカバー曲や新曲が完成する前のラフな状態や試行錯誤が伺えるわけです。アルバム「レット・イット・ビー」収録曲は勿論、「アビイ・ロード」に収録される「オー!ダーリン」や「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」のほか、後に各自ソロになってアルバムに収めることになる「テディ・ボーイ」「バック・シート」(ポール)、「ギミー・サムシング・トゥルース」(ジョン)、「オールシングズ・マスト・パス」(ジョージ)までありました。これらは大体、3年後の1971年に発表される曲でしたから、随分早い段階で試作品が出来ていたことを初めて知りました。

 もう一つ驚いたことは、この作品を撮ったマイケル・リンゼイ=ホッグ監督が大御所かと思っていたら、メチャクチャ若いのです。BBCのポップス番組「レディ・ステディ・ゴー」のディレクターだったことから抜擢されたらしいのですが、1942年生まれということでポールと同い年。当時、まだ26歳です。(髭を生やしたポールは、40歳過ぎに見えます。)

 もっとも、有名なプロデューサー、ジョージ・マーチンも1926年生まれですから、この時、まだ42歳です。実に若かったんですね。

 また、空中分解しかけたところで、辛うじて「繋ぎ役」となったオルガン奏者のビリー・プレストンは1946年生まれですから、当時まだ22歳です!(リトル・リチャードのバックで弾いていたビリーがビートルズと初めて会ったのが16歳だったとは!2006年、59歳で病死されたことは返す返すも残念です)

 扨て、やっと感想文です(笑)。これは、病身で見るべきではありませんね。気分が落ち込みます。映画「レット・イット・ビー」が公開された時、中学生だった私は、東京・新宿の武蔵野館で朝から晩まで4回も見続けた覚えがあります。当時は入れ替え制度がなく、席も「指定席」以外自由だったからです。その後も何十回もこの映画は観ているので、内容は知り過ぎてはいるのですが、ここまで酷いとは思いませんでした。

 特に、今の時代では考えられないくらい彼らもスタッフも四六時中、煙草を吸いっぱなし!神聖な職場だというのに女(とはいっても恋人や配偶者)を連れ込み、特にジョンは遅刻魔で前半はほとんどやる気なし。ポールの独裁的な態度は強引で、ジョージがついにキレて行方をくらます始末です。呆れた事に、ワインやアルコールを飲みながらのレコーディング。会話も実に下品で野卑なのです。「ゲットバック」の歌詞に出て来る「カリフォルニア・グラス」が「カリフォルニアの大麻」のことだったとは!

 あの大天才モーツァルトに嫉妬したと言われるサリエリだったら、こんな感想を述べるかもしれません。

 「奴らは何て、下品で野卑なのでしょう。それなのに、奴らが生み出すメロディといったら天使から遣わされたような天衣無縫の旋律。あんな下ネタ好きで、酒や煙草はのみ放題。隠れてラリッているに違いない。不良少年がそのまま大人になったようで、社会の常識に染まろうとはしない。そんな野卑で下品な人間が天上の音楽を紡ぎ出すとは、神は如何にも不公平に人間を作りたもうたことか」

 それでも最後の「ルーフトップ・コンサート」は圧巻で、全ての悪や災いを帳消しにしてくれる感じです。ビートルズの音楽は鮮明な映像とともに、これから100年後も1000年後も人類の歴史が続く限り、繰り返し聴かれることでしょう。

ブログ更新できなかった言い訳=コロナは陰性でした

 ブログ更新は7月15日(金)以来実に1週間ぶりです。

病気してました(苦笑)。今年5月の大型連休中には酷い風邪に罹り、3日間も寝込みましたが、今回はもっと酷くて、17日(日)昼前から21日(木)深夜にかけて、5日間もwatery diarrhea に悩まされました。多い時は、夜中に20回もトイレに駆け込みましたから、疲労困憊。薬をのんでもなかなか治らず、こんなの初めて。さすがに人間やめたくなりましたよ(苦笑)。

 一番辛かったのは、私の人生の愉しみの「最後の砦」(笑)だった食欲が全くなくなり、少し口に入れても受け付けなかったことでした。アルコールも駄目です。

 先週までは、入院した友人や、メールをしても返信が来ない年長の先輩たちの健康問題のことばかり気になり、心配ばかりしておりましたが、自分のことで精一杯になり、それどころではなくなりました。人生、美味しいものが食べられて、夜ゆっくり眠られることが最も幸せであることを身に染みて体験しましたよ。

◇コロナが身近に

 15日(金)を最後に会社に行っていなかったのですが、その間、不運にも会社の同僚が新型コロナに感染していたことが分かりました。彼は、かなりの潔癖症で、手洗い消毒は欠かさず、帰宅する際に自分の机の周りを一生懸命にアルコール消毒するほどでした。しかも、会社の近くに住んでいるので通勤電車に乗ることさえありません。不思議ですねえ。一番気を付けていて、一番罹りそうにもない人がコロナになるとは!

 私自身は熱も咳もありませんでしたが、一応受けておいた方が良いと考え、19日に自宅近くの内科クリニックで、「ついでに」PCR検査も受けることにしました。翌日、結果が分かるはずでしたが、ここ最近、コロナ患者が爆増したこともあり(7月21日は全国で18万6246人、東京でも3万人を超え、過去最多)、検査も殺到して、間に合わず、21日の朝8時にやっと、結果が分かりました。

 結果は「陰性」でした。ヤレヤレです。

銀座「ローマーヤー」イングリッシュマフィンのオープンサンド~ローストビーフとクロックマダム~1540円

 クリニックの先生はとても良い人なのですが、どういうわけか、「症状」が出た人は院内の冷房の効いた待合室に入れてもらえず、外の炎暑で待たされます。自家用車を持っている人はいいでしょうが、私にはないので、暑い中、外のベンチで、一時間ぐらい虫の息で待ち続けました。そして、色々と症状を聴かれ(問診)、いよいよ検査でもしてくれるのかな、と思ったら、看護師さんらしき人が出てきて、会計と処方箋の紙を持ってきただけです。多分、食当たりか、ウイルス性胃腸炎でしょうが、病名も何も分かったもんじゃありません。どちらにも効く薬を処方したようでしたから。

 こんな目に遭わないためには、人間、病気にならないことです。でも、細心の注意を払っている品行方正な真面目人間に限って、病魔が襲ってくるんですよね。どうにかなりませんかねえ?…。

銀座・昭和通り

 実は、症状が一番きつかった18日(月)=「海の日」祝日=は、私の誕生日でしたので、3人の友人知人と、親戚家族からお祝いのメッセージを頂きました。その中には、Facebookをやめたのに、わざわざ私のブログに直接アクセスしてくれたり、意外にも「隠れて読んでいる」人だったりしました。驚くとともに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 というようなことがあったもので、御心配をお掛けした皆様に対して、今回、ブログを更新できなかった言い訳をクドクド述べさせて頂いたわけです。

 人間、健康が一番。健康にさえなれれば、死んでも構わない。ちっぽけなブログを貶されようが、監視されようが、大したことではありません。

 なんくるないさー。

NHKラジオ「日曜カルチャー『未知の世界史を掘り起こす』」はお勧めです

 私が、「是非とも聴くよう」にと勧めた3人中3人とも「これは実に面白かった」と膝を打って感動してくれたラジオ番組があります。

 NHKラジオ第2で放送された「カルチャーラジオ  日曜カルチャー『未知の世界史を掘り起こす』」という番組です。

 私はたまたま偶然、再放送で聴きましたが、まだお聴きになっていない方は、今は、パソコンやスマホアプリがあれば、「聴き逃しサービス」で聴くことができます。私はまだ第1回しか聴いていませんが、番組は5、6回は続くようです。

 お話は、考古学者の大村幸弘さん。トルコのカマン・カレホユック遺跡で発掘調査によって、紀元前18世紀ごろ「ヒッタイト帝国」で世界で初めて製鉄がつくられたという通説を覆す発見をした世界的な学者です。

 その第1回は「なぜ考古学の世界に足を踏み入れたのか」というタイトルです。大村さんが、何故、考古学者になったのか、盛岡の子ども時代に夢中になって探した遺跡土器の欠片の収集から始まり、青年になって不思議な縁に恵まれて、トルコに留学することができて数奇な運命に出合うというのが、その初回の話です。

 まさに人生とは縁と運です。これは私の持論でしたが(笑)、大村さんの場合は、何んとも言えない不思議な御縁の点が、他の御縁の点と結ばれて線になってつながっていくという、まさに信じられないような話が続きます。内容についてはこれ以上、伝えられません。推理小説と同じで、ネタバレしてしまったらつまらないからです。

 ということで、皆さんも是非、第1回だけでもお聴きになったら良いと思います。第1回は、2022年8月28日午後9時で、この聴き逃しサービスの配信も終わってしまいますので、お早めに。(なお、私はNHKの回し者ではありません=笑)

新選組の斎藤一と歴史について

 やはり、幕末史を語る上で、新選組は欠かせません。ということで、そのつもりはなかったのですが、本屋に行ったら、「歴史人」2022年8月号増刊 新選組大全(ABCアーク)が売られていたので、思わず買ってしまいました。

 「大全」というぐらいですから、隊士の履歴や事件はもちろん、天然理心流、神道無念流など剣術の流派に至るまで、まあ新選組に関するあらゆることが百科事典のように網羅されています。新選組に関しては、子母澤寛の「新選組始末記」や司馬遼太郎の「新選組血風録」「燃えよ剣」などを通して、よく知っているつもりでしたが、これだけ図解入りも含めてまとめられた本は初めてです。

 この本によると、新選組は約7年間の活動期間中、入れ替わりが激しかったものの総勢約400人の隊士がいたといいます。このうち、抗争や粛清などで殺害されたのは、筆頭局長だった芹沢鴨はじめ、伊東甲子太郎、藤堂平助ら15人。切腹を命じられたのは、脱走を図った山南敬助ら14人。その他、池田屋事件で死亡した奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門ら16人を含めて、計45人以上が隊士として亡くなっています。死亡率約11%ですから、結構高いです。

 これではまるで、鎌倉時代初期に比企能員、畠山重忠らが粛正された権力闘争か、マフィアの内部抗争みたいです。

 新選組と言えば、近藤勇、土方歳三、沖田総司の3人で、まずほとんどが語られてしまいます。通好みでしたら、池田屋事件でも活躍する永倉新八あたりが登場するでしょうが、私が注目したのは斎藤一(1844~1915)です。20歳そこそこで三番隊組長、その後、副長助勤も務めた溝口派一刀流の剣豪です。

 新選組から分離した伊東甲子太郎の御陵衛士に、近藤勇の命令で間者として潜り込み、油小路の変あたりから身を隠すために山口二郎の変名を使い、鳥羽伏見の戦い、甲州勝沼の戦いにも参戦し、その後、一瀬伝八と改名して最後まで会津に残って新政府軍と戦い、降伏。あの柴五郎の「ある明治人の記録」にも出てくるぺんぺん草も生えない極寒の斗南藩にまで移住させられます。維新後は藤田五郎を名乗って東京に出て会津藩士の娘と結婚し、明治10年の西南戦争では、警視庁の警部補となって従軍します。

 警視庁退職後は東京教育博物館(現東京科学博物館)などに勤務して大正時代まで生きます。行年71歳という波乱万丈の生涯でした。

 斎藤一は、江戸旗本の足軽の出身らしいですが、晩年の彼の写真を見ると、如何にも武士らしい剣術使いの面影が残っています。

 と、ここまで書いていたら、安倍晋三元首相が奈良で狙撃された大ニュースが飛び込んで来ました(その後、死亡、享年67)。まさか、21世紀になってこんなテロが起きるとは思ってもいませんでしたから、かなり衝撃的です。実行犯(41)の動機はまだ分かっていませんが、どうやら新興宗教団体に恨みがあり、政治的イデオロギーではないようです。となると、元海上自衛官で宅建とFPの資格を持つと言われる男のこの行動は一層不気味に感じます。と同時に、戦前の血盟団事件、5.15事件、2.26事件、昭和35年の浅沼稲次郎社会党委員長暗殺事件などと同じように歴史となり、後世語り継がれることでしょう。

 歴史とは、過ぎ去った取返しのつかない出来事ではありますが、我々はその歴史の延長線上に偶々生きていることを痛感しました。

 

デンマーク製の腕時計、買っちゃいました

 ムフフフ…やはり、買ってしまいました。

 私の愛用のグランドセイコー高級腕時計が、目下、オーバーホール中であることは以前、この渓流斎ブログに書きました。そして、そのオーバーホールに1カ月半も掛かるということも書きました。その間、どうしようかと思いを巡らし、3~4年ごとのオーバーホールで毎回5万円も掛かるようでしたら、3~4年で壊れてしまっても、メンテナンスの掛からない格安腕時計を買い換えればいいのかもしれない、ということも書きました。

 具体的には、会社の同僚が買ったばかりのデンマーク製の格安腕時計です。ちょっと見ただけでは、そんな格安時計には見えず、デザインが良いので高級腕時計に見えるほど見映えが良いーといったことも書きました。

Bering fabrique en Danemark

 じゃーん、それが、この腕時計ベーリングでした。

どうっすか? そんなに安物には見えないでしょ? でも、グランドセイコーのオーバーホール代でこの腕時計が2個ぐらい買えちゃいます(笑)。

 これで、何と3年間の保証書が付いているのです。不可抗力でガラスが破損した場合、5年以内なら格安割引修理もしてくれるそうです。

 本当は、色はブルーを狙っていたのですが、店頭にはこのブラックしかありませんでした。でも、ソーラー電池ですから、電池交換は一切なし。太陽や蛍光灯にさらしておくだけで充電してくれるのです。これ以上のメンテナンスの経費が掛からないところがいいですよね。

 ありがたや、ありがたや。

銀座「ひょうたん屋」うな丼2000円

 今日から、わざとらしくこの腕時計を周囲に見せびらかして、歩くことにします。

 何か言われたら、「うーん、この時計、デンマーク製なんだけど、ソーラーなんで充電しなきゃなんないんすよお」と弁解することが出来ます(笑)。

 私は、実に単純な人間なので、この腕時計をはめると、何か、自分がデンマーク人になった気分になれます(笑)。

銀座・ドイツ料理「ローマイヤー」ポークソテー1100円

【追記】2022年7月5日

 通勤電車の中で監察したところ、腕時計をはめている人は、7人中3人と半数以下でした。若い人だけでなく、60歳代とみられる紳士までもが腕時計を付けていませんでした。夏は半袖なのですぐ分かります。恐らく、スマートフォンを腕時計代わりに使っていると思われます。

 「クールビズ」でネクタイが絶滅危惧種となったように、スマホのお蔭で、腕時計も絶滅危惧種になったということかもしれません。

 うーん、何処も同じく大変ですね。

 

 

そもそもメディアとは「恣意的」なのでは?=食べログ訴訟で考えたこと

 グルメサイト「食べログ」による評価が不当に下げられて客足が減ったとして、焼き肉チェーンがサイトを運営する「カカクコム」に6億円余りの損害賠償などを求めた訴訟の判決が6月16日に東京地裁であり、林史高裁判長は「不当な不利益を与えており、優越的地位の乱用に当たる」と認め、カカクコム側に3840万円の支払いを命じました。

 食べログの掲載店舗数は約82万店舗(4月時点)、月間利用者数はで約8800万人(3月時点)だといいます(公式サイト)。そんな絶大なる影響力を持つ食べログが、運用しているアルゴリズムが恣意的過ぎるというわけです。

 このアルゴリズムとは何なのか?ー毎日新聞が「コンピューター上の評価点の算式」と一番分かりやすく説明していますが(他紙は、「計算手順」=朝日、読売、「計算手法」=日経、産経、東京、スポニチ、報知、「評価ルール」=時事通信など)、原告側の弁護士は「食べログは不正防止を理由にアルゴリズムを開示せず、ブラックボックスになっている。透明性と公平性を重視してほしい」と指摘しています。

 でも、このアルゴリズムこそ、企業機密です。企業機密を開示する会社はないでしょう。判決が不当だという被告側も、賠償額が少ないという原告側も控訴するといいますから、今後の裁判の行方が気になります。

銀座・シュラスコレストラン「アレグリア」

 私自身があまりグルメサイトの点数を参考にしないのは、最初から「恣意的」だと分かっているからです。「有料会員ならサイトの上位に掲載する」というのは誰でも知っている周知の事実ですし、グルメサイトだけでなく、世界最大の検索エンジンGoogleだって、有料企業がサイトの上位に掲載されるように配慮していると言われています。

 買いたい本を検索すると、必ずと言っていいくらい、Amazonがトップに来るので、「これは怪しいなあ」と私なんか睨んでいます。

 食べログもメディア(媒体)だとしたら、そもそも、メディアというものは恣意的なものです。「社会の木鐸」「公正中立の公器」を標榜する新聞だって、そうです。「是非もの」と隠語を使って、自分の新聞社が主催したり、出資したりしている映画や舞台、展覧会、コンサートは優先的に多くの紙面を使って派手に報道します。監督や主演俳優のインタビュー記事も掲載します。それでいて、他社主催のイベントは、取り上げなかったり、扱いが小さかったりします。

 雑誌となると、普通の読み物と見せかけて、バーター広告記事がふんだんに盛り込まれています。最初から「広告宣伝ありき」と言っても良いかもしれません。

 これらを「恣意的」と言わずとして何と言うんでしょうか?

銀座・シュラスコレストラン「アレグリア」ビーフプレート・ランチ1000円

 グルメサイトも同じようなものです。表向きは「お客様による評価を基準にしたアルゴリズムです」と主張しても、点数は、やはり、「会費を増額した」会員店舗には「特別な計らい」で甘く付けるのが人情であり、仁義というものです。仁義というと、どうも、グルメサイトの評価に関わる会費は、店から徴収する「みかじめ料」にさえ見えてきます。ネットになったとか、デジタル社会になったから、といっても、やってることは所詮、アナログ時代と変わらない気がしています。

 最終的には、消費者がもっと賢くなって、ネット情報に左右されないことが肝心ですが、まあ、無理でしょうね。既に、日本人は、テレビよりもスマホのアクセス平均時間が今年になって初めて上回ったというではありませんか。これは、テレビより、ネット情報の影響力が強くなったということを意味しますから。

 私の経験では、どんなに美味しいと言われている飲食店でも、シェフが代わったりすると味が落ちます。その逆を言えば、行きつけの店の味が変わったら、私は「シェフが代わったんだろうなあ」と判断します。それに、味覚は主観的なものであり、人それぞれです。点数化すること自体が怪しいと思っています。

東京・銀座「赤の広場」 目下、日本一の有名店

 「点数評価」は分かりやすいということは確かです。とはいえ、今回の訴訟を見るにつけ、デジタルプラットフォーマー、と舌を噛みそうな企業が独り勝ちする世の中にますますなってきたということなのでしょう。

 嫌な世の中になったものですが、せめて、消費者には、もっと賢くなって世の中のカラクリを知ってもらいたい。「皆さん、騙されないようにしてください」と忠告するしかありません。

我々は一瞬のDNAの運搬車に過ぎないのか?=ノンフィクション作家S氏と新宿・思い出横丁で歓談

 昨晩は、久しぶりにノンフィクション作家のS氏と、新宿・思い出横丁の「五十鈴」で歓談しました。

 コロナの影響で、S氏と直にお会いするのは半年ぶりぐらいでした。今回は、かなりS氏の私的な話を伺ってしまい、プライバシーの侵害になってはいけないので、「S氏」ということで留めておきます(笑)。

 S氏は今月6月で何と、満81歳を迎えました。何処も病気らしいものはなく、矍鑠して元気そのものです。今でも、週に何本か(の締め切り)原稿を抱えているというので、これまた驚くばかりです。「何でそんなにバイタリティーがあるんですか」と毎回お会いする度にお尋ねするのですが、いつも「好奇心ですよ。人間に興味があるんですよ」と答えます。

 私なんか、最近色々あって、人間なんて大嫌いになっていたところでしたので、お話は大いに刺激を受けました。

新宿・思い出横丁「五十鈴」

 新宿は久しぶりでした。紀伊國屋書店などがある東口なら、1~2年前に新宿三丁目の呑み屋さんから歩いて来てフラフラしましたが、西口ともなると5~6年、いや7~8年ぶりぐらいです。いやあ、実に変わりました。特に地下街が変わり、どこから地上に出ていったらいいのかさっぱり分からず、迷子、いや迷い人になりそうでした。S氏が指定された彼の行きつけの焼鳥店「五十鈴」がある「思い出横丁」も、昔は「しょんべん横丁」と即物的に言ったものでした。戦後間もない闇市の面影が残っていて、昔はバラック建ての簡素な店が多かったでしたが、今は、少しあか抜けしておりました。

 思い出横丁には、630坪という狭い土地に、屋台のような間口の狭い呑み屋が60軒も連なっているので、行き慣れていないと訳が分かりません。「五十鈴」は、看板が目立たず、ギブアップしてしまいました。S氏に電話をかけ、迎えに来てもらい、(とは言ってもほんの数メートルの距離)やっと辿り着くことができました。S氏は開口一番、「この店はもう60年ぐらい通い詰めてますよ。主人は三代目かな」。へー、そんな長く!とは言っても、給仕をしてくれたのは中国人の若い女性でしたが。

 さて、乾杯して呑み始めたところ、S氏のスマホに電話がかかってきました。ノンフィクション作家の沖藤典子氏からだ、と後から教えてもらいました。さすが、顔が広いS氏でした。(沖藤氏もこんなところで名前を出されて御迷惑でしょうが)

 以前、S氏にお会いした時、主にS氏の御先祖さまのことを伺いました。大正生まれの御尊父は、陸軍大学卒のエリート軍人で南京駐在武官、明治生まれの祖父は、海軍兵学校卒の海軍大佐、江戸幕末生まれの曽祖父は、六百石扶持の馬廻役の直参旗本という血筋の良さでした。

 今回は御子息のことを伺いました。長女の方は、米国の名門スタンフォード大学に留学し、そのまま米国に住んでいるようですが、「(職業は)今何をしているのか知らない」としらばっくれておりました。長男さんの方は、東工大を出て、今は、結婚した奥さんの実家である薩摩の島津系の建設会社の社長さんを任されているとか。

 御先祖さまが優秀なら、子孫も優秀だということです。リチャード・ドーキンスが言うように、我々は、生物の連環の中で、ほんの一瞬のDNAの運搬車に過ぎないのかもしれません。

 これ以外で、本当は、二人でもっと重大な密談をしたのですが、密談なので茲には書けません。悪しからず(笑)。

侮辱罪の功罪について

 侮辱罪が厳罰化され、今夏に施行されるといいます。もちろん、人様を自殺にまで追い込むほどの根拠のない誹謗中傷する人には厳罰を与えるべきです。当然です。でも、時の権力者に対する批判など言論活動までもが自粛されることが懸念されます。

 サントリーからタダでお酒をもらって、ホテルから酒類持ち込み料までタダにしてもらって、それでもって、自分に投票してくれる地元有権者を特別格安料金で、花見まで付け加えて接待する我田引水の王者を批判して、「侮辱罪です」と言われたりしたら、大変困りますよ。「公然と人の社会的評価を害した場合に適用される」ということですから、明らかに、我田引水の王者の社会的信用を貶めていることになりますから。

 だって、黒川弘務元東京高検検事長などの例があるように、検察官も裁判官も時の権力者に都合の良い人物が選ばれているのではないかという不信感が根底にあります。一体、どれくらいの国民が「国民審査」の存在を知っているのかも疑問です。

 となると、賢いブロガーは、なるべく現代人と関わりを持つことを避けるようになります。所詮、他人の不正や悪事を非難しても、一時的に痛快感を味わうかもしれませんが、ブログともなるとずっと残りますからね。これがネットの恐ろしいところです。

 それに、マスコミ情報を信じて、犯人を非難したら、後でそれが冤罪だったりすることもあり得るわけです。マスコミ情報だって、警察情報をそのまま取材して書いているだけですからね。

 遥か昔の牧歌的時代の話ですが、私もよく知っている毎日新聞のM記者が、容疑者に向かって「おまえ、やったんだろう」と言ったところ、怒りに駆られたその人から大声で怒鳴られながら、追い掛け回されたそうです。恐らく、その人は潔白だったんでしょう。M君も警察発表から容疑者だと信じて、質問しただけでしたが、「殺されるかと思った」と振り返っていました。

 新聞記者なら「当事者」と実際に会うことができますが、普通の人は新聞やテレビの二次情報に接するしかありません。M記者のように、事実かどうか確かめようもありません。

 それに、昔ならSNSなんかありませんから、お茶の間や学校のクラスでの噂話で終わっていた話でした。誰だって、人の悪口を言った覚えはあるはずです(笑)。でも、昔なら消えてなくなっていた話が文字化されると、残って、当事者の目に触れることになってしまいます。

 本人が気軽に投稿したつもりでも、責任重大になってしまうわけです。

 とはいえ、新聞記者諸君、どうか、怖れることなく、政治家や政商、高級官僚、強者に対する批判の舌鋒は、鈍ることがないよう、宜しく御願い致します。

 人間というものは、強欲と嫉妬心と名誉心の塊ですから。

アダム・スミスの「国富論」と税金のお話

 東京国税局の現役職員(24)が、国の新型コロナウイルス対策の持続化給付金を詐取していた事件には本当に吃驚、唖然としました。(約10億円も不正受給してインドネシアに逃亡した詐欺師もおりましたが)

 本来なら税を徴収し、不正を糺す側の人間が、逆に不正受給という悪に手を染めていたとは! 例えは悪いですが、警察官が泥棒を捕まえたら、実はその泥棒は現役の警視正だったようなものです。いや、警視正ではなくて、巡査でもいいのですけど。(このオチは、警察官の階級を知らなければ面白くありません)

 持続化給付金に関しては、私自身、もし申請すれば、100万円ぐらい受給できると思っています。コロナの影響で、外国人観光客が途絶え、通訳ガイドの仕事がなくなってしまったからです。私が辛うじて所属している通訳団体からも、給付金の申請の仕方の案内メールが何度も来たりしましたが、私は結局、申請しませんでした。

 嫌だったからです。原資は国民の税金ですし、受給しても後ろめたかったからです。

 そもそも、税は主権国家の根幹をなすものです。税収がなければ、予算も組めず、国家として成立できません。だから、民主主義国家なら、国民は、政治家指導による税金の使い道は厳しくチェックしなければなりません。なんて、堅い話を書いてしまいましたが、ほとんどの人は、無関心でしょうね。ただし、納税、収税に関しては敏感です(笑)。

 ビートルズのアルバム「リボルバー」(1966年)1曲目に「タックスマン」という曲が収録されています。ジョージ・ハリスン作詞作曲のヴォーカルで、ポール・マッカトニーがリードギターという珍しい組み合わせです。歌詞は皮肉たっぷりです。「もし、車を運転するなら道路に課税しよう。…もし、散歩するなら脚に税金をかけましょう。だって、俺はタックスマン(徴税人)だからさ」といった調子です。

 徴税人と言えば、すぐにイエス・キリストの十二使徒の一人、マタイのことを思い起こします。古代ローマ帝国では、取税人とか収税官とかいったらしいですが、マタイはイエスの弟子になり、「マタイの福音書」の記者だという説もあれば、別人だという説もあります。当時でも嫌がられた税金徴収者が、聖なる使徒に変身するギャップは印象的です。

 徴税は古代国家が成立して以来あることでしょう。

 ところで、いまだしつこく、私は、ほんの少しずつアダム・スミスの「国富論」(高哲男・九州大名誉教授による新訳=講談社学芸文庫)を読み続けているのですが、今読んでいる下巻の後半部分で、スミスの時代の18世紀の税金の話が出てきます。土地や建物や貿易の関税やビール、ワイン、塩、タバコなどに掛けられた税金は現在でも当然のように受け継がれていますが、この時代、部屋の暖炉や窓にも課税されていたとは驚きでした。為政者たちは、「取れるものなら何でも取ってやろう」といった魂胆が丸見えです。

 この本には書かれていませんが、この時代は絶対王政ですから、王様が絶対的な権力を持っていました。国民から徴収した税金は、何に使われたのかなあ?まさか、王様が、中国や日本から陶磁器を買ったり、奢侈品を買ったり独り占めにしたわけではないだろうなあ?と素朴な疑問を持ちながら読んでいます。

 スミスの時代の主君は、ジョージ3世(1738~1820年)です。81歳と当時としては長寿で、在位も1760~1820年の約60年という長期間です。(世界最長はフランスのルイ14世1638〜1715年の在位72年で、先日6月6日には英国のエリザベス女王がそれに次ぐ在位70周年を迎えた)

 ジョージ3世の時代は、七年戦争、アメリカ独立戦争、フランス革命、ナポレオン戦争というまさに激動期でしたから、税金の大半は戦費に使われたのではないかと想像されます。他に街のインフラ整備にも使われたかもしれません。

 と、まあ取りとめもないことを書き連ねましたが、アダム・スミスの「国富論」は難解過ぎるので、こうして脱線しながら読まないと続けられないからでした(笑)。

 こんな難解な「国富論」を、このブログの愛読者でもある大阪の栗崎さんは、学生時代に原書(英語)で通読されたという話を聞いて吃驚してしまいました。世の中には秀才がいるんですね。

 【追記】2022年6月10日

 アダム・スミス(1723~90年、行年67歳)「国富論」上下(高哲男・九州大名誉教授新訳=講談社学芸文庫)をやっと読了できました。正直、ところどころをやっと理解できたといった感じです。

 結局、スミスが最後に言いたかったのは、「訳者解説」にあるように、植民地経営のため、軍隊を送り、返済できないほどの国債を発行して厖大な戦費を調達し、国民の富を浪費し続けてきた大英帝国の統治者=政治家を批判することにあったようです。政治家だけでなく、政治家にそのような政策を進めさせた一部の商人や、製造業者による重商主義政策もスミスの批判の対象になりました。

 アダム・スミスは、無神論者で、スコットランドのエディンバラで生涯独身を通しましたが、哲学者デイヴィビッド・ヒュームや化学者・医師ジョゼフ・ブラック、地質学者ジェイムズ・ハットンら親友との交友を楽しみました。また、毎週金曜日に開催される公演会で、ヘンデル、コレッリ、ジェミニアーニらの室内楽、協奏曲を愉しんでいたという面もあったようで、そこだけは、人間らしい近しさを感じました。モーツァルトとも同時代人ですね。