「米国のインテリジェンス傘下ー双務主義と日本の対外情報活動」と「日本型インテリジェンス機関の形成」=第40回諜報研究会

 11月27日(土)午後は、オンラインで開催された第40回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催、早稲田大学20世紀メディア研究所共催)に参加しました。

 オンラインはZOOM開催でした。ZOOMと言えば、堤未果氏の「デジタル・ファシズム」(NHK出版新書)によると、会議内容や情報が駄々洩れで、サーバーが北京にあることから、ZOOMによる会議禁止の国もあるそうなので、特に機密事項を扱う天下の「諜報研究会」は大丈夫なのかなあ、と心配してしまいました。

 いずれにせよ、既に40回も開催されているということですから、主催者並びに事務局の皆様方の情熱と熱意には頭が下がります。

 と書きながら、正直、これを書いている本人は恐らく加齢による体力・知力低下で、講師の発言のメモが全く追い付かず、理解度がかなり落ちてしまったことを告白しなければなりません。ということで、私なりに心得ることが出来たことだけをざっと記述することでお許し願いたい。

 今回はお二人の先生が「登壇」されました。最初の報告者は、香港城市大学のブラッド・ウィリアムズ准教授で、演題は「米国のインテリジェンス傘下ー双務主義と日本の対外情報活動」というものでした。ブラッド准教授とはお初に「お目にかかった」方で、どういう方なのか知りませんでしたが、オーストラリア出身ながら、日本語がペラペラ。香港ということで中国語も出来る語学の天才かと思いましたら、どうやら「日本の政治外交」がご専門で、日本での就職先を希望されているという方でした(同氏のHPから)。

 お話は、ブラッド准教授が今年出版された「日本の対外情報活動とグランド・ストラテジー:冷戦から安倍時代まで」(ジョージタウン大学出版会)が中心だったようですので、ご興味のある方はそちらをご参照ください。

 ブラッド氏も「はじめに」で簡単に要約されておりましたが、「冷戦期、米国は日本を従属的同盟国として米国のインテリジェンス傘下に置くことを目標にし、一方の日本のインテリジェンス・コミュニティは、主に双務主義という規範に従ったが、まれに日米情報機関や政治家との間で摩擦が起きた」というものでした。この文章では素人はさっぱり分かりませんね(笑)。

 ブラッド准教授によると、米軍は占領中、旧日本軍の基地を管理したり、新しい施設を建設したりしましたが、冷戦期は、日本国内に約100カ所のシギント施設を建設したといいます。つまり、日本には世界最多の米軍施設があるというのです。シギントとは専門用語で、通信、信号などの傍受を利用した諜報・諜報活動のことです。(このほか、諜報活動には「人」を使ったヒューミント、衛星写真などを使ったイミント、合法的に入手できるオープン・ソースなどを使ったオシントなどがあり、こういった基礎知識がないと話にはついていけませんねえ=苦笑)

 そう言えば、私が育ち、今でも実家がある東京郊外の近くにあった立川基地や入間川基地などの航空基地は米軍から返還されたようですが、埼玉県新座市と東京都清瀬市にまたがる米軍の大和田通信所(子どもの頃に「外人プール」があり、よく泳ぎに行きました)や埼玉県朝霞市と和光市にまたがる米軍基地(かつてキャンプ・ドレイクと言っていた)のほとんどは返還されたものの、そこにはいまだに広大なアンテナ・通信基地は残っています(先日もこの辺りを車で通ったばかり)。つまり、米軍は、爆撃機が出撃する騒音の激しい東京郊外の航空基地は返還したものの、静かに傍受する?いわゆるシギント施設だけは手つかずのまま残存させているということになります。

 ブラッド准教授の話の中には、KATHO機関(加藤機関かと思ったら、河辺虎四郎陸軍中将K、有末精三陸軍中将A、辰巳栄一陸軍中将T、大前敏一海軍大佐O、服部卓四郎陸軍大佐Hの頭文字を取った)やタケマツ作戦(タケ=サハリン、千島列島の北部作戦と中国、北朝鮮の南部作戦、マツ=国内の共産主義勢力などの破壊活動)など私自身詳細に知らなかった興味深い話が沢山出ました。

 私の印象では、最後の質疑応答の中で山本武利インテリジェンス研究所理事長も指摘されていましたが、ブラッド准教授は米国人ではなく豪州人なので、日本のインテリジェンスは双務主義的ではなく、米国に従属しているという事実を冷静に客観的に分析されていると思いました。日本国内に世界最多数の米軍のシギント施設があるという事実だけでもそれは証明できることでしょう。

 お二人目は、アジア調査会理事の岸俊光氏で、「日本型インテリジェンス機関の形成」というタイトルでお話しされました。岸氏は、内閣調査室(内調)の研究では日本の第一人者で、今年4月の第35回諜報研究会でも登場されておられます。(その会については、このブログの2021年4月11日付「『冷戦期内閣調査室の変容』と『戦後日本のインテリジェンス・コミュニティーの再編』=第35回諜報研究会」でも書きましたので、そちらをご参照ください)

 4月の第35回研究会では、岸氏は、占領下の1952年4月、第3次吉田茂内閣の下で「内閣総理大臣官房調査室」として新設された際、その創設メンバーの一人で20数年間、内調に関わった元主幹の志垣民郎氏と「中央公論」の1960年12月号で、「内閣調査室を調査する」を発表し、一大センセーションを巻き起こしたジャーナリスト吉原公一郎氏という2人のキーパースンを取り上げていましたが、今回は、初代内閣情報部長を務めた横溝光睴氏と戦前の内閣情報委員会から情報局に至るまで勤務していた小林正雄氏と先程の内調主幹の志垣氏の直属の上司だった下野信恭氏の3人のキーパースンを取り上げておりました。

 横溝氏は、戦前の内閣情報機構の創設の経緯について記した「内閣情報機構の創設」を執筆した内務官僚で、戦前に福岡県警特高課長や内閣情報部長、岡山、熊本両県知事、朝鮮の京城日報社長なども歴任した人でした。

 小林氏については、生没年など詳細については触れていませんでしたが、戦後に総理府事務官、1964年まで内閣調査官を務め、情報局の重要文書「戦前の情報機構要覧」を作成した人だといいます。

 下野氏は戦後の1956年に内閣総理大臣官房調査室の調査官と広報主任を務めた人で、評論家の鶴見俊輔氏にパージ資料を提供したとも言われています。

 岸氏の「結び」のお話では、日本では戦前・戦後の情報機関は法的に、制度上、断絶しているとはいえ、人材や業務の面では引き継がれていることが散見されるーといったものでした。確かに、自衛隊でも、戦前とは法的、制度上は断然していいても、旧帝国日本軍の人材や業務が引き継がれていることが散見されますからね。

 詳細などご興味を持たれた方は、志垣民郎著、岸俊光編「内閣調査室秘録―戦後思想を動かした男」(文春新書)をお読み頂ければと存じます。

人間なんて…それより地球の歴史が面白い=「フォッサマグナ」を知ってますか?

 石井妙子著「女帝 小池百合子」(文藝春秋)なんかを読んだりすると、「人間って嫌だなあ」とつくづく思ってしまいます。どうも「他人を支配したい」とか「他人より楽して金儲けしたい」というのが根本にあるようで、他人を利用(搾取)したり、簡単に裏切ったりするのは当たり前。戦国時代なら、親子だろうが伯父、甥だろうが、上司だろうが、跡目争いのためには人殺しなんか日常茶飯事でしたからね。

 特に歴史に名を残すような人間は、人一倍、野心と虚栄心が強く、上にはひいこらしても、下は奴隷扱いで、自己の目的を達成するためには不義、不正でも手段を選ばず、他人を蹴落とし、平気で大嘘をついて、虚飾だらけの見栄っ張りが多いような気がするのは私だけではないと思います。

 これらに加えて、人間には愚痴や羨望心や嫉妬、やっかみ、誹謗中傷、悪口、いじめ、無視、告げ口、盗聴、盗撮、詐欺、脅し、暴行などがあります。

 生きていれば、毎日こんな人間を相手にしなければならないとは…、そりゃあ、誰だってミザントロープになりたくなりますよ。

裏磐梯・五色沼の柳沼

 そんな時は、悩んでばかりいないで、壮大なことに触れるのが一番良いですね。例えば、宇宙とか、何千万光年も離れた星座とか、人間なんか及びもつかない悠久の世界です。

 フランスの文化人類学者レヴィ・ストロースが言うように「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」(「悲しき熱帯」)というのは昨今の気候変動でますます真実性を帯びてきたと思います。

 最近、私は、まだ人間なんか登場していない「地学」に興味を持つようになりました。NHKの番組「ブラタモリ」の影響のせいかもかもしれません。

 先日は、番組で、糸魚川ー静岡構造線(糸静線)と「フォッサマグナ」をやっていましたが、実に面白かったです。ただ、バラエティー番組?なので、メモも取らず、寝っ転がってのんべんだらりと見ていたせいか、表面的な理解で終わってしまい、後で、「何たることかあぁー!」と、自分自身の疑問に3日も経って気が付いたほどです(笑)。

 私自身の地学の知識は、中学生程度のレベルですが、今や、その上に、優秀な学者さんによる最新機器によるシミュレーションや研究で新しい事実が次々と発見され、インテリジェンスは昔と比べられないくらい更新されています。

 私なんか「フォッサマグナ(大きな溝)」とは、幅が数百メートルか、せいぜい1キロ程度の断層かと思っていたら、先ほどの糸静線を西の端として、東の端は新発田ー小出構造線と柏崎ー千葉構造線だといいいますから(異説あり)、本州中央部、中部地方から関東地方にかけての縦断地域がすっぽり入ってしまうということになります(文末の糸魚川市HP参照)。

 番組で覚えていることは、もともと日本列島は大陸にあったのですが、2000万年前の地殻変動によって島として分断されたといいます。しかも大きな一つの島ではなく、南北二つに分かれた島が分離しました。その南北の島の間の海だったところが、いわばフォッサマグナで、1500万年前ぐらいから活発になった地殻変動やら火山活動などで、火山灰や砂岩、泥岩(この二つが交互に重なって埋まると「砂岩泥岩互層」が出来たとか)などがその南北間の海に大量に積もって、くっついてしまい、そのお蔭で、一つの島になったというのです。(番組ではやってませんでしたが、この後、この一つの島から北海道、四国、九州が離れて出来ていくのでしょう。人間なんか全く存在しない時代ですよ)

 北島と南島の境界の海の深さは6000メートルだったそうです。それが、火山灰や溶岩、砂岩、泥岩などで全部埋まってしまうどころか、数千メートル級の山まで出来てしまったわけで、番組では「エベレスト級の山々がすっぽり入る」と解説していました。

 もともと海だったところが埋まって出来たフォッサマグナは、繰り返しになりますが、本州中央部と中部地方から関東地方に当たり、首都東京も入りますから、うろ覚えですが、番組では「日本の人口の三分の一がフォッサマグナに住んでいる」とやっていました。

 番組を見て、3日ほど経ってから、番組の中では一言も言ってくれませんでしたが、私はある重要な事実に気が付きました。「なあんだ、フォッサマグナに富士山がある!」

 となると、日本一の富士山というのは活火山ですから、マグマを底に秘めているとはいえ、水深6000メートルの海に1万メートル近くの溶岩や砂岩や泥岩などが積み重なって出来たということなんでしょうか?

 実に、実に壮大な話ですよね。

 イザコザや、皮肉や、やっかみだらけの人類の歴史よりも、地球の歴史の方が遥かにダイナミックで面白いんじゃないでしょうか?

 ※なお、「フォッサマグナ」に関しましては、糸魚川市のHPをリンクさせて頂きました。

魂が汚れました=石井妙子著「女帝 小池百合子」を読了して

 石井妙子著「女帝 小池百合子」(文藝春秋)を読み終わりましたが、やはり、当初から予感した通り、魂が汚れました。もし、この本に書かれていることが全て事実なら、「何故このようなあくどい詐欺師が世の中に存在し、いまだに最高権力者として胡坐をかいているのだろうか」と信じられないくらいです。

 何しろ「女帝 小池百合子」氏が再選した東京都知事の椅子は、人口約1300万人、都庁職員約3万8000人、警視庁や学校職員、消防士まで含めると16万人。年間予算は13兆円で、スウェーデンの国家予算に匹敵するという国家元首並みの権力なのですからね。

 確かに、著者も認めているように、学歴など政治家の実力とは関係ありません。しかし、出てもいないのに「カイロ大学首席卒業」でアラビア語はペラペラだと偽ったり、父親が政治好きの野心家で投機的な事業に失敗しては借金を踏み倒したりして家計は火の車だったにも関わらず、「裕福な芦屋のお嬢様」だったと振る舞ったり、乗る予定もなかった飛行機が二度も墜落し、自分は運が良い人間だとアピールしたり、とにかくあることないことを美談に仕立てたり…嗚呼、読んでいて途中で腹が立ってきました。

 このブログの11月19日の「生まれか、育ちか?=石井妙子著『女帝 小池百合子』を読んで」という記事の中で「多少、露悪趣味的なところがあり、いくら公人とはいえ、ほんの少しだけ小池氏が可哀想でもあり…」と書きましたが、訂正します。もうこの人には全く同情しませんよ。

備前焼 ぐい吞み(紀文春作)工房:岡山県和気町

 昭和平成の裏面史を語る上で欠かせない政界と裏社会に通じた「武闘派」とも呼ばれる、あの著名なナミレイ社長の朝堂院大覚(松浦良右)氏でさえ、小池一族、特に小池百合子氏の父勇二郎氏に振り回された一人で、著者の取材にこんなことまで答えています。

 「(勇二郎氏は)とにかく大風呂敷で平気で嘘をつく。ワシの前でもや。嘘をつくなと怒って、ポカっと殴ってやっても、ケタケタ笑っておる。…恥という感覚がないから突進していく。無茶苦茶な行動力はあるんや。でも、だからといって何ができるかというたら何もできない。法螺を吹いているだけや」

 ちなみに、勇二郎氏がカイロに日本料理店「なにわ」を出店した際、資金的に面倒を見たのがこの朝堂院氏でした。

 小池百合子氏が、「アラブ通」を看板に、「女の武器」でミニスカートをはいてキャスターに抜擢され、政界進出の際は、時の有力政治家だった細川護熙、小沢一郎、小泉純一郎各氏らを踏み台にしてのし上がっていく様は同時代人として見てきたというのに、彼女の裏の顔を知らず、みーんな騙されてきたんだなあ、と腸が煮えくりかえりそうでした。

 その点、著者が声を大にして批判するように、テレビや大新聞など彼女の虚像を作り上げたマスコミの責任は本当に大きいと思いました。小池百合子氏がカイロ遊学時代に同居した早川玲子さん(仮名)が命懸けで真実を告白したというのに、大手マスコミはほとんど取り上げず、裏を取ろうとさえしませんでした。

 3年半掛けてこの本を取材執筆した著者の力量に感服しつつ、見てはいけない嫌なものを見てしまった感じで、本当に魂が汚れました。

 追記ながら、小池百合子氏は、著者の取材依頼には一切応じず、本出版後も事実無根の名誉棄損で訴えていないようです。

 

iPhone音楽しか生き残れない?=音楽プロデューサー木崎賢治氏

 21日(日)は、東京外国語大学の同窓会の懇親会(講演会)にオンラインで参加しました。大学の同窓会、もう少し細かく言いますと、「仏友会」といってフランス語を専攻した大学の同窓会は、春と秋の年2回開催されていますが、同じ大学でも他の語学科にはないようです。別に仏語科の卒業生の結束が固いわけでもないし、どちらかと言えば、仏語出身者は個人主義者が多く、特に、私と同時期にキャンパスで過ごした学友は関心がなく殆ど参加していません。昭和初期に設立されたこの会が100年近く続いているのは七大不思議の一つになっております。

 今回のゲストスピーカーは、木崎賢治(きさき・けんじ)さんという1969年に卒業された今でも現役の音楽プロデューサーです。会に参加する度に思うのですが、本当に色々な優秀で素晴らしい先輩方がいっらしゃるものだと感心します。 

 木崎氏は、大学卒業後、芸能プロ「ナベプロ」の渡辺音楽出版に入社し、最初は、洋楽の音楽著作権管理の仕事で、海外の著作権者とのやり取りや翻訳等に従事していましたが、そのうち、ピアノも弾けるので、音楽プロデューサーに向いているという社内の人からの推薦もあって転向し、沢田研二、アグネス・チャン、山下久美子、大澤誉志幸、吉川晃司らの制作を手掛け、その後、独立して槇原敬之、福山雅治らのヒット曲も手掛けた人でした。

 話がうまくて落語家の噺を聞いているようで大変面白かったのですが、逆に言うと、この面白い話を活字に起こすとなると難行中の難行になります。話が飛んだり、文語にするには言葉足らずだったり、面白いニュアンスを伝えるのが難しいので、これは私(我)があくまでも聞いた=如是我聞=ということで、色々勝手に捕捉しながら皆さんにもお伝えしたいと思います。

 木崎氏は、小学校の頃は歌謡曲を聴いていましたが、中学生になると、当時の米軍放送FEN(現AFN)から流れる「ビルボード・トップ20」に夢中になり、ニール・セダカやポール・アンカ、エルビス・プレスリーらにはまります。でも、どちらかと言うとアーティストよりもその作詞作曲者(「ハウウンド・ドッグ」をつくったリーバー&ストーラーやゴフィン&キャロル・キングなど)やプロデューサー、エンジニアら裏方の方に興味があったといいます。

 というのも、本人も中学生の頃からギターを、高校生の頃から本格的に作曲を始め、NHKの番組「あなたのメロディー」に応募したら見事合格し、ペギー葉山さんが唄ってくれたといいます。

 高校の時にカントリーやハワイアンをやり、大学ではフォークソングをやりながら、週に1,2回も新宿のディスコで、黒人中心のR&Bを聴きながら踊り、メロディーと和音だけでなくリズムも身体で覚えたといいます。そんな音楽の素養があったのです。

 ピアノは大学生の頃から始めたとはいえ、彼の特技は採譜、つまり、楽曲を譜面に書けることでした。歌手出身の作曲家平尾昌晃さんは、五線譜が書けなかったので、担当した曲は木崎氏が採譜したといいます。

◇沢田研二「許されない愛」が大ヒット

 プロデューサーになって最初の1年ほどはヒット作に恵まれませんでしたが、沢田研二の「許されない愛」(1972年)が大ヒットします。この時、まだ25歳の若さでしたが、この曲によって自分の感性に自信が持てるようになり、その後は、著名な作詞作曲家の大先生に対しても、自分の意見を言えるようになったといいます。

 普通の人は、”音楽プロデューサー”といっても何の仕事をするのか分からないでしょうが、木崎氏の裏話を聞いて、「なるほど、そういうことをする仕事か」と分かりました。

 乱暴に言えば、歌手に合った「売れる曲」を作詞作曲家につくってもらうことです。そのためには、大先生に対して「ここを直してくれ」と直接あからさまには言えませんが、「このフレーズを繰り返して欲しい」とか「とてもいいんですが、サビがもう一つ…」などと怒られながらも提案してみたり、なだめすかしたり、ご機嫌を取ったりして、自分の感性を信じて、原曲とはかなり違っても完成させていく監督のような協力者のような助言者のような、要するに、製品として売り出していく最終的な責任者であり、製作者ということになります。

◇アグネス・チャン秘話

 アグネス・チャンのデビュー作にまつわる秘話も面白かったでした。アグネス・チャンは平尾昌晃さんが香港からスカウトしてきた歌手でしたが、平尾さんがつくった曲は、小柳ルミ子調の曲で木崎氏にはどうしても気に入らない。そこで、ヒット曲の極意が分かってきた木崎氏は森田公一さんに作曲を依頼し、それが、あのデビュー曲「ひなげしの花」(1973年)だったのです。デビュー曲が大ヒットしたのは良いのですが、怒り心頭なのは平尾昌晃さんです。「自分が見つけて来たのにどういうことか」と怒られます。そこで、木崎氏はアグネス・チャンの3枚目のシングルとして平尾氏に依頼します。それが、100万枚のヒットとなった「草原の輝き」ですが、この曲が出来上がるまでに、何度も手を変え品を変えて懇願し、怒られたり、逆に奥の手を使って勝手にフレーズを繰り返したりして、編曲者から「こんなことしたら、平尾さん、怒っちゃうんじゃないの?」と言われても「自分の感性」を強行してしまったようなのです。

◇前世代がつくったものの組み合わせ

 この後、沢田研二の「危険なふたり」(安井かずみ作詞、加瀬邦彦作曲)や「勝手にしやがれ」(阿久悠作詞、大野克夫作曲=レコード大賞、作詞家の阿久悠さんとの大喧嘩の話も面白かった)など次々とヒット曲を生み出した木崎氏は、あるヒットの法則を発見したといいます。新しいものは世の中になく、前世代がつくったものを足したり、組み合わせたりしたりしているに過ぎない。それは、バッハでもベートーベンにも言えること。大リーグでMVPを獲得した大谷翔平選手も、打つ、投げるの組み合わせでやっている。周囲から「そんなもの無理だよ」と疑いの目を見られながら二刀流の実績が残せたのもよっぽど精神力がないとできない。音楽も周りにある常識的なものを見直すことしかヒット作に導かれないのではないかー、と。

 木崎氏は最近、「プロデュースの基本」(集英社インターナショナル)という本を出版しましたが、「本人に会ってお話を伺いたい」とアプローチして来た人は、音楽関係者ではなく、IT関連の人ばかりだったといいます。

 木崎氏は「今や音楽でもiPhoneでやらなければ駄目な時代になってきた。今や若者はCDも買わず、CDはもはや絶滅危惧種に近い。こうなると、iPhoneで聴ける音楽しか生き残っていけなくなる。最近、ロックバンドが流行らなくなったのも、エレキギターのひずんだ音楽がiPhoneでは聴きづらいからでしょう」などと分析していました。「なるほど、ヒットメーカーが着目することは凡人とは違うなあ」と感心した次第です。

日本の航空の父、フォール大佐にちなんだカツレツ=所沢航空公園「割烹 美好」

 本日書くことは、単なる個人的な日記なので、読んじゃ駄目ですよ(笑)。

 11月19日(金)は本当に久しぶりに会社の元同僚のM君と新宿で一献を傾けました。彼と会ったのは5,6年ぶりか、いやもっとなるかもしれません。彼は嫌な性格で(ハッハー)、こちらが誘っても向こうは断り続け、そのうちにコロナ禍になってしまい、なかなか会えず仕舞いでした。

 私が彼を誘い続けていたのは理由(わけ)がありまして、ここでは書けませんけど、個人的に大変お世話になったことがあったからでした。まあ、ズバリ、彼には御礼をしたかったわけです。

2021年11月19日(金)新宿

 結局、彼の今の職場に近い新宿で会うことになり、私が選んだのは「呑者家」(どんじゃか)という新宿三丁目にある居酒屋さん。この店はビートたけしや「噂の真相」編集長の岡留安則氏らの行きつけの店だったということで、一度行ってみたかったからでした。

 行ってみたら、それほど広いとは言えない普通の居酒屋さんでした。金曜の夜なので、満員かと思っていましたが、まだコロナ感染の怖れで自粛している人も多く、ワリと空いておりました。

 彼とは近況を話したり、かつての同僚の話をしたり、今後の仕事の話をしたりで、ここに特記するようなことはありません。新宿に来たのも、5,6年ぶりぐらいの久しぶりで、店が変わっているところもあり、何となく、街も綺麗になった感じでした。

所沢航空公園「割烹 美好」明治15年創業の老舗

 翌11月20日(土)は、父の17回忌の法要を家族きょうだいのみで墓所がある所沢聖地霊園で執り行いました。当初は6人で行う予定でしたが、結局、母は体調不調で欠席、姉夫婦も急遽不参加となりました。東北大学の教授だった義兄の御尊父が亡くなられ、仙台で葬儀などがあったりしたためでした。

 結局、兄夫婦と私の3人だけでしたが、墓掃除をしたり、綺麗な花を飾ったり、御線香をあげたり、短くお経を唱えたりして無事、法事を済ませました。

 家のお墓の最寄り駅は、西武新宿線の航空公園駅で、近くに所沢航空公園もありますが、知る人ぞ知る日本の航空の発祥地でもあります。

所沢航空公園「割烹 美好」

 その日本の航空の発展・指導の面で大いに貢献した人が、大正8年にフランス航空教育団長として来日したフォール大佐でした。(フォール大佐の通訳を務めた麦田平雄氏の墓地は、我が家と同じ所沢聖地霊園にある、と写真にありますね!)

 そのフォール大佐が日夜、利用した割烹店が今でもあるということで、ランチに行ってみました。兄の車に乗せてもらいましたが、航空公園駅から8分ぐらいの住宅街の中にありました。

所沢航空公園「割烹 美好」フォール・カツレツセット1980円

 到着したら「満員御礼」の表示がありましたが、大丈夫。法事ということで既に1カ月近く前に予約していたからです。予約注文していた料理は、勿論、日本に航空操縦技術を伝授してくださったフォール大佐に敬意を表して「フォール・カツレツセット」です。

 カツが2枚もあってお腹いっぱいになるほどボリューム満点。フランスの軍人なら平気で平らげていたことでしょうが、日本人の年配者には少し多いかもしれません。

 でも、カツレツは、肉が柔らかく、やさしい上品な味でした。

所沢航空公園「割烹 美好」を訪れた著名人

 何と言っても、この老舗店「割烹 美好」は明治15年(1882年)創業ということですから、これまで色んな著名人が訪れています。

 テレビ番組のグルメレポーターやタレントさん、芸能人らの写真が廊下の壁にベタベタと飾られておりましたが、特筆すべきは上の写真です。

 ノーベル物理学賞の湯川秀樹博士、国連事務次長、東京女子大学長などを歴任し、五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造、満鉄総裁、東京市長などを歴任した後藤新平、それに地球物理学者で東京帝大付属航空研究所顧問なども務めた田中館愛橘、日本航空界の先駆者で陸軍航空を創設・育成した徳川好敏(御三卿清水徳川家八代当主、男爵)もいます。

 へー、と思ってしまいました。彼らもフォール・カツレツを召し上がったのかしら?

 

生まれか、育ちか?=石井妙子著「女帝 小池百合子」を読んで

 「電車内無差別放火殺人未遂事件」「投資詐欺事件」等々、昨今跋扈する事件のニュースに接すると、世の中には、「罪悪感がない人」「自責の念に駆られない人」「良心の呵責がない人」が確実に存在することが分かります。それは、脳の仕組みから来るのか、DNAから来るのか、突然変異なのか、育った環境がそうさせるのか(nature or nurture)、よく分かりませんが、こういった悪質な事件が世に絶えないという事実が、そういった人が存在するということを証明してくれます。

 「平気で嘘をつく人」も、大事件を起こす人と比べればかわいいものかもしれませんが、その人が異様な権力志向の持ち主で、目的を達成するために手段を選ばないタイプの人であれば、多くの人に甚大な影響を与えます。

 今読んでいる石井妙子著「女帝 小池百合子」(文藝春秋)は、2020年5月30日初版ということですから、1年半も待ったことになります。「待った」ということは、そういうことです(笑)。著者の石井氏は、彼女のデビュー作「おそめ」を読んでますし、大宅壮一賞を受賞するなど大変力量のあるノンフィクション作家であることは認めており、一刻も早く読みたかったのですが、どうもこの本だけは「所有」したくなかったのです。

 個人的感慨ではありますが、何となく魂が汚れる気がしたからでした。

 まだ読み始めたばかりですが、私の予感は当たっていました。主人公は、個人的にはとても好きになれない、近づきたくもない、平気で嘘をつく人でした。

 例えば、2016年の東京都知事選で、ライバル候補の鳥越俊太郎氏について、彼女が「鳥越氏は(がんの手術をした)病み上がり」と選挙運動中に中傷した場面が何度も何度もテレビに流れます。両者は、「テレビ対決」となり、鳥越氏は、小池氏に「あなたは私のことを『病み上がり』と言ったでしょ」と非難すると、彼女は「私、そんなこと言ってません」と堂々と否定したというのです。

 小池百合子氏が公職に立候補するたびに「学歴詐称」問題が浮上していた「カイロ大学 首席卒業」の経歴についても、アラビア語の口語もできない彼女が、現地人でさえ難解の文語までマスターしてわずか4年で卒業できるのは奇跡に近い、と証言する人が多いのです。例えば、日本人で初めてカイロ大学を卒業した小笠原良治大東文化大学名誉教授は、群を抜く語学力で一心不乱に勉強したにも関わらず留年を繰り返し、卒業するまで7年かかったといいます。カイロ留学時に部屋をシェアしていた同居女性早川玲子さん(仮名)も「カイロ大学は1976年の進級試験に合格できず、従って卒業していません」と明言しても、小池氏はテレビカメラの前で、自信たっぷりに「卒業証書」なるものをチラッと見せて、もう漫画の世界です。(嘘か誠か、カイロ市内では偽の大学卒業証明書はよく売られているとか)

銀座「ルーツトーキョー」大分黒和牛ステーキ定食(珈琲付)1500円

 でも、「この親にしてこの子」(またはその逆)とよく言いますから、小池百合子氏より、その父勇二郎氏の方が遥かに破天荒かもしれません。政治家や有力者に近づいて、よく分からない事業を始めて失敗したり、突然、昭和43年に参院選に立候補して落選したり(この時、選挙戦を手伝ったのが、後に自民党衆院議員になる鴻池祥肇氏だったり、後に東京都副知事に上り詰める浜渦武生氏だったりしていたとは!)、日本アラブ協会に入会して、直接アラブ諸国から石油を輸入しようと図ったり、(これがきっかけで、エジプトの高官に自分を売り込み、娘のエジプトとの関係につながっていく)、大言壮語で、平気で嘘をついて、借金を返さなかったり…、いやはや、とてつもない香具師と言ってもおかしくはない人物だったからです。

 超富裕層が住む芦屋のお嬢様を「売り」にしていた小池氏の住んでいたかつての自宅を著者が訪れると、正確にはそこは「芦屋」ではなかったことも書かれています。(マスコミが彼女の虚像を流布した責任が大きいと著者は批判しています)大した家産もないのに見栄をはることだけは人一倍大きかった小池家でした。雑誌等に載った学生時代の同級生らの談話を集めたり、周囲に取材したりして、その「実体」を暴く手腕は、著者の石井氏の真骨頂です。でも、多少、露悪趣味的なところがあり、いくら公人とはいえ、ほんの少しだけ小池氏が可哀想でもあり、見てはいけないものまで見てしまった感じで、最後まで読破することが何となく苦痛です。

 ここまで暴かれてしまえば、普通の人ならとても生きていけないのですが、小池氏はこの本をわざと読まないのか、読んでも全く気にしないのか(「嘘も百回言えば真実になる」と言ったナチスの宣伝相ゲッペルスの名言が思い浮かびます)、その後、一向に不明を恥じて公職を辞任しようとした試しは一度もありませんでした。

 人としての品性や品格が凡人とは全く違うことを再認識せざるを得ませんが、どうして、このような人間が生まれて育ってしまうのか、といったその由来、経歴、因果関係は、この本を読むとよーく分かります。今さらながらですが、大変な力作です。

便利さと引き換えに個人財産を搾取される実態=堤未果著「デジタル・ファシズム」

 堤未果著「デジタル・ファシズム」(NHK出版新書、2021年8月30日初版、968円)を読了しました。読後感は、爽快感からほど遠く、恐怖にさえ駆られてしまいました。

 それでも、この本は現代人の必読書でしょう。私ごとき凡夫が「是非とも読むべきですよ」と主張しても、まあ、ほとんどの方は読むことはないでしょう。その方が、為政者にとっても、政商にとっても、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)やBATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)と呼ばれる米中のIT巨大企業にとっても好都合だからです。

 無知な人間は、せいぜい個人情報を搾取して利潤しか追求しないこれらIT企業の策略にはまって、身ぐるみ剥がされればいいだけの話です。でも、そんな無知は罪ですよ。

 そんなことを言っている私自身も無知な人間でした。ここに書かれていることのほとんど知りませんでした。唖然とするばかりです。

 例えば、コロナ禍で自宅でのリモート勤務やセミナーのオンライン開催が多くなりましたが、その際、流行のように使われたのが、ZOOMです。このZOOMは、カナダのトロント大学グローバルセキュリティ研究所の実証検査によって、会議の暗号化キーが中国の北京のサーバーを経由していたことが分かったといいます。

 そこで、同研究所は、このようなセキュリティ上の問題があるため、現時点では以下のような強力なプライバシー保護及び機密性を必要とする場合、ZOOM使用は推奨しないと警鐘を鳴らしています。それは

1,スパイ活動を懸念する政府関係者

2,サイバー犯罪や産業スパイを懸念する企業

3、機密性の高いテーマに取り組む活動家、弁護士、ジャーナリスト

以下略

 この箇所を読んで、私なんかぶっ魂げてしまいました。例えば、現在、インテリジェンス研究所が、機密性の異常に高い「諜報研究会」を毎月開催されておりますが、コロナ禍のため、ZOOMによるオンライン会議となってます。大丈夫かなあ~と心配してしまいました。

福島県 裏磐梯・曽原湖

 広告・コンサル業界世界最大の米アクセンチュアが推進しているデジタル構想にスマートシティというものがあります。これは、交通、ビジネス、エネルギー、オフィス、医療、行政などの様々な都市機能をデジタル化した街のことで、無人スーパー、無人銀行、無人行政など便利さの面で申し分ありません。現在、福島県の会津若松市がモデル都市と選ばれて、実証実験されているといいます。(他に、私もお世話になった北海道の更別村、仙台市、前橋市、浜松市、河内長野市、高松市、北九州市などがスーパーシティに応募しています)

 ただし、スマートシティには便利さと引き換えに落とし穴もあり、著者はその一つとして、個人情報の扱いが緩くなる難点を挙げています。それに、ジョージ・オーウェルの「1984」のような息苦しい監視社会になる懸念は払しょくできないことは確かです。

 日本でその音頭を取っている、というか、お先棒をかついでいるのが「スーパーシティ構想の有識者懇談会」の座長である竹中平蔵氏です。表の顔は慶応大学名誉教授のようですが、裏の顔は、人材派遣会社パソナの会長であり、オリックス、SBIホールディングスなどの社外取締役です。牽強付会、我田引水的手法で自分たちに都合の良いように法律を改正したり、為政者に働きかけたりする「政商」とも言われています。

 例えば、こんなことがあります。

 ソフトバンクとヤフーが設立したPayPayと提携し、NTTデータの決済システムCAFISを通さなくても住信SBIネット銀行から低コストで行える入金サービスを開始した人としてSBIホールディングスの北尾吉孝社長がおります。そのPayPayのようなノンバンクの決済業者が、既に確立された安全性に定評のある全国の銀行ネットに参入する道筋をつけたのが、同ホールディングス社外取締役の竹中平蔵氏である、と著者の堤未果氏は書いております。

 また、竹中平蔵氏が社外取締役を務めるオリックスもまた、自社が手掛けるPayPayを日本に導入する際の仲介ビジネスによって潤うだろう、とまで堤未果氏は特記しています。

 さらに、「LINE Pay」は韓国、アリババが大株主の「PayPay」は中国、「アマゾンペイ」は米国と、日本で使われている資金移動業者の多くが外国資本で、日本の法規制が及ぶとも限らず、そもそも、〇〇ペイには、万一不正使用された場合、「預金者保護法」のような共通のルールはない、とまでいうのです。

 この本の後半は教育ビジネスについて割かれていますが、他にもたくさん、「デジタル・ファシズム」による弊害が、これでもか、これでもかといった調子で描かれています。私が茲で書くより、直接本書を読むことをお薦めします。

 私の読後感は最初に書いた通りですが、我々、現代人は便利さと引き換えに、大切な個人財産と魂まで悪魔に売り渡してしまったような気がしました。

デジタル監視社会で窒息しそうだ=生かさぬように殺さぬように

 実に頭が痛い話です。

 サラリーマンには、年末に保険控除や家族・配偶者手当などを申請する「年末調整」というものがあります。それは、2枚ぐらいの紙で、既に色々と書かれている用紙に自分の名前や保険の種類などを書いて、領収書を添付すればそれで終わっていたのですが、今年から急に、何と、オンラインで一(いち)から申請せよ、との通達が舞い込んできたのです。

 会社のLANの通達文書には、そのマニュアルが50ページ近く添付されていて、若い人ならスラスラできるでしょうが、「えー、こんなもん出来るかあー」と叫びたくなりました。

 でも、よく考えてみると、年間給与、つまり年収を記入したり、家族構成を記入したりするわけですから、システム会社に情報が筒抜けです。

 これには怪しい伏線がありました。これまで、社内LANなり、社内メールなり、会社のシステム局が外部と委託したりして一応自前でやっておりました。それが、今年4月から急に、社内LANもメールも、それら全体を統括するシステムを米マイクロソフトに丸投げしてしまったのです。社員に対して経緯の説明は一切ないので詳細は分かりません。ただ、「システムを切り替えかえたので、新しい、ソフトにメールアドレスを移行してください」などといった指導があっただけでした。

 その裏に隠された重要性に気付いた社員はほとんどいませんでした。

 今読んでいる本は、実に憂鬱な話ばかりです。読んでいて嫌になります。

 堤未果著「デジタル・ファシズム」(NHK出版新書)です。いわゆるGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)や中国のアリババやテンセントなどネット界の巨人によって、個人情報が思う存分に吸い取られて搾取される実態が赤裸々に描かれています。心ある人なら、必ず読むべきです。

 著者の堤氏に言わせれば、彼らのビジネスモデルは、インターネットという無法地帯の仮想空間で、人間の行動を監視し、収集し、データを変換して、加工した「未来の行動予測」を商品として市場で売ることで、国家をはるかに超える巨大権力を手にしている、というものです。

 この本では、その具体例がボカスカと列挙されています。日本の例については、回を改めていつか書いてみたと思いますが、本日は、外資に食われたフィリピンの例です。同国内の電力事業は2社の国営企業が完全に独占し、利益拡大のための経費削減と、競争の欠如からくる手抜き仕事でサービスは極めて劣悪だったいいます。そこで、ドゥテルテ大統領が奮起して、民間の電力会社を参入させ、お蔭でサービスが劇的に改善します。しかし、そこには落とし穴があって、その民間企業に「国家電網公司」という中国企業の資本が入っており、そのうち、この中国企業が電力会社の株を買い占め、幹部をフィリピン人から中国人に替え、同時に扱う部品も中国製を増やしていきます。そして、気が付いたら、フィリピンの送電網を動かすサーバー設備が中国の南京市に移されていたというのです。

 となると、どうなるのか。もはや何があってもフィリピンは中国に逆らえないことになることは誰でも想像できます。(堤氏は書いていませんが、ドゥテルテ大統領の祖父は中国出身の華僑ということで、もともと中国寄りの人物と言われていますから、こうなることは予想していたのではないかと思われます)

 ◇トロント市はITガリバーを追い出す

 その全く逆に、ネットのガリバー企業を追い出した市の例も出てきます。グルメ王の辻下氏もお住まいのカナダのトロント市です。同市は2017年、グーグル系列のIT企業にデジタル都市建設を発注します。当初は「夢の未来都市」「住民目線のニーズに応えた新しいライフスタイル」といった甘い言葉に魅惑されていた市民も、次第にその「負」の部分に気付き始めます。市内中にセンサーが張り巡らされ、住民の行動を逐一、スマホから追跡し、収集した膨大なデータは「参考資料」としてグーグルの姉妹会社に送られる…ある市民が何月何日何時何分にどんなゴミを捨て、誰と会って、どこで何を食べ、飲んだか、そういった情報まで調べられていたというのです。

 これには市民たちの不満は日増しに募り、猛反発の運動が起こり、2020年5月、ついにグーグルの系列会社はトロント市からの撤退と計画中止に追い込まれたというのです。

 まさにデジタル監視社会の最たるものです。こんな社会では、窒素しそうで、生きている心地すらしません。

 そんな恐ろしい監視社会が日本でも進行中です。しかも、デジタル庁なぞは名ばかりで、米国のGAFAにほぼ丸投げ状態だというのに、優しい、政治に無頓着な日本人たちの個人情報はダダ洩れで、悪魔たちに付け入る隙ばかり与えております。

 庶民ができるささやかな抵抗は、せめて、グーグルで検索せず、Gメールは使わず、iPhoneもやめ、勿論、フェイスブックも辞め、アマゾンで買い物はしないことです。でも、禁断の蜜の味を知った日本人にそんなことできますか?

  私は、手始めにスマホの「位置情報」を切断することにしました。便利さの代償があまりにも大きいことをこの本で気付かされたからです。

凄過ぎるベルーナ

会津 裏磐梯・曽原湖

この渓流斎ブログは、4年以上前の2017年2月23日に書いた「凄過ぎる滋慶学園」という記事がどういうわけか、いまだに多くの方に読まれて、ベストセラー(笑)になっております。

 ということで、本日は、柳の下の二匹目のドジョウを狙って、タイトルを「凄過ぎるベルーナ」とすることに致します。

 ベルーナとは有名な通販の大手らしいのですが、私自身は全く知りませんでした。それが、先日、会津の裏磐梯に旅行した際に大変お世話になった北原安奈さんが働いているホテルの親会社だということを小耳にはさんで、俄然興味を持ってしまったのです。

 何で、通販がホテル経営を?

 安奈さんは、私が操觚者なので、色々と書かれてしまうと困るので、ベルーナのことについては口を閉ざし、見事「忠君愛社」ぶりを発揮していたことをベルーナの社長さんにはお伝えしておきます(笑)。でも、21世紀の今は、実に簡単に、新聞やネットなどで公開されたオープンソースで大体のことが分かってしまうんですよね。

 ベルーナとは、1968年、埼玉県上尾市に印鑑の訪問販売「友華堂」として創業したのが始まりだったのです。創業者は1944年生まれの安野清氏。同氏は、衣料品をカタログ雑誌で通信販売を始めてから、今では化粧品、日本酒、ワイン、家具等も含めた「衣食住」のネット通販、看護師人材紹介、会員向けファイナンス、不動産、ホテル事業にまで拡大し、一大グループ企業を一代で築き上げて立身出世を遂げた人物だったのです。

 大変失礼ながら、私はベルーナも安野社長のことも知りませんでしが、写真で見ると、いかにもやり手のたたき上げといった感じです。グローバル企業に成長しながら、本社をいまだに出身地である埼玉県上尾市に置いているということはよほど地元愛が強い方なのでしょう。印鑑の訪問販売から起業したということは、相当な苦労と辛酸を舐めて、ここまで這い上がって来たのではないかと想像します。

会津 裏磐梯・五色沼の弁天沼

 ホテル業は、ベルーナの子会社のグランベルホテルが運営していますが、裏磐梯のほかに、札幌、軽井沢、大阪、京都、東京の新宿、赤坂、渋谷と幅広く展開しているようです。

 過去記事の中には、2015年3月10日付の日経で、「通販大手のベルーナが国内外でホテル事業に本格参入。福島県の高級リゾートホテルを買収し、10月に新装開業する」といった記事が見られます。これが、私も泊まった「裏磐梯レイクリゾート」のことで、その前はあの有名な星野リゾートが所有していたことが書かれています。ホテル業界というのは、結構、M&A(合併・買収)が激しい業界だったんですね。

 この記事では「スリランカでは同国政府と合弁会社を設立し、高級ホテルを建設する」とありましたが、その後、どうなっているのか不明です。ベルーナの公式HPにはスリランカのホテルが出て来ないので(多分)、ペンディングになっているのかもしれません。(モルディブではホテルを開業したようです)

 いずれにせよ同HPの安野清社長のメッセージとして、「中長期の方針は『売上高3000億円、営業利益300億円を通過点に通信販売総合商社の熟成を目指す』としております。」と高らかに宣言されております。コロナ禍の痛手を受けて、この目標はまだ達成できていないようですが、いずれ実現するのではないかと思います。

 特に、安野社長は「中学卒業後、国立埼玉総合訓練所を卒業」ということですから大学は出ていないと思われます。勉強もしないで下手に大学に行ったり、学歴ロンダリングで海外留学なんかしてもしょうがないということですよ。商才や経営手腕や購買層の動向などを見抜く先見の明などは本を読んで身に着くようなものではありませんからね。

 安野社長は、23歳で印鑑販売で起業し、それからここまで大企業に育てたわけですから、お会いしたことはありませんが、松下幸之助や本田宗一郎のような立志伝中の人物ではないかと私なんか睨んでいます。特に、国税庁のように決算を監査したり、従業員の声を聞いたわけではありませんが、とてつもない方のように思われます。

 とにかく、滋慶学園も凄いですけど、ベルーナも凄過ぎます。

【追記】

 本日11月10日(水)毎日新聞(東京発行、13版)15面で、何とベルーナが全面広告(酒の通販)を打っておりました。何というコインシデンス(偶然の一致)!

会津漆塗りの盃と小鹿田焼の五寸皿

 最近、どうも「ぐい呑み」づいております。

 このブログの10月30日付「備前焼のぐい吞みをゲット=友人Y君から」に書いた通り、備前岡山出身の友人から備前焼のぐい呑みを頂いたことを書きました。

茂徳作・会津漆器盃

 今度は、先日、会津の裏磐梯に行った際、お出迎えして頂いた安奈さんから、この会津漆塗りの盃を記念に戴いてしまいました。

 ロバート・キャパにならって、写真は「ちょっとピンボケ」ですが、名工・茂徳作の高級品です。箱入りです(笑)。「ガラス工芸のうるし塗り」という説明書の最初に、「会津漆器の生産は天正18年(1590年)、時の藩主・蒲生氏郷公が基礎を築かれ、云々」と書かれております。

 出ました。蒲生氏郷ですよ。このブログの今年3月21日付「商業発展に注力した戦国武将・蒲生氏郷=近江商人や伊勢商人までも」に書いた通り、戦国時代の武将蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556~95年)は、「日本商業の父」とも言うべき大名で、今でも連綿と続く近江商人や伊勢商人を育成し(伊藤忠、武田薬品、三井財閥、イオンなど)、会津に移封されると地元の殖産興業の一つとして、漆塗り器の生産などを奨励します。

 400年以上経っても、蒲生氏郷の遺産が残っているわけです。

小鹿田焼(飛び鉋の五寸皿)いい景色です

 話は代わって、このブログの10月31日付「民藝運動に対する疑念を晴らしてくれるか?=小鹿田焼が欲しくなり」に書いた通り、小鹿田焼(おんたやき、と読みます)の「飛び鉋」(とびかんな)の五寸皿を通販で購入したことを書きましたが、割と早く、昨日届きました。

どうです? 実に見事な景色じゃあーりませんか。普通のおかずにも、フルーツ盛りにも、何でも使えそうではありませんか。鉋模様は、職人さんの手彫りですから手間暇が掛かっています。二度と同じ文様の作品は作れないそうです。

会津裏磐梯で買ってきた赤べこと小鹿田焼(飛び鉋の五寸皿)

 やっぱり、渋いですね。歳を取るのもいいもんです。渋さの味わいが分かるようになるからです。

 恐らく柳宗悦の民藝を知らなければ、この小鹿田焼も知らなかったと思います。

 小鹿田焼は江戸中期の宝永2年(1705年)、今の大分県日田に福岡県の小石原焼の技法が伝わったのが始まりだと言われています。その後、衰退しかけていたのですが、大正時代に柳宗悦らの民藝運動で「再発見」され、現在でも根強いファンが多いと言われています。

 ええんでなえかえ(北海道弁)